11/15の下諏訪宿の「甲州道中中山道合流之地」碑が今回の15日間に渡る「奥州道中~日光街道~甲州街道」歩き旅のゴールである。
これで、これまでの中山道と東海道を含め、五街道すべてを踏破したことになる。
今回歩いた3街道は、すべて街道は「道中」とも呼ばれている。
今回の奥州街道は、「奥州道中」と呼ばれる幕府直轄の白河宿から日本橋までの間だが、宇都宮から日本橋間は「日光街道(道中)」と重複する。
そのため、記録上は、白河宿から宇都宮までを「奥州道中」、東照宮から日本橋までを「日光街道」とした。
しかし、自分としては、1日だけ日光に寄って、奥州街道を歩き通したという思いが強い。
今回は15日間の歩きだったが、なんといっても全日天候に恵まれ、それも快晴という日が多かったことである。
夜半から朝まで雨が降っても、スタートするときには止んでいたという日が2日あったが・・・。
快晴の日は放射冷却で朝のみ寒い日もあったが、日が昇ると暖かくなった。
奥州道中・日光道中の印象について
白河宿から日本橋までの奥州道中・日光道中は、27藩の大名が参勤交代で通過している。それだけに街道や宿場の面影が充実していたように思われる。
また、あまり取り上げなかったが、芭蕉の「奥の細道」の句碑も多く見られた。
しかし、我が函館で終焉を迎えた戊辰戦争の戦場になっているところも多かった。それだけに城も宿場も焼かれているというところも多かった。
五稜郭までやってきた旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三や大鳥桂介らが仙台まで戦いながら進んだ街道でもあると思えば、非常に身近な感じもする。
日光街道のシンボルともいえる杉並木は車で通ったことはあるが、ほんの一部だったということが分かった。
国道と並行して旧道として続いているところが予想以上に飽きてくるほど長かった。
この杉並木は、徳川家康、秀忠、家光の3代に仕えた武州川越藩主松平正綱が寛永2年(1625年)から約20年の歳月を掛けて杉並木を植栽し、家康33回忌に東照宮に寄進したことも分かった。
戊辰戦争で日光東照宮に立てこもった旧幕府軍だったが、新政府軍の板垣退助と旧幕府軍の大鳥桂介の話し合いで戦火を免れたことも初めて知った。
甲州街道の印象について
甲州街道を利用した大名はわずか3藩だけという割には、国道に吸収されずに、宿場や当時の街道の面影を残すところが多かった。
特に台ケ原宿は、「日本の道百選」にえらばれるほど、宿場の面影を色濃く残す建物が並んでいた。
小原宿と日野宿には、江戸時代後期に建てられた本陣がそのまま残っていた。今までの街道歩きで数軒あったが、無料開放は小原宿だけだった。
何よりうれしかったのは、小仏峠(480m)と笹子峠(1090m)を越える昔のままの自然道が残っていたことである。
この辺りは、中山道と同じような雰囲気があった。
今回の歩き旅で、初めての登山モードであったが、このような道は往時にタイムスリップできる楽しみがある。
なお、触れなかったが、この甲州街道には徳川家康に敗れた武田勝頼が逃げ延びた際のゆかりのある寺社や史跡が多かった。
五街道というと、江戸時代がクローズアップされるが、これはもともとあった昔からの街道を江戸幕府が管轄し、宿場に本陣や脇本陣、問屋場や高札場等が設置されただけである。
したがって、奥州街道には、坂上田村麿や源義経など、甲州街道にも日本武尊や親鸞などの痕跡や史跡も登場する。
歩く距離と時間
春は5時スタートが可能だったが、今回は日が短いので、スタートは6時が精いっぱいだった。
ブログアップの時間確保のためにも15時にはゴールできるよう計画を立てた。それでも、長いときで9時間以上、40km以上という日が2日あった。
しかし、1日の歩く距離が短いので、足や体の疲労は少なく、毎日体力的には余裕があった。
費用と宿の確保
費用は、できる限り1日6,000円を心がけた。宿4,000円、食費2,000円を基本に考えた。高ければ食費を削るなどの工夫をした。
結果、4,000円以内の宿は、カプセルホテルや24時間営業の温泉がメインだったが、民宿やビジネスホテルでもあった。
しかし、結果的には1日平均7000円ほどだったと思われる。
甲州道中・日光道中の宿は出発前に予約し、甲州街道は甲州道中・日光道中のゴールした東京で予約した。
カード利用の便利さ
今回は宿の関係で電車やバスの利用が多かった。そのたびに、函館市電利用のために作ったイカスニモカカードが利用できたので、非常に便利だった。
また、コンビニや全国チェーンの食べ物屋さんはクイックペイが使えたし、宿では数軒を除いてクレジットカードが利用でき、現金を使うこことは以前より少なくなった。
食事について
基本的には素泊まりがほとんどだったので、朝食はコンビニのイートインコーナー、昼食は安い食堂、夕食は外食を基本的に考えたが結果的にコンビニ弁当や行動食やカップラーメンで済ませたこともある。
しかし、旅の楽しみの一つは食事である。特にその土地ならではのグルメはぜひとも食べたかった。宇都宮の餃子と山梨県のほうとうは外せなかった。
喜連川宿に、向かいの温泉に無料で入れて、2食付きで5500円という民宿があった。ここの料理は非常に美味しかった。
ブログアップについて
宿に着いてまずは風呂に入る。その後、ブログアップ作業となる。写真の選択から始まるが、それが意外と時間がかかる。
それをブログ用にリサイズして、ブログに取り込む。この取り込む作業が、パソコンなら一気にできるが、スマホは数枚ずつしかできないので、時間がかかる。そこまでで1時間以上は必要となる。
そして、ようやく文章打ちとなる。それが2時間程度。大体合計3時間は必要となる。中には4時間を要した日もある。
それが終わってから夕食を摂るようにしたので、ビールを飲める夕食は概して遅い時間となったし外出が億劫なときもあった。
うれしい出会いについて
今回も3名の方とのうれしい再会があり、差し入れをいただいた。
宇都宮では、毎度のように遠くまで出掛けて差し入れしてくださるKa女史には、今回は料亭で「湯葉と豆腐のコース料理」をごちそうになった。
もっとも驚いたのは、日光街道野木町では、前もっての連絡もなかった方が待っていてくださった。昨年の大千軒岳でたまたま同行したYaさんだった。
ブログを見て、今日はここを通るはずと待っていて下さったそうだ。そこに住んでいることさえ知らなかったのでびっくりだった。
甲州街道の府中では、多摩市に住んでいるてくてく人さんが、宿まで会いに来てくれた。最初の出会いは中山道で同宿になった方である。
春の奥州街道の時もわざわざこちらに会うために、白河から奥州街道北上の旅を始めて、途中で再会している。
これらの出会いは、毎日ブログをアップして歩いているからにほかならない。感謝・感激の何物でもない。
今後の歩き旅について
旧街道歩きはこれで「五街道」と「伊勢街道」を踏破した。このほかに「熊野古道」の中辺路・小辺路、伊勢路を歩いている。さらに「四国遍路」も2回歩いている。
旧街道はまだまだたくさんある。主だったところでイザベラバードが北海道まで歩いた「羽州街道」や大阪・京都から続く「山陽道」もある。
しかし、街道歩きはひとまずここで休止符を打つつもりだ。来年と再来年は、東日本大震災復興の一環として開設された約1000kmの「みちのく潮風トレイル」を歩いてみたいと思っているが・・・?