生姜ちくわのぶらぶら山日記

趣味の登山を中心としたブログです。2014年11月より日本百名山登山開始、2018年9月23日全座登頂。

2009年10月25日(日)田町・品川散歩(その1)

2009年10月25日 | 都内散歩
雨上がりの午後、図書館から借りた散歩ガイド本を手に散歩に出かけた。ガイド本のコースは田町駅を出発し、三田と高輪を散歩し、品川駅まで歩くというもの。一部コースを変更して歩いた。

【実際に歩いたコース】
田町駅→札の辻→薩摩蔵屋敷跡→芝浜跡→港区立郷土資料館→慶應義塾大学→綱町三井倶楽部→東京簡易保険事務センター→津國屋→玉鳳寺(おしろい地蔵)→魚らん坂→伊皿子坂→大木戸跡→泉岳寺→大石良雄自刃の跡→高輪消防署二本榎出張所→品川駅

高輪消防署二本榎出張所の後には、幕末にイギリス公使館がおかれた東禅寺と旧竹田宮邸だったグランドプリンスホテル高輪の貴賓館に立ち寄る予定だったが日が暮れたので断念した。


■札の辻
江戸時代の初めに高札場(幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所)があったことから札の辻と呼ばれた。高札場は天和3年(1683)に後で訪れる高輪の大木戸に移された。




■薩摩蔵屋敷跡
ここは、慶応4(1868)年3月14日、幕府の陸軍総裁・勝海舟が100万の江戸市民を戦火から守るために西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を取り決めた歴史的な場所だ。会見の記念碑が残る。


会見の記念碑。


勝・西郷の会見の様子を表す浮き彫り。


■芝浜跡
区立本芝公園のあたりは、芝浜と呼ばれた浜辺で、江戸時代には雑魚場(ざこば)と呼ばれる魚市場があった。落語の人情話「芝浜」の舞台となった場所でもある。


「芝濱噺子の碑」。本芝公園の隣の鹿嶋神社にある石碑。


公園内の、雑魚場があったことを示すために漁労具を掘り込んだ舟の彫刻。


公園そばの雑魚場架道橋。雑魚場の名が残っている。


■港区立郷土資料館
入場無料の郷土資料館。特別展「増上寺徳川家霊廟」では、徳川家の菩提寺の増上寺に造営された2代秀忠、6代家宣、7代家継の霊廟を取り上げ、造営の経緯や経過、境内の様子、造営後の運営のあり方等に関する資料を展示していた。
「さわれる展示室」では、本物のクジラの骨や縄文土器・民具などを実際に手で触ることができる。


建物の4階が郷土資料館。


特別展の宣伝の垂れ幕。


■慶應義塾大学
早稲田大学と並ぶ、国内トップレベルの私立大学。創立者は一万円札の肖像でおなじみの明治時代の思想家・教育者、福澤諭吉。


正門。


図書館旧館。国重要文化財。慶応義塾設立五十周年記念事業として明治45年(1912)に竣工した、煉瓦造のゴシック式洋風建築。設計は曾穪達蔵、中條精一郎が担当。


図書館入り口にある福澤諭吉の胸像。


三田演説館。国重要文化財。明治8(1875)に建てられた日本初の演説会堂。福澤諭吉もここでよく演説を行っていたそうだ。


正門の前から東京タワーが近く見える。


正門の隣の和菓子屋で売られている最中「学問のすすめ」。話のネタに買おうとしたが店が休業していた。


■綱町三井倶楽部
大正2年竣工の優雅な洋館。設計は鹿鳴館を設計した、イギリス人のジョサイア・コンドル。三井家の迎賓館として使われいたが、戦後は「米軍将校クラブ」として使用。昭和28年の返還後、会員制倶楽部として今に至る。
残念ながら敷地内には会員以外の立ち入り禁止。綱町三井倶楽部のホームページに建物や庭園の写真が掲載されているので興味のある方はどうぞ。




■東京簡易保険事務センター
綱町三井クラブの反対側にある、昭和4年(1929)年に旧逓信省簡易保険局として建てられた重厚な建築。




■津國屋
明治初期に酒屋として創業した趣のある木造の建物。古くから慶大生がお酒を買いに来る店として知られ福澤諭吉もひいきにしていたそう。現在は居酒屋として営業。




続きはその2へ。


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