但馬の守護大名・山名宗全が起こした「応仁の乱」

2016年10月21日 | ふるさと




                   嬉(うれ)しさは   天下を分ける  大戦(おおいくさ)  山名の居城  走り見るとき
 「小野小学校から見た、山名宗全の居城・出石此隅山城(いずしこのすみやまじょう)」


出石の小野小学校へ納品に行きます。

行きは、長谷の神美トンネルを抜けて走ります。
帰りは、江原に用事があるため、袴狭から鳥居に向かってのコースです。

小野小学校から少し走ったところ、袴狭橋あたりから川に沿って、案山子がずらっと立っています。
毎年のことです。小学校の生徒が、作品を競って秋のこのごろ立てるようです。

案山子の並んだ袴狭川の後ろ手が、
出石此隅山城(いずしこのすみやまじょう)の址が残る小高い山です。

此隅山城は、室町時代の守護大名・山名宗全の居城でした。
山名氏は代々但馬を治める室町幕府の重職、四職家の一つに数えられる武家でした。

山名氏の全盛期には、一族で全国六十六ヵ国中十一ヵ国の守護職を占めて、
「六分の一殿」と呼ばれるくらいの権勢を誇っていました。

室町時代の応仁元年(1467年)に、京の都を舞台に起こった大乱が、
歴史の教科書に出てまいりますところの「応仁の乱」です。

室町幕府の最高官僚・幕府管領の細川勝元と、
室町幕府の武家の頭領・侍所所司(頭人)の山名持豊(宗全)が、ガッチンコの争いなのです。

全国の有力守護大名を細川勝元の東軍派と、山名宗全の西軍派とに二分して、
京の都を舞台に大戦(おおいくさ)なのでした。

応仁の乱は、その後の100年以上続く戦国時代の幕開けなのです。

本日10月21日は、天下分け目の戦いと言われた「関ヶ原の戦い」のあった日です。
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)です。

実は、この戦いは天下分け目の戦いということですが、
両軍が関ヶ原で対峙して戦をしたのは、たった一日、実質は半日で決着がついた戦いだったと言われています。

応仁の乱です。

応仁元年(1477)、この但馬は山名宗全の出石此隅山城に、各国から集結した西軍の何万という兵は、
但馬一の宮であるふもとの出石神社に戦勝を祈願し、京の都に向かって進軍したと言われます。

それから10年間です。

応仁の乱は、京都の町をとことん焼き尽くしてもまだ足りないくらいの長き戦いでした。
10年間も戦って、どちらが勝ったか負けたか分からないようなことで終結してしまいます。

案山子の並ぶ袴狭川、
その後ろの出石此隅山城を眺めて走りながら、山名宗全の無茶な悲しい応仁の乱を想います。

「結婚41年おめでとう」とミオちゃんが

2016年10月21日 | 家族




 嬉(うれ)しさは   じいちゃんばあちゃん  おめでとう  結婚41年  花もらうとき  

「電器屋さんなのに売っていただいてるんですか~」と住設メーカー営業マンが飛び込みます

2016年10月20日 | 商売




   楽(たの)しみは   ブラックボードを  見ましたと  メーカー営業  二人来るとき      

スーパーに買い物

2016年10月19日 | 日記




 楽(たの)しみは   買い物頼まれ  スーパーへ  ケンちゃんここと  先走るとき





風邪ひいてしまったら、葛根湯よりやっぱりクスリだわ

2016年10月18日 | 日記




 楽(たの)しみは   これが効くよと  クスリ飲み  30分経たずに  風邪治るとき           

100kgを超す冷蔵庫を70過ぎた力で持ち運びます

2016年10月18日 | 仕事




 楽(たの)しみは   シャープもパナも  重過ぎる  それをエイヤと  持ち運ぶとき



シャープの冷蔵庫は102Kgです。
パナソニックの冷蔵庫は103Kgです。

なかなかとっても重いです。

100kgを超しますと、しっかりその気で慎重に持たねばケガをします。
持ち方誤ると、腰を痛めてしまいます。

しっかりと腰にはサポーターを締め込んで、
息の吸い吐き注意して、エイヤっと元気に持ち上げますね。

軽トラックへの乗せる下ろすも、玄関までの段差の運び込みも、
廊下や室内の移動も、冷蔵庫は斜めに倒して上と下とで持ち上げ運びます。

シャープは下が重たい息子が下を、
パナソニックは上が重たい私が下を、持ってエイヤと運びます。

シャープは豊岡のYさんち、
パナソニックは神鍋のHさんちへ運びます。

30代と70代とでエイヤ、エイヤと運びます。

ばあちゃんは「4万時間経って壊れたらその時も頼むで」と言う

2016年10月17日 | お客さま




 楽(たの)しみは   LED照明  長持ちよ  次はわたしも  居ない言うとき



『あのね、このボタンで明るさ変えられるの、色もじわっと変わるでしょ』、
『あっ、余計なことせんでもよろしいわ。点ける時はこの黄色のボタン、切る時は横のこのボタン、これだけ押してな」と、

LED照明のリモコンも持って説明します。
ばあちゃんの寝室にLED照明を取り付けます。

「えっ、切るのはどれだったきゃあな、さっき聞いとって早や忘れましょうが。
年(とっ)寄(しょ)りちゃなもん、何べん聞いても覚えられませんや~な」とばあちゃんは応えます。

かなり簡単なリモコンのボタンですが、それでもなかなか説明に骨が折れます。

「アトムさん、球が切れたら取替に来ておくれんさるね」、
『ばあちゃん、LEDわな電気食わんし、球の寿命がとっても長いのよ。4万時間持つことになってます』、

『ばあちゃん今いくつ』、
「85です」、

『このベットの部屋、毎日10時間も点けますか?』、
「な~に、寝る前にちょこっと点けるだけですや~な」、

『あのね、このLEDはね4万時間持つことになってます。その時は器具ごと替えますからね』、
「へ~、4万時間て何年ですかえ」、

『そうね、ばあちゃんちのこの部屋なら10年か、それとも20年持つかもしれんよ。
なんせ毎日10時間つけても、4万時間は11年くらいになるからね』と説明します。

ばあちゃんは「わたしゃあ死んじゃっておりません。95も100までも生きとるか分かりません。
死んだあとはだれかにLED使ってもらって」と話します。

「もしも20年も持ったら、
天国からアトムさんに次も替え来て~と言うから頼むで」と冗談を言います。

『そんなこと言ったって、20年後の私生きとっても足腰立ちませんがな。
90まで生きるかもわからんですよ。ばあちゃんを追っかけて居ないと思うで』と応えます。

講師は言います。どんな業種の店より、町の電気屋さんが一番信用されてるんですよ

2016年10月16日 | 商売




 楽(たの)しみは   留守でもつけて  カギ預け  エアコン工事  頼まれるとき



4日前のことです。
じばさんTAJIMAで、平成28年度スマートライフコンシェルジュのシルバー認定講習会に、息子と二人で出席してきました。

「スマートライフ」とは、
省エネ家電に、太陽光発電などの創エネ機器と、蓄電池などの畜エネ機器を組み合わせて、
エネルギーを最適に利用する暮らし方のことなのです。

「コンシェルジュ」とは、
ホテルの職種の一つで、宿泊客の様々な相談や要望に応える「よろず承り係」のこと、
合わせて「スマートライフコンシェルジュ」とは、賢い省エネ生活の案内係をする町の電気屋さんというものです。

そんな制度の認定資格を、
ブロンズ(銅)、シルバー(銀)、ゴールド(金)と、3年がかりで認定講習をするのです。

銅、銀を認定された者は、来春にゴールド認定の講習なのです。
さらにさらに兵庫県は凄いです。
兵庫県の電機商業組合と県が「スマートライフ普及促進に関する協定」を結んでいるのです。

そのために、金銀銅を認定されたあと兵庫県の講習会も来年中にあるのです。
これをクリアした店が「ひょうごスマートライフマイスター」として登録され、県や市町のホームページに載せて広くこの普及促進に活用するのです。

そんな大事なシルバーコースの勉強でした。
勉強の中で、講師がこんなことを話します。

「電力自由化って4月からスタートしてますね。地域電気店のビジネスチャンスは、電力・ガス供給事業者などの代理店として目を付けられてるのです」、
「町の電気屋さんは、お客さんの留守中にだって勝手に上がって工事をしたり頼まれるでしょ。どんな業種の店より、町の電気屋さんが一番信用されてるんですよ」、

「他の業種の人が聞いたら腰抜かす程なんよ。カギを預かって勝手に入って、工事してカギ閉めて帰れるなんて、
そんな信用されてるのは、町の電気屋さんだけらしいですよ」と強調されました。

昨日です。都会からご来店のMさんです。

「アトムさん、カギを預けとくから都合の良い日にエアコン付けといて。
カギはひと月後に来た時に取りに寄ります。請求書は送ってね払うから」と家のカギを持ってこられました。

Mさんちは都会です。
日高町内に実家がありますが、1年ほど前にお母さん亡くなり留守宅なのです。
ひと月に一度くらい実家に帰ってこられます。

『すみません。お帰りになられる今度の土曜日曜日は、
どうしても都合付かなくて、工事させてもらえません』と頼んだものです。

実家のお父さんお母さん存命のころは、当店のお客さまでした。
「いいよ、アトムさんに任せるから、都合のいい日にこのカギで勝手に開けて、エアコン工事頼むわ」とそれもわざわざご来店でした。

『入らせていただいて、きちんとやっておきます。
出来ましたらお電話します』と、昨日はカギをしっかり受け取りますね。

町の電気屋アトムの店は、昔からずっとです。
「留守だけど勝手に入って修理しといて、工事しといて」の話は何度もありますね。





今日は暑くて半袖上着

2016年10月15日 | 仕事


     楽(たの)しみは   まあ元気ねと  言われたり  あんた若いと  褒められるとき



雲一つない、晴れ渡った素晴らしい天気です。
爽やかな日差しですが、ごみの片付けをしていますと汗をかくほどに暑いです。

冬用の長袖上着では暑くてかないません。
夏用の半袖上着に着替えて、トラックへの段ボール積みをいたします。

六方平野の直線道路を走ります。
車の窓も全開して、ちょうどよいくらいのまるで夏のような陽気です。

午後もそのまま半袖上着で仕事です。

もう夕刻近い4時半です。
神鍋高原のIさんちへ、LED照明の配達です。

Iさんちの奥さんは「まあ、国府の方はあったかいですかえ。神鍋は寒いでしょうが。
アトムさんは半そで姿でお元気ですね」と、ビックリしたような顔します。

高原から下って、栃本のYさんちへ裏の道から進みます。
溶岩流の見どころに通じる駐車場で、十四夜の月の出です。

大きく見える月が、甍の向こうの山の上に昇ってきます。
5時もとっくに過ぎています。少しひんやりとしてまいりました。

炊飯器の修理に伺ったYさんち、畑からのお帰りです。
「アトムさんは半袖なん、元気やな~。元気元気、忙し~して元気だわ」と、ひんやりとした夕暮れの挨拶かわします。

もう真っ暗になってしまいました。
どうしても隣町のFさんちへ、テレビのリモコンをお届けしなくてはなりません。

もう、走る車の窓は開けてはおれません。
6時を過ぎると少し寒くなってきました。

『Fさ~ん、夜になってしまいましたがリモコン届けに来ましたよ~』と声かけますね。
Fさんは言います。

「あんたはまだ若いでしょ。
ぼくね、二十歳のころから未来に電気で走る自動車が完成して売り出されたら、絶対手に入れるぞって思ってたの」、

「これ、これが電気自動車なんよ。深夜に充電して今はその電気を家で使っているとこなんよ」と、
車庫に停めてある、ほんまもんの電気自動車の説明です。

「電気自動車手に入れたの71の時、あれから4年たったわ。
今年から後期高齢者なんよ。アトムさんはずっと若いでしょ、ひと回り位若いでしょ。私は75なんよ」、

「だって、あんたはこんな寒いのに半袖で、よう頑張って元気やわ、
半そで姿で若いわ若い」と、たいそう若い若いと褒めますね。

夜の7時近くになりました。
日高町に帰って、途中電話のあったDさんちへ冷蔵庫の点検に伺いますね。

夜も更けて、だんだん本当に寒くなって来ます。
Dさんちの奥さんは、半袖姿を見てどういうでしょうかね。

国府の真東は、ほぼ東京を向いています

2016年10月14日 | ふるさと


    楽(たの)しみは   昇る満月  真東に  都(みやこ)東京  在るを知るとき



『ケンちゃんケンちゃん、きれいな満月が出てくるよ。見てみよう』と、
月が好きなケンちゃんに声をかけます。

カレンダーには16日日曜日が満月と出ています。
昨日は十三夜、今日は十四夜ですからほぼ満月なのです。

今日は快晴です。雲一つない東の空に月は昇ってきます。
地区公民館のスピーカーから、5時のチャイムが鳴るころでした。
「なに言っとるの、外はまだとても明るいけれど、お月さんはとっくに出てますよ」と家内が言います。

ケンちゃんと急いで外に出ます。
満月に近いきれいな月は、とっくに東の空に昇っていました。
明るい空に昇ってました。

今日の月の出は午後4時23分です。30分以上もたっているのです。
明日15日は午後5時3分に月の出、まだちょっと明るいかな。
明後日16日は午後5時44分です。ほぼ夕闇が迫るころの月の出です。

それも満月なのです。
東の空に煌々と明るい大きな月が、ちょうどころ合いの薄暗さの中を昇ってくるのです。

中秋の名月の9月の曇りがちに比べて、10月は晴れていることがほとんどです。
15日16日の天気予報も晴れですね。きっと素晴らしい満月が昇ってくることでしょう。

ところが今日の十四夜の月は、ほぼ真東に昇ってきます。
正確には今日は93.9°の位置、明日は88.0°の位置なのです。

真東は90.0°ですから、今日と明日はほぼ真東に月は昇るということなのです。

府中小学校の正門には、日露戦争の戦勝・凱旋記念碑がすっくと立っています。
真東の方角を向いていると聞いています。
同じ真東といっても、緯度が同じ東京の地です。

我が店は北緯35°29分31秒の位置です。凱旋記念碑は北緯35°29分28秒にあります。
真東の方角、東京・靖国神社は35°41分39秒とほぼ同緯度の真東ですね。(北緯35°29分の地は川崎市の首都高速湾岸線の上です)

明治の時代に建てられた日露戦争の勝利を報告する凱旋記念碑は、
堂々真東向けて、東京・靖国神社を向いてます。

今夜は栗名月

2016年10月13日 | 季節




 嬉(うれ)しさは   栗名月の  十三夜  せめて片見と  空仰ぐとき



9月15日の中秋の名月はあいにくの曇り空で、
きれいな満月は見ることができませんでした。

あれから一ヶ月、中秋の名月十五夜からめぐって次の十三夜は、
これも美しい名月といわれます。

今夜の月がそうなのです。
栗や枝豆をお供えすることから「栗名月」と呼ばれます。

栗名月って、
遠慮げに真ん丸に少し足りない愛くるしさが、満月とはまたちがう趣きなのでしょう。

昔から中秋の名月を見た後は、
「後(のち)の月」である十三夜も見なければ、「片見月」と言ってあまり縁起が良くないと言われます。

今年の場合は、9月15日の夜は雲がいっぱい出てました。
かろうじて雲の隙間から一瞬チラリと見えたくらいの、なんとも味気ないことでした。

今夜です。
満天の夜空に月がのぼっています。

しかし、イワシ雲のような波打つ雲がずっと月を塞ぎます。
イワシ雲にぷかぷか波乗りするようにお月さんは漂っています。

中秋の名月は眺めることがかないませんでした。
縁起が悪かろうがかまいません。

せめて十三夜の愛くるしいお月様を眺めようと、
空を仰いで、雲に漂うお月さまを追いかけ片見です。

5文字のヒントは「11月15日は何の日」ですよ

2016年10月12日 | 仕事




 嬉(うれ)しさは   売り出し号の  クイズ書く  準備サクサク  早できるとき



アトムの冬の感謝祭大売り出しは、11月の19日20日二日間です。
当日のイベントの中身、おもてなしの中身を色々考え進めます。

ご来店記念品は、今年も大好評のジャガイモです。
お買上げのお礼には、地元のオリジナル特産品を差し上げちゃおうかな、

店内でのおもてなしは、
次も次も次も来たくなるような、楽しい内容にしたいなと工夫です。

ジャガイモを楽しく嬉しくお渡しするにはどうしよう、
本当に毎日毎日考え思案をいたします。

えい、おもてなしの中身にそう関係ない、
ふるさとの話や、クロスワードパズルンを先行します。

今日は、売り出し号のパズルが出来ました。
頭をひねって考えました。

パソコン向かって、
楽しいクロスワードパズルを作ります。


「街のでんきや便り」から、売り出し号のパズルです。
二重枠の5文字で完成する言葉は?「5文字のヒント、11月15日は何の日」
赤文字のヒントの答えは、ふるさとの話の中にあります)

ヨコのヒント  ヒントの〇〇は漢字です。

1 飛んできて刺します。
2 松原さんの魚屋。
5 捕手がボールを落とし、三振なのに一塁に走る。
6 トンボの幼虫
8 大正のころ、但馬の村々を興行していました。
10 子供のおやつ。
12 野菜を育てること。
14 運動会は赤組、〇組に分かれて。
15 手辺村の今は日高町〇〇〇です。
17 昔の農作業で使った、ワラで作った物入れ。
18 「匂うふるさと」の著者は菅村〇〇さん。


タテのヒント  ヒントの〇〇は漢字です。

1 芸者さんがいて、三味の音色も聞こえてきます。
2 〇り〇と買い手で商売成立。
3 江戸の火付盗賊あらため捕物帳の主人公。
4 未来を予想するちょっと怪しい発言。
7 魚釣りのエサ。
9 庭に実ってました。赤く酸っぱい実がなつかしい。
11 府中小の運動場にも青々と生えてます。
12 札や硬貨や、カードも入っています。
13 英語のYESは日本語で「ハイ」、英語のNOは。
14 手辺村には、この一座がありました。
16 二人は親友でした。〇〇を頼って上京します。

面に、魚のしりとりクイズがあります。
     挑戦してね!!
             


お願い 全部の枠を文字で埋めてね!!
二重枠の5文字を並べ替えて
      完成する言葉は?

(  )(  )(  )(  )(  )   


回答をお待ちします(売り出し日まで)
応募者全員にプレゼント進呈!!

当店へ持参か、FAX(42-3009)でお届けください。
お名前(           ) 電話番号(            )

10月号の答

(サ) (ツ) (マ) (イ) (モ)

正解でしたか?残念でしたか?


回答された皆さまには
全員記念品をお届します。

19日(土)20日(日)の感謝祭に     
回答が来ると嬉しいな!!

売り出しのおまけのクイズが完成しました

2016年10月11日 | 仕事




 嬉(うれ)しさは   魚の漢字  考えて  しりとりクイズ  よく出来たとき



毎回のことです。
大売り出しには「おまけのクイズ」を考えます。

いつも入れます「クロスワードパズル」と、もうひとつ何か考えて作ります。
今回も言葉のしりとりクイズにしました。

その言葉は魚の名前です。
浜坂(はまさか)からスタートして、26匹の魚の名前を一つ選んで、しりとりでつなぎます。

途中に、香住(かすみ)、柴山(しばやま)の漁港の名前をおまけに書いて、
さらに、鯉(こい)と鮴(めばる)をおまけにしました。

なかなか難しいでしょうが、楽しんでもらえましょう。

6文字の言葉が完成しますと、感謝祭にどうしても行きたくなるような答えにします。


魚の漢字しりとりクイズ

「はまさか」からスタートして、矢印のマス目に沿って
魚の名前を一度だけ使って書き込んで下さい。

黄色マス目がしりとりの頭です。

問 題 A B C D E F の6文字で完成する言葉は?
(  )(  )(  )(  )(  )(  )

浜坂(はまさか) 
香住(かすみ)
柴山(しばやま)
鱒(   )
鯉(   )
鰯(     )
鰹(     )
鰈(     )
鱗(     )
目高(     )
目梶木(     )
魭(おおうみがめ)
鱸(すずき)
鰡(りゅう)
魷(いか)
鱠(なます)
鯣(するめ)
鱜(きょう)
鱚(きす)
鯫(みごい)
鮇(いわな)
鮊(しらうお)
鮴(めばる)
鯐(すばしり)
鯆(いるか)
魴(おしきうお)
鯷(かたくちいわし)
鯎(うぐい)
鰲(おおがめ)

(  )の名前は考えてね!!  裏面はいつものクロスワードパズルです。

ふるさとの話 十一月号を書きました

2016年10月10日 | 仕事




 嬉(うれ)しさは   はなし書きつつ  懐かしき  母の幼い  昔知るとき



ふるさとの話11月号を書きました。
テーマは、100年前の手辺(てへん)村の話です。

話を書くために、菅村駅一さんの本「匂うふるさと」を読み込みます。

「その昔、手辺村商売繁盛記」の中に、手辺村の商店の詳しい事が書いてあります。
その一つ、松原芳造さんの魚屋「魚芳(うおよし)」は私の母の実家です。

生きていたならば母も105歳です。100年前の手辺村のようすを書きました。
ふるさとの話11月号の後に、「匂うふるさと」の母の実家のようすも書き写します。



ふるさとの話  十一月号
 昔の国府では、自分で自分をほめることを「手辺(てへん)座だ~」と言ったそうです。
今月のふるさとの話は、今から百年前、大正のの手辺(てへん)村、現在の日高町府市場のにぎわっていた頃の話です。

クイズのヒントも隠れています。


「匂うふるさと」
 一冊の本があります。
母と同級生だった菅村駅一さんが書いた「匂うふるさと」という本です。母に贈られた本です。
本には、菅村さんの生まれ育った大正の昔、懐かしい「手辺村」のようすです。
 水生城を陥落させ但馬守護となった羽柴秀吉の弟、秀長が、国府の地で追鳥狩に興じていた時「あれは何者の居ぞ」と、自らの「手」で「辺り」を指さします。
そこから「手辺(てへん)」と名が付きました。

「国府市場(こうのいちば)」や「手辺市(てへんいち)」が開かれたこの地域は、江戸のころ府市場、府中新はもちろん堀村までを手辺と呼んでいました。
 大正のころの手辺村には商店が建ち並び、それは賑わった通りでした。
夏冬の大売り出しには、道路の両側に他町村からの露店が並び、押すな押すなの人の波、国府の人たちは何でもそろう手辺の店を利用していました。

手辺村の商店
 村の入り口から商店が並びます。
人力車の「口入れ屋」、長吉さんの散髪屋は「床長(とこちょう)」、おトミさんの「髪結い屋」、中島の「木賃宿」、
よろず屋の「田結庄商店」、松原芳造さんの魚屋「魚芳(うおよし)」が並びます。戸田の「下駄屋」、菅村の「生糸屋」、
西田の食堂「辰巳亭」、その隣は「しっかい屋(和服生地の洗い張り)」、大阪から来た「洋服屋」、、神代印の「肥料店」、
酒場「一二三屋(ひふみや)」、間貸しの「宿舎」、小田垣の「米屋」が続きます。

 酒とたばこ屋の「竹馬(たけば)商店」、荒物の「谷原商店」、江原と豊岡に自転車店を出した「中島豆腐屋」、
藤原春二郎さんの魚屋「魚春(うおはる)」、ようかん製造販売の「伊佐屋(いざや)菓子店」と何でもそろう店々が続きます。
さらに、保田要三郎さんの散髪屋「床要(とこよう)」、村尾老夫婦の作る「しん粉屋」、戸木の「こうもり傘の修繕屋」、
なぜか風呂屋と呼んでいた「上村散髪店」、田舎では珍しい本格的な製造菓子店の「八代(やしろ)菓子店」です。
今井さん夫婦は「米屋」と「宮大工」、永柳(えいりゅう)さんの「竹かご屋」、葛原(くずはら)さんの「こうり編み(柳行李の入れ物)」と製造販売も盛んでした。
 
 ちきり屋と呼んだ「小林種物店」、カイコの産卵は菅村の「種蚕屋」、魚屋の「明石屋」、芸者さんがいた「花屋」、
義太夫節が聞こえる「ちくぜん」、いづしごう屋が屋号の橋本の「造り酒屋」、腕のいい甚助さんは「指し物師」、
青ノリせんべいの「戸田菓子店」、染物屋の「半七ごう屋」はいつの間にか「宮下呉服店」になっていました。

 たばこ屋の「本国眼」は国眼家の本家、隣に府中郵便局です。戸田いそさんの「駄菓子屋」、田結庄の装具屋は「下丹後屋」、
天野の「石碑屋」、宮田の「宮田製めん屋」、役場を退職後に開業した戸田さんの「ホシの薬屋」、春吉じいさんの「太田垣げた屋」、
魚屋だった竹森清太郎の店が「牛肉屋」になりました。
手辺村の最後は、屋号がうらまちごう屋の「中島染め物屋」です。

府中新の商店
 さらに、同じ手辺と呼んでいた府中新村には、府中銀行までの街道に「時計屋」、「新聞屋」、「肥料店」、「陶器店」、
「雑貨屋」、「薬品店」、「農具屋」、「豆腐屋」、「げた屋」、「銭湯」、「食堂」、「大工」、「しっかい屋」、「車夫」、
「髪結い」、「漆師」、「傘ちょうちん屋」、「おけ屋」が続き、堀村の村役場や登記所まで商店がありました。
大正時代の国府の中心地「手辺」の一大商店街でした。

手辺座
 昔の数え歌に、「七つとせ なんでもまねする 手辺村 城下のまねして 町造り 町づくり」という歌がありました。
三味線の音が聞こえてくる花屋もありました。「手辺座」という芝居の一座もありました。手辺座は、但馬の村々を興行してまわり、とても人気がありました。
 一座は大変な評判で、つい評判に乗って自分の芝居を楽屋からほめます。それがまた思わぬ人気で観客から「手辺座、手辺座」の声です。

それ以来、自分で自分をほめることを、但馬では「手辺(てへん)座だ~」と言うようになったそうです。

(菅村駅一さんの著作からまるまる写しで書きました) 


孫たちに聞かせる話「続 匂(にお)うふるさと」は、菅村駅一著のふるさとの懐かしい話の載った本です。
53ページに、母の幼少期の実家の様子が描かれています。

「魚芳(うおよし)」

 松原芳造(まつばらよしぞう)さんは魚屋で、人呼んで、『魚芳(うおよし)』といいました。長女のみつえちゃんとわたしは同じ年、長男の堅(けん)ちゃんは、一つ年下でした。三人は仲良しで小さい時、犬ころのようにして遊びました。 
 おばさんは、大正八年八月三日、そのころ大流行した感冒で、四人の子供を残して亡くなりました。みつえちゃんも堅ちゃんもわたしも、いっしょに泣きました。それからなんぼかして、次のお母さんが来ました。二度目のこのおばさんは名をトミさんといって、五荘村(ごのしょうそん)今の豊岡市伊賀谷(いがだに)の人でした。まま母というと、『まま子いじめ』など、世間の話を聞いていたわたしは、「みつえちゃんや堅ちゃんは、かわいそうだな」と子供ごころに同情しました。
 
 仲良しの堅ちゃんは眼病を病み、いつからか遠くの病院へ行ったので、遊ぶことができずにいました。その後、「悪性の眼病だげなぜ、盲(めくら)になっちまいなるかもしれれへん」と聞きました。でも、ずっとしてから良くなって帰って来ました。
 妹のはつえちゃんは、激しい腹痛をおこして毎日寝ていましたが、元気に学校へ通うようになりました。「堅ちゃんもはつえちゃんも、病気が治ったのは、おトミさんが寝ずの看病をしなったからんだげな」と近所のおばさんはいいました。
 
 四人の子供は、おばさんを本当の親のように、「お母(かあ)ちゃん、お母ちゃん」と慕いました。おばさんも、我が生みの子のように子供たちの名を呼んで、かわいがりました。それに、このおばさんには学があり、わたしたちに、詠方(よみかた)や算術の勉強を教えてくれました。
 魚芳の店は、おばさんがきれい好きで、いつも清潔でした。ですから、魚屋特有の大きな金ばいが、店に並べた魚類に、止まっているのを見たことがありません。「魚芳の魚は、気持ち良う安心して食べれる」と母は刺身やへしこを、ここから買いました。
 
 店は、おばさんが来てからだんだん繁盛して、やっこだこ、こまなどのおもちゃに食塩も売りました。この時代の塩は、今の精製塩のように純白微粒子の、さらさらした物ではありませんでした。店の隅に、丸竹のすのこの上に自然塩を入れた俵が五、六俵、小売り用の半切り俵も置かれ、塩のにがりがコンクリートの溝を少しずつ、いつの間にか土間の埋めつぼに、たまりました。
 また、のちには、おばさんの誠心誠意な仕事ぶりを知って、祝儀や会合の仕出し料理を注文する客ができるまでに、信用がついてきました。こうして、魚芳のおトミさんは、まま子をいじめどころか、良妻賢母でありました。〈「手辺村商売繁盛記」より〉

50年前は30戸のだったの、今は100戸をずっと超えて毎年人が増えるの

2016年10月09日 | ふるさと




 嬉(うれ)しさは   村のお祭り  モチまきを  待つ人なんと  多く居るとき


(平成20年の写真 あれから8年、今年はこれをずっと上回る境内いっぱい人人人でした)
   
「神社の境内にぎっしり人が集まりました。 モチまきが始まりました。 モチが宙に舞います。 ものすごい餅の拾い合、いや取り合い奪い合いです」