癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

入院17日目(術後2日)

2008年02月29日 | 大腸癌日記
                   


 手術の夜はほとんど眠れなかったこともあり、昨夜は結構眠ることができた。熱も平熱に下がり、痛みも少し和らいできた。朝の6時頃に背中に管を通して付けていた痛み止めが終わると痛みが増してきた。痛み止めの注射をしてもらう。

 10時に妻が来る。人間は正直なものだ。苦しい時や辛い時は、そばに誰かがいるだけで非常に嬉しい。

 11時頃、酸素管をはずし、看護師さんに付き添われ歩く練習をする。超スローモードで体を起こして一休み。さらに腰をずらして一休み。スリッパを履いて一休み。点滴台に掴まったらこっちのもの。痛みを懸命にこらえて、トイレまで摺り足で行く。女性は痛みに強く普通術後2日目で歩けるらしいが男性で2日目に歩く人は珍しいと褒められる。私には毎日500人以上もの応援団がいる。頑張らねば!(昨日の訪問者数582、閲覧数1785~最高記録を更新)

 トイレまで行けることが分かり、尿管と背中からの痛み止めが外され、点滴と腹の中からの管だけになり、さっぱりする。しかし、トイレへ行くだけで物凄い体力を消耗。脂汗が吹き出る。戻ってきてからベッドの上に寝るまでも一苦労。

 その後、体を拭いてもらい、寝巻きを取り替えてもらう。チン○は昨日のように拭いてもらえなかったが、粗チンがより惨めな姿でしょぼんとしていた。でも、尿管を抜かれて少しはホッとしているようだった。

 15:00ごろ、トイレへ行きたくなる。妻に付いてもらって、惨めな姿でトボトボスリスリ・・・3日ぶりに自分で放尿。ちょっと痛みを感じたが、すっきりした気分。行って戻って来ただけでぐったり疲れる。痛みも増す。

 それでも、昨日より痛みがだいぶ和らぎ、ベッドの上でこうしてブログを打つ元気も出てきた。気がまぎれて痛みを感じない効果もある。ただし、痰が絡んだ咳が一番辛い。縫った腸管や傷口が全部開いてしまったような激痛がしばらく続く。

 それにしても人間の持っている自然治癒力の凄さは感動ものだ。術後、日一日と痛みが和らいでいる。明日あたりを越えると辛さも一段落するのかな?このまま順調な回復を願うのみ。





 ここからは、軒先を貸して母屋をとられそうな妻からのコメント 

平日の面会時間は午後1時からで、手術前までは「毎日1時に来なくてもいいんだよ」と言ってくれたが、昨日は帰る時には「明日は早めに来て」と言っていた。
素直で可愛いぞ!!

10時に病院へ着き顔を見ると、昨日よりはいい感じ

やはりブログのことが気になるらしい。
寝ながら携帯で打っていたが、イライラすると言って途中で止めた。
パソコンを指差して「俺が言うから書け!」と言い出した。

私が文章を変えて書こうとしたら、少し怒って「いいから!言った通りに書け!」となんだかエラそう

数分前までは可愛いくらいおとなしかったのに・・・
注文が多くて私もちょっとイラっ!
しかし、これも回復している証拠かな?

殴り合いの喧嘩を避けるため、ベッドの上体を上げて自分でパソコン操作ができるようにした。
なんとか更新できるまでにはなったようだが、長時間は無理のよう。



お昼前に、「パジャマの着替えと体拭きますよ~」と看護師さんがやってきた。
今日の日中の担当看護師はとっても感じのいい可愛い人だった。

あ~~今日はこの人か・・・
と思い廊下で終わるのを待つ。

終わって、すぐsakagに「キレイに拭いてもらった?」(興味津々)と聞いたら、今日は背中だけと言っていた。
昨日みたいに、おティンティンお袋さんの裏までは拭いてもらえなかったようだ!
sakag、ちょっと残念そうに見えたのは気のせいかしら??

着替えの時に、T字帯からパンツに履き替えたらしいが、ゴムの部分がきつくて傷に当たって痛いと言うので、もう一度T字帯に替える。
着替えを手伝いながら、傷を見てみた。
ホッチキスの針のような物で止めてある。痛そう
ついでにsakag・Jrも見てみた。

持ち主同様元気がなく、しょんぼりしてた

どっちも早く元気になぁ~~あれ


by 香奈子@下ネタ大王

もうこれが最後にしたい・・・面白いネタないし・・・・

入院16日目 (術後1日目) 「妻発信」

2008年02月28日 | 大腸癌日記


まだ傷が痛くてブログの更新はできないとのことです。
当然ベッドからは降りてません。


本日11時にICUから一般病棟に戻る。
7時にICUへ面会に行った時は、お腹が痛いと言っていたが、午後にはだいぶ痛みも和らいでいるよう。
でも痛いらしい。
人生で一番痛いと言っていた。



寝ながらでも「○○と書け」とブログの指示をしてくる・・・
「あとでまとめて書くから余計な事は書かなくていい」と!

でもそうはいかない



今日は看護師さんが体を拭いてくれたそうです。
お風呂で自分で洗うより丁寧に拭いてくれたと言っていた。
おティンティンまで拭いてくれたそう・・・
ホルモン療法で少しは良くなったかな?

「綺麗な看護師さんだった?よかったね!」と言ったら「痛くてそれどころじゃね~」と言ってた。
じゃぁ、痛くなかったらどうなの??

多分これsakagに削除されると思います

院内を歩き回れるのは明日以降になると思います。




号外(術後のその後)  「妻発信」

2008年02月27日 | 大腸癌日記
                          足だけバレリーナになったsakag




術後に面会に行き手術無事成功と聞いて安心し、外へ出て腹ごしらえ。
付き添いで泊まる事が許可されなかったので、家に帰る前にもう一度顔を見にICUへ面会に。
体に繋がれているチューブの数を数えたら、10本以上もあった。
痛々しい・・・・



あのあと痛み止めをしてもらったらしいが、まだ少し傷が痛むとの事。
だんだん傷の痛みが和らいできたと思ったら、今度は背中が痛いとか、首が痛いとか、肩が凝ってるとか・・・・
とにかく色んな所が痛むらしい。
そばにいるだけで、何もしてあげられない事がもどかしい

そんな時でも「ブログ更新してくれた?」とブログの心配をしているsakaジジイ
自分の心配しろっつ~の

山から帰って来た時もそうだが、治療の為に入院してるのかブログアップの為に入院してるのかわからない
以前「山とパソコンが無かったらただのオヤジだね」と言ったら叱られた


術後に執刀医から、取り除いた大腸を見せてもらった。
A4サイズの大きなお弁当箱に入っていて、広げてピンセットで止めてある。
昆虫採集を思い出した。
一瞬怖かったけど、じっくり見ていたら今度は焼き肉屋さんを思い出した。
「あ~~これ!ホルモンを注文すると出てくる~~。そっくり~~」と心の中で叫ぶ!!
七輪と焼き網とタレがあったら食べたいくらいでした

一応写真は撮影はしましたが、グロいので載せません。
sakagがあとで載せると思いますが・・・・

手術は成功したのですが、残念な事にリンパ節に転移していて、今後は化学療法を行うとの事。

明日にはsakag本人がブログアップできると思います。
sakagは私の言うことはあまりきかないので、皆様、無理をしないように忠告したり、励ましてあげてください。
皆様の応援が何よりの薬になると思います。
今後とも宜しくお願い致します。


入院15日目(手術日)

2008年02月27日 | 大腸癌日記
                (一昨日いただいたアレンジメントフラワー)

 昨夜、精神安定剤を出してもらったので、2回ほどトイレに起きた以外は入院以来初めて8時間も爆睡した。最高の気分で朝を迎える。いよいよ本番!・・・なぜか、レース前かハードな山へ向かう気分だ。

<このあたりで、レース前のアップ代わりに、花sakag(花咲爺)心の川柳を>
○内視鏡 微妙な動きに 癌覚悟
○健康体 腹の中で 癌笑う
○体調万全 どこが病人 これが癌
○お大事に! 帰るお客に いう私
○三回も 大腸空にし おなら減る
○看護師も ホルモン療法 効き目あり
○窓からも 早く来いよと 山が呼ぶ
○妻の愛 癌のおかげで より深く
○病気自慢 初心者の私は 聞くだけに
○下剤にも 勢い楽しむ 尻鉄砲
○点滴に 繋がれてついに 病人に
○掛け算で 医師の技術に 俺の運

  7:30、初体験の浣腸を受ける。この年齢になってずいぶんと多くの初体験を経験する。浣腸は指でするいたずらだけだと思っていたが・・・すぐにトイレに入ってスタンバイ・・・2分もしないうちに噴射!

 その後、病院着に着替える。さらに、バレリーナのような白い医療用タイツを履かされ、手術室で必要なものを看護師が持っていく。血圧測定後、採血を受けて病室でも準備完了。

 12:30、いよいよ、手術室への凱旋・・・あとは、運は医者任せ、天任せ!野となれ、山となれ、あとは、煮るなり、焼くなり、好きなようにやってくれ~。俺の人生そんなに捨てたもんじゃね~。たくさんの強力な応援団がついている!多くの山も待っている・・・。「行って来るでよ!」・・・でも、なんとか、予定の3時間以内で手術が終わって、無事手術室から出て来れますように

・・・・・この後は、妻代筆・・・・


手術成功! 所要時間 2時間45分


手術室に入る前の元気な笑顔


12時半に看護師と一緒に歩いて手術室に入る。

3時45分に看護師が「手術が終わり目が覚めました」呼びにきてくれたのでICUに面会に。
傷が痛いと言ってる以外は問題なしとみた。
痛いのは生きてる証拠。
明日には一般病棟に戻れるとのことでひと安心。

入院14日目(手術前日)

2008年02月26日 | 大腸癌日記
                  (今日の手術説明の図の中から)          
                        
 昨日から、このブログのタイトルを「花sakag(花咲爺)の癌春日記」に変更した。「癌春(がんばる)」という造語は、昨日見舞いに来てくれた直腸癌と肝臓癌を克服して10年経つAさんのオリジナルである。癌とうまく付き合い、克服して春を楽しむといった意味らしい。私もあやかって借用させていただいた。

 明日の手術からが自分にとっての闘いの始まりである。順調に回復し、その後、5年間転移や再発がなくて初めて完治である。懲役5年、執行猶予付きといったところか・・・?もう二度と塀の中には戻りたくはない。これからは、日々更生に努め、術後の回復、転移や再発の予防、早期発見のための検査など長い闘いの日々である。もちろん、山やスキーや旅はこれまで通り続けながらではあるが・・・。その日々の記録を、日記として綴っていきたい。

 今日は、入院してから一番忙しい日だった。朝から絶食・・・食べられないと思うと余計腹が減る。朝のうちに、手術前日から退院の治療計画書を渡される。9:00過ぎにシャワーで体をきれいにする。10:00、内視鏡検査のときと同じ1.8㍑の下剤を5時間かけて飲むようにと置いていかれる。ビールなら最高なのだが・・・。後味の悪さを誤魔化すために売店へ下りて飴を買ってくる。夜中の0;00までは、飴と水はOK。10:30、点滴に繋がれ、ついに自由を拘束されて病人気分になってきた。

午後からはトイレ通いに忙しい。そんな中、明日の麻酔担当医が訪問。いろいろ問診チェックを受け、明日の麻酔の計画についての説明をいただく。全身麻酔は点滴から入れるので痛くはないが、背中に付ける傷の痛み止めのための硬膜外麻酔のための局所麻酔が痛そう。もしかしたら、全身麻酔が効いてから打つかもしれないとのこと。

 さらに、腹の毛をチン○の根元2cm上まで電気かみそりできれいに剃られる。粗チンは見られなくてひと安心。さらに、心電図を付ける左足の腿の毛も剃られた。その後、術後ひと晩を過ごす集中治療室の看護師からその使用や設備の説明。手術室の看護師から、手術室へ入るまでと術前と術後の処置の説明・・・・少しずつ「いよいよ本番!」との意識が高まってくる。

 そして、17:00から妻と二人で、執刀医のI医師から手術についての説明を受ける。

○癌の深達度~腸壁の筋層まで及んでいる。
○摘出箇所~上行結腸(盲腸も含む)のほとんど(30cmほど)を切り取り、回腸と繋ぐ。(図参照)
○リンパ節転移について~切り取る部分に繋がっているものはすべて切除して、病理検査に回し、結果は10日後に判明・・・それによって、化学療法の有無が決まる。
○手術方法~腹に穴を4箇所開けて行う腹腔鏡手術(図参照)。切腹は免れそうだが、覗いてみて必要であれば開腹手術へ移行する場合もあり。
○退院の見通し~腹腔鏡手術であれば10日以内に退院可能。
○以上のほかに、早めにどんどん歩くこと、食事、考えられる合併症とそれへの対応策等、懇切丁寧に分かりやすく、安心感を与える説明であった。
 雰囲気が、いかにも外科医といった落ち着いた感じで「寝ているうちに終わりますから、安心してお任せください。」という言葉がうれしかった。私も、「安心してお任せしますので、よろしくお願いいたします。」といって部屋を後にした。

 「心配ないから来なくてもいい」と伝えておいた息子から、「仕事が詰まって手術の立会いには行けないけど、手術を楽しんでください」とのメールが入る。手術を楽しめというあたりはさすがわが息子。娘からは、現時点でまだ連絡なし。

~今日の見舞い(さすが、手術前日の見舞いはなかった。) 

入院13日目(転科)

2008年02月25日 | 大腸癌日記
                 (新しい病室の窓からの展望~五稜郭公園と横津連峰)

 相変わらず3時間ほどで目が覚めて眠られないまま朝を迎えた。10:00に現在の消化器科の病棟から、同じ4階の北病棟の413号室へ引っ越した。いよいよ第2章の幕開け・・・。窓からは今まで見えなかった北側の横津連峰と五稜郭公園の展望が広がる快適な部屋だ。

 今日までに自分で用意した手術に必要な物品は、大判のバスタオル2枚、T字帯3枚(大型薬店で購入)。病院で借りれるものや購入できるものは、和式の寝巻き2~3枚と初めて目にした医療用タイツである。これは、手術後の重大な合併症のひとつで、手術後の寝たきり状態が引き金となって足の静脈に生じた血栓が肺へ運ばれて生じる肺血栓塞栓症の予防のために、手術の前後で、足がうっ血しないように使用するタイツのことであった。母が心筋梗塞を患い、5年後にこの肺塞栓症で亡くなっているので、ちょっとドキッとした。母は、私たちを産んでからずっと脚に大きな静脈瘤がいくつもあったが、これが影響していたのであろうか?・・・また、手術後すぐ歩かされるのも、この予防を兼ねているそうだ。

 今日は、拙サイトが縁で知り合って8~9年になり、過去3度拙稿を掲載していただいた函館・道南の医療・介護・福祉の専門誌『メディカルはこだて』繋がりの強力なトリオのお見舞いを受けた。このトリオには亡妻のときも一方ならぬお世話になった。

 まずは、発行編集人のTuさん、現在、道南の医療事情の情報量の多さではこの方の右に出る者はいないであろう。今回の病院選択や医療スタッフについても心強い適切な情報を提供していただいた。次は、10年前に直腸癌とそこから転移した肝臓癌の2度もの手術を克服して、大沼での療養生活と文化活動を謳歌しているAさん。私の紹介で『メディカルはこだて』に連載記事を寄せ、さらには私の勧めでその暮らしぶりを『妙』というサイトで発信し続けている憧れのナイス熟年である。そして、亡妻のときは私のカウンセラー的存在として非常にお世話になった市内唯一のホスピス専門病院の総看護師長・慈母観音のようなMaさん・・・・今日も、それぞれの立場から、適切且つ貴重なアドバイスや励ましをたくさんいただいた。

 明日の朝から点滴に繋がれて、大腸を空にするために絶食になるそうだ。術後も数日間は食事がお預けとなるために、今日の夕食が当分の間の最後の食事。心して味わって食べた。本来であれば、豪勢に外食でもしたいところ。しかし、風邪でももらってきたらやばい。その代わりに妻がいろいろなおかずを作って持って来てくれた。

 TBSテレビのディレクターから、2/3のおおたき国際スキーマラソンで取材を受けたミニスポーツ番組「Yell」の放送日が決まったとのメールをいただく。放送日は、3/7(金)22:54~23:00。関東エリアしか見れないので、番組放送後、DVDにて送ってくれるそうだ。あの4日後に大腸癌が見つかって、明後日手術ということを教えたら驚いていた。 

~今日の見舞い
『メディカルはこだて』発行編集人Tuさん、直腸癌・肝臓癌克服者Aさん、某ホスピス専門病院の総看護師長Maさん、スキー指導員会のEさん、山仲間のFuさん。

入院12日目

2008年02月24日 | 大腸癌日記
               (昨夏、中富良野町で撮影~今夏には同じような元気であちこち歩き回りたい)  

 昨夜は、一週間ぶりに家で寝ることができ、ものすごい嵐にもかかわらず久しぶりに熟睡して病院へ戻った。体重も1週間前と同じだった。次に家へ戻るのは退院後。順調であれば、あと2週間以内か・・・?

 今日、ネット検索で新しい情報を入手・・・? 
 入院後毎日体温を測っているが、なぜか35℃台が続いている。健康時には36.5℃が平熱であった。腋が汗ばんでいるからかと思って拭いても変わらない。看護師もそのことに関しては何も言わない。疑問に思って、ネットで「体温低下」と検索を入れたら、次のようなことが書かれているサイトが見つかった。

 「当院を受診するがん患者さんには全員に体温を測ってもらっていますが、ほとんどの方が35度台です。体温が36度以下になると自律神経のバランスが崩れて、リンパ球と顆粒(かりゅう)球の割合が崩れる。いわゆる免疫力が落ちた状態になり、病気にかかりやすくなる。したがって、癌治療には体を温めることが大切」
http://hokkaido.yomiuri.co.jp/kenkou/k_070120.htm

 ということは、体温が低くなったら免疫力が落ちているので要注意ということか・・・? このことを看護師に話したら、「知らなかった」と言っていた。しかし、昨日見舞いに来てくれたナースのkanaさんは、「癌の術後の療養に岩盤浴が効くようです。自分の病院でも岩盤浴病棟を作ろうかという話になっている。坂口さんも近くにあったら行ったほうがいいですよ」と話していたことも、この体を温める治療が根拠なのかも?

 さて、これまでにたくさんの方々がお見舞いにくださった。みなさん、異口同音に「ブログでは分かっていたが、凄く元気なので安心した。」と言ってくださる。自分でも、まだ病人という意識や自覚がまったくなく、お見舞いの方が帰るときに、逆に「どうぞ、お大事に!」と言いそうになるのには困ったものだ・・・・。切られて初めて病人になるのであろう。

 さらに、ブログで毎日発信していることについても、「あれは、凄くいいことだと思います。いろいろな人に役に立っていると思います。あの元気な坂口さんでさえ罹るんだから、癌という病気は早期発見しか防ぎようはない。みんなにこまめに検診をしなくてはという危機意識を高めることに繋がっている。また、たとえ、自分がそうなっても気持ちの持ちようが大切という意味でも、凄く勇気を与えていると思います。」と言ってくださる。うれしいことだ。 

○自分としては、ブログで公開した意義を下記のように考えている。

1、自分の関係者に余計な心配を与えたり、枝葉を付けられた噂を流されなくて済む。(普通、癌になったと聞くと、もう助からないのではないか・・・という心配から、どんどん噂が悪い方へ広がっていくことが多い)

2、自分の病状、検査方法とその結果、医者の言うことなどを客観的且つ冷静に捉えることができる。また、読んでくれる人たちに少しでも役立つ情報提供ができればとも思っている。

3、何よりも自分の励みになる。(公開する以上は読む人に暗く切ない思いを抱かせるわけにはいかない。明るく前向きに闘病ができる)

4、読んでくれる人たちとコメントやメールで交流ができ、たくさんの励ましと勇気ををいただける。(現在、毎日楽しみにして?読んでくれる方は実人数で500名を超えようとして、閲覧数は1000件を超える日もある)

5、持て余しがちな時間の暇つぶしにもなる。(ただし、手術直後は、同じペースで発信できるかどうか・・・? しかし、なんとしても、頑張って更新し続けたい)

~今日の見舞い
スキー指導員会のTaさん。XC-KID'S仲間のMiさん、ヒロコさん、Fuさん、山仲間(HYML)のクニさん。

入院11日目

2008年02月23日 | 大腸癌日記
             (昨年6月の大千軒岳~この登山者の一団の中に大腸癌克服者がいる)

 18日(月)の注腸バリュウム検査の翌日から4日間も便秘状態が続いていた。生まれて始めての経験。まさか、バリュウムが出切っていないで腸の中で固まっているわけでもあるまい。昨夜寝る前に下剤をもらって飲んだが、朝になっても出ない。朝食後ようやく第一便が到着し、その後三便まで続いてひと安心。癌が見つかるまでは考えたことはなかったのだが、あの癌の上を通り抜けて外へ出てきたと思うとやけにいとおしい。「よく通ってきたな~、癌の奴はどんな顔をしてた?」とでも聞いてみようか?

 お昼前に、外科の看護師がやってきて、手術前の準備や心構え、手術後の体の状態や留意点等の説明を受けた。予想される万が一の場面の対応等もあり、少しずつ緊張が高まってきた。でも、自分ではジタバタしてもどうにもならない。とりあえずは、手術の成功が鍵なだけに、運は医師任せ、天任せ。

 今日は、雨の中、札幌から遠路わざわざお見舞いに駆けつけてくれた山仲間が2組もいた。ひと組目はまさに2回もの命にかかわるピンチからまさに生還した強運の持ち主チロロ3さんと山で初対面したかった江差のNuさん。チロロ3さんは、10年前に同じ大腸がんを患い、2度の手術にもかかわらず、その後も元気で山に登っていることが一つ目の強運。もっと凄い2つ目の強運は、昨秋、南アルプスの北岳バットレスから落石のために転落し、5箇所もの体幹にかかわる骨折をしたが、九死に一生を得て、後遺症もなく現在低山からの再スタート中・・・彼女はその強運のお裾分けにわざわざ来てくれたとのこと。「旅費を払わなくちゃ」と言ったら、「早く元気になって、私のリュックを背負ってください」と笑いながらエレベーターに乗り込んだ。

 二組目は、同じ山仲間で、消化器系の検査専門のナースを経て抗癌治療専門病棟に勤務経験者のkanaさんとユピーさんご夫妻。自分の経験をもとに少しでも励ますことができればとのうれしい心遣いである。手術直後のいろいろな留意点、退院後の療養生活や転移や再発を防ぐための工夫や食生活など、具体的にいろいろ教えていただいた。

 さて、連日寝付きはいいのだが、4時間も眠ると2時ごろには目が覚め、二度寝できず、昼寝もできず・・・さらに、昨日新しく入ってきた男性の鼾が凄い。手術に備えて少し寝ておきたいので、今日と明日の夜だけ自宅外泊しようと思ったが、明日は手術が近いので、風邪でもひかれると困るとのことで、許可にはならなかった。明日は10:00までに病院へ戻ることに。

  家では、昨日、20年も持ったボイラーの新品への取替え工事が4時間掛けて終わったそうだ。こっちの手術の時間もそのくらい?早速、そのボイラーで沸かした風呂に入って寝よう。

昨日から読んでいる本『栄光の岩壁』(新田次郎)(35年ぶりの再読)

~今日の見舞い
山仲間(HYML)のチロロ3さんとNuさん。 山仲間(HYML)のTeさん。山仲間(HYML)のユピーさん&kanaさんご夫妻、元同僚のSuさん。

入院10日目(手術日決定)

2008年02月22日 | 大腸癌日記
 いよいよ待ちに待った鬼(癌)退治の日程がようやく決まり、入院生活第2章が始まる。手術日は、27日(水)13:00、桃太郎ならぬ担当医(執刀医?)はI 医師。それに備えて、25日(月)には、この消化器科病棟から外科病棟へ移らなければならない。病室は同じ4階の北病棟413号室で、五稜郭公園が見える部屋。26日(火)の17:00から手術の説明の予定。

 果たして、どんな手術になるか関心のあるところだ。開腹して、癌の部分の大腸を切り取って繋げることははっきりしている。あとは、リンパ節に転移していれば、それも切り取ることになるのだろうが、私が心配しても仕方がないことだ。「すべてお任せします。お好きなようにどうぞ!」の心境で、俎上の鯉になるしかない。医療スタッフとの出会いも私の寿命の一部と考えている。

                    

 手術に備えて、風邪の予防のために、今日から、朝・昼・晩・寝る前の4回、イソジンでうがいを続けることと、スーフルという呼吸機能回復訓練器を使っての呼吸トレーニングを、やはり、朝・昼・晩・寝る前の4回しなくてはならない。この訓練は、手術後に必要な肺気量を増やし、肺合併症の予防や気道の分泌物の排泄を容易にするためのものらしい。鼻を挟み、マウスピースを歯と唇でくわえ、腹式呼吸で、ホラではなく管楽器を吹く要領で一定の音を出しながら長く呼気を出すようにする。それを10回ほどをワンセットで行う。(写真)

 週末は、外泊も可能だったが、すでにこの両日に見舞いの連絡をいただいている方もいるので、病院で過ごすことにした。また、今は手術してもすぐに歩かされるということなので、一昨日から始めた階段昇降を続けて足の筋力を落とさないようにしよう・・・・ということで、今日は朝と昼に2往復ずつした。まだ、筋肉痛はなくならない。夕食後、函館スキー指導員会委員長のMuさんが来院。20日に行われた役員会の報告を受ける。役員一同の声「会長なら、大丈夫だべ」とのこと。

~今日の見舞い
山&海外トレッキング仲間のyamaさん、Kuさん、山道楽さん。今回の癌発見から治療までの道筋を付けてくれた山仲間(HYML)のSHOさん。山仲間(HYML)のSeさん。函館スキー指導員会委員長Muさん。 

入院9日目

2008年02月21日 | 大腸癌日記
                       (今朝の朝日)

 前夜8時に眠ってしまい、入院後、初めて6時間半も熟睡。ただし目が覚めたのが3時前・・・。トイレに起きたら、なんとふくらはぎに筋肉痛・・・一瞬、・・・?と思ったが、昨日のわずか一度の8階分の階段昇降の結果らしい、こんなことでの筋肉痛は初体験・・・まだ、運動しなくなって半月しか経っていないのに、情けない現実。悔しいから、今日は2往復もした。さすが汗ばんでくる。病室へ戻ったら暑くて余計汗が出た・・・「バカは死ななきゃ治らない~♪」・・・でも、バカでもいいから、まだ死にたくはない。

今日は、検査もなく、まったりとした一日だった。唯一楽しみは、今日から木・金・土の朝食と昼食のセレクトメニュー。2日前に2種類から選んで提出する。朝食は、パンと洋食。昼食は、鶏そうめん・・・。おかゆに飽きたので大正解。

 回診時の主治医の話、「今日の夕方、外科との打ち合わせがあります。明日中にには、その結果や転科(消化器科から外科へ)の日などをお知らせできると思います。」とのこと。担当医(執刀医?)や手術日はいつ決まるのだろう・・・・?待つのが大の苦手な性分だが、今はひたすら待つしかない。せめて首ならぬ、腹でも洗って待つとしよう。腹は黒くはないつもりだが・・・・。

  昨日読み終わった本『体を温め免疫力を高めれば、病気は治る』、読み始めた本『もうひと花』(小沢昭一エッセイ集)。

~今日の見舞い
元同僚Taご夫妻(山にも何度かご一緒している)

入院8日目(検査終了)

2008年02月20日 | 大腸癌日記
                   (妻が撮ってきてくれたライトアップされた五稜郭タワー)

 今日は、早朝の5:30に採血を受ける・・・目覚めの4本、嫌でも目が覚める。4日ぶりにまともな朝食(3日連続検査食や朝食抜き)。そろそろおかゆも飽きてきた。おかゆはホテルでの朝がゆだけでいい。

 午前中に、肺機能検査 を受ける。要するに肺活量を調べただけ。これで、検査終了。あとは、食べるために病院にいるだけ?明日は、外科との打ち合わせの結果を待つだけ・・・・? 手術日はいつ決まるのだろう? 明後日はどうなるのだろう・・・・?ボケッと過ごすペースも身について、一日がそれほど長く感じない。

 なぜか、悲壮感も不安感もないあっけらかんとした自分、絶対乗り終えられるという確信と共に今後の展開を楽しもうとさえしている自分が不思議だ。病人の自覚はまったくなし、体調バッチリ・・・看護師に見つからないように地下2階から6階までの階段を往復してみた。登りで太腿に感じる軽い負荷が心地よい。汗を掻くだけ続けてみたい衝動に駆られたが、真っ赤に爛れた潰瘍の写真が脳裏をかすめたので止めておいた。あれだけ酷い形相なのに、痛みが全然ないのも不思議。

 昨日の「判決」を読んだ人たちから、「転移がなくてよかったね」というメールやコメントがたくさん届いた。みんな自分のことのように心配してくれる気持ちが非常にうれしい。昨日のブログの訪問者数452人、閲覧数944・・・訪問者数はこれまでの最高記録を更新した。

~今日の見舞い
北海道退職校長会函館支部長0さん(畏れ多し)、高校時代からの同期・退職校長会理事仲間・スキー指導員仲間のKoさん(奥さんが10年前同じ大腸癌で手術して今も健在)。

入院7日目(判決)

2008年02月19日 | 大腸癌日記
                  (昨日いただいたアレンジメントフラワー)

 今日の検査は、胃カメラのみ。これまで何度も経験しているが、これまでに辛いと思った検査がなかっただけに、自分的にはこれが最も辛い検査だ。朝食もお預け・・・。9:30ごろにお迎えが来る。この検査は主治医が直接するらしい。Ko医師がモニター画面を見ていて、Na医師が内視鏡を入れて画面を見ながら検査をする。喉を通るときから抜くまでずっと辛い。何度もオエッ!を繰り返し、唾をダラダラ垂らす。

◎ついに、判決が下る。
 15:15、手術に必要な明日の肺機能の検査を前にして、これまでの検査結果からの判決が下る。妻と一緒に聞く。

○癌は大きなものと小さなものが隣り合って2つある。直径3cmと1.5cm。
○場所は、上行結腸(右側)の真ん中より少し下の辺り。
○転移しやすい肝臓と肺には、画像上では転移は認められない。リンパ節への転移については、開けてみなければはっきりしたことは言えないが、癌が結構大きいので、周りのリンパ節には転移しているかも知れない。その場合はそれも一緒に取り除くことになるだろう。
○ステージはⅢaだろうとのこと。
○手術は、癌の部分の腸を切り取って、繋ぐことになるだろう。
○明後日に、主治医と外科の医師と手術の打ち合わせをする。
○手術は、来週中。日程が決まったら、外科病棟へ移る。
○退院後、半年か1年は化学療法を通院で続けることになるだろう。通常の生活に支障はないそうだ。

※転移の可能性が低いことが判っただけでも気持ちが軽くなった。あったとしてもリンパ節が数本だろう?それも一緒に盲腸でも取るくらいの気持ちで、すべてお任せ!

◎「大腸がん」についての情報
http://www.med.kurume-u.ac.jp/med/surg1/myhome/shirouzu/daichogan.htm

 今回のことは、本州に住んでいる弟妹たちには知らせなかった。ときどき拙サイトを覗いているので、そのうちに判るだろうと思っていた。案の定、今朝起きたら、3人から驚きと励ましのメールが入っていた。すぐ下の弟がこのブログを見て、ほかの二人に知らせたらしい。父親も胃がんで45歳で亡くなっているし、みんな同じDNAを持っているので、気をつけて欲しい。

~今日の見舞い
・退職校長会理事仲間の先輩Saさん、当病院のKa医師(XC-KID'Sの母体となっている函館トライアスロンクラブのメンバー~入院先の医師から見舞いをいただくのは妙な感じ)、XC-KID'S仲間のNaさん、

入院6日目

2008年02月18日 | 大腸癌日記
                  朝日に輝く北6病棟からの展望~五稜郭公園と横津連峰

 入院して、初めて朝日を拝む。穏やかな青空が広がる気持ちのいい朝だ。
 寝る前の下剤で、トイレ通いを覚悟して寝たが、2:30以降2回で済んだ。7;00にさらに下剤の座薬を挿す。その後、下痢は一回のみ。

 9:30ごろ、検査着と後ろ穴パンツを身に着けて呼び出しを待つ。10時過ぎ、看護師に付き添われてバリュウム検査室へ。台の上に乗せられて仰向けになる。尻の下にビニールシートが敷かれる。まもなく、Ko医師とNa医師がやってくる。Ko医師が、ガラス越しでモニターを見ながらNa医師に指示を出し、そばのモニターを見ながらのNa医師はそばの看護師に指示を出す。いよいよ、大腸バリュウム検査の開始。

 まずは、左下の横向き体勢で肛門にゼリー状のクリームを塗られ、ホースの先が挿入される。まずは、空気を入れて腸を膨らませる。ここまで、内視鏡検査と同じ。まもなくバリュウムが挿入。一瞬ではあったが腸壁が冷たい。そのうちに、空気とバリュウムを調節しながら、向きを変えされられる。いつの間にかホースが外れたらしく、バリュウムが漏れて、尻の周りが冷たい。「外れていませんか?」と聞いたら、案の定結構な量が漏れていたらしい。その後、空気とバリュウムを追加されながら、何度もあちこち向かされるのは構わないが、そのたびに尻や太腿が冷たくて気持ちが悪い。

 25分ほどで終了したが、看護師は周りに漏れたバリュウムの拭き取りに大変だ。こちらは、その部屋にあるトイレでパンツを取替えて、病室に戻って、すぐに風呂へ。朝食代わりの軽食は完食したが、その後、バリュウムとガスで腹が苦しくなる。昼食の主食のおかゆは手をつけれなかった。「検査は苦しくないが、終わってから腹が張って苦しいのが辛い」と経験者から聞いてはいたが、なるほど、それからバリュウムが出切る2時間ほどずっと苦しかった。子供のころ、カエルの尻の穴にヨシの茎を挿して、息を吹き込んだ遊んだことを思い出し、心が痛んだ。

 その後、今日の12:00から24時間の尿量検査で尿をボトルに溜めるように言われる。さらに、明後日に新しく血液検査と肺機能検査が付け加えられた。早く検査の結果が出て、手術日が決まることを望んでいるが、この調子なら、手術は来週か?・・・当分、退屈な日が続きそう。

 今日の見舞いは、若いころの職場の先輩のSaさんご夫妻とXC-KID'S仲間のSuさん。妻は、いつも洗濯物と自分の夕食の弁当持参で、13;00に来て、夕食を一緒に食べては19:00に帰っていくパターン。ちゃっかりベッドの片隅で昼寝までして・・・。 

入院5日目

2008年02月17日 | 大腸癌日記
            
                     これまでに届いたお守り 
                
左~新潟・弥彦神社(幼馴染のNi君より)、右~札幌・篠路神社(娘より)

 念願の8時間睡眠が叶い、7:00前に病院へ戻る。今日は、明日の注腸バリュウム検査に備えて、三食は、前回の大腸内視鏡検査の前日と同じサンケクリンという前日検査食セット。明日の朝7:00まで水分はいいが、乳製品の入った飲み物や粒々の入ったジュースは禁止。そして、夜8時に下剤の服用。
 
  

 朝食は、おかゆと麩の味噌汁にたいみそのみ。昼食は、鮭フレークの入ったおかゆと麩の味噌汁、それに間食セット。夕食は、ご飯茶碗一杯のポタージュスープのみ・・・侘しい食事・・・。外泊で家へ持ち帰って食べることも可能であったが、これ以外食べられないのであれば、病院の方が我慢できて、ストレスがたまらない・・・ということで、病院へ戻ってきた。

 9:00過ぎから東京マラソンを見ていたら、XC-KID'S仲間のイシヤンが、午後からは、同じくMAEさんご夫妻が見舞いに来てくれた。MAEさんはもう3回目・・・。
 
 今日で読み終わった本『田中将大~ヒーローのすべて』。読み始めた本『長生きしたければ朝食を抜きなさい』

 さて、今晩は、これから下剤を服用するので、夜のトイレに大忙しか?・・・昨夜、たっぷり寝たので態勢は万全!

入院4日目(仮出所)

2008年02月16日 | 大腸癌日記
                (昨年の6月撮影のレブンアツモリソウ)

 拘留3日間でひとときの仮出所・・・3日ぶりに家で寝た。風呂に入ってすぐにベッドイン・・・(何か卑猥な響き?)。すぐ寝付けたが、5時間ほどでトイレに起きたら眠れず、悶々としたまま朝を迎える。体を動かしていないからか・・・たまに8時間ぐらい爆睡したい!

 朝起きて体重計に乗って愕然・・・61.6kg。40日間で1100km歩き続けた四国遍路から帰ったとき以来だ。違いは体脂肪率・・・お遍路後は11%、今は19%。この3日間でさらに1kg近くも減っている。トータルで一日1550kcalしかない主食がおかゆの病院食のせいか、はたまた、家主に無断で住み着いた招かざる扶養家族・癌太郎のせいか?

 さて、こんな事態になって、つくづくありがたいと思うのは、今の妻の存在だ。もし、ずっとそのつもりでいたヤモメのままだったらどうしてただろう?二人の子供は札幌でともに家庭を持って共働きだし、弟妹はすべて本州でみんな仕事を持っている。

 東京で働いていたにもかかわらず、TVやスーパーで、ヤモメ暮らしの男の姿を目にするたびに、その侘びしさになぜか私のことが気になって胸が痛んだらしい。それが、やがて「私が面倒を見なくては!」という一途な気持ちに変わる。子供の頃からの性格の良さとその一途さに絆されて一緒になって4年目。これまでも十二分にそうではあったが、こうなってみて本当に助かる。感謝!感謝!

 実は、これも亡妻の「一人では心配だから・・・」との計らいに違いないと信じている。二人の子供の結婚相手も3回忌までにバタバタと決まり、その後、まもなく私であった。今の妻は、亡妻も子供の頃からよく知っている私の教え子である。

 今日は、午前中に車であちこち走って雑用を済ませ、昼食にそば屋でそばを食べた。しばらく食べられないと思ったら非常に美味かった。午後からは、もう今シースンは履くことのないXCスキーの手入れやワックス台の片付けをする。

 夕方、給湯ボイラー業者との打ち合わせ。実は、新築以来なんと20年も持った給湯ボイラーが、家主がガタが来たのと機を一にして、下から水がしみ出てくるようになった。十分元は取ったので、修理ではなく、新品と取り替えるつもり。しかし、家主の方はまだまだ元は取っていないので、この際、修理してあと20年くらいは持つようにしたい。

 さて、明日は朝食前のムショ帰り。再び2日間取り調べを受けた後に判決が下される。執行猶予なしの実刑判決は確実だろう。刑執行は数日後に?・・・その後は、刑期延長にならず、無事晴れて出所できるのを楽しみに堪え忍ぶのみ・・・。でも、考えてみれば、死刑対象は癌太郎なのに、何故被害者の私が苦しまなくてはならないのか・・・?これは、絶対冤罪だ!元の元気な体を返してもらうためにも闘わなくては・・・!しかし、完全無罪を勝ち獲るまでには5年は掛かるらしい。