予定では、あと2日でゴールだが、2日間とも30km越えになる。妻が辛いと言う。無理しなくても、予備日に、最後の大津~京都三条大橋間の約12kmのラストウォークを楽しむことにして、計画を練り直した。
ところが、ホテルや旅館が、京都に近づくに連れて高くなり、安いところはすべて満室だった。幸い、昨夜のホテルから徒歩15分の南彦根ステーションホテルなら、今日と明日の連泊が可能だった。
そこを根城にして、歩いた所から東海道本線の電車で往復することにした。メリットもある。それは、衣服調節用のリュックだけで、ほぼ空身で歩けることだ。
そんな訳で、今日は、守山宿手前の野洲駅までの約29km、明後日は、野洲駅から大津宿までの約23kmに設定した。
まず、持ち歩く必要のない物を自分のリュックに詰めて、朝食前に、南彦根駅のコインロッカーに預けて来た。
暑くなったら脱いだものを入れるためと雨具だけを入れた、妻のリュックを自分が背負い、妻はポシェットのみの空身。
朝食を摂り、ホテルを7:00に出た。10分で中山道に戻って、スタート。
中山道へ戻って、最初に気になったのは、提灯屋だった。ほかにもたくさんあったらしい。
その先には、この宿場がその門前町として栄えた多賀大社の大鳥居。この先には、昔ながらの古い町並みが続く。
ただし、すれ違いもままにならない狭い街道にも関わらず、朝の出勤の車の往来が激しくて、怖いくらいだ。これは、その後も9時頃まで続いた。
犬上川を渡る「むちんばし」を越えると、宿場は終わる。
やがて、豊郷町へ入っていく。
左手に鈴鹿北部の山並みを眺めながらの田園風景の中を進が、車の往来が怖い。
大学か?と思われるような建物が出現。なんと、昔近江商人の寄付で昭和12年建築された、外国人設計の旧豊郷小学校だった。現在は、町の複合施設として利用されているとのこと。
伊藤忠商事や丸紅の初代社長の伊藤忠兵衛の旧宅。記念館となっている。
愛知川(えちがわ)宿の端から入ってまもなく、「みかん大福」の幟の和菓子屋があった。珍しいので食べてみた。1個216円。大福の中にみかんの実まるごとが白餡に包まれて入っていた。愛知川宿の中にも、「きんかん大福」を売っているお菓子屋もあった。
11:10、冠木門の立つ愛知川宿に到着。この宿場は、近江商人によって栄えた商業の町である。
宿場の中心部は商店街となっているが、いくつかの重厚な建築の商家が目に付く。
交差点のポケットパークには、広重の画のパネルがある。
宿場の西端にある竹平楼は、創業200年以上の歴史を誇る老舗の料理屋。
愛知川を渡ると、近江商人の故郷と呼ばれる五箇荘に入っていく。
明治初期に建てられた旧市田邸。京都や大阪で繁栄した呉服繊維商の本宅。
街道沿いに湧く湖東三名水のひとつ、清水鼻の名水。
武佐宿に近くなるところに建つ、信長の寄進で建てられた奥石神社。
農村地帯だが、閑静な町並みが続く。
武佐宿が近くなったが、街道筋には食べ物屋はないという。国道へ出たらラーメン店があった。そこで食べた本陣セット(野沢菜丼とラーメンのセット)。量が多く二人とも完食できなかった。野沢菜丼が美味しかった。
12:30、武佐宿に到着。冠木門の立つ奥村家脇本陣跡。この宿場は、一本道のこじんまりとした宿場だが、宿場風情を湛える町並みである。
宿場の常夜灯と広重の画のパネル
下川家本陣跡。門と土塀は当時のもの。
こじんまりなからも町並みに合わせた武佐駅舎。
多くの家の庭に多く見られるナンテンとアメジストセージ。
やかて、国道8号線に絡みながらの道となるが、その前後に、間之宿・鏡宿が続く。今も国道筋を含めて、昔の面影を残し、丁寧な説明板が設置されている。中でも義経に関わる史実が多い。
義経の宿泊館跡。
義経元服の地と伝わる鏡神社。そばに、元服の儀式のときに使った水を取った池も残っている。
間之宿ながら、本陣跡もある。
鏡宿からは、国道歩きが多くなる。今日のゴール予定の野洲(やす)駅が近くなる。
野洲市の桜生史跡公園の天王山古墳(前方後円墳)の上から前方部分を眺める。ここには、ほかに形の違う古墳があと2つある。
15:20、野洲駅への道の近くの中山道で今日のゴールとした。
そのすぐそばに、妻が大好きなコメダ珈琲があった。妻は大喜びで、列車の時間まで休憩。秋のシロノワールとアイスコーヒー。
野洲駅から、南彦根駅まで、8時間以上も歩いたところを、わずか26分で到着。
今日と明日の連泊となる南彦根ステーションホテルに、16:40到着。宿泊費用は、朝食付きで2人で9800円。
夕食は、腹も減ってないので、ブログを打ち終えてから、コンビニでおでんや唐揚げを買ってきて、部屋で食べた。
行動時間 8時間15分。52000歩。