(6日目 函館その1の続き)
旧函館区公会堂のそばの元町公園は、江戸時代に奉行所が置かれたのを初めに昭和25年まで行政の中心地だった場所で、現在は公園として整備されている。園内には、明治時代の旧北海道庁函館支庁庁舎と旧開拓使函館支庁書籍庫が残る。
旧北海道庁函館支庁庁舎。明治42年(1909)完成。現在、1階は観光案内所、2階は函館市写真歴史館。
次に旧イギリス領事館へ。旧イギリス領事館の建物は、大正2年(1913)に建てられたもので、昭和9年(1934)年まで領事館として使用されていた。現在は開港記念館で、映像や模型などで開港当時の函館の様子を伝え、当時の領事館の部屋の一部を再現している。庭園は、ばらが満開でとてもきれいだった。
旧イギリス領事館。
領事執務室。
庭園入り口のばらのトンネル。
庭園。
庭園のばら。
函館中華会館は、函館在住の華僑達が本国から建築、彫刻、漆工などの技術者を呼び寄せて明治43年に建設した、日本で唯一つの純中国様式の建物。外観は地味だが、内部は非常に豪華だそうだ。
海の見える高台にある外国人墓地は、ペリー来航の際に亡くなった水兵2人を葬ったのが始まりで、プロテスタント墓地、ロシア人墓地、中国人墓地に分かれている。墓標は全て海に向かって立っていた。故人の望郷の思いが感じられた。
プロテスタント墓地。日本の墓地と違って、明るい雰囲気。
外国人墓地の後は、古い建物を見て回った。
相馬株式会社。建物は大正5年(1916)完成のルネサンス様式の木造2階建て。現在も営業中。
函館市文学館。旧第一銀行函館支店の建物で、大正10年(1921)完成の煉瓦・鉄筋コンクリート造の3階建て。
函館博物館郷土資料館。明治13年(1880)に建てられた旧金森洋品店の建物を復元。
赤レンガ倉庫群。明治42年(1909)年に建てられた倉庫で、現在はショッピングモールやビヤホールなどに利用されている。一部は現役の倉庫として使用。
箱舘高田屋嘉兵衛資料館。高田屋嘉兵衛は18世紀末にロシアとの海運や北方漁業開拓などで函館繁栄の基盤を築いた人物。建物は、明治36年(1903)と大正12年(1923)に建てられた昆布倉庫を改装したもの。
はこだて明治館。旧函館郵便局の建物で、明治44年(1911)完成の煉瓦造。
この夜、函館名物の夜景を見に出かけた。函館山行きのロープウェイ乗り場で「山頂に霧がかかっているため夜景が見えない」と係員に言われたので、夜景を断念した。そのまま帰るのは惜しいので元町周辺を散歩。ハリストス正教会、旧函館区公会堂などがライトアップされていて美しかった。
夜の旧函館区公会堂。
宿に帰ろうと市電乗り場に向かっている時に、ふと函館山を見ると山頂にかかっていた霧がほとんど消えていた。「夜景が見られる」と思い、急いでロープウェイ乗り場に行った。
ロープウェイで山頂に着いた時も霧がほとんど消えた状態だった。天候のせいか「100万ドルの夜景」と称されるほどのレベルではなかったが、なんとか夜景が見られたのでよかった。
夜景。宿の人によるときれいな夜景が見られるのは冬とのこと。
山頂到着後、10分ちょっとで再び霧が発生し、夜景が全く見えなくなってしまった。霧が消えるのを待ったが、一向に消える様子がないのでしぶしぶロープウェイで下山することにした。下山中、突然ロープウェイのゴンドラが前後に大きく揺れ、空中で止まった。
ゴンドラ内では恐怖で騒ぐ乗客もいたが、係員の冷静な対応により乗客が落ち着いた。おそらく宙吊り状態は5、6分程度だったと思うが、「明日までこのままだったら・・・」「ロープからゴンドラが外れたら・・・」と悪い考えが頭の中を駆け巡り続け、ゴンドラが動き出すまでの時間が非常に長く感じられた。最終的に無事下山できたのでよかったが、今後ロープウェイを極力利用したくないと思った。
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旧函館区公会堂のそばの元町公園は、江戸時代に奉行所が置かれたのを初めに昭和25年まで行政の中心地だった場所で、現在は公園として整備されている。園内には、明治時代の旧北海道庁函館支庁庁舎と旧開拓使函館支庁書籍庫が残る。
旧北海道庁函館支庁庁舎。明治42年(1909)完成。現在、1階は観光案内所、2階は函館市写真歴史館。
次に旧イギリス領事館へ。旧イギリス領事館の建物は、大正2年(1913)に建てられたもので、昭和9年(1934)年まで領事館として使用されていた。現在は開港記念館で、映像や模型などで開港当時の函館の様子を伝え、当時の領事館の部屋の一部を再現している。庭園は、ばらが満開でとてもきれいだった。
旧イギリス領事館。
領事執務室。
庭園入り口のばらのトンネル。
庭園。
庭園のばら。
函館中華会館は、函館在住の華僑達が本国から建築、彫刻、漆工などの技術者を呼び寄せて明治43年に建設した、日本で唯一つの純中国様式の建物。外観は地味だが、内部は非常に豪華だそうだ。
海の見える高台にある外国人墓地は、ペリー来航の際に亡くなった水兵2人を葬ったのが始まりで、プロテスタント墓地、ロシア人墓地、中国人墓地に分かれている。墓標は全て海に向かって立っていた。故人の望郷の思いが感じられた。
プロテスタント墓地。日本の墓地と違って、明るい雰囲気。
外国人墓地の後は、古い建物を見て回った。
相馬株式会社。建物は大正5年(1916)完成のルネサンス様式の木造2階建て。現在も営業中。
函館市文学館。旧第一銀行函館支店の建物で、大正10年(1921)完成の煉瓦・鉄筋コンクリート造の3階建て。
函館博物館郷土資料館。明治13年(1880)に建てられた旧金森洋品店の建物を復元。
赤レンガ倉庫群。明治42年(1909)年に建てられた倉庫で、現在はショッピングモールやビヤホールなどに利用されている。一部は現役の倉庫として使用。
箱舘高田屋嘉兵衛資料館。高田屋嘉兵衛は18世紀末にロシアとの海運や北方漁業開拓などで函館繁栄の基盤を築いた人物。建物は、明治36年(1903)と大正12年(1923)に建てられた昆布倉庫を改装したもの。
はこだて明治館。旧函館郵便局の建物で、明治44年(1911)完成の煉瓦造。
この夜、函館名物の夜景を見に出かけた。函館山行きのロープウェイ乗り場で「山頂に霧がかかっているため夜景が見えない」と係員に言われたので、夜景を断念した。そのまま帰るのは惜しいので元町周辺を散歩。ハリストス正教会、旧函館区公会堂などがライトアップされていて美しかった。
夜の旧函館区公会堂。
宿に帰ろうと市電乗り場に向かっている時に、ふと函館山を見ると山頂にかかっていた霧がほとんど消えていた。「夜景が見られる」と思い、急いでロープウェイ乗り場に行った。
ロープウェイで山頂に着いた時も霧がほとんど消えた状態だった。天候のせいか「100万ドルの夜景」と称されるほどのレベルではなかったが、なんとか夜景が見られたのでよかった。
夜景。宿の人によるときれいな夜景が見られるのは冬とのこと。
山頂到着後、10分ちょっとで再び霧が発生し、夜景が全く見えなくなってしまった。霧が消えるのを待ったが、一向に消える様子がないのでしぶしぶロープウェイで下山することにした。下山中、突然ロープウェイのゴンドラが前後に大きく揺れ、空中で止まった。
ゴンドラ内では恐怖で騒ぐ乗客もいたが、係員の冷静な対応により乗客が落ち着いた。おそらく宙吊り状態は5、6分程度だったと思うが、「明日までこのままだったら・・・」「ロープからゴンドラが外れたら・・・」と悪い考えが頭の中を駆け巡り続け、ゴンドラが動き出すまでの時間が非常に長く感じられた。最終的に無事下山できたのでよかったが、今後ロープウェイを極力利用したくないと思った。
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ま、過ぎてしまえば、旅の思い出といったところで
しょうか。。
函館山のガスってスモッグかなにかですか?
「ガス」は霧のことです。分かりにくいので「霧」に書き換えておきますね。
無事で何よりでした(^-^)
夜景が見れなくて残念だったね。
私は2回登って、どちらも凄く綺麗に見れて
とってもラッキーだったんだ♪
次の機会には、素敵な‘灯り’のショーを見れます様に(^-^)v
2回行って2回ともきれいな夜景とはうらやましい!こういうのはやはり日ごろの行いが影響してるのでしょうか(笑)。次回はぜひきれいな夜景を見たいですね!