(その1はこちら)
■北とぴあ
ホール、各種会議室、研修室、プラネタリウム等を備えた施設で、最上階の17階の展望ロビーから南・東・北、三方向の景色を楽しむことができる。
南側。緑色とピンク色が混じりあうところが飛鳥山公園で、手前の緑は音無親水公園。
東側。隅田川が見える。
北側。木々が生い茂っているところは名主の滝公園。
■音無親水公園
自然の川を模した美しい公園で、日本の都市公園百選にも選定されている。江戸時代にはこのあたりは書籍や浮世絵などで風光明媚な場所として知られていた。
音無橋と桜。
■王子神社
元享2年(1322)に領主の豊島氏が熊野より当社を勧請したことから始まる。非常に高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていた。境内には東京都の天然記念物の大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚がある。
関神社と毛塚。関神社は江戸時代に、かもじ(髪を結う時自分の髪に添え加える毛)業者を中心として、江戸時代に滋賀県大津の関蝉丸神社を勧請したのが始まり。毛塚は昭和36年(1961)毛髪を扱う業者によって毛髪報恩と供養のために建立。
■王子稲荷神社
関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきた。大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがある。境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっている。
狐の穴跡。
■名主の滝公園
江戸時代の王子は風光明媚な行楽地で、名所のひとつとして王子七滝があったが、現存するのはこの名主の滝のみ。
名主の滝は、江戸時代に王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、 一般に人々が利用できる避暑のための施設としたことにはじまるもので、名称もそれに由来。明治の中頃、貿易商である垣内徳三郎の所有となり、垣内は好んでいた栃木県塩原の景に模して庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷のある趣のある庭園として一般開放した。現在は区立公園。
女滝。
男滝。夏場にこの滝の近くで涼みたい。
■北とぴあ
ホール、各種会議室、研修室、プラネタリウム等を備えた施設で、最上階の17階の展望ロビーから南・東・北、三方向の景色を楽しむことができる。
南側。緑色とピンク色が混じりあうところが飛鳥山公園で、手前の緑は音無親水公園。
東側。隅田川が見える。
北側。木々が生い茂っているところは名主の滝公園。
■音無親水公園
自然の川を模した美しい公園で、日本の都市公園百選にも選定されている。江戸時代にはこのあたりは書籍や浮世絵などで風光明媚な場所として知られていた。
音無橋と桜。
■王子神社
元享2年(1322)に領主の豊島氏が熊野より当社を勧請したことから始まる。非常に高い格式を持つ神社で、最盛期には飛鳥山も支配地としていた。境内には東京都の天然記念物の大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚がある。
関神社と毛塚。関神社は江戸時代に、かもじ(髪を結う時自分の髪に添え加える毛)業者を中心として、江戸時代に滋賀県大津の関蝉丸神社を勧請したのが始まり。毛塚は昭和36年(1961)毛髪を扱う業者によって毛髪報恩と供養のために建立。
■王子稲荷神社
関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきた。大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがある。境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっている。
狐の穴跡。
■名主の滝公園
江戸時代の王子は風光明媚な行楽地で、名所のひとつとして王子七滝があったが、現存するのはこの名主の滝のみ。
名主の滝は、江戸時代に王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、茶を栽培して、 一般に人々が利用できる避暑のための施設としたことにはじまるもので、名称もそれに由来。明治の中頃、貿易商である垣内徳三郎の所有となり、垣内は好んでいた栃木県塩原の景に模して庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷のある趣のある庭園として一般開放した。現在は区立公園。
女滝。
男滝。夏場にこの滝の近くで涼みたい。
王子でお茶が栽培されていたというお話は王子稲荷の門前にあるくずもちの石鍋さんの大女将さんから聞いていました。その証拠というのがお稲荷さんの横の坂道を上ると、お稲荷さんの生垣があってお茶の木なんです。しかし宅地化に伴い、お茶農家は狭山のほうに移転していったということでした。
王子の情報ありがとうございます。
大変勉強になります。
王子稲荷神社の生垣がお茶の木とは気がつきませんでした。
石鍋商店といえば、イベント当日にみんまで名物のくずもちを買おうとしましたが前日のアド街ック天国の影響で品切れになってみんなで残念がった思い出があります。
またなにかありましたらよろしくお願いいたします。