四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

心に残る風景

2024年01月14日 09時40分16秒 | 日々の歩み

 ある冊子の求めに応じて「心に残る風景」を取りまとめてみました。
そこから抜粋し、ここに記したいと思います。

 私の心に残る風景としてまず第一に浮かぶのは・・・、
「小諸なる古城のほとり」の歌碑が建立されている、長野県小諸市にある
懐古園から眺める千曲川の景色です。
信州の大地を北に向かって蛇行しながら、ゆったりと流れるその川の雄大さと、
たたずまいは今でも鮮明に胸に焼き付いています。

 当時、住んでいた佐久市から高校のあった上田市まで約二時間をかけて
通学していました。小諸は小海線の乗換え駅で、土曜日などは途中下車して、
懐古園まで学友たちとよく散策に出向いたものでした。

 二年生となり、進路について家の経済状態も含めてかなり悩み、鬱々と
した日々が続きました。

そんなある日、土曜日で早めに帰れたこともあり一人で懐古園を訪れました。
丁度、雲水のお坊さんが歌碑の前で、草笛を奏でている場面に出会いました。
公園はまさに秋たけなわで、見事に染まった紅葉があたり一面を覆っており、
もみじ狩りの人出も多く、そこそこの賑わいでもありました。

 たまたま「藤村詩集」を図書館から借りて持っていましたので、雲水の
奏でる曲に合わせて「千曲川旅情の歌」の詩をなぞっていました。
その中に、

 ♪ 昨日もまたかくてありけり
   今日もまたかくてありなむ
   この命なにをあくせく          
   明日をのみ思ひわづらふ

の詩が目に入りました。草笛の切なくなるような響きと、その詩が
胸いっぱいに広がった瞬間でした。詩の深い意味は解らないながらも
「この命なにをあくせく」の言葉が強烈に胸に刺さったことを、今でも
鮮明に思い出します。
「一日一日を精一杯生きよう。その結果を素直に受け入れよう」と、
なぜか開き直って考えられるようになったのも、その瞬間でした。

 そんな想いで眺めた千曲川の景色。佐久平を削りながら、北へ向かって
伸びる雄大なその景観は、なぜかとっても新鮮に映り、私の行く末を暗示して
くれているかに感じました。
西に傾き始めた陽に照らされ、輝きながらゆったりと流れる千曲川は太古から
変わらぬ姿で水を湛え、田畑を潤し、多くの民人に豊穣の
実りを届けてきた
ことは言うまでもありません。そんなことすら
そ知らぬふりで滔々と流れる
川の姿は「くよくよするな」とも
言っているようでした。

 その後、自分を信じ、理系の学びを経て大手の電機会社の本社に入社し、
当時黎明期であったコンピュータのソフトウエア開発の世界にどっぷり
浸かっていきました。
 コンピュータがICT社会の中枢になっていった時代、数々のプロジェクトの
リーダーとして、寝る間も惜しみ多くの開発現場に転戦を重ねてきました。
その中で、100名を超えるSE部隊を率いてシステム開発等を担う責任者として、
厳しいながら得難い経験を積むことも出来ました。
技術者として、また、ビジネスマンとしても環境にも、同僚、先輩にも
恵まれた良き時代を過ごすことができました。

 今思えば、島崎藤村の詩に触れ、千曲川の雄大な眺め「忘れ得ぬ風景」に
勇気づけられたあの日々が、出発点であったとしみじみ思っています。

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八代亜紀さん

2024年01月10日 19時48分17秒 | 日々の歩み

 「舟唄」「雨の慕情」「愛の終着駅」などの名曲で知られ「演歌の女王」とも言われた、歌手の八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことを、所属事務所が公式サイトで発表しました。

 デビュー当時から密やかなフアンの一人でもありましたが、改めて長年のご活躍とボランティア等々へのご尽力へ感謝を込めて、ご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 昨年8月28日にブルーノート東京でバースデーライブを行い、いつもと変わらない歌声で観客を魅了し、つづく9月9日には埼玉県熊谷市での公演「日野皓正クインテット」にゲストとして登場していました。その3日後の9月12日に所属事務所を通じて膠原(こうげん)病を患っていることを公表し、年内の活動を休止することが発表されていました。

 ボランティアに尽力していたことでも知られています。73年に「なみだ恋」がヒットしたことで「ヒットのお礼に恩返しがしたい」とボランティア活動をスタートされました。同年に少年院への慰問を始め、81年から女子刑務所の慰問公演を開始し、ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の両親が、八代さんと同じ熊本県出身という縁で、ペルーへの支援も行い、94年には学校(ヤシロアキ工業技術学校)を設立しました。

 2011年の東日本大震災の後に被災地を訪れ、体育館で寒さに震える被災者の姿を見て数千枚の畳を届け、その心遣いに涙する被災者もいたと報道されています。熊本地震の後も被災地でコンサートの開催をし続けました。得意な絵については、個展の開催を呼び掛けられた時に交通遺児の助けになるようにチャリティー絵画展にするなど、いつも助けを必要としている人々の心に寄り添っていた印象があります。


 私の現役の時代、先輩、同僚達は指揮者カラヤンが全盛の時代に青春時代をおくったこともあり、クラシックフアンが多く、演歌へのアレルギーがある方も多くいました。そんな中で八代亜紀さんのフアンを表明するのは、結構勇気のいる事でした。しかし、彼女の唄う心に沁みるような演歌には「日本で一番過酷」と言われた、コンピュータ・ソフトウェア開発業務の厳しさを忘れさせ、また、幾たびか癒される思いを味わいました。

 演歌に相当する音楽は、南米やスペイン、イタリアなど多くの国々にも存在します。南米のアルゼンチンやウルグアイのタンゴ、スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、イタリアのカンツォーネという音楽が有名です。いずれも大地にしっかりと根を下ろし、生活者としての苦しみや喜び、さらには人々の愛や郷愁などの感情を抒情豊かに表現する歌でもあります。

 このように、日本の演歌に相当する音楽は、それぞれの国や地域の歴史や文化を反映した音楽であり、演歌と同様に、それぞれの国の人々の心に響く音楽と考えます。
 さらに、突き詰めて言うと人々の苦しみや、哀しみ、叫びに寄り添い、その人々の表現できない深い想いを汲み取り歌ったのが、演歌の本質ではないかと勝手に解釈しております。その意味では短歌にも通じるものもあると考えています。八代さんのコンサートには細君共々幾たびか伺いましたが、その席上でよく言われる「代弁者」と言う表現が、演歌そのものの本質を表していると感じたことがあります。


 こんなことも含め、長い事八代亜紀さんのフアンでありましたが、細君も大病を患い大きな手術後のリハビリの中で、八代演歌に慰められ、勇気づけられた一人でもありました。
 また、あまり知られていない八代亜紀さんのボランティアに保護猫活動があります。たまたま中学生の孫の一人のイラストが八代さんの目に留まり、昨年3月八代さんとコラボで絵本「ちーたんとあきちゃん」を出版すると言う幸運にも恵まれました。この出版はチャリティー事業として行われ、本の収益金が保護猫活動に役立てられていると伺っています。
(出版時、孫は未だ中学生であり、マスコミ等への開示は避けたいとの配慮もあり、イラスト担当は「ひまり 14才」との表示に留めました)

 偉大な歌手でもあった八代亜紀さんですが、誰にでもフレンドリーに接し、子供達からも親しまれ、愛され「身近な友だち」を貫き通した歌手は、中々存在しないとの感慨があります。

 改めて、一フアンとして心からのご冥福をお祈りしたいと思います。

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新年始動へ

2024年01月06日 12時07分30秒 | 日々の歩み

2024年も明け、既に6日を経ています。
新年初のブログで、「甲辰」の年は「変革(転機)」や「激動」が示すように、時代が動く年となることが予測されます・・・と、申し上げました。その予測をなぞるように、当日の午後四時過ぎに最大震度7を観測した能登半島地震が発生しました。

     「三浦半島 諸磯湾からの富士山の眺望」

発生から6日目となった本日6日、報道によりますと石川県の死者は輪島市で4人増えて98人に上り、安否不明者は222人とのことです。輪島市は救助通報の内容などから、建物倒壊により人が下敷きになったとの情報が100件ほどあるとしており、自衛隊や警察が捜索を急いでいます。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、安否不明者のご家族、さらに被災され避難を余儀なくされている皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

     「白い山茶花」

現地で厳しい状況におかれている皆様の想いに寄り添うとともに、復旧・復興に向けて自身の出来る貢献を、ささやかなりとも続けて参りたいと思っています。

このような心の重い日々ではありますが、正月は子どもたちも受験期の子供を抱えたり、それぞれ身動きが出来ない状況もあり、比較的身軽な次男家族と共に、私たちが彼らの家に「お年玉」を届けに訪問し三が日があわただしく終わりました。そんな日々も過ぎ、初詣の参拝も行い、ようやく日常を取り戻しつつあります。

     「シクラメン」

まず、体力維持を兼ね温水プールでの初泳ぎと、遊歩道の散歩から始めました。初泳ぎの公営プールはいつものように、午後から出かけました。館長さんやスタッフの方々に新年のご挨拶を行い泳ぎ始めたものの、かなり空いており私たちも含めて数人と、貸し切り状態でゆったりと泳ぐことができました。初泳ぎでもあり、あまり無理をせずに1500mほどで切り上げ、水中歩行やストレッチを十分行ってきました。

     「東京湾を挟んで 横浜みなとみらいの街並み」

また、遊歩道での散歩も平年に比べ比較的気温も高く、散策には適した状況です。既に水仙の蕾も膨らみ、中にはほころび始めています。四季咲きの薔薇も冬の寒さの中しっかりと花をつけ、マチルダでしようか純白と薄紅の見事なコントラストの花を冬の日に耀かせています。また、野生化したシクラメンも小ぶりな花ながら咲き継ぎ、菜の花も陽だまりに咲き初めています。そんな花たちを眺めながらの散策はひと時の安らぎでもあります。

     「冬薔薇 マチルダ」

また、凪の海は湖さながらにどこまでも静かな海原が続き、能登半島を襲う津波の怖さを忘れさせ、それゆえ自然の秘める脅威を改めて感じさせられました。

こんな感慨を抱きながら、「甲辰」の年を歩み始めました。
本年も、お立ち寄り頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

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無農薬野菜を

2023年12月18日 13時11分45秒 | 日々の歩み

 今回は、日ごろ細君と通っているスイミングプールについて触れたいと思います。私は、現役を一昨年3月に終えましたが、コロナ禍もあり、それまでの生活の諸々見直しを図りました。その一環として、スポーツジムを取りやめ公営の温水プールに切り替えました。

 スポーツジム時代は、ルームラン、ウエートトレーニング、太極拳、気功、ダンス教室、さらに水泳等々殆どのコースとメニューに参加してきました。そんな中で友人もかなりでき、競うように続け、一時期体脂肪率が1けた台と言う状態も経験しました。さすがに、風邪もひきやすくなったり疲れも残るようになったため、その後はかなりセーブするようにしていました。
 さらに、スイミングプールは営業政策もあったのでしょうが、子供たちを始め各種の水泳教室が数多く開催され、純粋に泳げるコースが2~3コースと制限されゆったりと泳げない状況になりました。こんな中で、水泳を主な目的として通って来ていた友人たちも、かなりの方が公営プールへの切り替えを図ったようでした。

 私達は、三浦半島の西海岸にあります比較的新しく出来た公営の温水プールに週2~3回の頻度で通っています。ここは我が家から往復で20数キロと比較的遠いのですが、空いておりプールも綺麗で気に入っています。相模湾に沈む夕日を背にした富士山のシルエット等の眺望も素晴らしく、ドライブコースそのものも楽しみで、運転も細君と交互に行っています。

 私は、いつも1600メートル前後を目標に1時間程度泳いで帰ります。通っている間には顔見知りも出来、挨拶をしたり簡単な話はしますがお互いに名前を名乗ることはほとんどしてきませんでした。もちろんプールを社交の場として、友達を作っておしゃべりを楽しむ方も少なからず、おられるようです。喧騒を離れ、それぞれの方が、ゆったりとスイミングで過ごすひと時を持つことは身体のためばかりでなく、精神の健全維持のためにも良いのではと思っています。

 過日いつもの時間に行ったら顔見知りの方が一人泳いでいました。私たちもそれぞれのコースで泳ぎ始めました。しばらく泳いだ後、細君が「今日は空いていますね。」と声かけしたことから話が弾んで「実はミカン農園をやっていて野菜も自宅用に作っている・・・」との事でした。
 そんな会話があったことを知らずに、シャワーを浴びて車に向かおうとしたら、その方から声をかけられ「来年のミカン狩り」に備えて、その場所に案内するとのことで、その方の車について行きました。帰りの運転はいつも細君の役目なので、私は助手席に乗り込みました。同じ市内と言っても知らない場所が多く、初めての道を進んで行きミカン園の傍に止まりました。

 園の脇にあるお宅にその方は入っていき、奥様を連れて出て来られました。「突然お伺いしてすみません」と・・・ご挨拶しましたが、奥様はとても快く迎えて下さり「作った野菜が家だけでは食べきれず差し上げられるのは嬉しいことなので…」と、ご夫妻であれこれと畑から収穫して下さいました。

 大根、ニンジン、キャベツ、レタス、ブロッコリー、カリフラワー、カブ等々沢山収穫してくださり「自宅用なので無農薬で作っているのでちょっと虫がいると思います」とのこと。無農薬野菜はスーパー等では買うことできませんので嬉しい限りでしたが、事の成り行きに驚いた次第です。
 家に戻ってから早速新鮮な野菜を茹でて夕食のおかずにし、小さな人参の葉はてんぷらにしましたが美味しかったですね~。来年は是非ミカン狩りに行かせて頂ければと細君と話し合った次第です。もちろん有料で・・・。

     「頂いた無農薬野菜」

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干柿作りに

2023年12月10日 09時20分04秒 | 日々の歩み

我が家の、ささやかな秋の風物詩で恐縮ですが・・・、先月中旬のこと、細君がネットで渋柿の愛宕柿を注文し、10キロほどの柿が我が家に届きました。

     「渋柿 愛宕柿」

「今年は干柿作りに挑戦する」と細君は張り切っていましたが…。思えば昨年は、大型修繕もありベランダが使えないため断念しました。ここ何年か、我が家の秋の風物詩となっていた干柿作りが、ようやく再開されることになりました。

     「皮むきをした渋柿」

細君は、数にして30数個の大ぶりの柿の皮を手際よく、ピーラーで次々と剥いていきます。柿には生産者の方がT字の枝をきちんとつけた状態で届けてくれましたので、ひもで吊るすには便利でした。私も少しお手伝いをして2個一組で紐かけをしました。その後熱湯でさーと消毒して・・・、ベランダに吊るしました。

     「皮を剥き 吊るし柿」

その後、数日ごとに細君は柔らかくなるように優しくもんだり、カビ防止用に食用アルコールを吹きかけたりしながら仕上るのを楽しみに待ちました。
今月に入り細君は、柔らかい干柿が好きとのことで、3週間ぐらいで干すのは終了とし取り込みました。それらを冷蔵庫等に保存し、日持ちさせて長く楽しむとのこと。

     「出来上がった 干柿」

我が家の息子たちはあまり甘いものや果物を食べないのですが、干柿は美味しかったと言っていたので正月の帰省用に半分を冷凍庫に保存しました。

     「出来上がった干柿 とろとろの断面」

最近は、細君と1個を半分ずつにして頂いていますが、スイーツとしてもなかなかのものと思っています。細君はとろとろ系が好きなので満足なできのようです。もちろん私も結構好きです。

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走水の海

2023年11月18日 18時41分02秒 | 日々の歩み

かつて、このブログでは横須賀 走水(はしりみず)神社について幾たびか触れて
参りました。

     「秋薔薇 ソリドール」

『古事記』『日本書紀』では、日本武尊が相模から上総に向かった際、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮めたとの記述があります。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛を納めたとされています。この社が弟橘媛を祀る「橘神社」ですが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用地になった為、「走水神社」の境内へ移されたとのことです。

     「走水神社 全景」

走水神社公式ホームページでは、この弟橘媛命と走水とを『古事記』を引用し、
次のように記しています。
 ―日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が
  吹き、海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの
  危機に遭いました。
  日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、
  神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、
   ★さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも
  との御歌を残し、海中に身を投じられました。
  たちどころに海は凪ぎ、風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように
  上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。―

この弟橘媛命の歌碑は走水神社の裏山に建てられています。

     「弟橘媛命の歌碑」

この走水の海岸を過日訪ねてみました。房総半島を望む浦賀水道は、かの弟橘媛命が身をもって鎮めた荒れ狂う海とは打って変わって、秋空の下でどこまでも静かに凪いでいました。海岸の砂浜からは横須賀の街並みの背後に、遠く白銀をまとう富士山も望め、一幅の絵のような景観が広がっていました。

     「走水海岸からの 冠雪の富士山」


     「東京湾を挟んで 横須賀の街と富士山」

横須賀から東京湾を挟んで富士山が眺められると申し上げると「信じられない」と、おっしゃる方もあまたおられます。しかし、この地から上記の画像の通り四季折々に鮮明な富士山の雄姿が眺めることができます。ただし、距離の関係もあり、気象の影響もありますので、11月から2月は比較的眺めることが可能ですが、他の月は結構難しいとの印象があります。機会がありましたら、お立ち寄り頂ければ幸いです。

     「走水海岸から 横須賀の街、富士山を望む」

この景観に寄せて即興で一首短歌を詠んでみました。
 ☆いにしえの弟橘媛(おとたちばな)の歌さえも
               今は遥かに 海は凪ぎいる 

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「よこすかさかな祭り」へ

2023年10月01日 19時49分45秒 | 日々の歩み

 本日10月1日、横須賀魚市場で「第22回よこすかさかな祭り」が行われ、細君共々散歩を兼ねて行って参りました。この祭りは、昨年3年ぶりに開催されましたが、地元で獲れる海の幸を「見て、食べて、買って、遊んで、学べる」のコンセプトは、今回もそのまま引き継がれました。

     「未だ咲く 白芙蓉」

 魚介類の特価朝市や誰でも参加できる「せり販売」のほか、大きなマグロを音楽に合わせて踊りながらさばいていく「マグロの踊る解体ショー」「めずらしい魚の目方当てクイズ」などの企画が盛りだくさん用意されていました。
 なお、子どもたちが楽しめる「さかなのタッチングプール」もあり、世代を超えて参加でき、楽しめる工夫がされていました。

 また、地産地消のグルメコーナーでは、水産資源の有効活用をテーマに未利用魚を材料したクラフトソーセージや横須賀産のふぐを使ったフグバーガーなどが味わえました。

 昨年度大好評だった「冨田伊織 新世界『透明標本』」コーナーでは、前回に引き続き横須賀で獲れた魚の透明標本を展示のほか、今回はさらに物販なども行っており、新たな魚の魅力を発信していました。

 このような盛り沢山の魅力的な企画が用意されていた故でしょうか、広い市場ですが、人が溢れ物産の購入に長蛇の行列ができ、休憩や、食事するスペースも確保できない状況でした。私たちも名物のマグロ丼や、地元産の季節の果物、お魚、人気のお菓子等をお馴染みのお店で購入し、祭り見物も早々にすまし、帰路につきました。

 話は変わりますが、先週の中秋の満月の前日、我が家で第三回目の月下美人が三輪咲いてくれました。そのうち一輪は約束とのことで、細君の友人に夕刻切り花でお届けしましたので、二輪のデジイチスケッチを夕刻から、深夜まで行いました。

     「月下美人 咲き始め」     

 今回は、前回の花より心持幾分大きく感じましたが、計ってみると1cmも変わっていませんでした。人の目の正確さは結構馬鹿にできないなと今更に感じました。
 
     「月下美人 満開前」

 20時頃から開花し始め、23時頃にはほぼ満開となる状況は、前回とほぼ同様の推移と感じました。前にも記しましたが、見るたびに雅な香りと共に新たな花の魅力を見いだせる、数少ない花との印象を改めて感じました。今回も咲きはじめから満開まで、汗だくになりながら数えてみると200枚近い画像を撮っていました。

     「月下美人 満開」

 その一齣を、代わり映えがしませんが掲載させて頂きます。

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咲きはじめた曼殊沙華

2023年09月18日 14時47分40秒 | 日々の歩み

 炎暑の影響か例年より開花が遅れていると感じましたが、秋の柔らかな木洩れ日をまとい、静かに紅の蕊を揺らす曼珠沙華がそこかしこに咲きはじめました。


なお、曼珠沙華には紅の花とともに、白い花も見られます。この白い花は白花曼珠沙華と言いますが、かつて鎌倉の萩寺、宝戒寺で見ることが出来ました。
 この宝戒寺は北条一族終焉の地としても有名ですが、源氏一門の新田義貞に攻め込まれ、北条一族ことごとく自刃して果てた地でもあります。その後、萩をはじめ曼殊沙華、梅までが、ことごとく色を失くし、白色の花のみが咲くようになったと伺ったことがあります。


 なお、曼殊沙華は、サンスクリット語で「赤い花」を意味するmanjusakaの音写で、この名前は、仏典に由来し、釈迦が法華経を説かれた際に、これを祝って天から降った花(四華)の一つが曼珠沙華であるとされています。鮮やかな赤色の花は、天上の花として仏教の象徴ともなったとの事です。
また、『万葉集』に詠われた「いちしの花」を彼岸花とする説もあります。
 ★路のべの壱師の花の灼然く人皆知りぬ我が恋妻は
                  (柿本人麻呂歌集)


 しかし、曼殊沙華は、花が咲いた後に葉が出て、再び花が咲く頃にはその葉も消えるという特徴を持っています。このため、花と葉が同時に見られないことから、「相思華」とも呼ばれるようになったとのことです。それは、「花は葉を思い、葉は花を思う」という意味で、別れた恋人や亡き人を慕う深い思いを表しています。


 曼殊沙華は、秋の彼岸の頃に咲くことから、彼岸花とも呼ばれますが、この名前も死者や故郷を偲ぶ気持ちを含んでいると考えます。曼殊沙華は、紅の花蕊を空に向け咲く美しい花ですが、その裏には悲しみや哀愁が隠されているようです。


この曼殊沙華に寄せて一首詠んでみました。
☆ほむら立つ如くに咲くや曼殊沙華 秘むる命の滾るがゆえか

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夏祭りへ

2023年09月10日 18時55分16秒 | 日々の歩み

 9月に入って既に10日を経過いたしましたが、依然として炎暑が続いていますね。
台風13号は静岡県に上陸はしたものの雨台風となり、関東を中心に浸水や土砂崩れ等々の傷跡を残しました。被災され、被害にあわれた方々に改めてお見舞いを申し上げます。
当方の住む地域はお陰様で大雨とはなりましたものの、特段の被害にあわずに済みました。


     「酔芙蓉 一重」

 過日の週末、二日間にわたって地域の氏神様である諏訪神社の夏祭りに細君共々二人で出かけました。夕ぐれから響いてくるおはやしや太鼓の音に誘われて・・・。
私の住む団地でもコロナ禍で中止されるまでは、団地の祭りが同一日に開催されたためここ10数年来神社に出向くことはありませんでした。今年はコロナ感染症が市中で再び増加傾向となり、折からの大型修繕の最中とのことで中止となりました。


     「諏訪神社御柱と提灯」


      「祭り神輿と山車」

 神社に着いて、その賑わいと盛り上がりの光景には驚きの一語でした。3年ぶり開催と言うこともあったのでしょうが、ものすごい人出で道路が埋まり、周辺の町内会の山車とお神輿が一斉に諏訪神社に集まってきていました。
 ここしばらく来ていないこともあり、この盛り上がりと、お神輿を担いでいる人たちの熱気にこちら迄すっかり興奮してしまいました。宵宮の祭りと言うことでカメラを持参しなかったため、この盛り上がった山車と神輿のお祭り風景は残念ながら、撮れませんでした。この日は、あまりの雑踏に恐れをなして、神輿と山車の見物にとどめて、早々と家路につきました。

     「祭りの一齣」

 翌日、日曜日の夕方はいつも演芸会があるので今度はカメラ持参で出掛けてみましたがコロナ禍でもあり慎重を期してとのことで、演芸会は残念ながら急遽中止となりました。
それでも皆さん神社の境内に多くの人が集まり、お店でお酒を飲んだり、おしゃべりをしたりとお祭りをそれぞれが楽しんでいました。祭りの開催をこんなに待っていたのですね~!!
祭りの会場では、細君は楽しみにしていたかき氷が食べられて、少しにっこりとしていました。

     「百日紅 白色」

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炎暑の8月を凌ぎ

2023年09月03日 21時08分41秒 | 日々の歩み

 炎暑の8月を凌ぎ、9月も三日となりましたが、日中の暑さは相変わらずですね。
しかし、夕暮れとともにかすかではありますが、涼風も感じられます。


     「マンデビラ」

     「夕刻前に淡紅に染まる 酔芙蓉 八重」

 気象庁は9月1日、今年の夏(6~8月)の日本の平均気温が、1898年の
統計開始以降で最も高かったと発表しました。
最高気温が35度以上の「猛暑日」の日数は全国38地点で最多となり、
過去151年で猛暑日が一度もなかった北海道函館市で初めて記録されるなど、
異例ずくめの夏となったようです。
全国的な高温傾向は9月以降も続く見込みとのこと。
「地球沸騰化」の時代とも言われ始めましたが、二酸化炭素の排出制限等、
喫緊の課題となりつつあり、自らに引き寄せて考えて参りたいと思います。


     「真夏の象徴 ブーゲンビレア」


     「百日紅 薄紅」

 事実、本日も、ここ南関東は猛暑日となりましたが、夕暮れには涼風も吹き、
確かな季節の移ろいを感じます。


     「キバナコスモス」

     「初秋の訪れ 小紫式部」

 今回は、晩夏から初秋にかけて散策等で巡った観音崎公園や、遊歩道等に
咲く花々をデジイチでスケッチし、季節の移ろいを辿ってみました。

なお、遊歩道でいつもお会いする方の、マスク無しの微笑みがまぶしく
感じられ、
即興で一首詠んでみました。
 ☆マスク無き人らも増えて遊歩道 改めて知る爽やかな笑み

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