(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(14)
3歳児の神話(6)その根拠となった学説たち
スピッツは、第2次世界大戦後の
1945年に「ホスピタリズム」という研究論文を発表しました。
ホスピタリズムは、施設症と和訳をされましたが、乳児院や孤児院、小児科病院等で
長期間収容される場合に生じやすい、乳幼児の心身発達障害のことについて書いています。
スピッツ自身は、
「施設等は子どもが一定の大人と十分な精神的関係を持てるように
保育環境を整備することで、ホスピタリズムの発生を減じるべきである。」
という提案をしています。
スピッツの時代(第二次世界大戦後の)欧米の乳児施設と、
1960年代の日本の施設では、状況が全く異なります。
にもかかわらず、「子ども+施設→ホスピタリズム」という安易な解釈が、
間違ったまま流用されました。
ボウルビィは、イギリスの医師です。
彼は1948年に
国連からの依頼で、戦中から戦後にかけて、
両親と離ればなれになった各国の子供達についての調査を開始しました。
1950年に提出された報告書の中で彼は、施設収容がなくても、
「ホスピタリズム」が生じるということを報告しています。
施設に関係なく発生することから、その原因は
施設自体にあるのではなく、母性的配慮の喪失経験にあると考え、
「母性喪失(剥奪)」(マターナル・デプリベーション)という考え方を提唱しました。
彼はさらにその報告書の中で、その母性剥奪が
「子どもの生涯に渡って悪い影響を及ぼす」とも書いています。
しかしボウルビィの 実際の調査研究は、
48年から50年までの、わずか2年間にすぎません。
そして、彼が研究対象とした子供達は、最年長でも15歳以上ではなく、
実際には、もっとずっと小さかったことがわかってきました。
それなのになぜボウルビィは「将来の全人生に影響を与える」などと、
言い切ることができたのでしょうか・・・・
1956年になると、ボウルビィは新たな論文の中で、
このような主張が、必要以上に誇張であった事をあらためて認める発言をしています。
「母性喪失」が、全人生に重大な影響を与えるとは、一般的には言い切れないと、
言い直しています。
この当時、日本における「三歳児の神話」の流布と浸透のために
積極的に加担した多くの官僚や医師、マスコミ界の関係者たちの中に
このボウルビィの必然的転換を、きちんと認識した人がどれだけいたのでしょうか・・・
残念ながら、結果は皆無です。
日本における3歳児の神話は、
もうひとつ、「三つ子の魂、百までも」という概念からもスタートをしています。
もちろん、こどもにとっての幼児期は、人として成長するうえで、
もっとも大切な時期であることに、疑いの余地はありません。
しかしそれらを逆手(さかて)にとった、
「母親の愛情がベスト」「母親は育児に専念することが努め」などといった、
育児にかかわる母親の役割を、あまりにも偏った概念へと発展させるための論調が
意図的に何度も繰り返し誇張されました。
さらに、「母親が育児に専念しないと、子供の発達がゆがむ」と結論づける風潮も、
根強く繰り返されるようになります。
こうなると、結婚をして母親となった女性たちが社会的に
「働き続けること」が重荷となり、ライフスタイルにも重くのしかかるようになってしまいます。
こうして日本における、古典的な言い伝えまでも駆使をして、
1960年代に世界でも例を見ない日本独特の、「3歳児の神話」が誕生をしました。
当時の3歳児の神話の概念の中には
「前頭葉や右脳の発達は、母親が、子供が3歳になるまでに行うのが責務だ。」
という、脳科学の見地までが取り込まれています。
ここでもまた母親への重圧として、「いかの子育てに専念すべきか」が、
ことさらに強調をされています。
ここ最近の調査結果でも、
そうした影響は、今でも女性たちには色濃く残っているようです。
「3歳児の神話は気になるか?」という問いに、
働く母親たちの答えは、とても気になる・まぁまぁ気になる
というのが、40%という結果がでています。
「小さい時が大切」という意味の中には、人としての成長をするために、
幼い時にこそ、おおくの愛情を充分に受けて育てられる必要が有ります。
しかしその愛情の全ては、母親が賄(まかな)うのみではありません。
小さいときから、その子の周りに居るすべての周囲から、しっかりと愛されること自体が、
極めて大切なことになるのです。
「愛されること」のたくさんの経験の蓄積が、やがて人を愛し、
信じることができるようになるための、大切な気持ちの源泉にかわります。
1998年に至って、公式文書でもある「厚生白書」が「合理的な根拠はない」として、
これらの「3歳児の神話」を全否定したことは、たいへんに、
画期的な出来ごとになりました。
しかし、後になってから是正はされたとはいえ、こうした風潮の影響が
いまでも不足したままの保育園の実態や、日本における一貫した幼児教育の
遅れを生んできた、もっとも大きな原因になってきたのです。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
3歳児の神話(6)その根拠となった学説たち
スピッツは、第2次世界大戦後の
1945年に「ホスピタリズム」という研究論文を発表しました。
ホスピタリズムは、施設症と和訳をされましたが、乳児院や孤児院、小児科病院等で
長期間収容される場合に生じやすい、乳幼児の心身発達障害のことについて書いています。
スピッツ自身は、
「施設等は子どもが一定の大人と十分な精神的関係を持てるように
保育環境を整備することで、ホスピタリズムの発生を減じるべきである。」
という提案をしています。
スピッツの時代(第二次世界大戦後の)欧米の乳児施設と、
1960年代の日本の施設では、状況が全く異なります。
にもかかわらず、「子ども+施設→ホスピタリズム」という安易な解釈が、
間違ったまま流用されました。
ボウルビィは、イギリスの医師です。
彼は1948年に
国連からの依頼で、戦中から戦後にかけて、
両親と離ればなれになった各国の子供達についての調査を開始しました。
1950年に提出された報告書の中で彼は、施設収容がなくても、
「ホスピタリズム」が生じるということを報告しています。
施設に関係なく発生することから、その原因は
施設自体にあるのではなく、母性的配慮の喪失経験にあると考え、
「母性喪失(剥奪)」(マターナル・デプリベーション)という考え方を提唱しました。
彼はさらにその報告書の中で、その母性剥奪が
「子どもの生涯に渡って悪い影響を及ぼす」とも書いています。
しかしボウルビィの 実際の調査研究は、
48年から50年までの、わずか2年間にすぎません。
そして、彼が研究対象とした子供達は、最年長でも15歳以上ではなく、
実際には、もっとずっと小さかったことがわかってきました。
それなのになぜボウルビィは「将来の全人生に影響を与える」などと、
言い切ることができたのでしょうか・・・・
1956年になると、ボウルビィは新たな論文の中で、
このような主張が、必要以上に誇張であった事をあらためて認める発言をしています。
「母性喪失」が、全人生に重大な影響を与えるとは、一般的には言い切れないと、
言い直しています。
この当時、日本における「三歳児の神話」の流布と浸透のために
積極的に加担した多くの官僚や医師、マスコミ界の関係者たちの中に
このボウルビィの必然的転換を、きちんと認識した人がどれだけいたのでしょうか・・・
残念ながら、結果は皆無です。
日本における3歳児の神話は、
もうひとつ、「三つ子の魂、百までも」という概念からもスタートをしています。
もちろん、こどもにとっての幼児期は、人として成長するうえで、
もっとも大切な時期であることに、疑いの余地はありません。
しかしそれらを逆手(さかて)にとった、
「母親の愛情がベスト」「母親は育児に専念することが努め」などといった、
育児にかかわる母親の役割を、あまりにも偏った概念へと発展させるための論調が
意図的に何度も繰り返し誇張されました。
さらに、「母親が育児に専念しないと、子供の発達がゆがむ」と結論づける風潮も、
根強く繰り返されるようになります。
こうなると、結婚をして母親となった女性たちが社会的に
「働き続けること」が重荷となり、ライフスタイルにも重くのしかかるようになってしまいます。
こうして日本における、古典的な言い伝えまでも駆使をして、
1960年代に世界でも例を見ない日本独特の、「3歳児の神話」が誕生をしました。
当時の3歳児の神話の概念の中には
「前頭葉や右脳の発達は、母親が、子供が3歳になるまでに行うのが責務だ。」
という、脳科学の見地までが取り込まれています。
ここでもまた母親への重圧として、「いかの子育てに専念すべきか」が、
ことさらに強調をされています。
ここ最近の調査結果でも、
そうした影響は、今でも女性たちには色濃く残っているようです。
「3歳児の神話は気になるか?」という問いに、
働く母親たちの答えは、とても気になる・まぁまぁ気になる
というのが、40%という結果がでています。
「小さい時が大切」という意味の中には、人としての成長をするために、
幼い時にこそ、おおくの愛情を充分に受けて育てられる必要が有ります。
しかしその愛情の全ては、母親が賄(まかな)うのみではありません。
小さいときから、その子の周りに居るすべての周囲から、しっかりと愛されること自体が、
極めて大切なことになるのです。
「愛されること」のたくさんの経験の蓄積が、やがて人を愛し、
信じることができるようになるための、大切な気持ちの源泉にかわります。
1998年に至って、公式文書でもある「厚生白書」が「合理的な根拠はない」として、
これらの「3歳児の神話」を全否定したことは、たいへんに、
画期的な出来ごとになりました。
しかし、後になってから是正はされたとはいえ、こうした風潮の影響が
いまでも不足したままの保育園の実態や、日本における一貫した幼児教育の
遅れを生んできた、もっとも大きな原因になってきたのです。
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/