いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

絢爛な秋色に染まる②

2008年11月07日 | SO-Color

 故宮、紫禁城、万里の長城、天壇公園、上海、杭州など、その他もう名前を思い出したいが浮かばないことがあると思えるくらい以前、私も母を囲んで都合のつく三姉妹で旅行したことがありました。まだ母も丈夫で、父が亡くなってから間もなくの感傷・慰安旅行でした。
 YGさんも、私が以前旅行した所に行かれたようなので、次のアップが楽しみ!!
 あやとりのように、互いに交歓しながらブログアップしましょうよ!と彼女とお話しています。



 さて、ここは日本、栃木、日光東照宮となります。拝見すると中国の建造物を思い出します。しかし中国は規模が国土に比例してなんでも大きい!日本の良い所は狭い国土で、規模は小さくても細かく丁寧な仕事をしていると、中国旅行とを思い合わせながら仰ぎ見たのでした。
 
  
 
 凄いなぁ、確かに中国の真似から始まったのかも知れないが、手先の細やかさは大変なことですよ!と舌を巻いた。中国では9面の龍の姿を彫った、ちょうどこれに良く似た壁がありました。中国では“9”という数字は、数字の中の王様、これより大きな数字はないから、尊ばれていると説明を受けたことを思い出していました!
           
            
  早起きの出発だから、まだ午前中。薄曇が撮影にはちょうどいいというのだが、陽射しが照りかえって光と影が画像をうまく捉えてくれないで真っ暗か明るすぎという対比が激しい写真ですが、今回はこの6人の顔ぶれです。
  
 神馬の厩舎の外壁、欄間に「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫り物があります。その中にお住まいの神馬! 白くて綺麗、そして目がとても魅力的!
 「おうまちゃん!こっちを見てよ、お願い!」と言ったら通じた!! ちらっと見てくれたのです。神馬は一日4時間のお勤めをして、あとはゆっくり休憩を取られるそうです。

 この門の右手が前出の彫刻壁があります。大勢の見物客の列に従って御門をくぐります。
  
 ゆっくり人の背中を追って順番に前に進みますから、ちょっと上見てパチリ!前見て、パチリ!…とその余裕があります。
             
 こちらは陽明門の内側からのものです。門の左手が社務所。様子によっては、東照宮へ立ち寄らず、小田代ケ原を歩くというファジーな計画も組んであって、ここへは来ないかもしれないとの気持ちもあり、ご朱印帳は持参しなかったが、朱印を書いていただくことにしました。家に帰って手持ちのご朱印帳に貼り付ければいいとの心積もりです。そして、次は眠り猫が拝見できます。
           
 左甚五郎の彫刻があまりに巧みで、この眠り猫は昼間は寝ているが、夜な夜なこの欄間から抜け出してしまったという、まことしやかな伝説ともなったほど人々を感心させてもおります。これも有名な猫ですが、意外に小さくて「へえー、これなの!?」と感激とともに驚きでもありました。ここをくぐって先へ進むと、400段?以上もある一枚石の階段が急傾斜で続きます。ここを上がれば奥の院で団体旅行だとしたら、眠り猫を見て引き返すのが常だとか…。
          
 あと50段で上りきると言う手前の踊場に、あの有名な東照宮ご遺訓の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず」とあった。急がない、急がないと自分に呪文をかけるとしようか!
 
  奥の院の入り口から見ると鋳抜き門を通して奥宮ご宝塔が見えるよう設計されているのですが、今回はあまりの人出でその方向からは伺いませんでした。家康公の神様をおさめた宝塔であるというものです。
           
 故宮、天壇公園での大理石の彫刻は素晴らしかったと忘れてはいない。
 大理石と言う高価な石。父が好んだ大理石の婦人像“オンディーヌ”を買い求めて、オニックスのマントルピースの上に飾っているが、そのまま30年くらい動かさずに父の心として置いたままにしています。
 素材の大理石を彫っていくうちに黒い汚れが出て来ないとも限らない、と…真っ白な大理石に失敗なく彫り出す技術は名人と言われるものだ…なんて勧められて幸せな気持ちで眺めているという内容で、父の詩集の一作品に著しているけれど、故宮の壮大なまでの戒壇は、もう口も利けないほどの荘厳なものでした。
 広大な中国の国土と、日本のものとは規模が違うと、ただただ恐れ入った印象だったことも懐かしく思い出しました。