この日はある散歩イベントに参加して、横須賀市の浦賀と久里浜を歩いた。横須賀を散歩するのは初めてだった。知らない街を散歩するのは楽しい。
■浦賀ドック跡地
一世紀以上にわたり約1000隻にのぼる艦船を作りつづけたドックの跡地。明治30年(1897)浦賀船渠株式会社が創設され、2年後にはドライドックが建造、浦賀重工業株式会社を経て住友重機械工業株式会社となった。平成15年に閉鎖。
■八雲神社
もとは大谷山満宝院八雲堂という修験の寺で、明治以降神社に変わった。江戸時代に建てられた建物はそのままで、屋根に宝珠が乗る寺院型式のお堂建築となっている。お堂の中には修験の護摩壇が残っている。
■乗誓寺
浄土真宗の寺院で、親鸞の教えに帰依した了源が安貞元年(1227)平塚の地に阿弥陀堂を建てたのが始まりで、後に戦乱を逃れるために浦賀に移転、寛永14年(1637)から乗誓寺を名乗った。この寺の墓地には、江戸時代にこの地で盛んだった干鰯(鰯を油抜きして干したもので綿花の肥料になる)問屋の大店の墓が残る。
■顕正寺
天正元年(1573)に顕正坊日実大徳という僧が顕正庵を結んだことによって開かれたといわれる日蓮宗の寺院。墓地には、直木賞作家の山口瞳の墓がある。
■東耀稲荷
天明2年(1782)の創建で食保命(うけもちのかみ)を祀る。古くは隣接する東耀山顕正寺の境内にあったため、東耀稲荷と呼ばれる。欄間(らんま)や格天井などには見事な彫刻が施されている。
鳥居の隣には懐かしい手押しポンプの井戸が。散歩中にこれ以外にも2つ見つけた。
■東林寺
浦賀奉行所の与力であった中島三郎助の墓がある。中島は嘉永6年(1853)のペリー来航の際に最初に黒船に乗り込み、黒船使節団との折衝に当たった人物。明治時代には幕臣としての遺志を貫き、函館で政府軍との戦いで息子と共に戦死した。
中島三郎助の墓。近くには戦死した2人の息子の墓もある。
■東叶神社
浦賀の港をはさんで、西叶神社と向かい合って立つ神社。祭神は応神天皇。社務所の裏には井戸があり、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断を前にこの井戸で水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられている。
勝海舟ゆかりの井戸。
社殿の前から対岸を望む。
■徳田屋跡
江戸時代から大正時代まで続いていた旅館の跡。吉田松陰や桂小五郎、浮世絵師の歌川広重が泊まった。石碑は吉田松陰は師の佐久間象山とペリ-来航時の対応策等についてこの旅館で議論したことを記念するもの。
■浦賀の渡し
ポンポン船の愛称で親しまれる。享保10年(1725)ごろから記録に登場する古い渡し船。かつては木造船だったが、現在は強化プラスチックの船。定員12名、料金は大人150円。対岸には数分で着く。
渡し船乗り場。
渡し船からの眺め。
■西叶神社
京都神護寺の文覚上人が源氏の再興を祈願して石清水八幡宮を勧請したもので、平家が滅亡しその願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられたと伝えられている。社殿は、天保13年(1842)に建造されたもの。社殿には230を超える彫刻が施されている(残念ながら見る暇がなかった)。
願いが叶いそうな絵馬。
■常福寺
文明年間(1469~1486) に創建され、浦賀に奉行所が移されてからは、浦賀における本陣(御用寺院)の役割を果たした。 「良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼尊霊位」と刻まれた位牌は、むし歯によく効くと評判を呼び 歯科医療の発達していない時代に、むし歯に悩む人々の信仰を集めた。
■船番所跡
享保6年(1721)に浦賀奉行所の出先機関の船番所が置かれた。船番所は船の関所で江戸に出入りをする船の乗務員や荷物の検査を厳しく行った。現在は公園として整備されている。
浦賀港引揚記念の碑。浦賀港は太平洋戦争終戦後の引揚指定港の一つで、南方や中国大陸からの約56万人の引揚者を受け入れた。
■ペリー公園
嘉永6年(1853年)に日本の開国を求めて来航したアメリカ海軍提督ペリーが久里浜海岸に上陸したことを記念する公園。石碑は明治34年(1901)に建てられた。碑文の「北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の筆による。園内のペリー記念館内には、ペリー来航に関する歴史的資料や模型などを展示。
石碑。
ペリー記念館。
■くりはま花の国
首都圏有数の花の名所で、春にはポピーが、秋にはコスモスが楽しめる。園内にはハーブ園があり、収穫したハーブを入れた足湯が楽しめる。100万本のコスモスの花のじゅうたんを大変期待して訪れたが、先の台風18号の被害にあい、コスモス畑は残念なことになっていた。幸いイエローキャンパスという黄色いコスモスはなんとか咲いていた。春にポピーを見に訪れたい。
イエローキャンパスが咲いていた畑。
コスモス畑を見下ろす。ピンク色のじゅうたんが見られるものと思ってわくわくしていたのだが・・・
ゴジラが突如出現、観光客に襲い掛かる!・・・というのはうそで実は滑り台。
愛の鐘。この鐘を二人で鳴らすと良いことがあるらしい。
ハーブ園。
久里浜港を望む。
■今日のにゃんこ
くりはま花の国の愛の鐘のそばのベンチにいた猫。首輪がないので野良猫かと思い込んでいた。ベンチに寝転んでいたおじさんにとてもになついていたので不思議に思ったが、おじさんが猫に声をかけて起き上がって歩き出すと猫はもう一匹の猫とともにおじさんの後についていった。どうやら飼い猫でおじさんが散歩させているようだ。犬の散歩は毎日目にするが、猫の散歩は初めてだ。
■浦賀ドック跡地
一世紀以上にわたり約1000隻にのぼる艦船を作りつづけたドックの跡地。明治30年(1897)浦賀船渠株式会社が創設され、2年後にはドライドックが建造、浦賀重工業株式会社を経て住友重機械工業株式会社となった。平成15年に閉鎖。
■八雲神社
もとは大谷山満宝院八雲堂という修験の寺で、明治以降神社に変わった。江戸時代に建てられた建物はそのままで、屋根に宝珠が乗る寺院型式のお堂建築となっている。お堂の中には修験の護摩壇が残っている。
■乗誓寺
浄土真宗の寺院で、親鸞の教えに帰依した了源が安貞元年(1227)平塚の地に阿弥陀堂を建てたのが始まりで、後に戦乱を逃れるために浦賀に移転、寛永14年(1637)から乗誓寺を名乗った。この寺の墓地には、江戸時代にこの地で盛んだった干鰯(鰯を油抜きして干したもので綿花の肥料になる)問屋の大店の墓が残る。
■顕正寺
天正元年(1573)に顕正坊日実大徳という僧が顕正庵を結んだことによって開かれたといわれる日蓮宗の寺院。墓地には、直木賞作家の山口瞳の墓がある。
■東耀稲荷
天明2年(1782)の創建で食保命(うけもちのかみ)を祀る。古くは隣接する東耀山顕正寺の境内にあったため、東耀稲荷と呼ばれる。欄間(らんま)や格天井などには見事な彫刻が施されている。
鳥居の隣には懐かしい手押しポンプの井戸が。散歩中にこれ以外にも2つ見つけた。
■東林寺
浦賀奉行所の与力であった中島三郎助の墓がある。中島は嘉永6年(1853)のペリー来航の際に最初に黒船に乗り込み、黒船使節団との折衝に当たった人物。明治時代には幕臣としての遺志を貫き、函館で政府軍との戦いで息子と共に戦死した。
中島三郎助の墓。近くには戦死した2人の息子の墓もある。
■東叶神社
浦賀の港をはさんで、西叶神社と向かい合って立つ神社。祭神は応神天皇。社務所の裏には井戸があり、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断を前にこの井戸で水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられている。
勝海舟ゆかりの井戸。
社殿の前から対岸を望む。
■徳田屋跡
江戸時代から大正時代まで続いていた旅館の跡。吉田松陰や桂小五郎、浮世絵師の歌川広重が泊まった。石碑は吉田松陰は師の佐久間象山とペリ-来航時の対応策等についてこの旅館で議論したことを記念するもの。
■浦賀の渡し
ポンポン船の愛称で親しまれる。享保10年(1725)ごろから記録に登場する古い渡し船。かつては木造船だったが、現在は強化プラスチックの船。定員12名、料金は大人150円。対岸には数分で着く。
渡し船乗り場。
渡し船からの眺め。
■西叶神社
京都神護寺の文覚上人が源氏の再興を祈願して石清水八幡宮を勧請したもので、平家が滅亡しその願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられたと伝えられている。社殿は、天保13年(1842)に建造されたもの。社殿には230を超える彫刻が施されている(残念ながら見る暇がなかった)。
願いが叶いそうな絵馬。
■常福寺
文明年間(1469~1486) に創建され、浦賀に奉行所が移されてからは、浦賀における本陣(御用寺院)の役割を果たした。 「良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼尊霊位」と刻まれた位牌は、むし歯によく効くと評判を呼び 歯科医療の発達していない時代に、むし歯に悩む人々の信仰を集めた。
■船番所跡
享保6年(1721)に浦賀奉行所の出先機関の船番所が置かれた。船番所は船の関所で江戸に出入りをする船の乗務員や荷物の検査を厳しく行った。現在は公園として整備されている。
浦賀港引揚記念の碑。浦賀港は太平洋戦争終戦後の引揚指定港の一つで、南方や中国大陸からの約56万人の引揚者を受け入れた。
■ペリー公園
嘉永6年(1853年)に日本の開国を求めて来航したアメリカ海軍提督ペリーが久里浜海岸に上陸したことを記念する公園。石碑は明治34年(1901)に建てられた。碑文の「北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の筆による。園内のペリー記念館内には、ペリー来航に関する歴史的資料や模型などを展示。
石碑。
ペリー記念館。
■くりはま花の国
首都圏有数の花の名所で、春にはポピーが、秋にはコスモスが楽しめる。園内にはハーブ園があり、収穫したハーブを入れた足湯が楽しめる。100万本のコスモスの花のじゅうたんを大変期待して訪れたが、先の台風18号の被害にあい、コスモス畑は残念なことになっていた。幸いイエローキャンパスという黄色いコスモスはなんとか咲いていた。春にポピーを見に訪れたい。
イエローキャンパスが咲いていた畑。
コスモス畑を見下ろす。ピンク色のじゅうたんが見られるものと思ってわくわくしていたのだが・・・
ゴジラが突如出現、観光客に襲い掛かる!・・・というのはうそで実は滑り台。
愛の鐘。この鐘を二人で鳴らすと良いことがあるらしい。
ハーブ園。
久里浜港を望む。
■今日のにゃんこ
くりはま花の国の愛の鐘のそばのベンチにいた猫。首輪がないので野良猫かと思い込んでいた。ベンチに寝転んでいたおじさんにとてもになついていたので不思議に思ったが、おじさんが猫に声をかけて起き上がって歩き出すと猫はもう一匹の猫とともにおじさんの後についていった。どうやら飼い猫でおじさんが散歩させているようだ。犬の散歩は毎日目にするが、猫の散歩は初めてだ。