落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「レイコの青春」(2) 「なでしこ」の誕生(2)  無認可保育所 

2012-07-07 11:49:26 | 現代小説
(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(2)
「なでしこ」の誕生(2)
 無認可保育所




 
 同級生の幸子は、短大の保育科を卒業して。
そのまま母が園長を務めている共同保育所「なでしこ」の、保母さんになりました。
共同保育所「なでしこ」は、無認可の保育所です。


 レイコも、当初は保母さんを目指しました。
音楽、それもとりわけピアノ演奏が大の苦手だったために、やむなく断念をしました。
たっぷりと未練を残しながらの挫折です。
そんなちょっぴりとした、ほろ苦い経緯も持っています。
スポーツなら万能と言えるほど器用で、何にでも興味を示して取り組むのですが
こと音楽に関してのみ、周囲も気の毒がるほどその感性がありません。



 「お久し振り、懐かしいわね。」


 そんなレイコの耳に、
遠慮がちながらも(いつものように)元気を装う、幸子の声が響いてきます。
少しだけ困り事が有るので、レイコの力を貸してほしいと頼まれました。
「それを説明すると長くなるのよ』と、言いかけた幸子の声を遮って、
レイコがメモ帳を取り上げます。




 「大丈夫よ、今晩ならあたしは空いているわ(いつものことだけど・・・・)。
 どこに行けばいいのかしら? 住所を教えて頂戴。
 メモを取ります。」



 お客さんらしい車が、駐車場へ滑り込むのを横目で見ながら
レイコが、幸子の言う住所をメモに書き写しました。
訪ねる時間をもう一度再確認してから、レイコが電話を切り、襟を直し髪を整えます。
毎朝、鏡の前で練習済みの、とびっきりの笑顔をつくります(さア、いくぞ!)
心の中で一声気合をかけると、元気よくイスから立ち上がりました・・・・



 仕事を終えてからレイコが訪ねたのは、
「仲町」という歓楽街のど真ん中にある、雑居ビルの一室でした。
会社の同僚達と何度か飲み会で来てはいましたが、さすがに今日は一人です。
混み込み入っている地理に、不安はありませんが、
日の暮れた飲み屋街を一人で歩くことに、さすがに気遅れを感じてしまいました。
やがて指示通り表通りから外れて、路地裏へ足を一歩踏み入れた瞬間には、
軽い身震いとともに、思わず両肩にも力が入ってしまいます。



 群馬と栃木県を繋ぐJR両毛線の踏切の北側から、
赤いレンガ作りの洋館「桐生倶楽部」まで続く繁華街一帯のことを、
地元の人たちは、「仲町通り」と呼んでいます。
300m余りの細長い通りと、複雑に入り組んだ露地道に面して
数十軒の飲食店が、ひしめきながら立ち並んでいます。



 バーやキャバレー、クラブなどの
洋風の「呑み屋」が「仲町」の表通りを占めています。
しかしひとたび路地の中へ足を踏み込むと、そこには昔ながらの小料理屋さんや、
2階に小さな座敷を備えた料亭などが、たくさん軒を並べています。
表通りからは後退したといえ、今でも昔ながらの営業を続けているのです。


 かつてこの界隈には、
小粋を誇る桐生芸者の「置き屋」さんもありました。
昭和三十年の半ばまでは、絹芸者を自称する10余名の芸妓さん達が居て、
艶やかに夜の歓楽街を支えていました。



 もうひとつ、庶民相手の歓楽街が
JR桐生駅の東側を流れた、「かに川」通りに沿って有りました。
「かに川」は、渡良瀬川から引き込まれた用水のひとつで、明治と大正のころには
繊維産業の水車を回すために使われました。



 その役目を終えた用水濠の川面の上に、床が張られました。
(むろん、違法ですが、)
よしずで囲われた簡易な飲食店が、次々と増えて、いつのまにか
大きな飲み屋街になってしまいました。
お客の大半が、桐生駅南側に展開している、織物工場で働く人たちでした。
近隣から働きに来る人や、商用で訪れる人たちも多かったために、
列車が到着する時間の直前や、夜は発着の合間にだけ賑わっているという
少し変わった歓楽街でした。




 一方の「仲町通り」は、
機屋(はたや)の旦那衆たちの「粋な」遊び場と言われています。
歓楽街の入口に建てられた「桐生倶楽部」は、全国から商談に来る
要人たちの接待を始め、商工の会議の場として頻繁に使われていました。
そうした重要な役割を担った建物が、歓楽街の入口に建てられたということも、
遊び人が多いという、桐生独特の気風を如実に示したものかもしれません。





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