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一心に愛した男への女心『夫婦善哉』(名作で思う事)

2020-05-14 14:27:03 | 人生を「生かす」には
@世間が何を言おうが、誰が何と思っても一心に愛した男に貢ぎ、従う、そんな女心を弄ぶ男が憎い、とはこの小説だ。 女はそのぐうたらな男を何とか身を削り苦労し、助け、最後には「夫が認める夫婦になりたい」と願う、悩ましい女心である。世間にはよく「話の上手い奴」がいると言うが正に騙されやすい人が使われ、貢がされ、最後はポイっと「別れ」を言う奴「金があれば馬鹿も旦那」の逆である。最近は男でも、女でも多いと聞くが「お金の世界」(人間万事金の世の中)だけで人をつなげておくのは何とも寂しく、最後はそんな仲は呆気なく(金がなくなれば)終わるのが定番だ。

『夫婦善哉』織田作之助
大阪の天ぷら屋の夫婦は一人娘を商いの丁稚奉公に出す、がある日娘の願いから芸者になる事を承知した。その芸者は元気がよく売れっ子となり、ある妻子を持った男がその娘と東京へ駆け落ちする。関東大震災で戻ってくると娘は芸者をしながら稼ぎ、その稼ぎは男に貢ぎ、いつも散財していた。やがて貯めたお金で煮物屋、居酒屋、果物屋、最後には飲み屋を経営するが、男は仕事に飽きっぽく長続きせず、芸者を上げ散財する癖も全く治る気配も見せなかった。男が病気で、女は必死にお金の工面も看病もしたが、またしても男の癖は治らず女は妻としても認められず男は去ることを告げた。ある日男は戻り、前の妻の娘と余生を送りたいと女に頼み事をする。お寺にある「おとめぜんざい」善哉屋に入ると、そこはいつも大盛の善哉を2つに分けたお椀に出す事でお客の気分を盛り上げた。男は「一杯の善哉を山盛りにするより、ちょっとづつ2杯にする方がぎょうさん入っているように見えるやろ」と言うと、女は「一人より女夫の方がええ言うことでっしゃろ」とさりげなく言った。

あの伝説の信憑性を探る『晩節の研究、偉人・賢人のその後』

2020-05-14 07:59:10 | 歴史から学ぶ
歴史に残る様々な伝説(疑惑説・生存説)などこの書の面白いところを抜粋した。
源義経=ジンギス・カーン、明智光秀=天海僧正、西郷隆盛のロシアでの生存説などである。 特に歴史を大きく変えた、あるいは活躍した庶民の記憶に深く残る人物の「説」(仮説)が現存することは更なる真実を求め探求される価値はあると感じた。この先新たな事実資料が発見されると期待したい。 偉人・賢人の多くはいずれも変わった性格・行動などをする、いわゆる「出過ぎる杭」となり庶民に印象を遺した人が多い

『晩節の研究、偉人・賢人のその後』河合敦
歴史に名を残す偉業を成し遂げた人物も、ほとんどの場合、本当に活躍したのは、ある一時期に限られる。それどころか、リタイヤ後に意外な「その後」の人生を送った人物が少なくない。「祟り」に慄き死んでいった藤原道長健康に気を使いすぎて逆に死期を早めた徳川家康老人になってから計画殺人を実行した徳川光圀勘違いで殺人を犯して獄死した平賀源内……。有能な成功者である彼らはなぜ”晩節を汚す"ことになったのか。その分岐点には何があったのか。30人の偉人たちの知られざる末路を繙き「人生の本質」を追求する、画期的な書。
・小野妹子 
    華道の池坊の始祖は小野妹子だと言う、それは六角堂の仏道・聖徳太子に生花を供えたことが由来
・鑑真
    日本に仏教を伝達・発展させた中国の高僧、盲目となり最後には座ったまま死んだ僧
    鑑真がもたらしたものは薬、仏具、ガラス、建築、彫刻技術、書道など
・源義経
    チンギス・カーン説は大正13年に小谷部全一郎の「成吉思汗ハ源義経也」の書がきっかけ
    元はシーボルト、その後日本公使が明治12年に英文で発表、その後内田弥八が翻訳
    義経は北海道アイヌに逃れシベリアに渡ったと言う説から、ナホトカには「ハンガン」岬
    日本人とユダヤ人は同祖であると言う説(小谷部氏)
・北条政子
    源頼朝は妻の政子に殺されたと言う説、頼朝の落馬後死亡したという説
    政子自身の浮気、政子は気性の激しい性格で頼朝の愛人屋敷を破壊
・親鸞
    親鸞は関東で20年以上念仏を広めたが、息子善鸞「親の心、子知らず」で親子の縁切り
・一休宗純
    生臭な上エロ坊主と言われた一休、元は天皇の実子、兄弟と絶交、恩師とも絶交
    「破戒」酒を飲み肉を食べ、遊郭で女性を抱く、78歳で40歳位の女性と本気合う、88歳没
・明智光秀
    光秀の誤算は細川藤孝、忠興父子や筒井順慶が味方しなかったこと、勅使吉田兼見は正当化
    光秀=天海説、天海の前半生は不明、家康の側近として政治力を持ち菩提寺寛永寺を創建
    日光東照宮には明智家の桔梗紋が多く散りばめられており近くには明智平という地名の存在
    春日局は斎藤利光(本能寺の変の主犯武士の一人)娘であり家康が共謀した本能寺の変という説
・足利義昭
    信長に反旗を翻した毛利保護下の義昭、本能寺の変のもう一人の首謀者とされている説
    秀吉に冷遇された義昭は毛利・柴田と画策、輝元の叔父小早川の反対、朝廷が秀吉を関白に任命
・石田三成
    関ヶ原の戦いで敗戦、三成は農民に保護されたが最後には拿捕され六条河原で処刑
    「味方の裏切りにあい、勝てる戦いに勝てなかったのが非常に悔しい。だがこれも天命だろう」
    引き回しの途中喉が渇き差し出されたものに「干し柿は痰の毒である」と処刑直前の食物拒否
・徳川家康
    健康オタクで自分の作った薬のみで医者の薬は服用を拒絶 自作「万病丹」「銀液丹」を処方
    乗馬や鷹狩、水泳を行い、贅沢な食べ物は食べず麦飯など粗食、鯛の天ぷらの食べ過ぎで食中毒
    家康病床には秀忠、展開と本多に遺言、遺体は久能山、法会は増上寺、位牌は大樹寺とした
・千姫
    家康の孫娘、秀頼の正室(婚姻は千姫2歳・秀頼6歳)は大野治長が大阪城から助け出す
    子の1男は斬首、1女は尼になる、千姫は桑名城主本多世嗣忠刻に嫁ぐ
    将軍秀忠は10万両の化粧料を出し、その後本多を姫路15万石と栄転させた(化粧櫓)
・徳川光圀
    助さん格さんは実在(佐々木介三郎宗淳・安積覚兵衛)明治20年代から「水戸黄門」登場
    綱吉を推挙したのは光圀、だが光圀は「生類憐みの令」に批判的だった
    丹頂鶴を殺した農民に対し「禽獣のために人間を殺すのは本末転倒だから命を助ける」
    藩の予算の3分の1を費やす事業「大日本史」を完成、尊攘思想は水戸藩から派生
・赤穂浪士
    赤穂浪士の処刑が1ヶ月遅れた理由は荻生徂徠の提案で武士の切腹の儀とした
    細川家(17名)、毛利家(10名)、久松家(10名)、水野家(9名)を預かる
    特に細川家では高待遇で世話役が親切で家族への伝言などもした
・貝原益軒
    「養生訓」の健康指南書 食欲や性欲は抑え、惰眠をむさぼらず、言葉を慎むのも長生きのコツ
    射精は20代は4日に一度、30代は8日、40代は16日、50代は20日、60代は閉じる
    「病気は薬を飲まないでも自然治癒することが多い。薬を飲み過ぎるとかえってその影響で食欲がなくなり、病が悪化して長引き、死に至ることも少なくない。薬を用いるのは慎重にせよ」
    「風邪は身体を温めで消化の良いものを食べ、ゆっくりと休養と睡眠を取れば治る」
    「朝起きたら手で足の指を握り、もう一方の手で足の裏を強くさする、足の裏が熱くなったら、両手を使って足の指を動かせ」
・平賀源内
    「エレキテル」は壊れた舶来を修理して直したものを「見せ物」として利用
    「金唐革紙」(1775年)なめし皮に金箔などを施した細工は大ヒット
    引越しは生涯に十数回、獄中死の源内に親しかった杉田玄白は墓碑を建てた
・葛飾北斎
    好きな絵描きを生涯通した、片づけられない症候群、ゴミだらけの家でだらしない生活
    雅号を50回以上変えて弟子に売っていた(弟子は約200人)、引っ越しも56回
・小栗忠順
    幕府財政運営を担いだことから「幕府埋蔵金」噂が立つが発見されていない
    日米通称交渉、造船城建設、大砲製造所など勘定奉行、江戸町奉行、歩兵奉行陸軍奉行歴任
    薩長遊撃で3千以上の伝習隊、軍艦8隻、輸送船7隻、26砲門軍艦で計画が慶喜により棄却
    権太村で(権太城跡)にて薩長が襲撃、三ノ倉村で拿捕だれ斬首
    勝海舟の「幕府には三百数万両の金があった」という疑わしい発言
・西郷隆盛
    大津事件(ニコライ皇太子が襲撃される)によりシベリア・ロシア軍基地生存伝説
    西南戦争で戦功を得た警備の津田三蔵巡査が襲撃した、ロシアとして宣戦布告できる口実
・陸奥宗光
    剃刀大臣として清国と外交交渉した功績が高い(莫大な賠償金と台湾・遼東半島を割譲)
    「蹇蹇録」(ケンケン録)露・独・仏・三国干渉概要など外交記録を出版
    「家族と別れるより、政治から離れる方が辛い」と遺言
・有島武郎
    人生を自死で締めた作家(その他太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫、川端康成)
    人妻との恋愛の末、心中 (姦通罪で入獄を覚悟しながら自殺)
・榎本健一
    喜劇王「エノケン」の難病、特発性脱疽、血液が湯行き届かなくなり壊死する病気
    息子の死、妻の暴飲・浪費・新興宗教・熟年離婚、足の切断を決意

歴史に埋もれた女の生きがい『吉田松陰の妹』

2020-05-11 08:21:52 | 歴史から学ぶ
@江戸・明治の女性の功績等は歴史にはほとんど出てこない「脇役」である。松蔭の妹、杉文は3人の世の乱れを越え、新たな日本を築こうとした英傑を支え、最後まで見届けた「内助の功」の最たる女性だろう。その実は「侍(夫)の名誉を守る」ことに徹した支えだったことである。 「賢母」は夫を立て、家庭を守り、親戚・友人をも敬う心を忘れないことなのだろう。 今後、さらなる「歴史の女性」が表に出ることを期待したい。
『吉田松陰の妹』原口泉
「概要」日本近代を動かした英傑(おとこ)吉田松陰、久坂玄瑞、楫取(かとり)素彦の生涯を見届けた、知られざる「女の一生」とは。2015年NHK大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン・杉文。
吉田松陰の家族は 3男4女 父杉百合之助、母瀧子(全員漢書を読み学問には厳しい家庭)
    長男兄梅太郎(のち民治、山口権典事、松下村塾塾長、私立修善女学校校長)
    次男 寅次郎(のち吉田松陰、29歳で処刑・顔に痘痕があった)
    長女姉千代(のち芳子、児玉祐介の妻、文之進の介錯をした女性)
    次女姉寿 (楫取素彦の最初の妻・15歳、群馬県令の妻、浄土真宗の啓蒙、44歳没)
    三女妹艶 3歳で他界
    四女妹文 (久坂玄瑞の妻・玄瑞は25歳で自刃、のち楫取素彦の妻・美和子となる)
    三男弟敏三郎 (聾唖、松蔭に最も似ていた、温和で賢い、32歳没)
    叔父 玉木文之進(松下村塾創設者・萩の乱の弟子前原誠一の責任を負い自刃)    
杉文は「名もなき」一人の女、一人の妻として内助に徹した女性・妻であった
    美人ではなく、品の良さも程々の女、健全で家庭的な女性、松蔭とは13歳の差
    松下村塾での下働きと松蔭の身の回りをほどなくお世話、玄瑞18歳と文15歳結婚
    結婚生活は約7年間、ただ一緒に暮らしたのはごく僅かで文通20通が頼りだった
    文中の多くは家族、親戚、友人、墓参りなど気配りと文への安心感を漂わすものだった
    文通には多くの和歌5・7・5・7・7 31文字が多く心の唯一の支えだった
        嵐山の桜「大ぎみの御幸霜がな嵐山桜花今盛りなり」
        「しら雲のたなびくくまはあしがきのふりぬる里の宿の辺りぞ」
        「夕なぎにいたくななきそはま千鳥なが声聞けば都しおもほゆ」
    「女戒」貞節、専心(家庭内の世話・食・家事周り)を守り抜いた
    玄瑞を妹に言葉「玄瑞は防長年少第一流の人物にして、固よりまた天下の英才なり」
    玄瑞の死後、毛利家の奥女中として働く
    松蔭の死は武士の誇り「名誉を守る」(損を承知の行動)として文の生きがいとなる
    寿の看病、家事手伝いをしながら楫取家を守る努力する、その寿死後2年後に再婚する
    楫取と再婚、夫男爵の妻男爵夫人となり、産業復興、教育啓蒙(華浦幼稚園設立)
    明治天皇大10皇女御養育主任付き女官となり、夫80歳で没、成二位、美和子80歳没
    日本の製紙業を広め世界の絹織物8割のシェアに貢献(富岡製糸場)
「女の生き方」薩摩篤姫(のち天璋院)、新島八重と同時代「歴史の影に女あり」
    脇役・名もなき女たちの偉大さが歴史に埋もれる
    「貞女は二夫に見えず」文・八重(会津藩砲術家の妻、その後新島襄)・お龍(坂本龍馬の妻、その後西村松兵衛)
・家族・手紙 (家族思いの兄弟姉妹)
    松蔭は家族宛に約700通が残っているが、実際は1000通以上だとされる
    松蔭は野山獄幽閉1年2ヶ月で差し入れた本が512冊とある(読書家であり教育家)
    松蔭の弟子に書いた内容「人間わずか50年の命だ。人生70は古希稀である、何かお腹の底からやりたいことをやって死ななければ成仏できないぞ」(留魂録)
・「松下村塾」は門下生の平均年齢は19歳
    「真の志士なら成業ではく忠義をやれ、志士たるものは天下国家の捨て石たれ」
    信じてことを行う時、結果を恐れてはならない、生死は度外に置くべしとした

親友とは「信実」を守り通す仲間『走れメロス』(名作から思う事)

2020-05-10 17:50:00 | 人生を「生かす」には
「信実」とは、真面目で偽りのない事、とある。この書にある命をかけ真の親友と呼べる仲間は周りにいるだろうか。現代ではまず「無」と言っても過言ではないだろう。薄情な世の中になったのか、世の中が薄情になったのか。上っ面だけの薄い付き合いしかできなくなった理由、それは「薄っぺら」でも満足できる生活に慣れてきたからだろうか。何とも寂しい世の中になってきた。
『走れメロス』太宰治
羊飼いのメロスは二人兄妹。兄メロスは妹の結婚式のために街で娘の衣装とご馳走を買い込みにきた。だが、街は最近の王の人間不信から家族・親族、そして人々を惨殺する凶行をしていた。メロスは人を疑うことと、嘘をつくことを嫌って、その事を王に3日間の猶予をもらって妹の結婚式後に再び戻ると約束。その約束を守る為の人質として唯一の友人を差し出し故郷に帰った。結婚式も無事に済ませ街に戻るべく向かうが前日の大雨で橋が崩壊、泳いで渡ると、今度は王の手下が三人待ち伏せしており格闘、漸く必死に峠を越えると一気に疲れが出て誘惑と時刻までの到着を諦め、友人を犠牲にするか葛藤することになる。が必死に友人の処刑の寸前に到着する。「友人に俺を力いっぱいに殴れ、私は途中で一度悪い夢を見た。もし殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格させないのだ」と、すると友人も同じ言葉を交わし、互いの信実を喜び嬉し泣きに抱き合った。群衆からも歔欷の声が聞こえ、王が「お前らの望みは叶ったぞ。どうかわしをも仲間に入れてくれまいか」と頼んだ。群衆は「万歳、王様万歳」と歓喜が起こった。

武士の生きがいと現代の差『鉢の木』山本周五郎(名作から思う事)

2020-05-10 07:55:38 | 歴史から学ぶ
武士としての生き様、武士としての最後は合戦で戦死を夢見た一人の侍の最後は「これで侍として生まれてきた甲斐があった」を最後に合戦に向かう。 妹に対して「女の勤も命がけだぞ」と武家社会のシキタリ(掟)を知らしめる。主君の為、家系の為の厳しさを改めて知ると、現代は「義理・人情」ですら軽薄に見える。人は人、他人は他人で個人主義が横行して行くのは寂しい。
『山本周五郎作品集21』山本周五郎
時代小説の名手、山本周五郎が描いた時代小説、人情話の傑作集。貧しさや虐げられた者たちが愛、悲しみ、怒り、慈しみ、恨み、嫉妬、義理などさまざまな感情を抱え、必死で生きていく姿に思わず胸が熱くなる。人生の喜怒哀楽を知り尽くした作家が描く武士や庶民の生活。「避けぬ三左」「孫七とずんど」「鉢の木」の三本を収録
「鉢の木」元徳川家鳥居彦右衛門の家臣、一式四郎兵衛は君主の意にかなわぬことで勘当され妹と2人で貧窮な生活を余儀なくしていた。それはいつか戦の時にはお呼びがかかると待ち焦がれていた。時は石田三成が決起し関ヶ原の合戦となる時期、心待ちにしていた合戦への加勢の声がかからなかった。実は鳥居彦右衛門と松平主殿助は1800名を伏見城にて、石田治部の軍勢約4万に対し籠城し討死覚悟だった。四郎兵衛は、君主が全滅と決まっている合戦に勘当の家来など呼ぶはずがないと納得、武士としての死場所を求めていた四郎兵衛は急遽、妹を嫁に欲しいとせがまれ喧嘩、果し合いまで取り次いだ男から持参された鎧兜等を纏い、勇しく伏見城へ駆け着けた。別れ際に言った言葉は「これで侍として生まれてきた甲斐があった」。それに今まで男の嫁に妹を託すのを渋っていたが、妹には「心を込めてお仕え申せ、女の勤めもまた命がけだぞ、忘れるな」と嫁ぐことを許し妹に別れの言葉を残し去った。

「若気の至り」の良さは情熱的な事『坊ちゃん』(名作から思う事)

2020-05-08 08:26:12 | 人生を「生かす」には
「若気の至り」とは「若い人の気持ち・行動の中でも特に後先を考えずに、情熱的に行動してしまう傾向をあらわすことわざ」ある。「情熱的に行動」が逆に最近はあまり出会ったことがない。起業家など欧米諸国と比べると日本は極端に少なく、企業の海外赴任も不人気だと言う次世代はこの「情熱的」な企業家が生まれる環境なくして日本の経済は発展しないと思う。それにはまず「教育」からなのか、提案したい。 特にIT関連・開発、運用など欧米はもちろん、アジア諸国比でも低水準化してしまった。 最近では、若手で情熱があり、「国民を守る」信念が見える大阪知事を是非応援したい

『坊ちゃん』夏目漱石
卒業後、坊ちゃんは数学の先生として田舎に赴任することになる。若気の至りで都会と田舎の格差が理解できず短期になり、憤りを覚え、早合点、最後には己の失策と悟り、落ち込む。だが、そこには仕掛けをする「悪」がいることを知る。それは校長(狸)と教頭(赤シャツ)が自己保護と私欲を隠すため長年巧みに仕掛けていることを知らされたことだった。同じ仕打ちを受けた先生と一緒に無法者、狸と赤シャツの芸者遊びを暴き、「天誅」を加える。と同時に「辞職願い」を送り学校を去る事を決意する。

自分の幸不幸は比較できない『イワンの馬鹿』(名作から思う事)

2020-05-07 14:40:00 | 人生を「生かす」には
本当に純粋で、素直な人間は「私欲」がない、「欲」が無いから馬鹿にされ、利用されがちだが、人からの「情」は何よりも価値が高いことを知る。人生における幸不幸は予測しがたい、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからない、だから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではない。また、幸不幸を他人と比較することで悲観的になることだけは避けたい。
『イワンの馬鹿』トルストイ (名作の読み返し)
裕福な田舎の百姓家に四人の兄弟姉妹がいた。長男は兵隊のシアン、次男は商売のタラス、3男は馬鹿なイワン、それにツンボでおしのマルタと言う娘が住んでおり長男、次男は外に出て出世、金儲けに成功します。親から財産分与を受けてイワンとマルタは実家の百姓を手伝うことになる。ある日悪魔が集まり兄弟喧嘩をさせるように悪巧みを図るがイワンには通用しない。それはイワンは「馬鹿」だからと言う。それにいつも「いいとも、いいとも」「どうぞいるだけ持っていってください」と純粋で欲のない人柄だった。やがてイワンは庶民から愛され国となる。悪魔たちはどうにかしてイワン(イワン国)を窮地に追いやろうと今度は「金」をたんまり用意して村に行くが村人たちは「金」の効果を知らないばかりか「無用の飾り」として無視、頭で稼ぐ方法も伝授したが誰も見向きもせず悪魔は食べるものが何も買えずくたばる寸前で諦めてしまう。

感受性を豊かにする方法『武蔵野』(名作から思うこと)

2020-05-07 08:16:22 | 人生を「生かす」には
感受性を豊かにする方法、それはここにある自然をじっくり凝視してみること、また今と昔を比較対照して考えて視ることなど「見方・考え方・捉え方次第」で心も身も豊かになる、とある。自然の良さなどは季節を問わず訪れても満足するに違いない。それは自分が自然に対してどんなことを期待し、観て、感じるかによるからだ。桜の季節、春の花見以外に行ってみることでその周りの景観は全く別物で、感じ得るものは全く違った「良さ」を拾い集めることができるのだろう。春夏秋冬、朝昼夕夜、月、雪、風、霧、霜、雨、時雨など自然の豊かさとその中で出会うもの(モノ・虫・鳥・動物・人)は自分の心に必ずや豊かに反映する。 こんな時だから森、林、公園などゆっくり目線を変えて歩くのもいいかもしれない。
『武蔵野』国木田独歩
武蔵野を訪れたことのない作者は、あたかも武蔵野の秋から冬の季節の中に身を置きながら自然の様々な変化、動き、音、匂い、色をこれほど多くを想像し感じ取れるものだろうか。晴天、雨、風、霧、物静けさ、星空、夕暮れ、鳥の鳴き声、落葉林の紅葉、その後の落葉の季節などなど自然に対して「林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、沈黙する」とある。武蔵野の景色・美観は随所で満足すると言う、満足さするものがあると言う。文中での「武蔵野」とは現代の東京近郊なのだろうか。「武蔵野」は埼玉・入間郡小手指原古戦場付近を指す

親の勝手な理由で離婚、子供の立場は・・『父帰る』(名作から思う事)

2020-05-06 12:33:06 | 人生を「生かす」には
@現代、親の都合で離婚(離縁)する家族(子供たち)はどう思うだろうか。親の都合だけで親子の縁が、親権がどこまで通用するのか。年老いた片親は再び子供たちを迎えたいが、それは親のわがままであり、子供の心理的立場からは許し難い問題である。 ましてや簡単に法的手段で納得のいくものでは無い親の自己満足は後々子供たちを迷わせ、心理的に大きな心の傷を追わせることも考えておくことだ。
『父帰る』菊池寛
20年前に家族3人と借金を残し、貯金も持ち出し遊女と出家した父親が戻ってきた。20年前、長男は8歳、次男は3歳、妹は生まれたばかりの赤児だった。毎晩酒を飲み借金を作り家出をした父は、商売の小屋が焼失しずっと苦労して来た。父親が居なくなった後、一番苦労した長男はその時の苦労話を淡々と父に迫り、遂に「今の家族の生みの親は20年前に築港の自殺未遂で死んでいる。20年前に父としての権利を自分で捨てている、今の家族は自分で築きあげた、誰にも世話になっておらん」

自然治癒力とは体にあるホルモンを有効的に分泌させること『奇跡のホルモンスイッチ』

2020-05-05 08:13:48 | 人生を「生かす」には
体を司るホルモン作用・機能を十分生かし切れていないのはとても損だ。その「スイッチオン」にする方法などで健康体を維持できることは素晴らしい。 ホルモンの働き名称は文末に添付してみた。詳しくは本書を一読することをお勧めする。

『奇跡のホルモンスイッチ』加藤雅俊
「概要」やる気を高めるノルアドレナリン、快感をもたらすドーパミン、精神を安定させるセロトニン、男らしい体とメンタルをつくるテストステロン、「可愛い」「守りたい」という気持ちを引き出すオキシトシン等々、体内でつくられ、生命活動をコントロールするのが「ホルモン」。ホルモンがうまく働けば、人間にもともと備わっている能力が引き出され、仕事の成果もグンと上がる! ホルモンを自在に操る「魔法のスイッチ」である即効ツボ押し・運動法から、生活習慣・話し方まで。
ホルモンの種類は100種類、潜在能力を有効に使わないのは損。
・機能は脳の働き、体内環境の維持、体の成長・防御等であり、分泌の伝わり方は脳と体の部位から
・薬はそのホルモンを分泌させる扉を開ける機能がある、但し薬では病気は根本的には治らない
ホルモンを分泌させる一番の方法は「背中を鍛える運動」(背筋を伸ばす・背中の筋肉へ刺激・下記図)
・太陽浴を1日30分を目標
・手のツボを刺激(親指で5秒、合谷・商陽・陰郄・陽谿・大陵・腎穴・中泉・郄門)
野菜だけで肉を食べないと鬱病になる(セロトニン不足)、さらに糖尿病にもなりやすい
セロトニンを効率的に分泌させるには「豚肉」(トリプトファンとビタミン🅱️6、1日80g)が最適、その他鰹節、チーズ、大豆、筋子、たら
コレステロール系ホルモンは男性・女性ホルモンが代表格で、不足すると乾燥肌、パサパサの髪の毛となる、無理すると生理が止まる。体脂肪率15%以下で黄色信号、13%以下は赤信号となり危険
悪玉コレステロールは「悪者」では無い、肝臓からのコレステロール分泌は骨の成長、身体の細胞の原料で大切、但し適量の運動をすることを推奨、摂取量は18歳以上の男性で1日750mg、女性で600mg、1日卵1個を摂取することを推奨、但し運動は欠かせない
・「褒めて育てる」はテストステロンが分泌するからやる気が出る、「褒める+認める=親近感・信頼感」を増す (言葉的には「ありがとう」、「君のおかげで~」、「すごい」)
更年期障害で(精神的・肉体的)はテストステロン不足だと言う。分泌の方法は筋肉に刺激を与えること(背中の筋肉刺激が有効)
・ドーパミン=快感・爽快感・喜び・感動、ドーパミンに変えるには生きる目的・目標、意欲をもち、自信に変えて行く行動。ドーパミン不足になるとパーキンソン病(手足の震え、筋肉のこわばり)になる。平穏な生活ではドーパミンは減り、依存症、無感動となる。
・ドーパミンを増やすにはワクワク・ハラハラ・ドキドキする出来事を増やす事(未知なる体験・恐怖)や達成感を増やす
・ノアアドレナリン(恐怖・怒り)を抑えるには「5秒待つ」の姿勢を維持する。禅の修行・座禅(雑音等に一切注意する事なく、受け流す状態「悟り」を作る)はこのノアアドレナリンを抑え、セロトニンを増やす効果がある。
セロトニンを増やす方法は、何かに「集中する」、十分な睡眠、正しい姿勢、呼吸の操作であり、「腸」に刺激を与える運動。セロトニン不足は便秘を招く。
ホルモンは対応を変える=男性には「解決型」女性びは「共感型」で対話する事
    男性:さすがだ、よくがんばったね
    女性:ねぎらいの言葉を交わす(話を聞き共感する:頑張っているね・偉いね)

間違った日本語で誤解されていないか『格上の日本語』

2020-05-04 08:47:43 | 人生を「生かす」には
「語感力」は言葉の武器になると言う。ツイッターや食レポなど「語感力」で人の言葉の表現次第で相手を唸らせる術が潜んでいることである。正しい日本語も現代では違ったまま、曲がったままで通用しているのも考えものである。例えば「妻」「女房」「家内」「嫁」「奥」「かみさん」など普段使っている言葉が間違って使用(下記文章内表記)されていることにびっくりだ。

『格上の日本語』山口謡司
「言葉の力」とは「語彙」を知って、その数を増やすこと、「語感力」は「言葉の武器」になり、想像力と創造力が増す、とある。言葉には知性、教養、品性、性格全てが宿り、相手に対して「ニュアンス」「感じ」の違いが出る。特に「食感」を語感に直結させる力にも役たつ
上司に対する返事は「了解しました」ではなく「諒解しました」
・「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)=相手に遠慮することなくどんどん議論すること
・「喧々囂々」(けんけんごうごう)=怒鳴り声でうるさく捲し立てること
「妻」=かんざしをつけた家事を行う成人女性
・「女房」=身分の高い貴族に仕え、身の回りの世話をした妻以外の女性
・「家内」=明治時代以降の家の中にいる女性のこと
・「嫁」=息子のところに嫁いできた女性のこと
・「奥」=武家屋敷の奥にいる妻のこと
・「かみさん」=嫁から見た姑のことを指す
・「伯父」=自分の両親の兄
・「叔父」=自分の両親の弟
・「費用」=何かを買ったり、何かをしたりするのに必要なお金
・「経費」=何か、物事を行うのに必要な費用のこと・継続的に必要なお金
・「前兆」=何らかの根拠がない兆し
・「予兆」=何らかの根拠が薄いながらもある
「絶妙」=この上もなく極めて精巧である
・「微妙」=細かいところまで行き渡って精巧である
・「夫妻」=夫妻は他人にしか使わない
・「夫婦」=敬語、丁寧語で、敬意を含まない
・「能率」=まだ結果が出ない点での割合や到達度を示す
・「効率」=既に終わった仕事、結果を重視すること
「神宮」とは伊勢神宮だけで皇室の先祖の天照大神を祀る処
「美女」と「美人」美人は必ずしも女性とは限らない人、経緯する君主や賢人
・「戸籍謄本」と「戸籍抄本」本人だけの記述が「抄本」
・「どうも、どうか、どうぞ」、どうかは無理を承知で頼み込む意味
「伏して、曲げて、是非」お願いする時には「伏して」を用いる、曲げて・是非は正しくても間違っていてもと言う意味が強い、さらに「謹んで」と言う気持ちを入れること
・「いただく」=主体が自分、自分が受け取ることに対して感謝の場合は「いただきます」
・「賜る」=主体がくれる人にある
・「答える」と「応える」、お客様の要望に臨機応変に「応える」となる
・「同行」と「随行」、上司に伴っていく場合は「随行」となる
・「無念」=考えが足りないこと、不注意であったためあとで悔しく思うこと
・「遺憾」=不注意であろうがなかろうが思い通りに物事が行かないで残念に思ったり悔しく思うこと。
・カタカナはひらがなより先に使われていた(カタカナ:822年、ひらがな:900年)
「キリン」と「麒麟」英語では「ジラフ」、上野動物園園長が命名「キリン」、明治以降に輸入された動物はカタカナ表示が多い
・「家に帰ろう」=構造物としての家
・「うちに帰ろう」=自分を待っている人がいる居場所
・「ニホン」と「ニッポン」政府での定義が未だない
「寿司」「鮨」、「鮨」は関東で34%使われる(もとは中国で魚の塩辛と言う意味)
・「往生」「他界」、往生とは仏教用語、他界は宗教に関係がない言葉
・「栄養」「滋養」、栄養は病気に罹らないようにつける食物、滋養は大きく育ち、力をつける食物

「応仁の乱」にみる政治的リーダーシップ欠乏症『応仁の乱』(名作から思う事)

2020-05-02 08:21:47 | 歴史から学ぶ
時の将軍が余にも無知で無策、さらに地位と権力を使い贅沢三昧が原因とある「応仁の乱」である。11年間も続いた乱は領土と権力を2代勢力、山名宗全(西軍9万人)と細川勝元(東軍16万人)が争奪しようとする勢力争いである。その原因は将軍職である足利義政の秕政と驕奢(政治的我儘・無策、贅沢・浪費)とある。義満などは金閣寺に似て銀閣寺を建てたが銀箔が足らなかったなどの逸話も残る。義政の時代に十三度も徳政令を出しながら、大飢餓状態となり悠長な花見宴などやるところではなく天下大乱の兆しがあった時であった。終焉は両頭が死去した時点である。宗全70歳、勝元44歳とほぼ同時期に亡くなったことで解散的な終焉となったとある。 現代、政治的リーダーシップ欠乏症の内閣が正にこの足利将軍なのか。コロナ感染で重大な危機を迎えている世間を知ろうともせず悠長で「頑張れ」とだけ言い続ける内閣はもはや「秕政」(秕政:悪い政治)であり、国民の支持どころか国内の経済v字回復もできる可能性が極めて低い。今後世界から「非難の嵐」がやってくることも覚悟しなければならない。また、日本は世界から「鎖国」される国の一つになるかもしれない。