落合順平 作品集

現代小説の部屋。

(7) 「なでしこ」の誕生(7)美千子の事情

2012-07-12 09:54:23 | 現代小説
(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(7)
「なでしこ」の誕生(7)美千子の事情




 桐生市に、ゼロ歳児保育所が誕生したきっかけは、
当時、群馬県東部で最大の繁華街といわれた、「仲町通り」に出店してきた、
全国展開中の大手キャバレーグループの存在です。



 その日レイコの同級生の一人、美千子が保母の提橋清子を訪ねてきました。
長男を出産したばかりの美千子は、この大手のキャバレーグループの採用面接を受けて、
即決で、採用が決まったばかりでした。



 費用はすべて、会社が負担をするので子持ちで働くホステスさんたちのための、
夜間の保育室を開設してほしい、という内容の相談でした。
全く前例がない、「深夜専門」の新しい保育所をつくるという提案です。
この時代には時間外保育や、例外的に日曜保育などといった保育例はありましたが、
3歳児以下や乳幼児の保育で、ましてや深夜に及ぶという保育の実績や実例は、
まったくといって存在をしていません。


 託児施設をそなえ夜に安心して働ける環境つくるというコンセプトこそ、
地方への進出を狙う、このキャバレーグループの巧妙な人材確保戦略のひとつでした。
経験豊かで、多彩な接客力を持ったベテランたちを、現地で大量に確保をしたうえで、
その囲い込みを図ることが、キャバレー側の最大の狙いでした。
雑居ビルの一室を借りあげ、そこへ保母さん付きの託児施設を開設して
一気に子供を抱える女性たちを取り込もうという計画が、周到にすすめられました。




 独身のホステス嬢たちが、高値で引き抜かれて行くことが当たり前の時節です。
子育て中の元ホステス嬢たちの、大量確保を狙ったこの戦略は、ものの見事に成功しました。
必要とされた30名余りの女性たちがあっというまに集結をして、
10人近い子供たちと乳幼児が、深夜の託児施設に預けられることに決まりました。



 さらに、この話を聞きつけた女性たちからも預かってほしいと言う希望者が出てきます。
こうして「仲町通り」界隈専用の夜間託児施設として「なでしこ」託児園が、
その最初のスタートをきることになります。
同時に、認可外保育園としての申請が市役所へ提出されます。
認可外保育施設として市の承認が降りたのちに、共同の託児施設は、名称を
「なでしこ保育園」として、深夜まで子供たちを預かると言う運営がはじまりました。
それが、昭和45年のはじめのことです。

  
 ここで言う、認可外保育施設(にんかがいほいくしせつ)とは、
児童福祉法で規定されている、保育所には該当しない保育施設のことを指しています。
認可外保育所や認可外保育施設と呼ばれ、設置には、児童福祉法第59条の2による
届出が必要とされる施設のことを指しています。
一般的には、無認可保育所などとも呼ばれています。


 
ベビーホテルや駅型の保育所、駅前保育所等のいわゆる無認可保育所などの他、
その他の法令や通知で規定された事業所内の保育所や、
病院内での保育所、市町村が山間部等に設置したへき地保育所、季節保育所なども、
こうした無認可保育所という分類に含まれます。




 雑居ビルの2部屋を利用した、無認可保育園「なでしこ」では、
乳幼児(生後8週以上)が4名、ゼロ歳児が6名、1歳児以上が5名と言う規模で、
清子を園長にその運営が始まりました。
しかし特徴的なのが、なんといってもその預かる保育の時間帯です。


 「水商売専用」と揶揄された通り
大半の園児たちが、夕方から深夜にかけて預けられました。
さすがに、管轄する市の社会福祉課でも、この偏り過ぎた運営には、さすがに難色を示します。
何度かの交渉の末、「昼夜を通した保育体制も確立にする」ということになり、
昼間の園児も受け入れるという条件付きのもとで、公費の援助も始まりました。


 園長以下、二人の保母さんと、「育児ママ」と呼ばれた
お母さんたちが、交代で労務提供をしながら、手探り状態で運営ははじまりました。




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