@人はそれぞれ心に刻まれた傷が少なからずある。その傷を癒して立ち直るか、死ぬまで心に持ち続けるか、だろうか。だが決してその傷は消滅することなく心の中で生き続け、他人が助けてくれるものではないと悟るべきだ。人にも自分にも人生がある、だが選ぶのは本人、自分だけだ。
ほのぼのとした生活を捉えた小説だが、人の心の「傷」というのは厄介で、治療薬となるものは稀だと言うことを知っておくべきだ。
『まほろ駅前狂騒曲』三浦しをん
「概要」まほろ市は東京都南西部最大の町。駅前で便利屋「多田便利軒」を営む多田啓介と、居候になって丸二年がたつ行天春彦。二人のもとに、かつてない依頼が……それは、夏の間、四歳の女の子「はる」を預かること。慣れないことに悪戦苦闘する二人に、忍び寄る「魔の手」!まほろ市内で無農薬野菜を生産販売する「家庭と健康食品協会」の幹部・沢村。まほろの裏社会を仕切る、若きボス・星。地元のバス会社・横浜中央交通(横中)に目を光らす岡老人。彼らのおかげで、二人は前代未聞の大騒動に巻き込まれる!
ー居候の行天は既に3年目の同居、「空から降りてきた厄介者」過去の心に刻まれた傷が未だ治っていない、それは「子供嫌い」。親の躾から「神」的存在として扱われた事で反抗期となり結婚した後、自分の娘を世話することになる。
ー4歳の娘は母親の出張中、便利屋であづかる事になるが、それは娘を本当の父親行天に認めてもらいたいという母心だった。
文中の気になる言葉「喜びや哀しみや幸福や苦しみは、死で全て無に記するものではない。死んだ者のことを今も生きているように心に息づいている。死はあらゆる生き物が抱えている、生まれたらできる限り生きようとし、繋がり合おうとする。死という残酷さに対抗するために、命は虚しく生きて死んでいくだけのものはないと証明するために」
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