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歴史に埋もれた女の生きがい『吉田松陰の妹』

2020-05-11 08:21:52 | 歴史から学ぶ
@江戸・明治の女性の功績等は歴史にはほとんど出てこない「脇役」である。松蔭の妹、杉文は3人の世の乱れを越え、新たな日本を築こうとした英傑を支え、最後まで見届けた「内助の功」の最たる女性だろう。その実は「侍(夫)の名誉を守る」ことに徹した支えだったことである。 「賢母」は夫を立て、家庭を守り、親戚・友人をも敬う心を忘れないことなのだろう。 今後、さらなる「歴史の女性」が表に出ることを期待したい。
『吉田松陰の妹』原口泉
「概要」日本近代を動かした英傑(おとこ)吉田松陰、久坂玄瑞、楫取(かとり)素彦の生涯を見届けた、知られざる「女の一生」とは。2015年NHK大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン・杉文。
吉田松陰の家族は 3男4女 父杉百合之助、母瀧子(全員漢書を読み学問には厳しい家庭)
    長男兄梅太郎(のち民治、山口権典事、松下村塾塾長、私立修善女学校校長)
    次男 寅次郎(のち吉田松陰、29歳で処刑・顔に痘痕があった)
    長女姉千代(のち芳子、児玉祐介の妻、文之進の介錯をした女性)
    次女姉寿 (楫取素彦の最初の妻・15歳、群馬県令の妻、浄土真宗の啓蒙、44歳没)
    三女妹艶 3歳で他界
    四女妹文 (久坂玄瑞の妻・玄瑞は25歳で自刃、のち楫取素彦の妻・美和子となる)
    三男弟敏三郎 (聾唖、松蔭に最も似ていた、温和で賢い、32歳没)
    叔父 玉木文之進(松下村塾創設者・萩の乱の弟子前原誠一の責任を負い自刃)    
杉文は「名もなき」一人の女、一人の妻として内助に徹した女性・妻であった
    美人ではなく、品の良さも程々の女、健全で家庭的な女性、松蔭とは13歳の差
    松下村塾での下働きと松蔭の身の回りをほどなくお世話、玄瑞18歳と文15歳結婚
    結婚生活は約7年間、ただ一緒に暮らしたのはごく僅かで文通20通が頼りだった
    文中の多くは家族、親戚、友人、墓参りなど気配りと文への安心感を漂わすものだった
    文通には多くの和歌5・7・5・7・7 31文字が多く心の唯一の支えだった
        嵐山の桜「大ぎみの御幸霜がな嵐山桜花今盛りなり」
        「しら雲のたなびくくまはあしがきのふりぬる里の宿の辺りぞ」
        「夕なぎにいたくななきそはま千鳥なが声聞けば都しおもほゆ」
    「女戒」貞節、専心(家庭内の世話・食・家事周り)を守り抜いた
    玄瑞を妹に言葉「玄瑞は防長年少第一流の人物にして、固よりまた天下の英才なり」
    玄瑞の死後、毛利家の奥女中として働く
    松蔭の死は武士の誇り「名誉を守る」(損を承知の行動)として文の生きがいとなる
    寿の看病、家事手伝いをしながら楫取家を守る努力する、その寿死後2年後に再婚する
    楫取と再婚、夫男爵の妻男爵夫人となり、産業復興、教育啓蒙(華浦幼稚園設立)
    明治天皇大10皇女御養育主任付き女官となり、夫80歳で没、成二位、美和子80歳没
    日本の製紙業を広め世界の絹織物8割のシェアに貢献(富岡製糸場)
「女の生き方」薩摩篤姫(のち天璋院)、新島八重と同時代「歴史の影に女あり」
    脇役・名もなき女たちの偉大さが歴史に埋もれる
    「貞女は二夫に見えず」文・八重(会津藩砲術家の妻、その後新島襄)・お龍(坂本龍馬の妻、その後西村松兵衛)
・家族・手紙 (家族思いの兄弟姉妹)
    松蔭は家族宛に約700通が残っているが、実際は1000通以上だとされる
    松蔭は野山獄幽閉1年2ヶ月で差し入れた本が512冊とある(読書家であり教育家)
    松蔭の弟子に書いた内容「人間わずか50年の命だ。人生70は古希稀である、何かお腹の底からやりたいことをやって死ななければ成仏できないぞ」(留魂録)
・「松下村塾」は門下生の平均年齢は19歳
    「真の志士なら成業ではく忠義をやれ、志士たるものは天下国家の捨て石たれ」
    信じてことを行う時、結果を恐れてはならない、生死は度外に置くべしとした