この日は、少し早起きして上野公園を散歩した。
まず、蓮を見に不忍池へ。蓮の葉にくまなく覆われた不忍池に驚く。一面蓮だらけの池と背後のビルの組み合わせが不思議な雰囲気を醸していた。肝心の蓮の花だが、今年は蓮の生育状況があまりよくないようで、開花した花もつぼみも少なかった。極楽浄土を思わせるような、蓮の花が咲き乱れる光景を期待していたので残念だったが、蓮の花そのものがとても美しかったので、結果的に見に行ってよかった。
不忍池の蓮。
不忍池の蓮。後方の建物は不忍池の中の島にある弁天堂。
蓮の花。
双子(?)の蓮の花。
ふくらむつぼみ。
弁天堂。寛永2年(1625)に天海僧正が琵琶湖に見立てた不忍池を造成、池の中央に竹生島に見立てた島を造り、竹生島から弁天を勧請し弁天堂を建てた。
その後、公園内の上野東照宮へ。上野東照宮は、徳川家康の遺言を受けた藤堂高虎と天海僧正が寛永4年(1627)に造営し、慶安4年(1651)に江戸幕府三代将軍・家光が現在の状態に改築した。家康の他、八代将軍・吉宗、最後の将軍・慶喜が祀られる。全体の規模は到底日光東照宮には及ばないが、日光東照宮と同様の、建物の豪華さと細部に至るまでの装飾の凝りようは見ごたえがあった。
お化け灯篭。高さ6.8メートルもあることからこの名が付いた。日本三大灯篭の一つ(他は京都南禅寺と名古屋熱田神宮の灯篭)。寛永8年(1631)佐久間勝之が奉納。
唐門。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。総金箔の豪華な門で、門の内外の柱4箇所に、名工・左甚五郎による昇り龍、降り龍の木彫りがある。
透塀。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。総金箔にする予定だったが、予算がなかったため下地漆塗りになっている。塀の上欄には花木山禽、下欄には水草鳥魚をあしらった彫刻が約300枚あったが、戦後進駐軍の土産に持ち去れ、現在は約250枚残っている。
透塀の彫刻。鹿と紅葉。
透塀の彫刻。水鳥と波。
拝殿。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。内部には狩野探幽の壁画もある。
拝殿の庇の内側。こういうところにも極彩色で彩色され彫刻で飾られている。
(後編に続く)
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まず、蓮を見に不忍池へ。蓮の葉にくまなく覆われた不忍池に驚く。一面蓮だらけの池と背後のビルの組み合わせが不思議な雰囲気を醸していた。肝心の蓮の花だが、今年は蓮の生育状況があまりよくないようで、開花した花もつぼみも少なかった。極楽浄土を思わせるような、蓮の花が咲き乱れる光景を期待していたので残念だったが、蓮の花そのものがとても美しかったので、結果的に見に行ってよかった。
不忍池の蓮。
不忍池の蓮。後方の建物は不忍池の中の島にある弁天堂。
蓮の花。
双子(?)の蓮の花。
ふくらむつぼみ。
弁天堂。寛永2年(1625)に天海僧正が琵琶湖に見立てた不忍池を造成、池の中央に竹生島に見立てた島を造り、竹生島から弁天を勧請し弁天堂を建てた。
その後、公園内の上野東照宮へ。上野東照宮は、徳川家康の遺言を受けた藤堂高虎と天海僧正が寛永4年(1627)に造営し、慶安4年(1651)に江戸幕府三代将軍・家光が現在の状態に改築した。家康の他、八代将軍・吉宗、最後の将軍・慶喜が祀られる。全体の規模は到底日光東照宮には及ばないが、日光東照宮と同様の、建物の豪華さと細部に至るまでの装飾の凝りようは見ごたえがあった。
お化け灯篭。高さ6.8メートルもあることからこの名が付いた。日本三大灯篭の一つ(他は京都南禅寺と名古屋熱田神宮の灯篭)。寛永8年(1631)佐久間勝之が奉納。
唐門。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。総金箔の豪華な門で、門の内外の柱4箇所に、名工・左甚五郎による昇り龍、降り龍の木彫りがある。
透塀。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。総金箔にする予定だったが、予算がなかったため下地漆塗りになっている。塀の上欄には花木山禽、下欄には水草鳥魚をあしらった彫刻が約300枚あったが、戦後進駐軍の土産に持ち去れ、現在は約250枚残っている。
透塀の彫刻。鹿と紅葉。
透塀の彫刻。水鳥と波。
拝殿。慶安4年(1651)完成。明治40年国宝指定。内部には狩野探幽の壁画もある。
拝殿の庇の内側。こういうところにも極彩色で彩色され彫刻で飾られている。
(後編に続く)
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死体の代わりに・・・なんでしょう。
これからもよろしくお願いします。
こちらこそこれからもよろしくお願いします。