(その1はこちら)
■JR足利駅
昭和8年(1933)竣工のJR両毛線(小山~前橋)に残る古い駅舎の一つ。両毛線は当時の日本の主要輸出品であった足利・桐生・伊勢崎の絹織物を横浜港へ大量輸送する目的で敷設された民営鉄道が元となった鉄道で、明治21年(1888)に足利~小山間が開業、明治22年(1889)に全通した。
駅舎。
出入り口の上にあるステンドグラス。
■太平記館
平成3年(1991)のNHK大河ドラマ「太平記」放映を記念して、平成5年(1993)に開館。大河ドラマ太平記に関する展示や物産販売、観光情報を提供。
大河ドラマの展示コーナー。
大河ドラマの撮影に使用された鎧。
■足利学校
日本最古の学校として知られる国指定史跡。創建は奈良~鎌倉時代と諸説あるが、歴史が明らかになるのが室町時代中期に関東管領の上杉憲実(のりざね)が書籍を寄進、庠主(しょうしゅ。校長)制度を設けるなどして学校を再興したころから。
天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。明治5年(1872)廃校。昭和57年(1982)足利学校の東半分にあった小学校の移転を機に史跡の保存整備事業に着手、平成2年(1990)に江戸時代中期の姿に復原。
足利学校での学習内容は儒学が中心で、易学(占い)の他、戦国時代には兵学もあった。時間割はなく、自習が基本で、中国の古い書籍を書き写して学んだ。在学期間の定めがなく10年以上在学する人もいればたった1日の在学の人もいた。
歩道橋の上から撮影。
入徳門。寛文8年(1668)創建。
学校門。寛文8年(1668)創建。足利学校のシンボル。
字降松(かなふりまつ)。第7世庠主九華和尚(1550~1577在任)のころ読めない字や意味の解らない言葉などを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝えられる。
杏檀門。孔子廟の門で寛文8年(1668)創建。明治25年(1892)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建。
孔子廟。聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟。寛文8年(1668)造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えられる。
衆寮。学生が書物を書き写したり、生活した場所。平成2年(1990)復原。
衆寮の内部。かなりせまい。
方丈。学生の講義や学校行事、来客のための座敷として使用された。平成2年(1990)復原。
ふすまを開け放した方丈にはさわやかな風が入ってきて気持ちがよし。だれもいなければ靴下を脱いで真ん中で昼寝したいところ(笑)。
南庭園。方丈の縁側からの眺めがよい。平成2年(1990)復原。
宥座の器(ゆうざのき)。孔子の説いた「中庸」を教えるもので、壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれるというもの。
書院。庠主の書斎。庠主の応接や学生の個人教授に使用された。平成2年(1990)復原。
庠主の墓。17人の歴代庠主の墓があり、うち庠主の名前がわかるのは8基。
楷樹(かいじゅ)。中国、孔子の墓の楷樹の種を育て、大正11年(1922)に植えたもの。
旧遺蹟図書館。足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903)に開設。現在の建物は大正4年(1915)に建てられたもの。
■JR足利駅
昭和8年(1933)竣工のJR両毛線(小山~前橋)に残る古い駅舎の一つ。両毛線は当時の日本の主要輸出品であった足利・桐生・伊勢崎の絹織物を横浜港へ大量輸送する目的で敷設された民営鉄道が元となった鉄道で、明治21年(1888)に足利~小山間が開業、明治22年(1889)に全通した。
駅舎。
出入り口の上にあるステンドグラス。
■太平記館
平成3年(1991)のNHK大河ドラマ「太平記」放映を記念して、平成5年(1993)に開館。大河ドラマ太平記に関する展示や物産販売、観光情報を提供。
大河ドラマの展示コーナー。
大河ドラマの撮影に使用された鎧。
■足利学校
日本最古の学校として知られる国指定史跡。創建は奈良~鎌倉時代と諸説あるが、歴史が明らかになるのが室町時代中期に関東管領の上杉憲実(のりざね)が書籍を寄進、庠主(しょうしゅ。校長)制度を設けるなどして学校を再興したころから。
天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。明治5年(1872)廃校。昭和57年(1982)足利学校の東半分にあった小学校の移転を機に史跡の保存整備事業に着手、平成2年(1990)に江戸時代中期の姿に復原。
足利学校での学習内容は儒学が中心で、易学(占い)の他、戦国時代には兵学もあった。時間割はなく、自習が基本で、中国の古い書籍を書き写して学んだ。在学期間の定めがなく10年以上在学する人もいればたった1日の在学の人もいた。
歩道橋の上から撮影。
入徳門。寛文8年(1668)創建。
学校門。寛文8年(1668)創建。足利学校のシンボル。
字降松(かなふりまつ)。第7世庠主九華和尚(1550~1577在任)のころ読めない字や意味の解らない言葉などを紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、「かなふり松」と呼ばれるようになったと伝えられる。
杏檀門。孔子廟の門で寛文8年(1668)創建。明治25年(1892)学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建。
孔子廟。聖廟とも呼ばれ孔子を祀ってある廟。寛文8年(1668)造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えられる。
衆寮。学生が書物を書き写したり、生活した場所。平成2年(1990)復原。
衆寮の内部。かなりせまい。
方丈。学生の講義や学校行事、来客のための座敷として使用された。平成2年(1990)復原。
ふすまを開け放した方丈にはさわやかな風が入ってきて気持ちがよし。だれもいなければ靴下を脱いで真ん中で昼寝したいところ(笑)。
南庭園。方丈の縁側からの眺めがよい。平成2年(1990)復原。
宥座の器(ゆうざのき)。孔子の説いた「中庸」を教えるもので、壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれるというもの。
書院。庠主の書斎。庠主の応接や学生の個人教授に使用された。平成2年(1990)復原。
庠主の墓。17人の歴代庠主の墓があり、うち庠主の名前がわかるのは8基。
楷樹(かいじゅ)。中国、孔子の墓の楷樹の種を育て、大正11年(1922)に植えたもの。
旧遺蹟図書館。足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903)に開設。現在の建物は大正4年(1915)に建てられたもの。