(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(1)
「なでしこ」の誕生(1)一本の電話から
(桐生市の町作りの基点・桐生天満宮)
桐生の市街地の真ん中を、南北に
まっすぐに伸びている主要道路を「本町通り」と呼んでいます。
北に向かって進むと3丁目の商店街を過ぎた辺りから、ビルと商店が消えはじめます。
入れ替わりに、昭和の雰囲気がよく残る木造の住宅と瓦屋根が目立ってきます。
北上してきた本町通りは、
そのまま、桐生天満宮の表参道へと続きます。
直進してきた道路は、ここで初めて天満宮の鳥居前から、大きく右へ迂回をします。
群馬大学の敷地脇を抜けてから、バスの車庫が有る天神町を経由して、
その先をさらに進んで、山狭地の梅田地区をめざします。
織物の町・桐生は、この天満宮が市街地作りの起点とされています。
石畳の参道をそのまま本殿に向かって進むと、山門の手前に、
小さな石の橋が架かっています。
そのたもとには、涸れたままの用水路が昔のままに残っています。
高さ1,5mほどの木造の古い水車は、織都の面影を伝えるために、いまでも石積みの岸に
大切に保存をされています。
明治から大正にかけて織物工場が林立した、この界隈では、
水車がその大きな原動力になりました。
ここの境内は、幼い頃からレイコが、とりわけ好んであそびました。
拝殿から裏手へまわり、神楽殿を過ぎたあたりから、
壁一面を埋め尽くして現れる、天満宮の彫刻群も大のお気に入りです。
いずれも江戸時代に彫られたもので、多くの職人たちによって刻まれました。
西から北の壁面へかけて、さらに東の壁のすべてを覆い尽くしたこの彫刻群は、
古くから桐生が、織物の里として繁栄してきたことの証です。
その大好きな遊び場を、今でもレイコは毎日通りぬけています。
短大を卒業してから、地元の自動車販売店に就職したレイコは、バス停への「抜け道」として
毎朝ここを、いつものように走り抜けていきます。
自宅は、天満宮の裏手で、山の手通りに面しています。
そこから工業高校裏手の、密集した民家の路地を200mほど歩いてくると、
遊び場だった天満宮に突き当たります。
突きあたりからは、(いつものように)膝の高さほど有る柵を乗り越えて、
裏手から本堂を右に回り込み、境内を斜めに横切ります。
数歩の先に、もう本町通りのバス停がありました。
毎朝ここから、数分前に車庫を出たばかりの市内循環バスに乗りました。
本町通りを南下したバスは15分ほどで、市街を2つにわける渡良瀬川へさしかかります。
対岸では、最近とみに開発が進んでいます。
こちらは桐生の「新市街地」と呼ばれ、真新しい住宅と建てられたばかりの
工場が広々と展開をしています。
山の懐に抱かれた盆地地形の旧市街地は、隙間が無いほどに家々が密集をしています。
ゆるやかに蛇行を続ける川の対岸と、太田市まで続いている丘陵地帯の間では
今でも真新しい工場と広い道路が建設中です。
対岸でバスを降りたレイコは、
川の流れを見ながら、堤防をゆっくりといつものように歩きます。
出来たばかりの電機会社の社宅を越えると、レイコの会社の赤い屋根が見えてきます。
10mほどある堤防の斜面を、いつものように一気に駆け下りました。
鍵のかかった裏口のドアを開け、専用の通路をぬけてから、
玄関のブラインドをたくしあげます。
ガラス戸の入口は、いつものように最大限に開け放ちます。
それからタイムカードを押すのが日課ですが、実はレイコが正面玄関から出勤したのは、
初出勤時の一度だけでした。
事務室のブラインドも開け、窓も開け放つと、いつもと同じ一日の始まりです。
ひと通りの掃除が終わるころになると、やっと所長が出勤をしてきます。
営業マンと3人居る整備士も、ほぼ同じ時間帯と同じ順序で出勤してきます。
一日の体勢が、午前9時のほんの数分前に整います、これもまたいつも通りの手順です。
午後の事務所で電話が鳴りました。
応対に出たレイコの耳に、懐かしい声が響いてきます。
相手が名乗るまでもなく、同級生の幸子の声だといち早く気が点きました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「なでしこ」の誕生(1)一本の電話から
(桐生市の町作りの基点・桐生天満宮)
桐生の市街地の真ん中を、南北に
まっすぐに伸びている主要道路を「本町通り」と呼んでいます。
北に向かって進むと3丁目の商店街を過ぎた辺りから、ビルと商店が消えはじめます。
入れ替わりに、昭和の雰囲気がよく残る木造の住宅と瓦屋根が目立ってきます。
北上してきた本町通りは、
そのまま、桐生天満宮の表参道へと続きます。
直進してきた道路は、ここで初めて天満宮の鳥居前から、大きく右へ迂回をします。
群馬大学の敷地脇を抜けてから、バスの車庫が有る天神町を経由して、
その先をさらに進んで、山狭地の梅田地区をめざします。
織物の町・桐生は、この天満宮が市街地作りの起点とされています。
石畳の参道をそのまま本殿に向かって進むと、山門の手前に、
小さな石の橋が架かっています。
そのたもとには、涸れたままの用水路が昔のままに残っています。
高さ1,5mほどの木造の古い水車は、織都の面影を伝えるために、いまでも石積みの岸に
大切に保存をされています。
明治から大正にかけて織物工場が林立した、この界隈では、
水車がその大きな原動力になりました。
ここの境内は、幼い頃からレイコが、とりわけ好んであそびました。
拝殿から裏手へまわり、神楽殿を過ぎたあたりから、
壁一面を埋め尽くして現れる、天満宮の彫刻群も大のお気に入りです。
いずれも江戸時代に彫られたもので、多くの職人たちによって刻まれました。
西から北の壁面へかけて、さらに東の壁のすべてを覆い尽くしたこの彫刻群は、
古くから桐生が、織物の里として繁栄してきたことの証です。
その大好きな遊び場を、今でもレイコは毎日通りぬけています。
短大を卒業してから、地元の自動車販売店に就職したレイコは、バス停への「抜け道」として
毎朝ここを、いつものように走り抜けていきます。
自宅は、天満宮の裏手で、山の手通りに面しています。
そこから工業高校裏手の、密集した民家の路地を200mほど歩いてくると、
遊び場だった天満宮に突き当たります。
突きあたりからは、(いつものように)膝の高さほど有る柵を乗り越えて、
裏手から本堂を右に回り込み、境内を斜めに横切ります。
数歩の先に、もう本町通りのバス停がありました。
毎朝ここから、数分前に車庫を出たばかりの市内循環バスに乗りました。
本町通りを南下したバスは15分ほどで、市街を2つにわける渡良瀬川へさしかかります。
対岸では、最近とみに開発が進んでいます。
こちらは桐生の「新市街地」と呼ばれ、真新しい住宅と建てられたばかりの
工場が広々と展開をしています。
山の懐に抱かれた盆地地形の旧市街地は、隙間が無いほどに家々が密集をしています。
ゆるやかに蛇行を続ける川の対岸と、太田市まで続いている丘陵地帯の間では
今でも真新しい工場と広い道路が建設中です。
対岸でバスを降りたレイコは、
川の流れを見ながら、堤防をゆっくりといつものように歩きます。
出来たばかりの電機会社の社宅を越えると、レイコの会社の赤い屋根が見えてきます。
10mほどある堤防の斜面を、いつものように一気に駆け下りました。
鍵のかかった裏口のドアを開け、専用の通路をぬけてから、
玄関のブラインドをたくしあげます。
ガラス戸の入口は、いつものように最大限に開け放ちます。
それからタイムカードを押すのが日課ですが、実はレイコが正面玄関から出勤したのは、
初出勤時の一度だけでした。
事務室のブラインドも開け、窓も開け放つと、いつもと同じ一日の始まりです。
ひと通りの掃除が終わるころになると、やっと所長が出勤をしてきます。
営業マンと3人居る整備士も、ほぼ同じ時間帯と同じ順序で出勤してきます。
一日の体勢が、午前9時のほんの数分前に整います、これもまたいつも通りの手順です。
午後の事務所で電話が鳴りました。
応対に出たレイコの耳に、懐かしい声が響いてきます。
相手が名乗るまでもなく、同級生の幸子の声だといち早く気が点きました。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/