落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (59)知らされなかった、放射能漏れ

2014-08-21 10:20:12 | 現代小説
東京電力集金人 (59)知らされなかった、放射能漏れ




 「一夜明けた請戸地区の状態は、ひどいものでした。
 道路にまで押し流された漁船。津波火災でくすぶっている街並み。一面に散乱している瓦礫。
 ひっくり返った大量の自動車。建物の屋根に乗り上げている小舟。
 見慣れたいつもの港の様子が、たった一夜で激変しています。
 あまりにもひどい港の様子に声も出ませんでした」


 「そうよねぇ。テレビで被災地の惨状が映し出される度に、胸が痛んだもの。
 あなたは、あの震災の真っただ中に居たのね。道理で心が痛むはずよねぇ・・・・
 3.11が近づいて津波の映像が流されるたびに、私だって、あの日のことを思い出してしまうもの」


 「ガソリンは満タンにしてあったので、かろうじて夜の寒さをしのげました。
 でも、つけっぱなしにしたラジオからは、信じられない情報ばかりが飛び込んできます。
 『陸前高田市は壊滅・・・』『仙台市若林区で、二、三百体の犠牲者・・・』
 耳をおおいたくなるようなニュースばかりが、私の耳に飛び込んで来ます。
 雪がちらついて、余震が何度もやって来て、眠れないままの夜がようやく明けました。
 とにかく家へ戻ろうと、陥没した路面を避けながら車で家に向かいました。
 浪江町は揺れの直後から、全面的な停電と断水に襲われています。
 交差点で交通整理に当たっているお巡りさんが、白い防護服を着込んでいることに
 なんだか違和感を覚えました。
 福島原発がメルトダウンしたことは、まだ誰にも知らされていないのですから」



 「え?。翌日の段階からもう、警察官たちは防護服を着ていたのですか?」


 「はい。はっきりと警察官の防護服姿を見ています。
 震災の翌日、12日から、一部住民の避難が始まりました。
 国が福島第一原発から10キロ圏内に、避難指示を出したためです。
 原発から北西に25キロほど離れている浪江町の、津島地区へ避難することが決まりました。
 役場の機能も、29キロあまり離れた津島支所へ移されました。
 私も家族とともに3月12日から4日間にわたり、津島で避難生活を送りました。
 山間の津島地区へ向かう道路は、終日、避難するひとたちの車で渋滞を繰り返します。
 この時も私たちは、福島第一原発が放射能漏れを起こしていることをまったく知りません。
 固定電話は一切使用できず、無線もありません。
 利用可能な通信手段といえば、時折つながる携帯電話だけでしたから」


 「14日に福島第一原発の3号機が水素爆発をおこすまで、国と東電は、
 ひたすら放射能情報を隠ぺいし続けた事実が有るものね。
 米軍は震災の直後から、福島からの撤退を始めていたそうです。
 原発の100キロ圏内には絶対に近づくなと指示を出し、福島はもう駄目だと、
 事故直後からはっきりと宣言をしています。
 おおくの外国人たちが、帰国をはじめたのもちょうどこの頃からのことです。
 福島県民だけでなく日本中の人たちが、放射能漏れの事実を知らされずに居たのです。
 事実をひたかくしにした国と東電の迷走ぶりは、目に余ります。
 事実が明らかにされるたびに激しく腹が立ったことを、昨日のように覚えています」



 「支援に入った警察官や自衛隊の皆さんは、放射能漏れの事実を知っていたと思います。
 津島小や、津島中の体育館の中で、防護服を着ていると町民たちが不安になるから
 脱いでくれと、町の幹部が警察官に頼んでいるのを見たことが有ります。
 わたしたちは、まったくの無防備のままの普段着です。
 すぐ帰れるだろうということで着のみ着のままで避難し、町の職員たちも
 普段の仕事着のままで、おおくの対応に追われています。
 地域の消防団員たちも法被姿のまま、押し寄せてくる人たちの交通整理に当たっています。
 放射性物質や放射線に対して、わたしたちはまったく無防備といえる状態でした」



 町役場庁舎には、非常時にそなえて放射線量測定器が1台だけ用意されていた。
慌ただしさが続く中、この機械を津島へ持ち出すことはなかった。
「住民のおおくが不安に感じている。脱いでもらえないだろうか」、そう警察官に
詰め寄ったのは、浪江町の議長、吉田数博氏(65)だ。
避難した住民があふれている津島地区で、活動中の警察官たちに強く申し入れた。


 警察官たちだけがこの時、防護服を身に着けていた。
普段着のまま避難してきた町民や町職員の身なりとの違いは、誰が見ても一目瞭然だ。
吉田氏は、そののちに二本松市で開かれた国会の原発事故調査委員会(国会事故調)の中で
防護服姿で活動する警察官に多くの町民が抱いたという違和感について説明し、
町民が放射性物質の情報から隔絶されていたという現実を、強く訴えている。



 町が津島支所に運んだ防護服は、県から配られていた原子力防災用の常備品の1つだ。
口や鼻を覆うマスクなども一緒に配備されている。
県は県関係者の使用分として約1000着の他に、東京電力福島第1、福島第二の各原発から
10キロ圏にある広野、楢葉、富岡、大熊、双葉、浪江の6町に、各150着の防護服を
を配っている。
双葉地方広域市町村圏消防本部には約300着。県警本部に約150着。
双葉署には、約600着が有事に備えて配られている。


 これらは毎年の原子力防災訓練で、参加者たちが身に着ける。
使い捨てで足りなくなった分を毎年、県はその都度、補充をしている。
浪江町の役場職員が防護服を初めて着たのは、全町民による町外への避難が
本格的に始まった、3月15日の午後からのことだ。

 「町の中心部に、まだ町民が残っている可能性がある」。
そんな情報が入り、町の職員は自衛隊員たちとともに津島支所を出発することになった。
だが、町の職員たちは支所に到着した自衛隊員たちのいでたちに驚いた。
「ずいぶん大げさな格好だな」。
自衛隊員たちは防護服に加え、顔全体を覆う全面マスクまでしっかりと着用している。
手にはそれぞれ、放射線量の測定器まで持っていたからだ。



 「そんなに恐ろしい状況なのか・・・」。
町職員たちは実感が湧かないまま、自衛隊員に促されて防護服をまとった。
セットになっているゴーグルと、鼻と口を覆うマスクも着用した。
ただ自衛隊員と同じようなタイプの全面マスクだけは、まだこのときには
支所に用意されていなかった。



(60)へつづく


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東京電力集金人 (58)こころの痛手

2014-08-20 09:53:24 | 現代小説
東京電力集金人 (58)こころの痛手




 「思春期になると、異性を好きになる感情が芽生えるわ。
 いろんな風に恋をして、いろいろなことを経験するのも大切だけど、
 人生にはもっと大切なことが有るの。
 心の痛手を乗り越えるための、勇気を学ぶことが大切です。
 そのためには、こころが折れそうなほどのひどい失恋を経験することが必要になるわ。
 どう。有るんでしょう、あなたには。
 あなたの心を踏みにじってしまった、ひどい男の苦い思い出が。
 それからもうひとつ。あなたのこころの中には、忘れられない3.11の惨状が有る。
 そのふたつが、いまでもあなたのこころを深く傷つけているはずです。
 どう。図星でしょ」


 先輩の奥さんが、真正面からるみの瞳を覗き込む。
「たぶん、太一じゃあなたには物足りないわね。草食系過ぎるから」
うふふそれもまた図星でしょと、さらに奥さんがるみの瞳を覗き込む。
「そんなことはありません。太一は・・・」と言いかけて、るみがあとの言葉をふと、
呑み込んでしまう。


 「主人がね。ボランティアから無事に戻ってくるたび、あたしはほっとするの。
 被災地や災害地の人たちの心理は、異常なほど繊細すぎるもの。
 生きるか死ぬかを経験した人たちから見れば、ボランティアは希望の光になると思う。
 普通に恋をして、被災地で結ばれるカップルも誕生するけど、
 それとは逆に、感情に流されて、道ならぬ恋に発展するケースもたくさんあるはずです。
 一番多いのが、妻帯者に独身女性が入れ込んでしまう不倫という恋愛。
 妻帯者であることを隠している男性にも、もちろん大きな罪が有ります。
 だからといって、妻帯者であるかどうかを確認してから、恋愛が始まるわけじゃないもの。
 独身者同士だけが、恋愛をするわけでもないし。
 この世に男と女が居る限り、いろんなケースで、悲喜こもごもの恋愛がはじまるわ。
 あなたにも実は、他人には言えないそんな経験が有るんでしょ?
 白状してしまいなさい。あたしが楽にしてあげるから」


 自信たっぷりの眼が、さらに追い打ちをかけるようにるみの瞳を覗き込む。



 「娘を3人も育てあげたのよ。
 主人には到底いえない、女同士だけの内緒の話がたくさんあるの。
 3も人いればそれぞれに性格が違うように、恋愛パターンもさまざまです。
 長女は堅実だったのに、次女と三女ときたらやたらと妻子持ちばかり好きになるし、
 しまいにはシングルマザーでもいいから、あの人の子供が産みたいなんて騒ぎ始める始末です。
 いい加減にしなさいとたしなめて、淑女のふりをさせて2人とも無事に嫁に行かせたわ。
 母親と娘の関係なんてそんなものよ。あなた、お母さんは?」


 「母は、津波にのまれて亡くなりました。
 いま避難先に残っているのは、年老いた祖母と父。兄の3人だけです」


 「ということは、ほかにも、家族の中に亡くなった方が居るの?」



 「母の車に乗っていた姉も、避難する途中で追いかけてきた津波にのまれてしまいました。
 成人式のための衣装の、打ち合わせの帰り道だったそうです」


 「そう。ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまったわねぇ」

 「いいんです。口にすることで少しずつ忘れていくことが出来ますから」


 「あなたも、3.11の津波を体験しているの?」



 「私が勤めていた月の輪酒造は、海岸から1キロほどのところに建っています。
 強い揺れのため、酒蔵の内部や壁のほとんどが崩れ落ちました。
 津波がやってくるから危ないということで、いそいで後方の高台に避難しました。
 浪江町の揺れは、震度6強。港を襲った津波は、15,5メートル。
 避難をしていた高台から、漁港のある請戸(うけど)の地区が、
 見る間に津波にのまれていく姿を目撃しました。
 あっという間に盛り上がった海が、防波堤を軽々と越えて、港の中に押し寄せてきました。
 瓦礫を呑み込む前の津波は神々しいほど、青々としていてとても美しい色をしています。
 不謹慎ですが、思わず「美しい」と、つぶやいてしまいました。
 でも上陸してあっというまに濁流に変わっていく様子に、我を忘れました。
 津波の持っている、破壊力のすさまじさに圧倒されてしまいました。
 駐車場に停まっていた車は濁流に呑まれ、建物は大きな音を立てて倒壊をしていきます。
 ほんの5分足らずで、港に面していた請戸地区が濁流の底に消えてしまいました。
 浪江町の中で最大の犠牲者が出たのが、私が目の当たりにした漁港に面した請戸地区です。
 140人の方が亡くなり、10人がいまだに行方不明です」


 「メルトダウンをした福島第一原発も、すごく近い場所にあるんですって。浪江町の」


 「請戸港から南へ七キロ。
 そこに毎日、東京電力福島第一原子力発電所の排気搭と建屋が見えます。
 でもこの日、原子炉がメルトダウンして放射能が漏れだしたことを、私たちは知りません。
 翌日になって警備に当たる警察官が、みんな同じように、白い防護服を着ていることに、
 違和感を覚えたことを、今でも鮮明に覚えています」


 浪江町は東日本大震災から一夜明けた3月12日午後、
役場の機能を町の中心部から、西へ約20キロ離れた町津島支所に移している。
町の職員がとっさの判断で、役場の倉庫から支所へ運び込んだ物品があった。
不織布製の白い防護服、およそ150着だ。
繊維を織らずに結合させた素材を使い、放射性物質が体に付着するのを抑える役割を
果たすという、災害用に限定された衣服だ。



 多くの町民が津島地区に避難していた数日間、この防護服が使われることはなかった。
町職員は「町内の放射線量が高いことを、国や県からまったく知らされていなかった」と
あの日のことを振り返り、悔しそうにいまでも唇を噛む。


(59)へつづく


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東京電力集金人 (57)女たちのおしゃべり

2014-08-19 09:26:52 | 現代小説
東京電力集金人 (57)女たちのおしゃべり



 
 先輩がすぐ近くにいるとも知らず、女たちのおしゃべりはさらに続く。
おんなたちは場所を選ばずに、一般的に立ち話をすることが大好きだ。
そこが街中の歩道の上だろうが、スーパーで買い物の途中の通路だろうが、お構いなしに
馴染みの顔を見つけるといきなり立ち止まり、「ごきげんよう」と会話が始まる


 人ごみの中で、いきなり女たちが立ち止まっておしゃべりをはじめることに特別な意味はない。
ただおしゃべりしたいからからだけのことだ。そのために、衝動的に立ち止まる。
男には到底理解することのできない、女性だけが生まれた時から持っている習性だ。



 男の脳は理屈っぽく物事を考える。だが女の脳は物事の解決を好まない。
女は、ひたすら問題点をくどくどと語る事と、そんな風に無駄な時間を過ごすことが大好きだ。
女のとにかくおしゃべりがしたいという習性を示す、こんな逸話がある。


女『車のエンジンがかからないの…』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』


女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。で、どう?ライトは点く?』


女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかったなぁ。』
男『…ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけど、このままじゃ困ちゃう。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くのかな?』


女『え?ごめんよく聞こえなかったけど』
男『あ、えーと、、ライトは点くのかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』

男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でも、バッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかして、ちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるのさ?』
男『だから怒ってないです』


女『あたし何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
男『大丈夫だから。怒ってないから。大丈夫、大丈夫だから』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそうそう、車の話だった』




 女という生き物は、無駄なおしゃべりが大好きだということを証明したかっただけの事だ。
「ひとつ聞いてもいい?」という奥さんの問いかけに、るみが「はい」と素直にうなずいてみせる。
女同士の会話は、弾みがついてくると終着点が見えなくなってくる。
(長くなりそうだな・・・)腹を決めた先輩が2人に背を向け、物陰にそっと腰を下ろす。
奥さんの長いおしゃべりは、先輩の家ではよく有る日常すぎる光景だ。


 「私が育ったのは房総半島の突端に近い町です。
 毎日それこそ、飽きるほど海を見ながら育ったわ。
 それがねえ、主人と所帯を持ったとたんに、海なし県のど真ん中に引っ越しでしょ。
 正直、環境の違い過ぎに焦ったわよ、最初のうちは。
 北を見れば、これでもかとばかりに、デンと赤城山がそびえているし。
 東西南北のうちの3方向に、2000メートルを超える山々が毎日見え隠れするんだもの。
 見慣れた海の景色が無いということは、毎日の当たり前が奪われたのと同じことです。
 でもね。可笑しなものですね人間なんて、住めば都でそのうちに慣れてきました。
 最初のうちは鳴神山の山頂から眺める海の景色が恋しかったけど、
 そのうちに少しづつ馴染んできました。
 周囲を取り囲んでいる山々の名前がわかってくると、なんだか愛しい存在になるの。
 11月の半ばを過ぎると富士山によく似た形の浅間山が、1番先に真っ白に雪化粧するの。
 群馬に本格的な冬がやってくるぞという、大自然からの合図です。
 四季それぞれの山の景色に見慣れてくると、それなりに心も落ち着いてくるから不思議です」


 「あのう・・・私に何か、質問が有ったのでは・・・」


 「そうそう。そちらのほうが本題だったわね。
 もう恋なんか絶対にしたくない。本気であなたはそんな風に考えたことが有りますか?。
 心がぽっきりと音をたてて折れそうな失恋を、経験したことがあなたには有るかしら?」


 「え・・・」先輩の奥さんから飛び出してきた想定外の質問に、
るみの眼が、いきなり点にかわってしまいます。



(58)へつづく


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東京電力集金人 (56)はるかなる、北の空

2014-08-10 13:32:42 | 現代小説
東京電力集金人 (56)はるかなる、北の空



 「あの子ねぇ。ときどき、寂しそうな眼をして北の空を見ているのよ。
 もしかしたらあの子は、生まれ育った浪江町に帰りたいんじゃないかしら」


 奥さんの春江さんが先輩に耳打ちしたのは、つい数日前のことだ。
作業の手を休め、北の空を見上げているるみの様子は、先輩もたびたび目撃をしている。
寂しそうな眼をしていたかどうかは確認できなかったが、どことなく元気がない。
たしかに物思いには沈んでいる・・・先輩の眼にも、そんな風にるみの姿が映っていた。



 潰れたハウスから目を北へ転じると、青々とした赤城山がいきなり視界に飛び込んでくる。
南と西に長い山裾を引く赤城山の姿は、昔から群馬のシンボルとして親しまれている。
その昔、侠客の国定忠治は、悪代官を切り捨ててこの山の中に逃げ込んだ。
「赤城の山も今宵限り、可愛い子分のお前たちとも別れ別れになる定めだぁ・・・」
と発した有名なセリフは、この山の中腹から生まれたものだ。
また落城寸前の江戸幕府は大政奉還の直前に、巨額な埋蔵金をこの山のどこかに、
ひそかに運び込んだという伝説も、まことしやかに残っている。
江戸から荷物を積んだ船が、大河の利根川を源流に向かってさかのぼってきたとき、
この先で流れが一気に急流にかわることから、赤城の埋蔵金伝説が産まれている。


 東京から北関東へ戻ってくるとき、関東平野の奥端に位置しているこの赤城山は、
両翼をおおきく広げて、まるで帰ってくる群馬県民たちを「お帰り」と言うかのように、
懐かしい姿で出迎えてくれる。


 関東平野の北端にそびえる赤城山は、北日本に連なっていく山塊群の起点にもあたる。
赤城山を北に越えれば、広大な高原湿地で知られる尾瀬ヶ原にたどり着く。
東へ目を転じれば豪雪のため、冬の間は閉ざされてしまう最大標高2024メートルの
地点を走る金精峠の山並みが見える。
金精峠は、栃木県日光市と群馬県利根郡片品村の県境に位置する峠だ。
毎年。年末のクリスマスの日から、5月連休直前の4月25日の正午まで、
雪のために、半年近くも閉ざされてしまう珍しい国道だ。



 「日本ロマンチック街道」の一部をなす金精峠には、2000メートルを超える峰々が連なる。
里に桜が咲いても山々には、白い雪がたっぷりと積もったまま残っている。
後方に福島の山々が控えているのだが、残雪を載せた2000メートル級の山並みに阻まれて、
残念ながら、此処からは確認することが出来ない。
そんな悔しさも含めて、るみの眼には、淋しさが浮かんでいるのかもしれない・・・
(なんだか、そんな気もするなぁ)とぽつりと先輩がつぶやいたとき、
仲良く並んで北の方角を見上げているるみと、奥さんの姿が飛び込んできた。


 「左に見える背の高い山が、群馬の皇海山(すかいさん)。
 そのとなりが康申山で、中央にポツンと突き出している白い雪の高峰が、日光白根山。
 面白いことに群馬には、ふたつの白根山が有るの。
 東の県境にそびえているのが、標高2,578メートルをほこる成層火山の日光白根山。
 成層と言うのは、火山活動で降り積もった堆積物で、円錐形になった火山の事です。
 もうひとつは草津温泉の奥で、長野との県境に有る、草津白根山。
 こちらはエメラルド色の火口湖を持っていることで、みなさんに良く知られています。
 あなたの故郷、福島の山並みは残念ながら、ここからは見えませんねぇ」


 寄り添うように立った奥さんが、右手をかざして、北関東のパノラマを指さします。
平坦地が途絶えるこのあたりからは、視界の3方向に、数多くの高峰を望むことができる。
ゆいいつ東には、栃木や茨城に向かう関東平野の平坦地が続いている。
そのため、東の方向だけは比較的緩やかな山塊が立ち並ぶ。
ポンとひとつだけ抜きん出た三角形の高山が、桐生市の奥にそびえている鳴神山(なるかみやま)だ。
北部や西部に見える2000メートル級の山々から比べれば、はるかに見劣りがする。
だが平野部で最初に出会う1000メートル近い山頂からは、晴れた日ならば、
関東平野のすべてを簡単に眺望することができる。



 「主人に連れられて、鳴神山の頂上までハイキングしたことが有るの。
 驚いたわよ。東京の都心はもちろん、はるかに、あたしの千葉まで眺望できるんだもの。
 関東平野は日本で一番の広さを持っていると学校で習ったけど、眼下にすべての景色を
 はっきりとのぞむと、背中に、なんともいえない快感が走るわよ。
 それからかな・・・暇さえあれば、近くの山を2人で登りはじめたのは」


 「いいですねぇ、夫婦で共通の趣味が有るなんて。うらやましいかぎりの話です」


 「うふふ。それほど現実は甘く有りません。
 子供が出来るまでの旦那さんとの、短い蜜月(ハネムーン)です。
 あなたが産まれたのは、ここからはるか北に離れた福島の地。
 私が産まれたのは、正反対の真南。それも房総半島の最南端に近い町。
 そんな2人が、ここでこうして出会うことになるなんて、人の生き方なんてわかんないものね。
 ねぇ。ひとつだけあなたに聞いてもいいかしら?」
 

(57)へつづく


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東京電力集金人 (55)るみの道ならぬ恋

2014-08-09 12:41:06 | 現代小説
東京電力集金人 (55)るみの道ならぬ恋



 (震災ボランティアとの、道ならぬ恋か・・・
20歳を過ぎたばかりのあの子に、そんな過去が有ったとは、な。)
3時を過ぎた頃、先輩が、撤去作業で汗を流しているはずのるみの姿を探しはじめる。
5反の畑をそっくり覆っているビニールハウスは、奥行きが、50メートル以上もある。


 ボランティア活動のおかげで、ハウスの屋根を覆っていたビニールシートは
綺麗に剥がされ、概に撤去が終わっている。
残っているのは、恐竜の骨格のように連なる巨大なパイプの骨組みだけだ。
(5反あると、やっぱり撤去には多大な時間と労力がかかる。
素人集団とはいえ、2度にわたるボランティアのおかげで、なんとかここまで片付いた。
だがいつまでも、チームの厚意に甘えているわけにもいかないだろう。
俺と女房の2人では埒が明かないが、それでも亀のように、辛抱強く頑張るしかないだろう。
あ・・・るみちゃんも居たか。病人とはいえ、それなりに頑張っているもんな)


 それにしても様子が見えないが、と先輩が、ハウスの奥へ向かう。
すっかりしおれてしまったトマトの苗が、まだあちこちに赤い実をつけたまま、
幾重にも足元に折り重なり、横たわっている。
水を極限まで減らし、過酷な条件下で育てているトマトの苗は、あれから2ヶ月近くが
経つというのに、いまだに枯れ果てず、最後の力を振り絞って青い実を育てている。



 (まったく凄いよな、こいつらの生命力ときたら・・・)


 トマトは何年も同じ場所で作り続けていると、やがて連作の障害が発生する。
それを防ぐために、農家は毎年、土造りに精を出す。
収穫の終ったトマトの木を農薬で枯らしたあと、幹から水分が消えた頃を見計らい、、
表に運びだして火で焼却処分をする。
だが、真夏に行うこのハウス内の片付け作業は、過酷をきわめる重労働だ。


 先輩のハウスでは、生産の終ったトマトの木をトラクターで土にカチ込む。
カチ込むと言うのは、畑の土の中へトマトの木を生きたまま強引に耕してしまうことだ。
土に還したほうがトマトの木も栄養分になる。一種の有機農法だ。
さらに耕した後のハウス全体に水をはる。ハウスの中は、まるで水田ような状態になる。
満たした水の上にビニールを張り、ハウス全体を締め切って、高温のままで土壌消毒を図る。

 「トマトの畑に水を張るのは、熱を土の底の方まで伝えて行くというのが狙いだ。
表面は70℃くらいまで上がるが、夜になると少しずつ温度は下がっていく。
だが水がある事で、熱が下がり難くなるから、殺菌効果は高まったままになる。
水がある事で、余分な肥料分を洗い流す効果もある。
田んぼには連作障害が無いだろう?。それと同じことさ。」と先輩が笑う。



 太陽熱消毒というこの方法を、先輩は、真夏に一ヵ月間かけて行う。
その後にかぶせたビニールを剥がし、畝作りをして、9~11月頃までほうれん草を生産する。
トマトを植えるまでの間、ハウス内であえてほうれん草を植えて育てる。
これには実は、農法上の重要な意味が含まれている。

 「ほうれん草の好きな肥料と、トマトの好きな肥料は、まったく別のものだ。
 ほうれん草は、トマトが吸い残した肥料を吸ってくれる効果がある。
 ほうれん草を作る時は、新しい肥料は一切入れない。あくまでもトマトの残肥のみで育てる。
 メインはトマトだから、出来るだけ余分な肥料を少なくして、
 次のトマト栽培に繋いでいく。という考え方だ。」



 周囲には見えないが、こうした様々な下準備と努力を経て先輩のフルーツトマトは育つ。
だがそうした努力が、今回は大雪のために、すべてが水の泡と消えた。
(トマトは何回作っても、作るたびに一年生だ。気候も違えば、出来具合も微妙に異なる。
大雪でハウスが潰れたということは、一度くらいの成功で満足をせず、
また新しい農法を考え出せと言うことなんだろうな。おそらく・・・)と
先輩が苦笑いを見せる。


 ようやく強気を取り戻した先輩が、るみの病状をなにかと気にかけてくれている。
おふくろから、るみの、道ならぬ恋の一件を聞いたためだろう。
先輩は、阪神淡路の大震災発生の時から、時間が許す限りボランティアに飛び回っている。
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、日本のボランティア元年と呼ばれている。


 「ボランティア活動は、恋愛にも似ているんだ。」と語り始めるのが、先輩の口癖だ。
「まず。好きだという気持ちがなによりも重要だからな!」とかならず、口にする。



 「恋愛においては言うに及ばず、ボランティア活動も『好きだから』という想いが、
 行動のための、もっとも重要なエネルギー源になる。
 偶然の出会いから、徐々に想いが高まってくるということも同じだな。
 自分自身の特定の好みや、テーマによって、対象を選ぶことも可能だ。
 ボランティア活動は二股をしてもOKだが、恋愛においての二股は絶対のタブーだ。
 活動をする、しないを決めるのも自分自身だし、続けていくのもまた自分自身の考えだ。
 楽もあれば苦もある。さまざまな苦難を仲間やパートナーと、共に乗り越えたときの
 充実感にはすばらしいものがある。
 だから俺は、災害の度にボランティアに行くんだ」


 3年前の3.11の東日本大震災の時も、昨年発生した伊豆大島の土石流災害の時も、
先輩はハウスの仕事を奥さんに託し、本人はいち早く被災地へ飛んでいる。
いわゆる「被災地専門ボランティア」として顔も知られ、全国の仲間と情報を共有している。


 それだけに、るみがボランティアと道ならぬ恋に落ちたという話は、ショックなのだろう。
いや。ボランティアが妻子持ちだということは、のちになってから判明したことだから、
この時点では、ただ純粋に恋愛感情が燃えたという可能性もある。
それでも正義感が強い先輩の眼から見れば、これは絶対に許されないという事態なのだろう。
なにかにつけて、るみを見つめる先輩の目が優しくなったのには、実は
そんな、隠された先輩のボランティア特有の想いが有る・・・


(56)へつづく


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