落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (64)月の輪酒造

2014-08-26 11:32:53 | 現代小説
東京電力集金人 (64)月の輪酒造




 かつての月の輪酒造は、高さ3メートルほどの堤防を挟み、雄大な太平洋と対峙していた。
浪江町の請戸地区のはずれに建っていた酒蔵で、漁港とは背中合わせの位置関係にある。
日本で一番、もっとも海に近い酒蔵として名前を知られている。
創業したのは江戸の末期。
月の輪酒造の看板商品、「いわきの華」は、大漁を祝う漁師の酒として長いあいだにわたり、
海の男たちから愛されてきた。


 酒造りには、一升瓶(1.8リットル)あたり、10倍強の水が必要とされる。
月の輪酒造の製造石数は、300石。一升瓶にしておよそ30,000本。
単純に計算しても、54万リットルの水が酒造りのために使われることになる。
月の輪酒造ではすべての行程において、自前の井戸水を使っている。


 海に近い井戸水は、一般的に塩分が濃く「渋水」と呼ばれる。
だが月の輪酒造の井戸水には、こうした苦水特有の渋味や苦味がまったく含まれていない。
創業以来涸れたことのない井戸水は、請戸川の伏流水といわれているためだ。
井戸は、川の水圧と海の水圧が合わさる地点にぴったりと位置している。
海からの恵みとして、多くのミネラル分とクロール成分が多量に含まれている。
この2つの成分は、それぞれ発酵に与える別々の働きをもたらす。
ミネラル分は、酵母の発酵を旺盛にさせる。
クロール成分は酒米をほどよく溶かし、米の旨みを引き出す。



 この一帯の井戸水は、数メートル深さが違っただけで水質が異なる。
酒蔵の敷地内には、仕込み用として使われている井戸以外に、4つの井戸が残っている。
水質の異なる井戸を、上手に使い分けてきたためだ。
現在の仕込み水は、発酵が進みやすい硬水だ。
酒米を溶かすクロール成分が絶妙のバランスで含まれており、この水で仕込んだ酒は
独特のとろみを持ち、他にはない絶妙な触感(舌ざわり)を生み出す。

 
 6代目当主にあたる若女将は、生まれた時から酒蔵の跡取りになる道を歩んだ。
大学を出た彼女は、当時としては珍しい女性杜氏のひとりとなり、長年の稼業を支えた。


 「順調とは言えないが、女だてらに月の輪酒造の当主として彼女は頑張り続けた。
 だが東北3県を襲った3・11の激震と大津波は、150年余りの歴史を持つ酒蔵を根こそぎにした。
 なんとか蔵の形が有るうちはと、彼女は浪江町での再建を決意した。
 しかし10キロほど離れたところに建っている福島第一原発が、彼女にさらなる追い打ちをかけた。
 強制避難の指示が出て、月の輪酒造は、帰宅困難地区内の指定を受けた」



 「そんな状態の中からでも、月の輪酒造は復活をしたというのですか?」



 「避難生活から、一か月が経った頃のことだ。
 検査のため福島県試験場に預けておいた酵母が残っていると、彼女の元へ連絡が届いた。
 酵母は、酒造りの命だ。
 避難生活を続けながらも彼女は、再起のための道を探り始めた。
 色々な酒蔵をまわり、色々な人たちと繋がるなかで平成23年10月、山形県長井市にある
 『東洋酒造』が後継者がなくなり、今期で酒造りを断念するという話を聞き、蔵を見学に行った。
 自分が思い描く夢を実現できそうな酒蔵の造りと、『水』の良さが決め手になったそうだ。
 生まれ育った浪江町へ帰れるまでは、途方もない時間になる事は最初から理解しているが、
 それでも彼女は山形県の長井市でまた、「いわきの華」を作りはじめた」


 「るみが杜氏になりたいと言って憧れていた月の輪酒造が、復活をしていたなんて・・・
 凄いなぁ東北は。捨てたもんじゃありませんね、日本の酒蔵も」


 「馬鹿野郎、呑気な感想を口にして居る場合じゃないだろう。この薄らトンカチ。
 だからお前はノー天気すぎて駄目なんだ。
 いいかよく聞け。お前がいくら優しく接しても、それでるみちゃんの病気が治るわけじゃない。
 群馬で所帯を持ち、気長に療養に努めれば良くなるだろうなんて、甘く考えるな。
 お前のことだ。持ち前の優しさをフルに発揮すれば、そのうちになんとかなるだろうと
 甘く、呑気に考えているんだろう」


 「優しく接するだけでは、ダメなんですか?。
 だってそれ以外に接しようがないと思いますよ。るみの病気の場合は」


 「太一。何もわかっていないな、お前と言う男は。
 人が生きるということの意味を、もっと真正面からしっかり見つめろ。
 優しさだけでひとが生きていけたら、誰も苦労なんかしないさ。
 お前の言っている優しさは、何もしないでただ見つめているだけの優しさだ。
 そんなことなら赤の他人にでも出来る。
 もっと真正面から、生命(いのち)そのものを、しっかりと見つめろ。
 人が持っているもっとも尊いものが、いのちそのものだ」


 「命を見つめろ・・・ですか?」



(65)へつづく

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東京電力集金人 (63)お前、福島へ行け 

2014-08-25 10:44:51 | 現代小説
東京電力集金人 (63)お前、福島へ行け 




 「もしかしたら、俺にボランティアをやれという説教ですか?」


 アインベッガーと言う、わざわざドイツから輸入されたノンアルコールビールは、
麦芽とホップしか使っていないため、ちょっと苦めな味がする。
色と泡の具合は、ホントのビールと大差がない。だがアルコール度数は驚異といえる0%だ。
近くに売っていないため、慶介さんはわざわざ通信販売で手に入れている。


 「物足りなけりゃ、本物を頼んでやるぞ」と先輩が、俺の顔を横目で覗く。
アルコール度数がゼロのため、物足りなさは有るもののそれも業務中ではいた仕方がない。
渋い顔をして「大丈夫です」と言葉を返す。
「やっぱりな。おい、0,1%入りの極上品が有るだろう。それをこいつの出してやれ」
と先輩が、仕込み中の慶介さんを呼びつける。
当の本人はすでに2杯目となったビールの大ジョッキを、半分ほどまで飲み干している。


 「そうさ。人生を掛けて、ボランティアをやれと言う話だ。
 壮大なテーマだろう。超のんびりと人生を生きているお前さんにしてみたら」


 「ボランティアに人生を賭ける・・・それっていったい、どういう意味なのですか?」


 「ところでお前。もう、5月連休の予定は決めたのか?」


 「大型連休で不在が増えますから、集金効率が普段よりも落ちます。
 そんなもっともらしい理由も有って、うちでも、世間並みの10連休を予定しています」



 「豪勢だな。安月給取りのお前が10連休もするとは。
 ハウスが潰れちまって、毎日が休業状態の俺様から見れば屁みたいなものだがな。
 電気代もろくに払えない貧乏人どもが、一人前に5月連休を遊びまわるのかよ。
 そういう考え方と行動こそ、俺には信じられない話だ」


 「外車のベンツや国産高級車を乗り回しているのに、給食代を払わない親たちと同じです。
 金が無くて払えないのではなく、払いたくないから払わないんです。
 抗議の色合いも含めて、自宅集金に切り替える消費者たちも増えてきましたから」



 「まぁな。価値観てやつは、時代とともに姿を変えるからな。
 女子高校生が通学用に使っているリュックサックなんか、そのいい例だ。
 何が良いのか、みんな同じようにリュックサックを背負っていやがる。
 そのうえ尻の所までずり落ちるような、変な背負い方までしている。
 なんなんだ、あれは一体。
 俺たちの頃は黒かばんに、白い靴下と黒靴が女学生の定番だったと言うのに」


 「通学リュックと言うそうです。今時の女子校生の定番です。
 いまどきは、女子中学生だって通学カバンを、わざわざリュックサック風に背負っています。
 両手が自由になるから便利なんでしょ、きっと。
 そんなことよりも、5月連休に何をしろと命令したいのですか、先輩は」



 「るみちゃんを連れて、福島へ行け。
 場合によれば、2度と帰ってくるな。そういう覚悟でお前は福島へ行け」



 「え・・・・」先輩の提言に思わず俺は、目玉が飛び出すほどの衝撃を受けた。
まったく想定をしていなかった、突飛ともいえる先輩からの提案だ。
言われてみれば、今の時点ではまさに最適といえる考え方のひとつかもしれない。
るみの症状に、相変わらず改善の様子は見られない。
フラッシュバックに悩まされることは無くなったように見えるが、内面は分からない。
ときどき、優しい笑顔を見せてくれることも有るが、それも長い時間を続かない。



 曇ったままのるみの瞳を見るたびに、俺の心までなんだか同じように重くなってくる。
もやもやとした明日の見えない毎日、がいまだに続いている今日この頃だ。
そういう意味でいけばまさに先輩の提案は、実に的を得たタイムリーなものといえる。



 「浪江町にあった、月の輪酒造を知っているか?」


 「るみから聞いた覚えが有ります。
 杜氏をこころざしたるみが、高校を卒業してすぐに入社をした酒蔵です」


 「美人女将のひとりごと、というブログがネットに載っている。
 再建を危ぶまれたが、なんとか周りの援助を受けて再開にこぎつけたそうだ。
 被災地で酒を飲んでくれと言い続けるのには、相当な覚悟を必要とする。
 理不尽かなと、何度も思い悩んだそうだ。
 だが女将は、こんな時だからこそ元気よく立ち上がる必要があると考えたそうだ。
 実はこの群馬でも、月の輪酒造の試飲会が年に一回開かれる。
 震災の年の秋も、周囲の協力を受けて、この定例の試飲会が開かれた。
 壊滅的な打撃を受けたあとだから、試飲会に持ち込んできたのは、
 かろうじて生き残ったという、地元福島の酒ばかりだ。
 ある筋から呼ばれてこの試飲会に顔を出したが、やっぱり、どれも旨い酒だった。
 るみちゃんの原点がその美人女将ががんばっているという、月の輪酒造にあるはずだ。
 お前。2人で福島へ行けよ。
 あ・・・いまは福島県じゃないぞ。移転をして確か、山形県の長井市に有るはずだ。
 まぁいいや。どっちにしても同じ東北の地だ。
 るみちゃんを再開したばかりの、月の輪酒造へ連れて行け」



(64)へつづく


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東京電力集金人 (62)ボランティアとは

2014-08-24 11:51:23 | 現代小説
東京電力集金人 (62)ボランティアとは




 立ち話を聞き終えた先輩が、足音を立てないようにして女2人から遠ざかる。
(女房が結婚した直後、ホームシックを病んでいたというのは、初耳だ。
それだけの辛い気持ちが有ったからこそ、るみの本心をいつの間にか見抜いたのだろう。
俺もどうやら、若い2人のためにお節介を焼く必要が有りそうだ。どれ・・・)


 ハウスから20メートルほど離れたところで、先輩が胸のポケットから携帯を取り出す。
慣れた手つきで画面を操作し、記録してある俺の番号を呼び出す。
集金業務中の俺のところへ先輩から電話がかかってくるのは、きわめて珍しいことだ。



 「はい」と答えると、「今からすぐ、慶介の居酒屋へ来い」と命令口調が飛んできた。
「まだ業務中です。それに慶介さんのところは、5時から開店のはずですが?」
「3時を過ぎれば仕込みで店に居る。別にお前に呑ませるわけじゃないから急いで顔を出せ。
俺も今から慶介の店に飛んでいく」それだけを伝えると、先輩の携帯がプツリと切れた。



 何かしらの急用が発生すると先輩はいつでも、問答無用で俺を呼びつける。
実家に住んでいた時から、何度も全く同じ方法でこうして呼びだされた。
問答無用の頭ごなしは、毎度のことだ。
『思いついたことは、すぐに実行する』と言うのが先輩の口癖だ。
無視をするわけにもいかず、後半の集金は諦めて4時以降の予定をすべてキャンセルにした。



 こういう場合、請負の集金業務は気楽なものだ。
相手が在宅していての成果だから、いくらでもやりくり上の都合はつけられる。
「不在が多すぎて、後半は特に苦戦しました」と報告すれば、残った業務は翌日回しになる。
東電と言う巨大空母の足元では、けっこう、この程度のいい加減な業務報告が通用をする。
企業体質的に、どこか生ぬるいところが有ると言ってしまえば、それまでの話だが・・・


 15分ほどで、郊外にある慶介の居酒屋へ着いた。
中へ入ると先輩はすでにビールの生ジョッキを片手に、店主の慶介となごやかに談笑中だ。
俺の姿を見るなり、おう、と手をあげる。
「どうだ。お前も飲むか」と無理を承知で、アルコールの誘惑に誘う。
「業務中ですけど」と憮然と返事をすれば、「じゃあ、こいつにはノン・アルコルビール」と
と、いつものように軽く受け流す。



 「お前、ボランティアの起源のことを知っているか?。
 語源は、ラテン語のボランタール(自由・正義・勇気)からきている。
 広辞苑で引くと「志願者・篤志家・奉仕者」「自ら進んで社会事業などに参加する人」
 と有る。英和辞書では、「志願兵」「義勇兵」なんて書いてある」


 「人を呼びつけておいて、いきなりボランティアの話ですか?。
 こう見えても集金ノルマに追われて、忙しいんですよ俺。
 特に特別という用事がないのなら、仕事にもどりますよ俺は、先輩」


 「まぁまぁ、そう結論を急ぐな。大事な話はこれからだ。
 その前にどうしても、ボランティア精神と言うやつを理解してもらう必要がある。
 でそのボランティアの起源だが、こいつにはいくつかの説が有る。
 17世紀の中頃。イギリスの国内は混乱状態にあり、人々の生活は不安に満ちていた。
 自分達の村や町は自分達で守ろうと、自ら進んで自警団に参加する人達が現れた。
 その人たちのことをボランティアと呼んだ。
 こうした動きとは別に、18世紀後半から19世紀前半にかけてアメリカ合衆国の独立や、
 フランス革命、南アフリカ諸国の独立などに参加した義勇兵たちを、
 ボランティアと呼ぶようになった。
 どちらの説でも、自ら進んで活動する人たちのことを称してボランティアと呼ぶ。


 19世紀後半に、イギリスで産業革命が進んだことは知っているだろう。
 繁栄をする一方で不衛生で貧困な生活を送る人たちに対し、1869年にロンドンで、
 COS(Charity Organization Society)という民間の組織が誕生した。
 金品の施しよりも友人としてのかかわりに重きをおいた、友愛訪問活動の誕生だ。
 これをボランティア活動の始まりと見るのが一般的だ。
 この後、活動家たちは自らスラム地区に住み、人格的なふれあいを通じて、
 人々の厚生と、地域改良に取り組もうとするセツルメント活動が生まれた。
 こうした人々の思いと行動が、ボランティアの原型と言われている」



 「そういう点から見ると、日本のボランティア活動の歴史は、実に浅いですねぇ。
 6000人以上が死亡した1995年の阪神淡路大震災が、日本のボランティア元年と
 言われていますからねぇ」


 「その通りだ。俺のボランティア活動も阪神淡路の大震災から始まった。
 震災発生後、最初の1ヶ月は、1日あたり2万人。
 2ヶ月間で、延べ100万人以上のボランティアたちが阪神の被災地で活動をした。
 「何かしてあげたい」「何かしなくては」という熱い思いから、全国から人々が集まった。
 多くの人たちが、震災以前にボランティア活動をしたことがない人たちばかりだ。
 そのことから1995年を、日本の「ボランティア元年」と呼ぶようになった」


 底に残っていたビールを、ごくりと飲み干した先輩が、
「お替わり!」と大きく慶介さんに向かってグラスを振ったあと、ギョロリとした目で俺を振り返った。
「で。お前さんとの話の中身だが、もうだいたいおおかたの見当はついただろう」
どうだ、と言わんばかりに先輩が鋭い目で俺の顔を覗き込んできた。



(63)へつづく


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東京電力集金人 (61)2度と帰れない地

2014-08-23 10:58:39 | 現代小説
東京電力集金人 (61)2度と帰れない地




 「帰宅困難区域。住居制限区域。避難指示解除準備区域の違いが良く分からないのよ。
 ニュースでよく耳にする言葉だけど、何がどう違うのか、区別できないの。
 福島県の方には申し訳ないけど、県外に住んでいる人間にとっては、
 日常的に使う言葉ではないでしょ。どう受け止めればいいのか、混乱しています。
 少し理解を深めたいと思って口にしてしまいました。
 ごめんなさい。深い傷を負っているあなたには、すこし酷すぎる質問かしら?」


 ごめんなさいと謝っている割に、奥さんの眼には涼しい光が宿っている。
多くの苦労と困難を何度も乗り越えてきた自信が、奥さんの眼に涼しい色を与えている。
やんちゃな娘を3人も育てあげると、人生の達人のような顔になるのかしら・・・と、
るみが思わず、ほほ笑みを浮かべる。


 「避難指示というのは命令ではありません。でもよく使われる避難勧告よりは強い言葉です。
 避難指示が出ている区域のことを「避難指示区域」と呼びます。
 避難をしなくても罰則はありませんが、警戒区域に無断で入れば、こちらには罰則があります。
 警戒区域は災害による危険を防ぐために、許可を得た者以外の出入を禁止して、
 自由な出入りを法的に制限している区域のことです。
 3.11のような天災の場合でも、人災の場合にも、警戒区域は設定されます」



 「事故直後は、20キロ圏内が最初の警戒区域に指定されたでしょ。
 国道に検問が有って、そこから先へ一般人は入れなかったと主人から聞いています」



 「事故直後は、警戒区域と計画的避難区域の2つだけが指定されました。
 計画的避難区域に指定されてしまうと、一か月以内にそこから立ち退かなければなりません。
 住みつづけていると、放射線の年間積算線量(1年間に受ける放射線量の合計)が
 人が害を受ける20ミリシーベルトに達する恐れがあるからです。
 福島第一原発の原子炉が冷温停止状態になった状態を受けて、区域が見直されました。
 2012年4月から、現在の形に再編しています。
 避難指示に指定された区域をいまでは「帰宅困難区域」・「住居制限区域」
 「避難指示解除準備区域」という、3つに分けています」



 「帰宅困難区域というのは?」


 「特別な許可がなければ立ち入りすることができない、とても危険な地域のことです。
 まったくの立ち入り禁止区域です。国道には数ヵ所に検問所があります。
 放射線の年間積算線量は、いまだに50ミリシーベルトを超えています。
 事故から5年経っても、20ミリシーベルトを下回らない可能性がある地域です」


 「じゃ、住居制限区域というのは?」



 「その地域にも居住することはできません。許可がなければ泊まることもできません。
 お店を開いて商売することもできません。
 例外的に、復興作業に必要なガソリンスタンドなどは開くことができます。
 ただし住居制限区域は、特別な許可がなくとも自由に出はいりすることができます。
 自動車で通ることも、車から降りて歩くことも可能です。
 飯舘村はほとんどの人たちが避難していますが、村内を通っている国道を、
 いまでもたくさんの自動車が行き来しています。
 富岡町の富岡駅には、大勢の見学者が次々とやってきます。
 でも、こうした居住制限区域のお店は全部閉まっています。住んでいる人もいません。
 放射線の年間積算線量が、20~50ミリシーベルトにあたる地域のことです」


 「ということは避難指示解除準備区域になると、規制はもっとゆるやかなわけですね」



 「解除準備地域は、特別な許可がなくても入ることができます。
 特別な許可がなければ自宅などに泊まることはできませんが、会社やお店は開くことはできます。
 私がお世話になった月の輪酒造は、この避難指示解除準備区域にありますが、
 私の実家は、帰宅困難区域に指定されたままです」


 「政府は、福島の復興なくして日本の復興はないとあれほど言い続けてきたくせに、
 現実はいまだに、まったく改善をされていない状態ですか・・・
 あなたの家は、帰宅困難区域の中にあるのですか。
 それでもあなたは、生まれ育ったその家に帰りたいと思っているんでしょ、
 実際のところは?」



 「え・・・」るみが、思わず固まる。
「私が、故郷へ懐かしい思いを込めて、鳴神山の山頂から房総方面を見つめていた時と、
まったく同じ目をして、あなたは北の故郷の空を眺めていたもの。
あなたは、群馬に骨をうずめる女性じゃないと思うわね。おそらく、きっと・・・」
驚いているるみを見つめて、「あなたは間違いなく、福島へ帰るべき女性のひとりだわ」
と奥さんが、優しくるみの肩を抱き寄せる。



(62)へつづく


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東京電力集金人 (60)SPEEDIの事実は、公表されなかった

2014-08-22 11:00:46 | 現代小説
東京電力集金人 (60)SPEEDIの事実は、公表されなかった




 町職員が支所を出発する数時間前の15日、早朝のこと。
30キロ余り離れている福島第一原発で衝撃音が発生した。4号機建屋の損傷だ。
高濃度の放射性物質が建屋から漏れたというデータが、即時に原発敷地の境界で観測された。
だが防護服を着ていた町の職員たちに、この放射能飛散の事実は知らされていない。


 この日の夜、浪江町津島地区の赤宇木で、高い放射線量が測定されている。
だがこれもまた同じように、町の職員や住民にはまったく知らされていない。
政府と対策本部内において、こうした異常な数値の評価や公表の仕方などの役割分担が、
まだまったく決められていなかったためである。
町長の馬場有氏(63)は3月の下旬になってから、こうした事実を初めて知ることになる。
町内の各地で高い放射線量が、相次いで測定されていたことに強い衝撃を受ける。



 政府が事実を明らかにしたのは、多くの住民が避難先として指定された津島地区を去り、
二本松市東和地区などへ避難をおえた後のことだ。
「車を使ったモニタリングで、浪江町の東部や津島地区で大変な数値が出ている」
最初に明らかにされたのは、民間大学の研究者のものだった。
「政府には、モニタリングデータを速やかに公表しようとする姿勢が当初から欠けている。
公表する場合も、一部を断片的に示しただけだ」と、明言している。
政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)は、2012年12月にまとめた中間報告で、
あらためて、こうした政府の姿勢を問題視している。


 国や県、東電からの情報の遅れは、避難に直面した市町村の住民たちをいたずらに混乱させた。
食い止められたはずの被爆の被害を、さらに拡大させた責任はきわめて大きいと言える。


 政府には、原発が事故をおこした際に稼働する緊急時の迅速放射能影響予測機がある。
通称「SPEEDI」と呼ばれる、緊急用のネットワークシステムだ。
SPEEDIには、全国の原子力施設の炉型や、周辺地形などのデータがすべて組み込まれている。
原発事故が発生し、放射性物質が放出されると、気象庁が使っているアメダスと連動して、
いちはやく風向や風速、気温などから放射性物質の拡散を計算して図形化する。
最大で79時間後までの飛散を、確実に予測する能力を持っている。


 SPEEDIは、事故直後の3月11日の17時から動き始めている。
だが最初に拡散予測図が公表されたのは事故から12日後の、3月23日になってからだ。
その後、4月11日に2枚目の拡散記録が公表された。
高機能を誇るネットワークシステムが、まったく本来の役割を発揮していないことになる。
だがこれには実は、秘密が隠されている。

 東京電力は地震発生翌日の3月12日に、1号機と3号機内で炉内の圧力を下げるため、
放射能を帯びた水蒸気などを建屋外に放出する「ベント作業」に踏み切った。
13日には2号機でも、ベント作業を実施している。
さらに15日にはフィルターを通さない緊急措置である「ドライベント」も行なっている。
このタイミングで、大量の放射性物質が概に福島の空に飛散をしている。



 モニタリングのデータも、そうした事実をはっきりと証明している。
だが当時の民主党政権・枝野幸男官房長官は、こうした福島の1号機のベント作業の直後に、
「水蒸気の放出は、ただちに健康に影響を及ぼすものではない」(12日)と発言している。
20km圏内に出ていた避難指示を、この時点ではまったく変更していない。。
関係者の証言によれば、この時点で枝野氏はSPEEDIのデータを既に知っていた。



 それを裏づける重大な証言が飛び出した。
SPEEDIを担当している文科省科学技術・学術政策局内部からの証言だ。
「官邸内の幹部から、SPEEDIの情報は絶対に公表するなと命じられていた。
さらに2号機でベントが行なわれた翌日(16日)には、官邸側からの指示でSPEEDIの担当が
文科省から、内閣府の原子力安全委に移されてしまった」


 名指しされた官邸幹部は「そうした事実はない」と大慌てで否定をしている。
だが政府が先頭に立って、こうした“口止め”工作をした疑いは強い。
おおくの関連自治体も、同様の証言をしているからだ。



 システム通り福島県庁にも、SPEEDIによる飛散の試算図は爆発の当初から送られてきた。
だが県は、周辺の市町村や住民に一切警報を出していない。
その理由を福島県災害対策本部原子力班は、以下のように説明をした。
「原子力安全委が公表するかどうか判断するので、県が勝手に試算図を公表してはならないと
強い口調で、釘を刺されました」と証言している。


 福島県は、玄葉光一郎・国家戦略相や、渡部恒三・民主党最高顧問という
菅政権を支える幹部たちの出身地だ。
玄葉氏は、原子力行政を推進する立場の科学技術政策担当相を兼務している。
長老の渡部氏は自民党議員の時代に、福島へ原発を誘致するために熱心に関わった政治家だ。


 これらの経緯は、今後においても国会などで徹底的に解明されなければならない。
「政府が情報をひた隠しにしたために、おおくの国民を被曝させた」となれば、事態は重大だ。
チェルノブイリ事故を隠して大量の被曝者を出した、旧ソビエト政府と全く同じ歴史的大罪にあたる。
その後も「安全だ」と何度も繰り返し言い続けた経緯のことを考えると、
どうやら動機は「政府の初動ミスを隠すため」だった、と考えるのが妥当かもしれない。

 
 

(61)へつづく


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