落合順平 作品集

現代小説の部屋。

デジブック 『奥利根と、水上温泉』

2012-07-30 19:41:16 | 現代小説
デジブック 『奥利根と、水上温泉』


 久しぶりのデジブックです。
利根川の源流がある奥利根から、100メートルを超える岩の壁を持つ
楢俣ダムと、古くからの名湯の一つ水上温泉を紹介します。

「レイコの青春」(24) 坂道を歩き始める(4)最初の学習会

2012-07-30 09:26:02 | 現代小説
(続)アイラブ桐生・「レイコの青春」(24)
坂道を歩き始める(4)最初の学習会






 埼玉県の民間による認可保育所、「さくらんぼ保育園」から
斎藤園長が講師として駆けつけてくれました。


 「認可保育園をつくるというお仕事は、その気になれば必ず成功します。
 また、この仕事は大事なやりがいのある仕事です。
 例えば靖子さん。あなたが本気でこの活動に取り組むのであれば、
 あなたが今お勤めをしている、病院を辞めて
 貴女が園長をやるぐらいの心意気を、まず示しなさい。」




 と開口一番、まず発破を掛けました。


 「無認可が悪いという話ではありません。
 しかし無認可のままでは、自治体や県からの補助や援助に限界が生じます。
 保育費が高いままであったり、設備や環境の整備にも時間がかかってしまいます。
 よりよい保育環境と保育の実現のためにも、、
 まずは認可保育園の基準を満たした、保育園作りの計画を立てるべきです。
 定員は60人以上で、敷地面籍は厚生省の指導基準を上回るだけの、
 広い敷地を必ず確保しましょう。
 続いて、運営主体のための社会福祉法人を作ります。」



 ざわめきはじめた参加者たちを、静かに見回した斎藤園長が
ここで初めて、にこりと笑って身体を前に乗り出しました。
ひそひそ話をするときのように、声のトーンを一段階ほど低くします。




 「たいそうな取り組みのようにも聞こえますが、
 実は、かく言うわたしも園長になる前は、生協で働くの職員の一人でした。
 さくらんぼを立ち上げた社会福祉法人の皆さんも、
 あなたたちとまったく同じように、
 乳飲み子をかかえながら、働くお母さんがたなのです。
 埼玉県で出来て、群馬に出来ないことはないでしょう、
 第一、ここは女性が強いと言う、かかぁ天下の国ではありませんか。
 私たちも全面的に応援をいたしますので、是非、
 この取り組みを大きく進めてください。
 ゼロ歳児や一歳児を預かってくれる、認可保育園の誕生は、
 働く女性たちの未来を、大きく切り開く仕事です。」




 最初の学習会には父兄の8割以上にあたる、25人が集まりました。
これにはその準備に携わってきた、美千子と靖子も驚きました。
「本気という気持ちは、必ず人を動かします。」斎藤園長のすぐわきで、
熱心にメモを取っている陽子を指さしながら
園長先生がほほ笑みました。



 「陽子さんが、園児のお宅を一軒づつ説明して回ったそうです。
 それにしても、メガネからコンタクト・レンズに変えた彼女は、
 本当にチャーミングで、美人さんですねぇ。
 美千子さん、あなたの見事なアドバイスだそうですね、
 やはり女性には、輝くような美しさが大切です。
 あとは、あなたが、男性の操縦術を教え込めば、
 陽子さんは、ほぼ完ぺきになるでしょう。ほほほ・・・・あら、失礼。
 美千子さん、陽子さんを引き受けた以上、あなたの責任は重大です。」


 靖子が横から口をはさみます。




 「でも、園長先生。
 美千子さんは、男運が良すぎて捕まえるのも得意ですが
 その結果、すでに二回も辛酸を体験しています。
 よろしいのでしょうか、
 この世に、そんな女性ばかりを増やしても。」



 「あなたたちお二人も、羨ましいくらいにとても仲の良いコンビです。
 それもまた運命でしょう。
 人生に、苦難や試練は、最初からつきものです。
 雲は流れるままに、風もまた吹くままにというくらいですから、
 花が散るのも、またいた仕方ありません。
 さて・・・斎藤園長の熱演中に、雑談ばかりでは不謹慎すぎますね。
 つつしんで拝聴いたしましょう、皆さん。」





 古民家を改造して、新しくスタートをなでしこ保育園では、
この当時、30名を越える園児たちがいました。
園長と幸子の他に、4名の保母が勤めていましたがそれだけでは人員が足りません。
父兄の中からボランティアとして、交代当番制で2名づつが
保育ママとして運営に参加をしていました。



 無認可保育園ゆえの公費援助の限界が、
保母や事務職員の雇用に対して、大きな支障を生んでいました。
不足分を保育費に転嫁してしまうと、父兄の負担が高額になり過ぎます。
保母さんたちは、安い給料と過酷な条件のなかで、ひたすら使命感でだけで
頑張っているという現状もありました。
預ける側にとっても、預かる側にしても、認可保育園の建設は、
実は共通の夢なのです。



 第一回の学習会ののちに、靖子を委員長に、
美千子を事務局長に選出をして、参加した全員が準備委員になるという
決定がなされました。
こうして、正式に「なでしこ保育園」を認可保育園にするための
準備室が、ようやく発足をしました。



 
 1972年の秋も深まり、冬の気配もすぐそこまで来ています。
レイコはまだ連日、深夜におよぶ勉強で四苦八苦しつつ、保育理論に
取り組んでいる、まさにその真っ最中での出来事でした。




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