久しぶりにお参りに来られた方がこうおっしゃいました。
「うちのお墓の場所が違っていると思うんですけれど。それにもっと広かったような気がするし。」
え、そんな馬鹿な。
お宅の墓地の塔婆立てには毎年お盆の付け施餓鬼の塔婆が建てられているので間違いないはずですが。
それに数年前法事でお参りに来られた時には何もおっしゃらなかったのに、なぜ?
「もっと早く言えばよかったですよね」
って言われてもね。
今まで何十年もそこにお参りしていたのに・・・?
そこのお宅のお墓は墓石が建っておらず塔婆立てと花立のみですから分かりにくいことはたしかですが、私の記憶の限りでは昔からそこでした。
もし、お墓の位置が違うというならそこに埋まっているはずの50年以上前に亡くなった御家族のお骨はどこに埋葬されているというんでしょう。さらなる謎がうまれてしまいます。
さすがに50年以上前のことは私も分かりませんし、お墓が違うといった当人もその当時子供だったので覚えていないそうですから今の場所にお骨が埋葬されていなければ捜しようがありません。
通路以外の場所はたいてい墓石が建っていますし、更地になっているところも以前は墓石が建っていたところですから、可能性のある場所は見当たりません。
昔から清運寺の墓地の面積はほとんど変わっていませんし、それぞれのお墓には墓石も建っているので簡単にお墓を移動することはできません。
せめて、墓石があれば判別できるのに。
結局、ご当人の勘違い、気のせいということで落ち着きましたが、やっぱり墓石って大切ですね。
お墓の目印になるし、50年ぐらいじゃびくともしませんからね。
もし墓石があったならその方も疑問を持つことなく納得できたのに。
それにごくたまにしかお参りに来ないと御自分のお墓の場所が分からなくなってしまう方もいらっしゃいますから、そういう記憶違いという一面もあったのでしょう。
しかし、お墓が違うとはまったく想定できない珍事でした。



