(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(12)
3歳児の神話(5)70年代の風俗
レイコが動き始めました。
保母を養成する通信教育の受講を決め、
法政大学・文学部の通信教育課程へ入学をしました。
自動車販売会社の勤務を終えてから、古民家へ移ったなでしこ保育園でサポートをし、
深夜になってから、保育の勉強に取り組むという生活の始まりです。
この年、1972年の5月15日に、
終戦直後から米軍の占領支配下に有った沖縄が、ようやく日本に返還をされました。
27年間にもわたりアメリカ軍の支配下に有った約95万人が、この日、
晴れて日本国民としての権利を回復し、ついに沖縄県が復活をはたしました。
また戦後最悪のテロ事件、連合赤軍によるあさま山荘事件も。
同じくこの年に発生をしています。
田中角栄氏による日中国交回復の事業は、一定の成果をおさめました。
時の力を得た同首相による「日本列島改造論」の発表は、
高速の鉄路と道路を、全国に建設することで経済を活性化させる効果を産みだしました。
これが後になって、地価の高騰を産み、バブル経済への土台ともなる
不動産業の台頭を生み出します。
地価が高騰を見せる中で、
陰りはじめていた景気は、ふたたび上向きに変わりました。
製造業では設備投資が活発となり、勤労世帯には残業や休日出勤が増えます。
閑古鳥が鳴き始めていた夜の町にも、再度の活気が戻ってきました。
この頃から繁華街には、「ピンク」と称し
性的サービスのみを提供をする、「風俗」と呼ばれるお店が登場をしはじめます。
時間制によって、安易な売春サービスを提供をするこの新しい風俗店は、
雨後のタケノコのように、またたくまに増えそのまま歓楽街を席捲します。
ようやく活況を見せ始めた飲み屋街で、こうした類のお店が、あっというまに台頭をして、
手軽さとも相まって、短い間に主導権を握りはじめてしまいました。
これらは俗に「ピンク・キャバレー」などとも呼ばれています。
「悪いけど、彼女たちとは、一緒にしないで、頂戴。」
美千子が、憮然としています。
煙草をくわえたまま、怒った目をしてレイコと向かいあっています。
「風俗店で働いているのは、ピンク嬢と呼ばれる女どもで、
わたしたちは、筋目正しい生粋のホステスです。
夜のまちで働いていると言うことだけで、なんでも一緒にしないで頂戴ね。
わたしたちは、男の人に『媚び』は売るけれど、
身体は一切、売りません。
ぎりぎりまで、男たちを翻弄しながら、
長く引っ張るのが、わたしたちの仕事のテクニックなのよ。
教養もたくわえないでに、身体を売っているだけで
営業をしているピンク穣なんぞたちとは、住む世界がまったく違いますから。」
「でも、男をたぶらかすのが、あなたたちの商売でしょう?」
「お願いだから言葉を選んで頂戴、レイコ。
文学部に入ったというのに、
ささる棘(とげ)だらけのある言葉をつかうわね。相変らず、あんたって。
たぶらかすというのは、夜の世界では、駆け引きを使うと言う意味で、
男たちを引きつけて長引かせるための、高等な接客技術の一つです。
私たちは話題つくりのために、
毎朝、経済新聞の隅から隅まで目を通すし、
テレビのニュースも詳細に見て、
会話を深めるための努力を日常的にしているのよ。
それも全て、お店での会話と男たちとの駆け引きの大切な材料になるの。
第一、商売のために男に『媚び』を売っているだけで、
本気で惚れたりするもんか。
男なんか、もう、うんざりだもの。」
「出たわね、美千子の決まり文句が。
余りレイコをいじめないでネ、可哀想だから。
仕事と、保育と通信教育で、もう、くたくたのはずだから。」
幸子が助け船を出してくれました。
久し振りに喫茶店の片隅で、顔を寄せ合せている旧友の3人です。
『純喫茶店』として数年前に誕生したこの大きな喫茶店は、いつのまにか、
地下のスペースが、同伴喫茶に変わりました。
この頃になると全学連も衰退をして、反戦運動もすっかり下火になりました。
夢と目標を見失ってしまった学生たちが、キャンパスを離れ、
麻雀店やパチンコ店、同伴喫茶などに屯(たむろ)するように変わってきました。
昼間から、性風俗店などへ出入りする姿なども当たり前のように増えてきます。
70年代前半は、道徳と性の荒廃が急速な進行をみせた、ある意味でのすさんだ時代です。
若者たちの間では、とどまることのない性の暴走と道徳の荒廃が
極めて深刻な形で進行をしました。
退廃の文化と、出口の見えないけだるさだけが、巷にはびこるようになりました。
「いまどきの若い連中は・・・恥じらいも知らずに、昼間から堂々と、
平気で同伴喫茶に潜り込むんだもの。
まったく時代も、ずいぶんと変わったもんだわねぇ」
「美千子さん、それって、
とても、22歳の女性の発言とは思えませんが。」
「悪かったわねぇ、レイコ。 どうせあたしは若年増だよ。
みんなは、遊び呆けている年頃だというのに、
わたしだけは、子育てで別世界に住んでいるんだもの。
どうせ、身から出た錆びで、二人も子どものいるシングル・マザ―です。私は。
あ~あ、どこかにいい男でもいないかなぁ・・・」
「こらこら。、すこしは慎みなさい、美千子ったら。」
「あっ、いけない・・・思わず本音が出てしまったわ。」
高校を卒業以来、久々に休日が揃って
午後からの喫茶店で、ゆっくりと時間を過ごしているレイコと美千子、幸子の3人です。
赤くなって苦笑する美千子の様子に2人とも、思わず大きな声をたてて笑っています。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
3歳児の神話(5)70年代の風俗
レイコが動き始めました。
保母を養成する通信教育の受講を決め、
法政大学・文学部の通信教育課程へ入学をしました。
自動車販売会社の勤務を終えてから、古民家へ移ったなでしこ保育園でサポートをし、
深夜になってから、保育の勉強に取り組むという生活の始まりです。
この年、1972年の5月15日に、
終戦直後から米軍の占領支配下に有った沖縄が、ようやく日本に返還をされました。
27年間にもわたりアメリカ軍の支配下に有った約95万人が、この日、
晴れて日本国民としての権利を回復し、ついに沖縄県が復活をはたしました。
また戦後最悪のテロ事件、連合赤軍によるあさま山荘事件も。
同じくこの年に発生をしています。
田中角栄氏による日中国交回復の事業は、一定の成果をおさめました。
時の力を得た同首相による「日本列島改造論」の発表は、
高速の鉄路と道路を、全国に建設することで経済を活性化させる効果を産みだしました。
これが後になって、地価の高騰を産み、バブル経済への土台ともなる
不動産業の台頭を生み出します。
地価が高騰を見せる中で、
陰りはじめていた景気は、ふたたび上向きに変わりました。
製造業では設備投資が活発となり、勤労世帯には残業や休日出勤が増えます。
閑古鳥が鳴き始めていた夜の町にも、再度の活気が戻ってきました。
この頃から繁華街には、「ピンク」と称し
性的サービスのみを提供をする、「風俗」と呼ばれるお店が登場をしはじめます。
時間制によって、安易な売春サービスを提供をするこの新しい風俗店は、
雨後のタケノコのように、またたくまに増えそのまま歓楽街を席捲します。
ようやく活況を見せ始めた飲み屋街で、こうした類のお店が、あっというまに台頭をして、
手軽さとも相まって、短い間に主導権を握りはじめてしまいました。
これらは俗に「ピンク・キャバレー」などとも呼ばれています。
「悪いけど、彼女たちとは、一緒にしないで、頂戴。」
美千子が、憮然としています。
煙草をくわえたまま、怒った目をしてレイコと向かいあっています。
「風俗店で働いているのは、ピンク嬢と呼ばれる女どもで、
わたしたちは、筋目正しい生粋のホステスです。
夜のまちで働いていると言うことだけで、なんでも一緒にしないで頂戴ね。
わたしたちは、男の人に『媚び』は売るけれど、
身体は一切、売りません。
ぎりぎりまで、男たちを翻弄しながら、
長く引っ張るのが、わたしたちの仕事のテクニックなのよ。
教養もたくわえないでに、身体を売っているだけで
営業をしているピンク穣なんぞたちとは、住む世界がまったく違いますから。」
「でも、男をたぶらかすのが、あなたたちの商売でしょう?」
「お願いだから言葉を選んで頂戴、レイコ。
文学部に入ったというのに、
ささる棘(とげ)だらけのある言葉をつかうわね。相変らず、あんたって。
たぶらかすというのは、夜の世界では、駆け引きを使うと言う意味で、
男たちを引きつけて長引かせるための、高等な接客技術の一つです。
私たちは話題つくりのために、
毎朝、経済新聞の隅から隅まで目を通すし、
テレビのニュースも詳細に見て、
会話を深めるための努力を日常的にしているのよ。
それも全て、お店での会話と男たちとの駆け引きの大切な材料になるの。
第一、商売のために男に『媚び』を売っているだけで、
本気で惚れたりするもんか。
男なんか、もう、うんざりだもの。」
「出たわね、美千子の決まり文句が。
余りレイコをいじめないでネ、可哀想だから。
仕事と、保育と通信教育で、もう、くたくたのはずだから。」
幸子が助け船を出してくれました。
久し振りに喫茶店の片隅で、顔を寄せ合せている旧友の3人です。
『純喫茶店』として数年前に誕生したこの大きな喫茶店は、いつのまにか、
地下のスペースが、同伴喫茶に変わりました。
この頃になると全学連も衰退をして、反戦運動もすっかり下火になりました。
夢と目標を見失ってしまった学生たちが、キャンパスを離れ、
麻雀店やパチンコ店、同伴喫茶などに屯(たむろ)するように変わってきました。
昼間から、性風俗店などへ出入りする姿なども当たり前のように増えてきます。
70年代前半は、道徳と性の荒廃が急速な進行をみせた、ある意味でのすさんだ時代です。
若者たちの間では、とどまることのない性の暴走と道徳の荒廃が
極めて深刻な形で進行をしました。
退廃の文化と、出口の見えないけだるさだけが、巷にはびこるようになりました。
「いまどきの若い連中は・・・恥じらいも知らずに、昼間から堂々と、
平気で同伴喫茶に潜り込むんだもの。
まったく時代も、ずいぶんと変わったもんだわねぇ」
「美千子さん、それって、
とても、22歳の女性の発言とは思えませんが。」
「悪かったわねぇ、レイコ。 どうせあたしは若年増だよ。
みんなは、遊び呆けている年頃だというのに、
わたしだけは、子育てで別世界に住んでいるんだもの。
どうせ、身から出た錆びで、二人も子どものいるシングル・マザ―です。私は。
あ~あ、どこかにいい男でもいないかなぁ・・・」
「こらこら。、すこしは慎みなさい、美千子ったら。」
「あっ、いけない・・・思わず本音が出てしまったわ。」
高校を卒業以来、久々に休日が揃って
午後からの喫茶店で、ゆっくりと時間を過ごしているレイコと美千子、幸子の3人です。
赤くなって苦笑する美千子の様子に2人とも、思わず大きな声をたてて笑っています。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/