江戸時代の後期、京都に中神琴渓という稀代の名医がいました。
寛保4年(1744)近江国栗田郡南山田村の農家の次男として生まれ、幼くして
大津の某糀屋の養子に出され、その後に大津の医家、中神家に養嗣子として入り
中神家の医業を継ぎましたが、詳しい時期は不明です。
30歳前後で古医方派、吉益東洞の「古方便覧」「方極」を読んで深く感銘を受け、以後は
古医方の実証主義に傾倒していきますが、吉益東洞の門人であったかは不明です。
本格的に医師としての道を歩み出したのは、寛政3年(1791)48歳にして京都の四条で開業して
からで、医師としての評判は高まり当時、医家の四天王と呼ばれていたようです。
文化10年(1813)には光格天皇を診察したことにより禁裏御用地であった田村新田を拝領し
庄屋を継いでいます。その後、江戸を始め各地に赴いて自説を広めますが、門人は延べ3000人
とも伝えられます。
69歳で隠居後は田村新田に住み、半農半医の生活を送りましたが、天保4年(1833)に亡くなり、
その墓が現在も田村新田の有王集落に残っています。
※京都府綴喜郡井手町田村新田 JR奈良線玉水駅より府道321号線を東へ6km
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