函館のお盆は7月である・・・とはいっても、厳密には周りの市町村と合併前の旧函館市といった方が正しい。旧湯の川村、旧銭亀沢村、旧亀田市、旧戸井町、旧恵山町、旧椴法華村、旧南茅部町のお盆は8月の旧盆である。
7月になったのは、市を挙げて行う函館八幡宮の祭典が8月にあるためである。ごちそうを作って親戚一同が集まる函館八幡宮のお祭りと、同じく祖先の霊を迎え、供養するお盆はとても一緒にはできない。そこで、大正6(1917)年から新暦7月に行うようになったとのこと。
先月根室に行ったが、根室市も7月がお盆である。北海道ではこの2市だけである。そのわけは、ネット上で調べても不明である。高田屋嘉兵衛が創設した根室市の金刀比羅神社の例大祭が8月9日~11日であることと関係があるのだろうか?
さらに、面白いのが、函館の7月のお盆には、付きものの盆踊りがない。同じ7月の根室は大々的に盆踊りを中心としたお祭りのような行事で盛り上がるらしい。旧函館地区では、8月1日~5日の函館港祭りに合わせて、町内会などで櫓を組んで、盆踊りのように踊る「港踊り」である。
したがって、函館で生まれて、旧大野町で育った自分は、墓参りは7月に函館で墓参りをして、8月には、「北海盆唄」を中心とした盆踊りを踊ったものである。東川町界隈で育った妻は、盆踊りの経験はなく、「港踊り」だけである。
・・・ということで、今日は、墓参りに行ってきた。妻の実家の墓と、自分の家の墓は、立待岬手前の 函館市営住吉町共同墓地内にあり、それも、20m位しか離れていないので、とても好都合である。
この時期、立待岬までは通行止めになるので、谷地頭の奥から歩かなくてはならない。昨日の登山の疲れが残っていて、墓までの坂道が珍しく辛かった・・・。我が家の墓へ行ったら、アジサイが1輪供えられていた。親戚でもこの墓を知っている人はいないはず・・・もしかしたら、住吉町に住んでいる父方の祖母の親戚かも知れない。子供のころ、祖母に連れられて遊びに行ったことがあるだけだが・・・。その祖母の墓も隣にあるが、アジサイは我が家の墓の方に供えられていた。
◎「こうれん」
いつも、上ノ国の道の駅へ寄るたびに買ってくるのが、ほかでは目にすることもなく、聞きなれない、この「こうれん」である。先日の道の駅巡りでも買ってきた。
「こうれん」とは薄い直径13cmほどの薄く伸ばした固い干し餅である。漢字では、「粳練」と書く。もともとは「粳(うるち)米」を粉にしてもち米を混ぜて練って作っていたことから「粳練(こうれん)」と呼ばれるようになったという。現在は、もち米のみで作られている。
しかも、上ノ国だけでなく、江差や厚沢部などの檜山南部地域の農家に伝わる干し餅である。主にお盆のお供えにするため、5月から7月頃にかけて隣近所が集まり作っていたらしい。 もち米に砂糖、塩、ごまを混ぜて練り上げた餅を薄く伸ばし、天日で干して作る。
食べ方は、油で揚げたり、オーブンで焼くとふくらんでサクサクとした食感になる。我が家では、もっぱら、油で揚げて食べる。ほんのりとした甘さの素朴な味わいに懐かしさを誘われる。
例えば新暦の七夕だと、本州では梅雨になるので、彦星と織姫は毎年大概会えません。
こうれん・・・子供の頃、小樽の親戚のうちで見かけた記憶があるのですが、そんな名前だったとは、今回初めて知りました。
ちょっと調べてみましたら宮城や秋田などでも食べられている米菓子で、700年程前に紅蓮(或いは香蓮)という尼僧が作り始めたという説があるそうです。
こうれんの由来は、私も、形態は干し餅と焼き菓子の違いはあれど、秋田や宮城の紅蓮(香蓮)にあると思っています。向こうから移住した農家が持ち込んだ食文化なのでしょうね。
一般的に「旧盆」の使い方が間違っています。頑なに「旧盆」を守って実施しているのは沖縄だけです。7月13日~15日の新暦を、旧暦を適用すれば、今年は8月31日から9月2日になります。(換算は毎年変動しますので、当然固定日になりません)
それに対して8月に実施するのは、単純に7月13日~15日をひと月ずらしたに過ぎません。それでこれは、「月遅れ盆」となります。
また七夕は、実はお盆の最初の日なのです。そこで新で行えば、連動して「新盆」となり、8月七夕であれば「月遅れ盆」となります。とは言え現実は、仏教が「葬式仏教」の存在になっているため、その精神がきちんと必ずしも守られていない都市があるかもしれません。
私も、お盆や七夕の新暦と旧暦という言い方に疑問を抱いていました。というのは、新暦と旧暦は、ただ端にひと月違うのはおかしいと思っていたからです。だいたい新暦と旧暦はひと月半くらいずれていますよね。
これですっきりしました。ありがとうございます。
ただ、お盆と七夕が連動していること、7月のお盆や七夕が先で、8月にずらしたことは、初めて知りました。勉強になりました。
父方の先祖が幕臣で、いまだにその影響が生活のあちこちに残っているので、ついつい『明治政府め』『薩長め』となってしまいます。
令和のこの時代に・・・(笑)
京都の行事は旧暦で行う事が多いのですが、これも正確には「月遅れ〇〇」となるのですね。
一般的な神社も寺もそうしているので、正しく旧暦を守って行動しているのは、密教系でも特殊な依頼を請け負う一部の祈祷僧か、代々続く古神道の家や占術の家くらいでしょうか