柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

卒業研究は無縁死

2011年02月21日 | 葬儀専門学校
駿台トラベル&ホテル専門学校、葬祭マネージメント学科で
毎年葬儀の通夜、告別式のスタッフの動きや気付きを教えています。
入学して半年経ってこの授業をします。
まだ葬式の流れも良く解らず、何を教えても驚きの連続・・・
そんな生徒達ですが、その4ヶ月後には卒業研究を発表します。
多分、苦労して準備したのでしょうが、意外にも頼もしく見えてきます。

今回は無縁死についてのワークショップでした。
『ある無縁死の風景』としてアパートで無縁死した男性の状況を寸劇で見せてくれました

それから、参加者が小さなグループに分かれ、生徒が進行役を務めて
意見交換がありました。

私のグループは僧侶が2名、葬送のサポートをしているNPOの代表者
ピアノ奏者、卒業生で葬儀社に努めている人、そして私と生徒で7名でした。

お寺でも近年、無縁死を扱う事が多くなり
葬儀社と僧侶だけで送るそうです。
(その時に葬儀社の差を感じるそうです。儲けが無くても一所懸命に手続きなどをしてくれるところと
へー、そこまでやるんですか?とあからさまに言うところ。葬儀社でもずいぶん違いますね・・・と言ってました。)
NPOでは家族がない会員の葬儀を全て引き受けて送っています。
会で作成したエンディングノートがあるからこそ、1人で死んでも
葬儀や身の始末をしてあげられる、と言います。
そこには、自分の無縁を案じて相談に来る人が多い、と言います。

それを聞いて僧侶の方は、自分の方が力不足で何もしてあげていない、と
ため息を漏らしていました。

私も葬儀社が生前契約をもっと広めるべき、と話しましたが
葬儀社だけでなく無縁墓が増えているお寺にも生前契約は必要では無いかとも
話しています。

助けを求める人はそこで縁が出来ます、親戚がいなくても地縁ができます。
しかし、
助けて、と言えない人こそが無縁なのだ、という話も出ました。

無縁を感じている人は自分から無縁を作っている。
人に助けを求めてもいいのだと気付かない、
また人を助ける事が自分にもできるのだと気付かない

就労、子育て、介護などなど
身近に人がいても孤独を味わっている人が山ほどいるようです。
無縁死は、深い問題です。


この後、生徒は葬儀業界に巣立っていきます。
葬儀の依頼を待つだけでなく
葬儀社だからこそ、死を見据えた生き方を問いかける役目ができます。
地域の人の無縁を無くす働きかけも是非してもらいたい!と思います。

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