今回のプチ遠征、最終回です。
深谷の河原を散策して、ホオジロガモなどを撮った後、昨年末から渡来しているナベヅルのポイントに移動します。
新聞などで報道されて、一時は大変な人が押し掛けたようで、そろそろ下火になったのではないかと行く気になったのですが、今でも居てくれるかどうか??
ちょっと不安に駆られながらも、現地に着いたのはお昼過ぎ。 北風がかなり強くなってきました。
昼食の前に、撮影を済ませる為、そのまま土手に向かうと、土手の上には鳥撮りさんが二人だけ。
土手の上は、とんでもない強風で、風に向かって立ってるのが辛いほどです。
距離が近いと聞いていたので、手持ちの456とミラーレスのみの軽装が、結果的に大正解でした。
肝心のナベヅルは、河原のすぐそばにいたのですが、周辺には、流れ着いたペットボトルや空き缶などがあり、暫し待つことにします。
それにしても近いですね。土手の上に人が居ても悠然と餌を啄んでいます。

ナベヅル(鍋鶴)
シベリア南東部や中国東北部などで繁殖し、朝鮮半島太中国の一部で越冬しますが、大半は鹿児島県出水(いずみ)周辺や山口県周南市に冬鳥として渡来します。
ナベヅルは同じ仲間のマナヅル同様、環境省レッドリストの絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。
また、ナベヅルにおいては世界の生息数の約9割、マナヅルにおいては約5割が日本に飛来しており、鹿児島県出水周辺が世界最大の越冬地となっているから驚きです。
ちなみに、ナベヅルの世界にいる個体数は、推定10000羽程度と云われてますから、すごい数のナベヅルが、ここに集まることになりますね。
日本で越冬するナベヅルは、20世紀初めまでは日本全国で越冬していたようですが、生息地の湿地の開発や狩猟によりツル類は急激に減少したそうです。
幸い、出水と周南市八代では,地域の人々がツル類を保護し,給餌,ねぐらの整備などをしてきた結果、地理・地形的要因もあって、多くのツル類が出水に集まってくるようになったそうです。
ただ、この集中化により伝染病発生時に大量死が起きる危険や農業被害の大規模化といった新たな問題も生じてきているようで、もう少し日本各地に分散してくれるといいのですが・・・・(「日本野鳥の会」資料より)

ナベヅルの飛翔も撮りたくて、冷たい強風の中を待ってみましたが、風が強すぎる為か、一瞬、飛び上がる姿勢を見せたものの、すぐに着地。残念!!

傍らでは、ダイサギが、風に逆らいながら一生懸命!!

上空では、トビが、風に逆って、強引に前に進もうとしています。

もう少し、ナベヅルの事を書きますね。
このナベヅルの名前の由来は・・・・・・・灰色の羽色が鍋に付いた煤に似てるところからこの名前が付けられたそうです。
日本では、ナベヅルは「くろづる」という名前で鎌倉時代より知られており、江戸時代には全国各地に渡来し、『和漢三才図会』などの玄鶴(黒鶴)もナベヅルとされています。(ウィキペディアより)

ナベヅルの顔が良く見えるように、トリミングで拡大してみました。首部分の羽が強風で逆立ってます。
額の黒い部分と赤班が特徴ですが、雌雄同色なので、性別は分かりません。
幼鳥や若鳥はこの黒色と赤班はありません。

鹿児島県出水平野と山口県八代盆地のツルは、1921年(大正10年)3月3日に国の天然記念物に指定されました。
また、その越冬地は、「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として1952年(昭和27年)3月29日、「八代のツルおよびその渡来地」として1955年(昭和30年)2月15日に国の特別天然記念物に指定されています。

のんびり移動しながら、やっと川の縁まで来てくれました。何度も飛び立ちそうなそぶりを見せてくれるのですが・・・・・・

飛び立つのを諦めたのか、またまた餌を探して、のんびりと移動し始めます。

もう少し我慢して待ちたかったのですが、あまりの強風に耐えきれず、ここで撤収。
帰る頃には、土手の上にはもう誰もいません。
遅い昼食の時には、鳥撮りさんのご夫妻にお会いし、しばし鳥談義。
ご夫婦で、栃木から来られたとのこと、いろいろ鳥情報もいただきました。
深谷の河原を散策して、ホオジロガモなどを撮った後、昨年末から渡来しているナベヅルのポイントに移動します。
新聞などで報道されて、一時は大変な人が押し掛けたようで、そろそろ下火になったのではないかと行く気になったのですが、今でも居てくれるかどうか??
ちょっと不安に駆られながらも、現地に着いたのはお昼過ぎ。 北風がかなり強くなってきました。
昼食の前に、撮影を済ませる為、そのまま土手に向かうと、土手の上には鳥撮りさんが二人だけ。
土手の上は、とんでもない強風で、風に向かって立ってるのが辛いほどです。
距離が近いと聞いていたので、手持ちの456とミラーレスのみの軽装が、結果的に大正解でした。
肝心のナベヅルは、河原のすぐそばにいたのですが、周辺には、流れ着いたペットボトルや空き缶などがあり、暫し待つことにします。
それにしても近いですね。土手の上に人が居ても悠然と餌を啄んでいます。

ナベヅル(鍋鶴)
シベリア南東部や中国東北部などで繁殖し、朝鮮半島太中国の一部で越冬しますが、大半は鹿児島県出水(いずみ)周辺や山口県周南市に冬鳥として渡来します。
ナベヅルは同じ仲間のマナヅル同様、環境省レッドリストの絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。
また、ナベヅルにおいては世界の生息数の約9割、マナヅルにおいては約5割が日本に飛来しており、鹿児島県出水周辺が世界最大の越冬地となっているから驚きです。
ちなみに、ナベヅルの世界にいる個体数は、推定10000羽程度と云われてますから、すごい数のナベヅルが、ここに集まることになりますね。
日本で越冬するナベヅルは、20世紀初めまでは日本全国で越冬していたようですが、生息地の湿地の開発や狩猟によりツル類は急激に減少したそうです。
幸い、出水と周南市八代では,地域の人々がツル類を保護し,給餌,ねぐらの整備などをしてきた結果、地理・地形的要因もあって、多くのツル類が出水に集まってくるようになったそうです。
ただ、この集中化により伝染病発生時に大量死が起きる危険や農業被害の大規模化といった新たな問題も生じてきているようで、もう少し日本各地に分散してくれるといいのですが・・・・(「日本野鳥の会」資料より)

ナベヅルの飛翔も撮りたくて、冷たい強風の中を待ってみましたが、風が強すぎる為か、一瞬、飛び上がる姿勢を見せたものの、すぐに着地。残念!!

傍らでは、ダイサギが、風に逆らいながら一生懸命!!

上空では、トビが、風に逆って、強引に前に進もうとしています。

もう少し、ナベヅルの事を書きますね。
このナベヅルの名前の由来は・・・・・・・灰色の羽色が鍋に付いた煤に似てるところからこの名前が付けられたそうです。
日本では、ナベヅルは「くろづる」という名前で鎌倉時代より知られており、江戸時代には全国各地に渡来し、『和漢三才図会』などの玄鶴(黒鶴)もナベヅルとされています。(ウィキペディアより)

ナベヅルの顔が良く見えるように、トリミングで拡大してみました。首部分の羽が強風で逆立ってます。
額の黒い部分と赤班が特徴ですが、雌雄同色なので、性別は分かりません。
幼鳥や若鳥はこの黒色と赤班はありません。

鹿児島県出水平野と山口県八代盆地のツルは、1921年(大正10年)3月3日に国の天然記念物に指定されました。
また、その越冬地は、「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として1952年(昭和27年)3月29日、「八代のツルおよびその渡来地」として1955年(昭和30年)2月15日に国の特別天然記念物に指定されています。

のんびり移動しながら、やっと川の縁まで来てくれました。何度も飛び立ちそうなそぶりを見せてくれるのですが・・・・・・

飛び立つのを諦めたのか、またまた餌を探して、のんびりと移動し始めます。

もう少し我慢して待ちたかったのですが、あまりの強風に耐えきれず、ここで撤収。
帰る頃には、土手の上にはもう誰もいません。
遅い昼食の時には、鳥撮りさんのご夫妻にお会いし、しばし鳥談義。
ご夫婦で、栃木から来られたとのこと、いろいろ鳥情報もいただきました。