癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

記念すべき2008年に感謝!

2008年12月31日 | 日常生活・つぶやき
            (北アルプス・三俣蓮華岳にて~バックは槍ヶ岳と穂高連峰~8/3) 
 
 全くの自覚症状もない青天の霹靂で見つかった大腸癌、そして、摘出手術・・・しかし、今のところは、むしろ体質的に改善されて、より快適な状態で再び山に戻ることができた。この癌のお陰で、励まし、支えてくださった多くの方々への感謝の念と前向きに生きることの大切さをより一層深く実感することができた。

 いうなれば、自分の人生訓とも言える「挑戦と感謝」がより強固にリセットされた「癌春人生」の出発点となった年でもある。

 一度もネガティブな気持ちに陥ることはなく、常に前向きに対処することができたのは自分でも不思議である。今のところは、宣告されたときに心に決めた「癌と闘う」などという状態にはならないほどの軽症で済み、ちょっと拍子抜けしていると言ったらバチが当たるかも・・・?

 心配してくれた皆さんを安心させたいという思いと「また山に戻れた」という嬉しさから、2ヶ月間のブランクはあったが、山行日数がこれまでで最高の112日を数えた。登頂ピークも130座を越える。中でも、癌春人生の新たな目標として、「日本三百名山踏破」をはっきり意識し、4回も本州遠征に出掛けた。4回とも天候に恵まれて、新たに72座を踏破できた。現在164山となり折り返し地点を越えた。

 また、癌が見つかって以来、日々の状況をブログに更新し続けたことは、自分の励みだったにもかかわらず、そのことに関わる講演を依頼されたり、医療専門誌や新聞や放送関係のメディアの取材を受けたりと、これまた不思議な感じ・・・。来たる1/20にも、また講演「癌春生活を新たな生きがいとして・・・」をお願いされているが・・・。

 新たな「癌春人生」の支えとなってくださった皆様に心より御礼申し上げます。
 来年もよろしくお願い致します。
 末筆となりましたが、皆様のご健康とご多幸を心より祈念いたします。

 

今年登り納めの「森川山」

2008年12月28日 | 登山・旅行
 本日、天候と展望には恵まれなかったが、森町姫川地区の西側に聳える森川山(609m)にSHOさんとTaさんと3人で登り、新しい山を一山増やすことができた。結果的に、これが今年の登り納めの山となるだろう。

 ツボ足で2.5kmの林道を1時間歩き、カンジキを着けて北尾根を1時間35分・・・頂上付近では膝ほどのラッセル。風は強かったが、雪は降らなかったので吹雪にはならなかったのが幸いだった。本来であれば、駒ヶ岳を初めてする噴火湾や反対側の展望が広がるはずであったが、まったく見えず・・・。ラッセルされた下りの北尾根は登りのわずか1/3の30分で下った。

 今回、都合がつかず同行できなかったこの山の麓で生まれ育ったFuさんに付き合って、いずれ天候の良いときに展望狙いで再訪したいと思っている。

 詳しい山行記録は下記からどうぞ!
 http://sakag.web.infoseek.co.jp/morikawa08.htm

人の輪繋がり・・・

2008年12月27日 | 日常生活・つぶやき
            (画像は、「道南・生と死を考える会」会長宅での二次会)

 昨夜、6/14に講演をお願いされた「道南・生と死を考える会」のYa会長から忘年会のご案内をいただいて、亡妻の時からお世話になっているメンバーも多いので喜んで参加した。

 一次会は、このブログの「癌春(がんばる)」の造語を拝借させていただいた癌の先輩Aさんの講話とセットで、20名ほどの参加だった。講話終了後宴に移る・・・500円の会費にもかかわらず、ホテルのバイキングのような豪勢な料理が用意され、ビックリ・・!全部、会長の奥様と会員の手作り料理の持ち寄りのようだった。

 その参加者の中に、拙サイトの愛読者とのことでご挨拶をいただいた初対面の方が3名もいらした。その方々は私が人間磁石と呼んでいるAさん繋がりの方である。その他にも、この会で初めてお会いした顔見知りの方が2名。

 一次会が終わり、図々しく二次会のYa会長宅へお邪魔する。その顔ぶれは、たまたまAさんを初めとする亡妻の時からお世話になっている方々に加えて、前述の3名・・・すべて、拙サイトの愛読者ばかりだった。こちらのプライバシーはすべて知っている気の張らない顔ぶれである。

 皆さん、医療関係を初めとするそれぞれ一流の方々ばかり。そのすばらしい人間性とその繋がりの妙と美味しいお酒に酔い、ついつい久しぶりの函館弁マシンガントークを炸裂させてしまった・・・しかし、癌に見舞われて、人のありがたさをより一層強く感じた今年の締めくくりに相応しいこの上ない楽しい夜であった・・・感謝!感謝!

一次会の様子は、下記のAさんのサイトからどうぞ!
http://homepage2.nifty.com/abecin/08numasin/081228numasin34.htm

サンタクロースの思い出

2008年12月25日 | 日常生活・つぶやき
 子供の頃、25日の朝、目が覚めて直ぐに枕元を探す・・・あったあった・・・サンタのプレゼント・・・当時そのプレゼントのほとんどは学用品だった。それでも1年で一番うれしい日で、うれしいプレゼントだった。

 その夢が現実と化したのは4年生のときだったと思う・・・翌日、文房具屋に何かを買いに行ったら、そこのオヤジさんが「昨日、サンタさんが来たでしょう。何のプレゼントだったかオジサン知っているよ」みたいなことを言われた。その店頭に同じ物が並んでいた。薄々サンタの存在に疑問を持っていたので、「やはりそうか?」と妙に納得したのを覚えている。別にショックはなかった。

 翌年、それを確かめようと眠ったふりをしてそのときを待った。父が4人の頭元にプレゼントを置いていく姿を薄目で眺めて、「弟妹には黙っていよう」と心に決めた・・・その後、それはいつまで続いたのかは覚ぼえていない。

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 時は流れて、自分が父親になる。自分が親から貰った夢を子ども達にも・・・と、それとはなしに欲しい物を聞き出しては、それを探し出すのに大変だった。また、同じ物がなかった場合、それをサンタに変わってどう言い繕うか苦労したものである・・・まあ、「散々苦労す」だったが、喜ぶ姿に自分の子供の頃と重ねてこちらも喜んだものだ。

 息子も4年生ごろまで信じていたようだ。そろそろ夢を壊さないように現実に気付いて欲しい・・・数日前に買っておいたプレゼントを息子が見つける可能性の高いところに隠して置いた。案の定作戦は当たる。そのときに、娘には内緒にしておくように頼んだ。当日の朝、娘と一緒になって喜んでくれる姿がいじらしかった。

 一番辛かったのは娘のときだ。これも4年生のときまで信じていた。息子が「そろそろ気付かせないと友達にバカにされるよ」と言う。たまたま「ポシェットが欲しい」と言ったので、妻が娘の洋服地の残り布でそれを作り、息子の時と同じ作戦をとったが気付くことはなかった。

 当日の朝、そのプレゼントを見つける・・・布地を見て、当然妻の手作りだと気付く・・・突然、ワァーワァーと泣き出してしまった。まさに夢が壊れた瞬間だったのだろう・・・慰めるのに大変だった。

 翌年のクリスマスは、当然、サンタからのプレゼントは終わりにし、欲しい物を買い与えた。ところが、25日の朝、目が覚めたら、自分と妻の枕元に「今まで夢を与え続けてくれてありがとう!」と書かれた手紙が添えられた娘からの小遣いを貯めて買ったであろう精一杯の気持ちが感じられるプレゼントが置かれてあった・・・今度泣いたのは、自分たちだった・・・・。

これが、今年で最後・・・?

2008年12月24日 | 日常生活・つぶやき
         
                こんな豪華なホームイルミネーションで彩られた個人のお宅が、
                市内の閑静な住宅街にあったなんて・・・全然知らなかった。

              昨日、拙ブログに初コメントをいただいた洋梨さんから教えていただき、
                 雨の中のクリスマスイブでしたが、早速訪ねてみました。
 
                  何年前からこの様な状態だったかは知らないが、
               この電飾、飾り付けが大変なので、なんと今年がファイナルだとか・・・。
                  慌てて、最後の年の最後の姿をカメラに収めて来た次第。              

              
              

                  なお、この情報を教えていただいた洋梨さんは、
     私もよく拝読している「函館開港150周年記念事業公式ウェブサイト」の編集スタッフとして大活躍の方です。
                ご本人も「洋梨の函館生活」というブログを開設しています。
         そちらの今日のブログには、私のことが記されていて、恥ずかしいやら、光栄やら・・・。

イブイブのクリファン

2008年12月24日 | イベント鑑賞・参加
           
              イブイブとなった昨夜、連日大掃除に励んでいる妻の要望で、
           毎年見に行っているクリスマスファンタジーの点灯式をようやく見に出掛けた。

           
                 可愛らしいダンススクールの子どものダンス。

           
                 
           

        帰路、昼の袴腰岳登山で汗を流したせいか、無性に味噌ラーメンが食べたくなる。

           


                    過去の写真は下記からどうぞ!
                  http://sakag.web.infoseek.co.jp/xmas.htm

腰までのラッセル・・・袴腰岳

2008年12月23日 | 登山・旅行
 今日、4人で今シーズン初の冬山登山となる函館の最高峰・袴腰岳(1108m)に登った。スキー場の積雪が少ないので、山も少ないだろうとバカにして出掛けたら、とんでもない目に遭った。

 なんとか新中野ダム奧のアメダス登山口まで車で入ることができたので、そこから夏道コースをピストンした。こちらから冬に登るのは初めて・・・最初の内は夏道の痕跡を辿れたが、予想以上の積雪に、途中から完全にその痕跡すら分からなくなり、カンジキを着けてひたすら尾根を辿った。三角山辺りですでに膝上のラッセル。

 稜線コルから頂上までは夏道ルートではなく、雪庇の発達している稜線を直接登る。この登りは腰までスッポリ埋まり、腿でラッセルしながら泳ぐようにして登った。こんなに深いラッセルは数年振りの体験。頂上標識が埋まっていて掘り出したくらいだから、1m以上はあったと思われる。

 初冬山にもかかわらず、真冬並みの厳しさをたっぷりと堪能することができ、大満足の山行だった。
 
 詳しい山行記録は下記からどうぞ!
 http://sakag.web.infoseek.co.jp/hakama08-12.htm

遅い初滑り

2008年12月22日 | スキー・クロカン
 今日の午前、函館七飯スノーパークへ初滑りに出掛けた。同じ車種の車の後について駐車場に入り、その隣に停めたらその車の主がマンタンさんだった。最初の2本ほど一緒に滑った。

 それにしても今年は雪が遅い。全国的な傾向らしい。お陰で初滑りもすっかり遅くなってしまった。多分自分のスキー歴の中で最遅の初滑りかもしれない。しかも、まだ人工雪が主体の小沼コース1本だけのオープンで、ゴンドラは動いていなかった。一番おいしいちょっと急な斜面はまだガリガリであまり楽しいとは言えなかった。

 それでも、昨シーズン、検査で癌が見つかる前の1月末以来のスキーで、足慣らしには十分だった。2時間ほどで切り上げたが、マンタンさんの車はすでになかった。

も~さんの講演「土方歳三の歩いた道」

2008年12月21日 | イベント鑑賞・参加
 本日、函館市地域交流まちづくりセンター(十字街)を会場にして開催された函館まなびっとフェス2008の一環で、旅人も~さんの講演「土方歳三の歩いた道」を拝聴してきた。

 講師のも~さんとは若い頃からの知り合いで、2年前の5月に、今回の講演のベースになっている調査段階の話を直接聞いたことがある。 また、その結果を編集したCD-Rも購入した。最近は、テレビや新聞で取り上げられることが多くなり、集大成後の話を聞くのは初めてだったので、楽しみにして出掛けた。

 話の内容は、土方が鷲ノ木に上陸してから五稜郭まで、さらに五稜郭から江差まで歩いた道(昔の道)の探索と調査活動が第1部、それが判明後に実際にその道を歩いたことが第2部となっていた。

 2年前に直接聞いたときは、その調査活動の最中であり、その後の歩き旅の様子はCD-Rを見て知ってはいたが、やはり集大成したものを直接本人から聞いた方が臨場感があり、苦労も伝わって来る。

 実際にその250km以上の道を歩いたことは、薮山登山や旧道歩きなどもしている身にとっては共感できるものが多い。しかし、自分が一番感動したことは、今はもう歩かれていない消えてしまっている昔の道を歴史的文献や聞き取りをもとに、実際にそこに入っていき、自分の足でその痕跡を探し出したことである。その探求心に頭が下がる思いだ。

 今は、江差と旧大野間の箱館戦争のときの土方の歩いた道やその痕跡を探し歩いている。旧道を探すのは薮に覆われる夏より今頃か春先がいいとのことだが、これは全く同感である。

 いずれにしても、彼のバイタリティ溢れる行動力は、同じ年齢であるが、私などは足元にも及ばない。退職後、すでにキャンピングカーで日本一周、自転車でも日本一周と四国遍路、MTBでの熊野古道走破、MTB登山100座挑戦中。今度は、日本海から松本までの塩の道、松尾芭蕉の奥の細道、北海道における松浦武四郎の歩いた道の歩き旅などを考えているそうである。彼の行動から目が離せない。

そんな彼の行動がびっしり詰まっているホームページ「自遊旅」は下記である。
http://mousan.com/
 

泣き面に蜂

2008年12月20日 | スキー・クロカン
           

           

 今日と明日は、全日本スキー指導員函館地区研修会・・・今日の午前は、理論研修、午後から実技研修の予定だったが、一日中降り続いた雨で午後からも理論研修の継続。

 40年近く研修会を経験してきたが、このような雨で実技が中止になったのは初めて。しかも、スキー場も雪不足で一部のゲレンデしかオープンしていない。そこにこの雨・・・果たして、明日はできるのだろうか?まさに「泣き面に蜂」状態。

 今年は受講年度ではないので、昨夜の講師陣を囲んでの泊まりがけの懇親会と開会式の祝辞のための出席旁々、今日一日付き合って、初滑りの予定だったのだが・・・。

妻からのX’masプレゼント

2008年12月19日 | 日常生活・つぶやき
            

            

妻から、一足早いクリスマスプレゼントをもらった。
以前から欲しいとは思っていたが、つい買いそびれていた冬山用の念願のダウンインナージャケット。
ものは、ほかのメーカーのものよりやや高めだが、「発熱するから暖かい」が謳い文句の「ミズノブレスサーモダウン」。
軽量・コンパクトで、今後の冬山やスキーでの利用が楽しみだ。

思いつきジョグ

2008年12月16日 | 日常生活・つぶやき
              (満開状態の我が家のカニバシャボテン)

 山梨県を中心とした山旅から帰って5日が経過した。旅行中に溜まっていた用務の片付けもメドが付き、HPへの山旅の記録のアップを楽しむかたわら、年賀状の作成も終えた。 
 
 本日は、久しぶりの暖かい日だった。山歩きから1週間が経ち、体が鈍らないうちにクロカンスキーのトレーニングへ移ろうと思い、雪の無いのを幸いに、ジョギングに出た。連日の山歩きもトレーニング効果としてプラスになっているらしく、ずっと走っていなかった割には7kmほどではあったが、快調に走ることができ、気持ちの良い汗を掻いた。明日も・・・と思ったら、雨予報だ。滅多に使わないエアロバイクも使ってやらなくては・・・。そろそろゲレンデスキーの初滑りもしなくては・・・。

 それにしても、20日間ほど世間の動きから遠ざかっていたが、最近のテレビや新聞に踊る「不況」「不景気」「失業」・・・の文字、アメリカ転ければ皆転ける的な世界的な恐慌・・・それに対する政府の無策・・・その犠牲になっている人々・・・書き出したらキリがないので止めておこう・・・いずれにしても、暗い年の暮れだ!
 慎ましくも好きなことをしながら暮らせる幸せに感謝しなくては罰が当たりそうだ。

古都鎌倉散策

2008年12月14日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
12/9、山旅が終了し、帰路の途中でもあるので、鎌倉市内散策を楽しんだ。

           
                    お馴染みの鎌倉の大仏

           
                   あちこちで目にしたツバキ  

           
                      長谷寺の紅葉

           
            木造では日本最大級の観音菩薩が祀られている長谷寺本堂

           
                 源氏山公園に鎮座する源頼朝の銅像

           
                         源頼朝の墓
             江戸時代に島津氏によって建てられた高さ186cmの五層の石塔


           
            源頼朝が創建して以来鎌倉のシンボルとなっている鶴岡八幡宮
            ここに向かって街中に1km以上も続く参道はみごとである。 

                     
                      八幡宮のみごとなイチョウの巨木


  この写真のほかにも、多くのお寺を回りながら街並み見物もして歩いた。
        特に印象深いのは、豪華な門構えの屋敷風の住居が非常に多いことである。
            また、寺の奥や墓地や切通し路では、山肌の岩を掘った洞窟を多く見かけた。
                 その中に墓を祀っているところが多い。北条政子の墓もそうであった。    
          
   午前中しか時間が取れなかったが、もっとゆっくりいろいろと歩いて見たい町である。

雨の身延山・日蓮宗総本山久遠寺

2008年12月13日 | 登山・旅行
 12/5は雨が降ったので、登山は中止。前日登った日蓮宗霊場の七面山の近くにある身延山の日蓮宗総本山久遠寺を訪問した。
 信仰心はないのだが、なぜか、寺社仏閣の雰囲気が好きで、そこにいるだけで非常に落ち着くのが不思議。

             
                   広い境内の五重塔の横から奥の方を

             
                      反対の奥の方から五重塔を

             
           お寺では四季桜と呼んでいるサクラが咲いていた。正月ごろまで咲き続けるらしい。

             
                       雨と風で散った落ち葉

             
                    赤と緑のコントラストが美しいナン

     今回の山旅で撮った山の写真は、昨日から、親サイトの下記にアップしています。
                           http://sakag.web.infoseek.co.jp                              

                

甲府市とその付近の観光

2008年12月12日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ
今回の山旅の11/27は雨だったので、今まで行ったことのなかった甲府市とその近郊を観光した。

甲府市と言えば、真っ先に思い出すのが武田信玄・・・

           
                    駅前にある甲府城趾
武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれている。かつては20haほどの広大な城郭でした。
 現在は、城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されている。

           
                城趾の隣にあるレトロな山梨県庁の建物

           
                駅前通りにある風林火山ガーデンの大きな幟
県民情報プラザ一階に「風林火山ガーデン」をオープン。今年の1/21に閉幕した「甲斐の国 風林火山博」の展示物の一部を移設し、観光スポットとしての定着を目指す。


                 
                     街中のあちこちで目にしたナンテンの実

           
                       武田信玄の城趾に建つ武田神社
郷土の英雄・武田信玄公を御祭神として祀っている。官民一体となった「武田神社奉建会」が設立され、浄財によって大正8年には社殿が竣工。

           
                          甲斐善光寺
開基武田信玄が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1558)、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷するために建てたお寺

           
                        塩山駅裏にある甘草屋敷
江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきれてきた。
赤いスダレ状の物はすべて干し柿