この日は、「花見散歩」と称し、東京都北区の王子で桜の名所の飛鳥山公園等を回り、石神井川沿いを桜を見ながら板橋区の旧中山道に交わるところまで進み、旧中山道を歩く散歩イベントを開催した。
参加者は管理人も含め10名で、男性が4名、女性が6名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。
この日は終日曇りで3月下旬とは思えないような寒い日だった。暖かい格好をして家を出たつもりだったが、イベントが終わったころには体が冷え切っていた。
肝心の桜は全体的に5分咲きというところか。予想していたよりも開花が進んでいたのでよかった。
【コース】
JR・王子駅→モノレール→飛鳥山公園→北とぴあ→→扇屋→音無親水公園→王子神社→王子稲荷神社→名主の滝公園→音無さくら緑地 →金剛寺 →音無もみじ緑地→寿徳寺→加賀公園→板橋→旧中山道→文殊院→板橋宿本陣跡→遍照寺→都営地下鉄・板橋区役所前駅
(桜の写真は当日に撮影。それ以外は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■飛鳥山公園
徳川八代将軍吉宗が、享保5年(1720)から翌年にかけて、享保の改革の施策の一つとして1270本の桜を植樹して江戸庶民に開放した桜の名所。明治時代にはいると上野、芝、浅草、深川と共に日本最初の公園となった。現在も桜の名所の一つとして名高い。
飛鳥山公園のモノレール。公園の入り口から山頂まで2分で到着。
曇天で寒い日であったにもかかわらず花見客多し。
公園は祭りイベントでにぎわっていた。
桜賦(おうふ)の碑。江戸時代の学者・佐久間象山(しょうざん)が、門弟吉田松陰の密出国の企てに連座し松代に蟄居した際に、桜に自分の思いを託した「桜の賦」を、死後遺墨を元に門弟勝海舟らが碑にした。
飛鳥山の碑。元文2年(1737)に、吉宗による事績を顕彰するための「飛鳥山碑」が建てられた。江戸時代には飛鳥山のランドマークともなり、浮世絵などで芝山に桜と石碑を描けば飛鳥山を示した。
紙の博物館。日本の洋紙発祥の地である北区王子に、昭和25年(1950)に旧王子製紙(株)によって設立。紙に関する古今東西の資料を幅広く収集、展示。
飛鳥山博物館。北区や近隣地域の考古、歴史、民俗等や自然に関する資料を収集、展示。
渋沢資料館。日本の近代経済社会の基礎を築き、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一の全生涯にわたる資料を収蔵、展示。
旧渋沢庭園。渋沢栄一が明治12年(1879)から亡くなる昭和6年(1931)まで、最初は別荘として後に本邸として住んだ。昭和20年(1945)に建物のほとんどが空襲で焼失したが、当時の面影を残す青淵文庫、晩香廬が残る。写真は茶室「無心庵」跡。
青淵文庫。国の登録文化財。大正14(1925)年完成の鉄筋コンクリートの建物。渋沢栄一の80歳のお祝いと男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈したもので、栄一の書庫として、また接客の場としても使用された。
晩香廬。国の登録文化財。大正6(1917)年完成。渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って現在の清水建設(株)が贈った建物で応接室として使用された。
晩香廬の内部。
都電6080。昭和24年(1949)製造、昭和53年(1978)まで都電荒川線を走っていた車両。
蒸気機関車。昭和18年(1943)製造、昭和47年(1972)に廃車になったもの。
参加者は管理人も含め10名で、男性が4名、女性が6名(参加者の皆様、ありがとうございました)。初参加の方は3名だった。
この日は終日曇りで3月下旬とは思えないような寒い日だった。暖かい格好をして家を出たつもりだったが、イベントが終わったころには体が冷え切っていた。
肝心の桜は全体的に5分咲きというところか。予想していたよりも開花が進んでいたのでよかった。
【コース】
JR・王子駅→モノレール→飛鳥山公園→北とぴあ→→扇屋→音無親水公園→王子神社→王子稲荷神社→名主の滝公園→音無さくら緑地 →金剛寺 →音無もみじ緑地→寿徳寺→加賀公園→板橋→旧中山道→文殊院→板橋宿本陣跡→遍照寺→都営地下鉄・板橋区役所前駅
(桜の写真は当日に撮影。それ以外は下見時に撮影。写真をクリックすると拡大画像を別ウインドウに表示)
■飛鳥山公園
徳川八代将軍吉宗が、享保5年(1720)から翌年にかけて、享保の改革の施策の一つとして1270本の桜を植樹して江戸庶民に開放した桜の名所。明治時代にはいると上野、芝、浅草、深川と共に日本最初の公園となった。現在も桜の名所の一つとして名高い。
飛鳥山公園のモノレール。公園の入り口から山頂まで2分で到着。
曇天で寒い日であったにもかかわらず花見客多し。
公園は祭りイベントでにぎわっていた。
桜賦(おうふ)の碑。江戸時代の学者・佐久間象山(しょうざん)が、門弟吉田松陰の密出国の企てに連座し松代に蟄居した際に、桜に自分の思いを託した「桜の賦」を、死後遺墨を元に門弟勝海舟らが碑にした。
飛鳥山の碑。元文2年(1737)に、吉宗による事績を顕彰するための「飛鳥山碑」が建てられた。江戸時代には飛鳥山のランドマークともなり、浮世絵などで芝山に桜と石碑を描けば飛鳥山を示した。
紙の博物館。日本の洋紙発祥の地である北区王子に、昭和25年(1950)に旧王子製紙(株)によって設立。紙に関する古今東西の資料を幅広く収集、展示。
飛鳥山博物館。北区や近隣地域の考古、歴史、民俗等や自然に関する資料を収集、展示。
渋沢資料館。日本の近代経済社会の基礎を築き、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一の全生涯にわたる資料を収蔵、展示。
旧渋沢庭園。渋沢栄一が明治12年(1879)から亡くなる昭和6年(1931)まで、最初は別荘として後に本邸として住んだ。昭和20年(1945)に建物のほとんどが空襲で焼失したが、当時の面影を残す青淵文庫、晩香廬が残る。写真は茶室「無心庵」跡。
青淵文庫。国の登録文化財。大正14(1925)年完成の鉄筋コンクリートの建物。渋沢栄一の80歳のお祝いと男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈したもので、栄一の書庫として、また接客の場としても使用された。
晩香廬。国の登録文化財。大正6(1917)年完成。渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って現在の清水建設(株)が贈った建物で応接室として使用された。
晩香廬の内部。
都電6080。昭和24年(1949)製造、昭和53年(1978)まで都電荒川線を走っていた車両。
蒸気機関車。昭和18年(1943)製造、昭和47年(1972)に廃車になったもの。