葬儀とは宗教儀式が主体であるべきだと、私は思っています
宗教儀式が無くても、故人は物理的に送ることが出来ます
(無宗教葬儀も、否定はしませんが、それをするには遺族が宗教者に代わって故人を送り出す使命があると考えて
その役目をご理解していただきます)
しかし、多くのご遺族を見ていると、そこに宗教が関わることで
ご遺族自身が救われている事実があります
普段、宗教を意識することが無い、とおっしゃる方でも
神社や寺や墓地や仏壇に手を合わせて、時には太陽や木や海などにも手を合せ
目に見えぬ対象に語りかけている人が多いのは
私たちは日常のなかでの祈りが知らぬうちに身についているのはないのか?と
そんなふうに感じます
葬儀という仕事に携わり、故人を送るサポートをする立場なら
宗教儀式は宗教者の意向を立てるのが当然です
葬儀式を勝手に葬儀社が決めていいはずはありません
葬儀を承ると、まず日程の調整をしますが
お寺側は「勝手に日程を決めて伝えてくる葬儀社が多い」と嘆いています
菩提寺ならその僧侶が葬儀式をされるのに
その方のご都合をうかがわない、のは道理が通りません
そうしている葬儀社は思い違いをしています
こういう話をすると、非常識な寺院の批判を並べる葬儀社がいますが
それと一緒にして語るのは、意味がないでしょう
ご遺族の中にも菩提寺があるにもかかわらず
他の寺を紹介されてそのまま葬儀を依頼する人もいます
ご遺族の知識の無さも問題ですが
それを指導するのは葬儀社でなくてはなりません
遺族が望めば、何でも叶えるのが葬儀社の仕事、と思っている人もいますね
それは優しさの履き違えです
そして檀家に何も教えられない寺にも大きな問題があります
最近では葬儀に司会やナレーションが入るようになりました
葬儀を儀式で終わらせずその故人と遺族のための別れにするために
私は良い変化だと思っていますが
それが読経時間を圧迫してはいけない、と考えています
お寺側が「長すぎる司会やナレーションは困る」と訴えても
聞き入れてもらえない、と嘆くのも肯けます
葬儀によって、お寺によって司会やナレーションの時間が変動するのは
当然ありえます
自分が考えた司会やナレーションを全部言わないと次に進めない、と言うのなら
その人の力量を疑います。
葬儀は予行練習などできないのです
その場に合わせて収めるのが、司会者の務めです
ある御住職と膝つけて話を伺い、いたらない葬儀社が多くいることを知りました。
この御住職は、非常に勉強熱心で前向きに行動される方で、柔軟なお考えをお持ちの方です
そんな葬儀社はごく一部だと思ってましたが、東京では半数近くがそれに当たると聞き
ちょっとショックを受けました
葬儀社も宗教者も遺族も、もっとお互いに望むところを話合う必要がありますね
それぞれがもっと知識、意識を高めないといけない、と心から実感しました
宗教儀式が無くても、故人は物理的に送ることが出来ます
(無宗教葬儀も、否定はしませんが、それをするには遺族が宗教者に代わって故人を送り出す使命があると考えて
その役目をご理解していただきます)
しかし、多くのご遺族を見ていると、そこに宗教が関わることで
ご遺族自身が救われている事実があります
普段、宗教を意識することが無い、とおっしゃる方でも
神社や寺や墓地や仏壇に手を合わせて、時には太陽や木や海などにも手を合せ
目に見えぬ対象に語りかけている人が多いのは
私たちは日常のなかでの祈りが知らぬうちに身についているのはないのか?と
そんなふうに感じます
葬儀という仕事に携わり、故人を送るサポートをする立場なら
宗教儀式は宗教者の意向を立てるのが当然です
葬儀式を勝手に葬儀社が決めていいはずはありません
葬儀を承ると、まず日程の調整をしますが
お寺側は「勝手に日程を決めて伝えてくる葬儀社が多い」と嘆いています
菩提寺ならその僧侶が葬儀式をされるのに
その方のご都合をうかがわない、のは道理が通りません
そうしている葬儀社は思い違いをしています
こういう話をすると、非常識な寺院の批判を並べる葬儀社がいますが
それと一緒にして語るのは、意味がないでしょう
ご遺族の中にも菩提寺があるにもかかわらず
他の寺を紹介されてそのまま葬儀を依頼する人もいます
ご遺族の知識の無さも問題ですが
それを指導するのは葬儀社でなくてはなりません
遺族が望めば、何でも叶えるのが葬儀社の仕事、と思っている人もいますね
それは優しさの履き違えです
そして檀家に何も教えられない寺にも大きな問題があります
最近では葬儀に司会やナレーションが入るようになりました
葬儀を儀式で終わらせずその故人と遺族のための別れにするために
私は良い変化だと思っていますが
それが読経時間を圧迫してはいけない、と考えています
お寺側が「長すぎる司会やナレーションは困る」と訴えても
聞き入れてもらえない、と嘆くのも肯けます
葬儀によって、お寺によって司会やナレーションの時間が変動するのは
当然ありえます
自分が考えた司会やナレーションを全部言わないと次に進めない、と言うのなら
その人の力量を疑います。
葬儀は予行練習などできないのです
その場に合わせて収めるのが、司会者の務めです
ある御住職と膝つけて話を伺い、いたらない葬儀社が多くいることを知りました。
この御住職は、非常に勉強熱心で前向きに行動される方で、柔軟なお考えをお持ちの方です
そんな葬儀社はごく一部だと思ってましたが、東京では半数近くがそれに当たると聞き
ちょっとショックを受けました
葬儀社も宗教者も遺族も、もっとお互いに望むところを話合う必要がありますね
それぞれがもっと知識、意識を高めないといけない、と心から実感しました