7月16日(日)、党鶴岡地区委員会の震災被災者支援ボランティアに参加しました。
日本共産党は被災3県各地に拠点を置いて全国から支援者を派遣、党山形県委員会は、仙台市宮城野区に設置された仙台東支援センターに支援を集中することになっています。
同センターへのボランティア派遣は鶴岡地区委員会としては2度目になります。
仙台市内を南部有料道路から4号バイパスに入り、仙台市民球場インターを降りるとすぐ近くに「震災復興ボランティアセンター・仙台東センター」があります。
朝6時に出発して3時間弱で到着。
以前は商店があったという2階建ての古い建物です。
この日は、全国から送られてきた支援物資を被災者に無料で提供するバザーの日でした。
米、味噌、カップラーメン等の食料品から、衣類、洗剤、食器、児童書等まで、事務所の8畳ほどのスペースと、隣の駐車場に敷かれたシートの上に物資を並べたところ、開始時間の30分以上前から続々と人が集まりだしました。
前日に近隣に配布したチラシの効果があったようです。
ジリジリと強い日差しが照りつける中、結局、50人位は見えたでしょうか。
2時の開始から1時間足らずで用意した物資があらかた無くなりました。
津波で食器が何も無くなったという年配の女性、小学生のお子さんを連れた若い女性、30代と思われるご夫婦、年配の男性などなど、様々な方々が見えました。
どなたからも「ありがとうございました」「助かりました」と笑顔で感謝の言葉をかけられ、大変やりがいのある活動になりました。
バザーの前に、津波に襲われた海岸部を視察しました。
見渡す限りの平地に、ただ住宅の土台と、根こそぎ運ばれてきた木が残されています。
道路沿いには、工場や倉庫と思われる大きな建物が、太い鉄骨をグンニャリと曲げた姿で立ち並んでいます。
住宅の建物が並んでいるところにも行きましたが、どの家にも人気が無く、ゴーストタウンとなっていました。
海のすぐそばにある小学校では、体育館がめちゃめちゃになり、学校前の広場(元グランドか?)にがれきが積まれていました。
誰もいない校舎の最上部に掛けられた「たくさんの力をありがとうございます」という横断幕には切なくなりました。
私は、現場を見るのは2度目になりますが、本当に胸が潰れる思いがします。
「できる限りの支援をしなくては」と胸に刻んでその場を離れました。
日本共産党は、被災三県に対して北海道から沖縄まで全国からボランティアを派遣、その数は6月末で8600人に達しました。
「国民の苦難の軽減」を創立の目的とする日本共産党の面目を施しています。
埼玉県から沢山の方が泊まり込みでいらしていました。ご苦労様です!
鶴岡地区委員会でも、今後引き続き同センターへのボランティア派遣を計画しています。
一人ひとりにあった内容のボランティア活動がありますので、どなたもお気軽にご連絡下さい。
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