@2020年日本の教育改革=新学習指導要領、いわゆる詰め込み式の学習=受験対策学習から社会に向けての「思考力・判断力・表現力」学習に変わると言う。 江戸・明治に薩摩藩で行われていた「詮議」という考え方・学習思考が漸く現代にも必要になってきた感がある。「詮議」とは薩摩郷中教育として広まった「定義された答えは一つではない」仮想問答、想定内・想定外の思考・判断・表現を養う教育だったと感じる。(詳しくはまだ勉強中)米国の教育は幼小中高校選択とまず地域関係なく学習したい学校を選ぶことから始まる。そこの教育方針・指導等が問われ、選ばれることでの関門があり、生徒も「自分が将来したい・やりたい」ことを目指す教育が始められる。いわゆる上記の3つに含めた「応用力」が日本教育には欠けているがそれを見事に育成する教育が既にある。だから人気の学校はいつも定員が満杯だと言う。それに先生にもゆとりがあり且つ社会経験、実践等の学習内容も多く、社会に出ると即戦力になるように教育訓練(学習)している。(日本の大学教育は先生・教授の社会経験・情報不足が多いのか実践教育不足だと感じる=日本の親の役割は子供が大学に入学するまで<>米国は社会人としての技能・知識・人脈・仕事の選択・地位が学生の時からあると感じる)
- 忍者・合戦・幕末史に学ぶ=古文書を読み真実を発見
- 江戸時代の忍者(岡山藩の場合)
- 1613年大坂夏の陣 61人
- 1705年 17人
- ペリー来航1850年〜10人
- 伊賀者〜忍衆〜御忍衆となり天下太平時代には激減
- 忍衆の年収玄米30石=現在の年収900万円
- 伊賀忍術書「万川集海」「正忍記」があり公開している
- 忍者の道具=水中補聴器、盗聴器(約百メートル先聞取れる)
- 忍者は毒殺技術、爆薬技術を把握していた
- 毒薬鉄砲=乾燥粉末で相手を麻痺、殺傷する
- 武士の家計簿
- 加賀藩前田・猪山家の武士の生き方(映画化=武士の家計簿)
- 鏡餅は正月に兜の前に飾り、10日後槌でかち割り郎党で共食
- ちょんまげは兜で蒸れない為、月代は木製の毛抜きで毛を抜いていた(後年カミソリで剃るようになった)
- 「船中八策」龍馬とされているが構想基は横井小楠
- 「蓮月」僧侶美女の骨董は5万点ほどあり贋作も多く本人も承認
- 日本の歴史意識者=頼山陽・徳富蘇峰・司馬遼太郎へと続く
- 「詮議」薩摩郷中教育=仮定の質問を投げかけ答えさせる教育、仮想することで頭が鍛えられる。想定外が想定内になる。
- 「生類憐みの令」5代綱吉「愛玩・狆(ちん)」ビリーダーが大儲け
- 岐阜恵那市岩村藩は林大学頭の養子佐藤一斎「マニュアル化」好き
- 「重職心得箇条」小泉元首相田中眞紀子外務大臣への大臣心得
- 「食物善悪書」食べ合わせ善・禁忌の食物、二日酔いにはしじみ汁、大豆、葛根湯が良いとされた、禁忌物は妊婦へのヤギの肉等
- 明治の日本人習性「過去にとらわれず自らを変える」(変通=へんつう)
- 英国女性イザベラ・バードの評価「日本行政の弱点は公共のお金が給与の安い大勢の役人によって食い尽くされている」「日本の官僚主義はお金に関する限りあてにならない」
- 西洋に目覚める年代(鎖国時代)
- 1808年英軍艦フェートン長崎侵入(佐賀藩の覚醒)
- 1824年常陸の国大津浜に英国人が上陸(水戸藩)
- 1824年薩州宝島に英国人が上陸(薩摩藩)
- 福沢諭吉「学問のすすめ」は「何を目的に学問をするのか」疑問提示、「学者の世界は専門研究だけやっても非難されないが啓蒙をやるときは覚悟がいる」
- 生駒嘉右衛門は、戦時は「心丈夫なる馬を選べ」。足が速くともすぐ疲労し、バテる馬は長丁場では役立たずとなる
- 人間と社会システムも同じで特化、専門化された者が良しとされる世の中。が一部が失くなると全体が見えなくなり完成できない。知識もそうであり、悪い意味での「専門職」完璧な学歴エリート指導者は異常があると非常時には向かない。また、異常があるとそこで思考停止してしまう。
- 過去の大地震・大津波(500年に一度の周期で起きる)
- 1498年明応大地震・大津波
- 1707年宝永大地震・大津波
- 1854年安政大地震・大津波
- 徳川家康と直江兼続
- なぜ家康は兼続を殺さなかったのか=他の領土守への影響
- 江戸城の弱点
- 半蔵門へ渡る土橋の土手がダムになっており濠の水を貯めている、これを切りくずすとダムが決壊、水が抜けてしまい、濠が干上がる