(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(8)
3歳児の神話(1)夜の町が変わる

1970年代の初頭になると
夜の繁華街の様子が、一気に変わり始めます。
長年にわたって続いてきた小料理屋さんや、2階に小座敷を備えた料亭風のお店が、
相次いで表通りから消え始めてしまいます。
それらに取って代わって登場してきたのは、バーやキャバレー、
ナイト・クラブなどの、風営法での規制をうける飲食店たちでした。
バーと呼ばれる、立ち寄りタイプのお店が登場する頃になると、
呑み物もウィスキーが主流となり、店内ではお酒と共に女性たちによる接客が、
もうひとつの「売り物」になりはじめます。
このころから本格的に、男性客が接客専門の女性に歓待されて呑むという、
旧来の花柳界とは一線を画す、あたらしいタイプの風俗が産まれてきます。
手軽に酒と女が楽しめると言う風潮は、のちになると、昭和と言う時代を象徴する、
「歓楽街スタイル」として定着をすることになります。
接客や接待そのものが、長年にわたって宴席で芸を磨いてきた芸妓さんたちから、
ホステスさんと呼ばれる、男たちを話術だけでもてなす女性たちに変わります。
さらにこうした女性たちと気楽に交流する飲食店として、
「スナック」なども、もうすこし時代を下ってから登場をします。
こうした変化を支えたものは、日本経済の過激ともいえる急成長でした。
勤労世帯の収入の伸びと景気の過熱が、さらに浪費を拡大させました。
物があふれ、庶民の遊び方が過激化し始めたのもこの時代の大きな特徴です。
夜の歓楽街においても、それはもっとも顕著にあらわれます。
夜の街での伝統やしきたり情緒などは、あっというまに駆逐をされてしまいます。
誰でも気軽に女性たちと交遊できる場としての「歓楽街」が、
日本の全国各地に、次々に生み出されました。
それが、昭和によって生みだされた「ネオン街」とよばれた夜の呑み屋街です。
長年、旦那衆の遊び場として君臨してきた桐生の仲町通りの変貌ぶりも、
その例外ではありません。
「最初の旦那は、お金にルーズ過ぎた。
二人目の旦那は、ひものような男でいっこうに働こうともしゃしない。
男運が無いのかしらねぇ、どこまでいっても、あたしって・・・。」
子供を迎えに来て、
煙草をくわえたままレイコに愚痴をこぼしている美千子です。
「それって・・・
上の坊やと、下の娘さんは、
それぞれに、親が違うという意味?」
「レイコくらいだわね、
そういう聞きにくい話を、平気で私に聞いてくるのは。
ええ、そうよ、その通りだわ。レイコの言う通りなのよ。
もう男なんか、まったくもってうんざりだわよ。」
「よく言うわねえぇ。
あんたは人一倍、惚れやすいくせに・・・」
後片付けを終えた幸子が、横から口をはさみます。
苦笑したまま、美千子が上の男の子、2歳になる翔太君を抱き上げました。
「この娘はわたしが。」と、レイコが眠り込んだままの乳飲み子、
綾乃ちゃんを抱えると、美千子の後に着いて狭い階段を降りはじめます。
周囲のネオンは、すでにすっかりと消えています。
うす暗い路地の先では、キャバレーの送迎専用車がエンジンをかけたまま
長い時間にわたって待機をしています。
「ありがとう。
レイコが来てくれたから助かるわね。
園長もそろそろ退院できそうだし、前途は、洋々になるかしら。」
「それがねぇ・・・
此処に来て、ゼロ歳児保育の希望者が殺到してきたのよ。
開園したての頃には、どうなることかと模様眺めをしていた昼間に働いている
お母さんたちが、一斉に応募してきたのよ。
市役所の指導もあるから、それはそれで大歓迎なんだけれど、
ただ、此処では限界がありすぎるのよ。
なんといっても、今でさえ、狭すぎるというのに・・・」
少し遅れて荷物を運んできた幸子が、
ため息交じりに、保育園のある雑居ビルを見上げています。
「そうか・・・・もうここでは狭すぎるんだ。
ゼロ歳児たちの保育に、こんなにも人々があつまってくるなんて、
ちょっと、予定以上のものがあるもんね。
昼でも夜でもそれぞれに、やっぱり働きたいお母さんたちが、
実は、それだけ沢山いるということなんだろうね・・・・」
つられてビルを見上げていたた美千子が、
レイコの横顔を、チラリと横目で見ながら、そうつぶいています。

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
3歳児の神話(1)夜の町が変わる

1970年代の初頭になると
夜の繁華街の様子が、一気に変わり始めます。
長年にわたって続いてきた小料理屋さんや、2階に小座敷を備えた料亭風のお店が、
相次いで表通りから消え始めてしまいます。
それらに取って代わって登場してきたのは、バーやキャバレー、
ナイト・クラブなどの、風営法での規制をうける飲食店たちでした。
バーと呼ばれる、立ち寄りタイプのお店が登場する頃になると、
呑み物もウィスキーが主流となり、店内ではお酒と共に女性たちによる接客が、
もうひとつの「売り物」になりはじめます。
このころから本格的に、男性客が接客専門の女性に歓待されて呑むという、
旧来の花柳界とは一線を画す、あたらしいタイプの風俗が産まれてきます。
手軽に酒と女が楽しめると言う風潮は、のちになると、昭和と言う時代を象徴する、
「歓楽街スタイル」として定着をすることになります。
接客や接待そのものが、長年にわたって宴席で芸を磨いてきた芸妓さんたちから、
ホステスさんと呼ばれる、男たちを話術だけでもてなす女性たちに変わります。
さらにこうした女性たちと気楽に交流する飲食店として、
「スナック」なども、もうすこし時代を下ってから登場をします。
こうした変化を支えたものは、日本経済の過激ともいえる急成長でした。
勤労世帯の収入の伸びと景気の過熱が、さらに浪費を拡大させました。
物があふれ、庶民の遊び方が過激化し始めたのもこの時代の大きな特徴です。
夜の歓楽街においても、それはもっとも顕著にあらわれます。
夜の街での伝統やしきたり情緒などは、あっというまに駆逐をされてしまいます。
誰でも気軽に女性たちと交遊できる場としての「歓楽街」が、
日本の全国各地に、次々に生み出されました。
それが、昭和によって生みだされた「ネオン街」とよばれた夜の呑み屋街です。
長年、旦那衆の遊び場として君臨してきた桐生の仲町通りの変貌ぶりも、
その例外ではありません。
「最初の旦那は、お金にルーズ過ぎた。
二人目の旦那は、ひものような男でいっこうに働こうともしゃしない。
男運が無いのかしらねぇ、どこまでいっても、あたしって・・・。」
子供を迎えに来て、
煙草をくわえたままレイコに愚痴をこぼしている美千子です。
「それって・・・
上の坊やと、下の娘さんは、
それぞれに、親が違うという意味?」
「レイコくらいだわね、
そういう聞きにくい話を、平気で私に聞いてくるのは。
ええ、そうよ、その通りだわ。レイコの言う通りなのよ。
もう男なんか、まったくもってうんざりだわよ。」
「よく言うわねえぇ。
あんたは人一倍、惚れやすいくせに・・・」
後片付けを終えた幸子が、横から口をはさみます。
苦笑したまま、美千子が上の男の子、2歳になる翔太君を抱き上げました。
「この娘はわたしが。」と、レイコが眠り込んだままの乳飲み子、
綾乃ちゃんを抱えると、美千子の後に着いて狭い階段を降りはじめます。
周囲のネオンは、すでにすっかりと消えています。
うす暗い路地の先では、キャバレーの送迎専用車がエンジンをかけたまま
長い時間にわたって待機をしています。
「ありがとう。
レイコが来てくれたから助かるわね。
園長もそろそろ退院できそうだし、前途は、洋々になるかしら。」
「それがねぇ・・・
此処に来て、ゼロ歳児保育の希望者が殺到してきたのよ。
開園したての頃には、どうなることかと模様眺めをしていた昼間に働いている
お母さんたちが、一斉に応募してきたのよ。
市役所の指導もあるから、それはそれで大歓迎なんだけれど、
ただ、此処では限界がありすぎるのよ。
なんといっても、今でさえ、狭すぎるというのに・・・」
少し遅れて荷物を運んできた幸子が、
ため息交じりに、保育園のある雑居ビルを見上げています。
「そうか・・・・もうここでは狭すぎるんだ。
ゼロ歳児たちの保育に、こんなにも人々があつまってくるなんて、
ちょっと、予定以上のものがあるもんね。
昼でも夜でもそれぞれに、やっぱり働きたいお母さんたちが、
実は、それだけ沢山いるということなんだろうね・・・・」
つられてビルを見上げていたた美千子が、
レイコの横顔を、チラリと横目で見ながら、そうつぶいています。

・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/