もう、ここ何年もの話だが、気になることがある。
それは学校の授業を聞いていないという生徒が驚くほど多いことだ。
「学校でここは学んだか?」
と聞いても分かりませんとの返答。
「今日の○○の授業は、寝ちゃった~!」
「聞いてませんでした」
え?
お前らのメインだろ?学校は。
話を聞かないとは何事か。
寝ていてそれがまかり通るということがあり得ない。
どうも基準がおかしいことになっている。
基準とはぶれ始めると、それが新たな基準となってしまう。
それが普通となり基準を定めていく。
当塾でも僕がまだ塾長ではなかった頃・・・
基準が甘い時期があった・・・
されど、今は数年前とは違う。
挨拶を必ずする。
遅刻者はほとんどいない。
授業で寝ている者はいない(かくんっ!となる者はたまにいるが)。
宿題もどんどん出していく。
授業後、テスト前補習も時間数は増えている。
・・・
基準は、毎年確実に上がってきている。
そして基準を上げると生徒は当初はためらうが、
徹底して続けていくと順応してくる。
そして、時間が経つとそれが当たり前の基準となる。
勉強も
子育ても
家庭内の躾も
スポーツにおいても言えることだろう。
人間として根っこの部分を形成していく子どもに対しては、
確固たる基準を大人がきっちり示していくことが重要だ。
生徒がどういう姿勢で勉強に臨むか・・・
もちろん今までの基準でやってきたのだろうが、
甘い点は一切捨ててもらう。
志気進研では通用しないということだ。
全てはこちらの基準次第。
一人ひとりの基準を上げていくこと。
それが、僕らの務めだ。
それは学校の授業を聞いていないという生徒が驚くほど多いことだ。
「学校でここは学んだか?」
と聞いても分かりませんとの返答。
「今日の○○の授業は、寝ちゃった~!」
「聞いてませんでした」
え?
お前らのメインだろ?学校は。
話を聞かないとは何事か。
寝ていてそれがまかり通るということがあり得ない。
どうも基準がおかしいことになっている。
基準とはぶれ始めると、それが新たな基準となってしまう。
それが普通となり基準を定めていく。
当塾でも僕がまだ塾長ではなかった頃・・・
基準が甘い時期があった・・・
されど、今は数年前とは違う。
挨拶を必ずする。
遅刻者はほとんどいない。
授業で寝ている者はいない(かくんっ!となる者はたまにいるが)。
宿題もどんどん出していく。
授業後、テスト前補習も時間数は増えている。
・・・
基準は、毎年確実に上がってきている。
そして基準を上げると生徒は当初はためらうが、
徹底して続けていくと順応してくる。
そして、時間が経つとそれが当たり前の基準となる。
勉強も
子育ても
家庭内の躾も
スポーツにおいても言えることだろう。
人間として根っこの部分を形成していく子どもに対しては、
確固たる基準を大人がきっちり示していくことが重要だ。
生徒がどういう姿勢で勉強に臨むか・・・
もちろん今までの基準でやってきたのだろうが、
甘い点は一切捨ててもらう。
志気進研では通用しないということだ。
全てはこちらの基準次第。
一人ひとりの基準を上げていくこと。
それが、僕らの務めだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます