落合順平 作品集

現代小説の部屋。

「レイコの青春」(13) 3歳児の神話(6)共働きと育児

2012-07-19 11:19:15 | 現代小説
(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(13)
3歳児の神話(6)共働きと育児





乳飲み子をかかえた、共働きのお母さんが、
次々と「なでしこ保育園」を訪ねてくるようになりました。
ここへたどり着くまで、いくつもの保育所を訪ね歩いてきたお母さんたちは、
みな一様に、似通った苦い体験を重ねてきています。
この時代に運営されていた公立の保育園などのおおくが
ゼロ歳児や1~2歳児たちの受け入れ自体を、もともとから設定していません。



 母親たちはまずは、市役所の窓口に相談に訪れます。
市役所福祉課の窓口の担当者は、
「保育に欠ける子どもであれば、保育園はこれを保育しなければならない、
という規則がありますので、まずは近所の公立保育園に行って頼んでみてはどうですか。」
と、アドバイスだけをしてくれます。
入所基準や運営に関しては、それぞれの保育園での自立性があるために、
公立と言えども、市役所で入所手続きをすることはできません。



 それぞれの母親が市役所の助言を頼りに、子どもを背負って、
自宅の近くにある、それぞれの公立保育園へ足を運びます。しかし・・・



 「あなた方は、
 テレビやピアノやダイヤを買いたいために、共働きをしているんでしょうから、
 子どもが大切ならば、すぐに、勤めをやめたらどうですか。」



 「ゼロ歳児は、預かれません」


 「長時間保育には、対応が出来ません。」



 などと、ことごとく断られてしまいます。
乳幼児や3歳未満の幼児をかかえながら、昼間働いているお母さんたちは、
こうして一様に、苦い体験をあちこちで味いつくしてきます。
こうした事例の最大の根拠とされたのは、1960年代にはじまった
高度経済成長政策時代に、意図的にうみ出され流布されてきた「3歳児の神話」という
幼児教育に関する独断的な学説でした。




 その時代の日本大百科事典で、「育児」の項には、
「三歳児未満は、親子間の情緒的な関係を緊密にする時期。」と強調をされています。
さらに、三歳までに十分な母子間の緊密な情緒的関係が形成されない場合には、
「情緒の発達などが遅れ、情緒の不安定は次第に強くなる」という記述さえ残っています。
それらの理由として、次の3つが揚げられています。



  1. 子供の成長にとって幼少期が(きわめて)重要である。

  2. この大切な時期は、生みの母親が養育に専念しなければならない。
    なぜならお腹を痛めたわが子に対する母の愛情は、
    子供にとって最善だからである。

  3. 母親が就労などの理由で育児に専念しないと、将来子供の発達に
    悪い影響を残す場合がある。




 戦前には、「三歳児の神話」と言う学説は存在していません。
1961年、第一次池田内閣のよる「人づくり政策」のもとで、幼児医療の世界で、
初めてとなる三歳児検診が開始されました。
これと相前後する形で、「三歳児の神話」が作りだされました。
政府やマスコミによって意図的に操作をおこない、ことあるごとに
この学説が強調されるようになりました。



 当時の厚生相で児童局長を努めていた黒木利克氏は、
その著書の中で、池田総理の発言に関して以下のような言葉を述べています。



「要するに人づくりの根底は、
 よい母親が、立派な子どもを生んで育てることなんだ」
 という総理の言葉を受けて、

「これを施策の前進といわずして何であろう。」
 と大絶賛をし、かつ最大限の賛辞を表しています。



 これ以前の時代には、このような視点や考え方は
常識として存在もしていなかったという事実を、明確にかつ如実に示した発言です。
しかもこの後も、この厚生相・児童局長の黒木氏は、
「3歳児の神話)の根拠となる、『母親の手による家庭育児の重要性』を
終始強調するようになります。


 1964~5年には、NHKが
『三歳児』という母親向けの幼児教育番組を作成しています。
医師や、心理学者たちがこの制作に積極的に関わりました。
いわゆる政府による世論操作の一つで、三歳児までは家庭で育てるのが正しいと言う
大合唱が此処から始まる事になりました。
母の役割をことさら強調したこれらの既成事実化の積み上げが
やがて日本中に、三歳児ブームが巻き起こしことになります。
「三歳児の神話」はこうして、1960年代の当時の政府とその関係官僚、
一部のマスコミ達によって意図的に生みださた、誤った風潮と学説ののひとつです。



 この時代はもういっぽうで、同居家族の崩壊が始まり、
いわゆる「核家族化の時代』がはじまったその元年とも言われています。
若い夫婦だけの新世帯がたくさん、日本中で誕生しました。
共働きも全盛になり始めたこの時代に、この『3歳児の神話』が大きく立ちふさがります。



 なぜ日本における保育行政は、そのスタートの当初から
意図的に、3歳児以下を切り捨てたのでしょうか・・・・
そのわけは、労働界における低賃金政策と、企業サイドによる安上がりの
労働力確保と、同時に都合によって切り捨てていくための。好都合な支配政策にありました。
出産からの3年間、子育てのために母親は有無を言わせずに家庭にとじこもってしまいます
子供は社会の宝と称賛をする一方で、社会的に子供を育てる一貫したシステムを、
あえて承知の上で切り捨ててきた、育児と教育に関する日本の政治の『後進性と貧しさ』が
実は、ここでも深刻な暗い影を落としています。


 日本における0歳児保育や3歳児以下の保育の実践とその実現は
働きながら子供たちを育ててきた、多くの母親たちの頑張りから生み出されました。
この後に展開をする本篇の内容も、じつはそれらをまとめた記録のひとつです。



 三歳児の神話などで、最も頻繁に引用されたのは
ボウルビィの書いた「母性喪失」に関する調査研究の報告書です。
その他にも、スピッツの「ホスピタリズム」などが使用されたり、ロレンツの
「刷り込み」概念なども、ひんぱんに流用されました。
明日は、それらの学説について詳しく書きたいと思います。