@政治の世界も正に「相手の政策をしっかり把握してこそ勝てる」。 今日本はグローバルの視点からその「相手を知る」(インテリジェンス=諜報活動)ができているだろうか。どうも国内・身の回りばかり見ている政治家も多く世界の動きに準じた政策、政治ができていないように思う。小手先を言葉巧みに言い回しても結局、「行動・実現」に繋がらないのでは何もならず、最後は「国民を騙す」(政治家の嘘)になっている。だれもが「だれかが現実化」させる為何かを変え、新たなもの・体制を望んでいる。が決して日本は極端なエスノセントイズムを求めてはいない。ここ数年、経済は超デフレとか言うが、デフレでも、税金を増やすことなく経済成長をもたらし、発展させることができると考える。 その為には優秀な若い、次世代の「国策の適材適所」を素早く決め、世界視野をみるグローバルな人材を育て、日本を再び世界の一線に導いて欲しい。 正にインテリジェンス(知能・知性等を結集)を求めた人材教育と組織が必要だと思う。
- 「インテリジェンスの父」=川上操六の諜報参謀総長
- 大政奉還(1867)2017年(150年目)
- 2013年日本で初めて「国家安全保障会議」(NSC)が設立
- 明治時代「長期国家戦略」「国家安全・防衛政策」組織
- インテリジェンス(諜報活動)のトップ川上操六参謀総長
- 薩長藩藩閥に関係なく優秀な人材を登用
- ドイツモルトケ参謀総長・ビスマルク帝国を真似た組織
- 川上・陸奥らが起こした日清戦争(明治天皇は反対していた)
- 世界のパワーバランスを重視「勝つ参謀本部」(富国強兵)
- 戦争に勝った国は栄、負けた国は滅びる「生存競争」
- 岩倉使節団の2年近くの海外視察の目的
- 不平等条約の改正
- 近代化(政治・行政・軍事・産業・交通・文化)
- 今までのフランス主義からドイツ・ビスマルク思想を採用
- ドイツ小国300を統一(274藩を統一)類似
- 皇帝を中心とした立憲君主制・国民の質実剛健
- 職人、モノ造りの国民性・軍人国家(武士社会)
- 朝鮮状況
- イギリス・フランス・ロシアへの開国拒否、結果1万人の虐殺
- 大院君からの日本支援要請は幕府の慶喜変動時期で実現不可
- 対欧米戦争に一時勝利、日本に対しても鎖国政策を保持
- 朝鮮の自文化中心主義(エスノセントリズム)で対立=征韓論
- 欧州の近代化(産業革命)
- 18世紀後半イギリス帝国主義・植民地拡大(争奪戦)を展開
- その他フランス・ロシア・オランダ・ベルギー・アメリカ浸国
- 最後の植民地=清国、日本、朝鮮に侵攻した
- 日本の主な戦争(鎌倉・戦国時代から江戸幕末)
- 1274・1281年の元寇・弘安の役
- 1592・1598年の秀吉の朝鮮出兵
- 1600年関ヶ原の戦い
- 1614年大坂冬の陣
- 1615年大阪夏の陣
- 1637年の島原の乱
- 欧州の植民地占領争奪・領土拡大規模(自国領土比)
- イギリス=100倍
- フランス=20倍
- ドイツ=6倍
- ベルギー=83倍
- ポルトガル=23倍
- オランダ=59倍
- イタリヤ=5倍
- アフリカの80%が西欧諸国の植民地になり約7千万人を虐殺
- ロシア=ユーラシア上半分、アラスカ占領
- 侵略スピードは1日平均100平方キロ
- 200年で動員兵員1千万、死傷者百万人となる
- イギリスのアヘン戦争では清国の開港、領土、裁判権、関税特権、キリスト教布教承認、アヘン輸入等強行公認させた
- 日本VS中国との誤解
- 李鴻章の「日本は近くにありいつでも侵略してくる可能性がある、中国にとって永遠の患いになる」
- 第二代清国公史黎庶昌の「日本を小国として侮るのは誤りだ、日本と戦うべからず」(日本人の愛国心をよく理解していた人物)
- 「川上操六」薩摩藩・近代国家での最初の軍人
- 鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、西南戦争に参戦
- 1871年陸軍参謀本部、フランス式編成、兵数1万1620名、海軍はイギリス式採用
- 1875年には陸軍兵力は3万1400名
- 1882年にドイツ式にすべて切り替え「軍人勅諭」発令
- 「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」
- 人材の若返り・藩閥抗争解消・川上操六、桂太郎協力改革推進
- 軍隊の派閥・軍閥が日本を滅ぼした
- 長州派=山県有朋・佐久間佐馬太・桂太郎・乃木希典
- 薩摩派=大山巌・西郷従道・川上操六・高島鞆之助
- 「日本陸軍の父」=山県有朋長州派はイエスマンばかりが暴走
- 川上は山県有朋とは正反対で藩閥・派閥など一切眼中にない
- 川上操六の人材
- 川上参謀室の人材「才能・スピード・行動力」採用
- 堅固な意思・逸材発掘(秀を見出す)・信頼する・褒め上手
- 命令は直接・礼を重んじ先輩を立てる・即断即決
- ドイツ参謀総長モルトケの指示
- 「軍首脳部は政治の党派や潮流から絶対に独立していることが必要。参謀本部は、平時は陸軍省からも離れたものにしておかなければならない。」「始めに熟慮、終わりは断行」
- 「電信、通信の最新技術開発、応用、兵力集中、物資輸送」
- 「兵器の開発、高度化と歩兵、砲兵を一体化」
- 「平時からのインテリジェンス(偵察、スパイ、謀略工作、情報収集、調査分析活動)の徹底、先手必勝で臨む
- 「戦略計画を策定、優秀な人材を集め、教育、参謀本部を軍の中枢部に設置、総合的な戦略、作戦を立案、実施する」
- インテリジェンス(諜報機関)人材
- 福島安正(ロシア・シベリア)
- 荒尾精(清国)
- 中国北洋艦隊(張子のトラ)
- 田中義一(ロシア・日露戦争)
- 花田仲之助(シベリア・僧侶)
- 桂・児玉・川上(3本の矢)軍政・兵制の大改革が始まった
- ドイツメッケル参謀少佐の教育徹底・アジア偵察
- 当時の日本軍人の弱み
- 客観的認識力の不足
- 指揮官の独断専行を認めない頭の硬さ
- 指揮命令力の不足、日本語の曖昧さ
- 講師の分別不足
- 日清戦争の発火点となる金玉均暗殺事件
- 朝鮮からの亡命者金玉均が上海で射殺、斬首、晒し
- 日本国民の清国と朝鮮の残虐は敵意を増幅させた
- 朝鮮の東学党の乱から日清戦争へ
- 農民の反乱20万人鎮圧するため連合側(日本・清国)が参戦
- 清国軍が出兵、東郷平八郎艦隊で豊島沖海戦となる
- 清国軍3500名、日本軍2000名成歓にて衝突日本側勝利
- 日本連合艦隊は主力の北洋艦隊を圧倒し勝利
- 日本軍側の指揮と戦意の差
- 戦艦の高速、武器の最新速射砲、清国軍の「張子のトラ」
- 旅順・鴨緑江への進撃・スピード勝利
- 第一軍司令官だった山県有朋が軍令を無視、「病気」として帰国、解任させた。川上の主張「陸軍も海軍も優劣や区別はなく、両者を統合して完全に指揮して、戦況の変化に応じて有利な体制を築くことが私の任務である」と山県の個人的功を指摘、摘発、左遷させた
- 清国軍は兵器も近代化されておらず、多くの私服を肥やす幹部指揮官の賄賂など、砲弾も買えず終いだった
- 日清講話談判=3国交渉
- 武田信玄「戦いは5分の勝利を持って上となし、7分を中とし、10分をもって下となす。5分は励みを生じ、7分は怠りを生じ、10分は驕りを生ず」(勝ちすぎは負けになる)
- 三国交渉はドイツが首謀者、戦争では日本側が圧倒的に清国を負かせた。だが外交で打ち勝つことができなかった。川上は「戦争とは血の流れる政治であり、外交とは血の流れない戦争である」
- 敵対国ロシア
- 三国干渉でロシアはその外交に勝ち、清国・朝鮮に進出
- イギリス・ロシア・フランス・ドイツの帝国主義・植民地主義国家は「ダブルスタンダード」を持ちアジア諸国を狙った
- 蒋介石を含む清国軍留学生約8千人を日本に迎え、陸軍士官学校に入学させたが、蒋介石は義和団の乱で清国に戻り参戦
- 1900年義和団の乱、連合側4千人が北京城に立てこもりに対して清国国民20万人がキリスト教徒殺害、教会、鉄道、電線など破壊、排外運動を展開、日本の先発軍隊1200名はキリスト教徒など保護、清国軍、義和団の暴徒を止めた。
- 日英同盟結成後、日露戦争が勃発、バルチック艦隊等を撃破。日本への関心と共に小国日本の軍事力の強さを世界に知らせた
- 1899年5月11日川上操六享年50歳(3つの矢が逝去)
- 1906年次期首相と期待された部下児玉源太郎享年54歳
- 日露戦争戦略では短期決戦、6分4分、早期停戦
- 1903年参謀次長田村大造享年48歳
- 徳富蘇峰の「終戦日記」
- 太平洋海戦・戦争ではインテリジェンス(諜報活動)を仕切る指導者・人物がいなかった
- 国際認識力の欠如
- エスノセントイズム(自文化優先主義)の失敗
- インテリジェンス(国家戦略・軍略)の欠乏
- 人材=教育不足