徒歩の旅後半の2日目。
長久保宿の先の民宿から下諏訪駅まで28キロ程度歩いた。
歩いた宿場は、和田宿、下諏訪宿。
この日は、中山道最大の難所と評される和田峠越えに挑んだ。
一日で、標高700メートルから1600メートル近い峠を越えるといった、900メートルの標高差を歩くのは初めてなので非常に緊張した。
峠越えには時間がかかりそうなので6時過ぎに宿を出た。
雨が上がったが空はどんより曇り空。
天気を思うと不安になった。
しばらく歩くと緩やかな上り坂になった。
上り坂はずっと続いた。
標高が高いのでしばしば天気が突然変わった。
青空が顔を出したと思ったら、急に曇って雨が降り出したり・・・と慌ただしかった。
和田宿では本陣等の江戸時代の建物内を見学したかったが、開館時間より早い時間だったので断念した。
上り坂の車道をひたすら歩き、10時半ぐらいに標高1100メートルの男女倉口に到着。
ここで車道から外れて和田峠登り口に入った。
入り口から急な上り坂が登場。
しかも熊の目撃情報の看板まで・・・。
ますます不安。
入口より10分程度歩いたところで、突然激しい雨が降ってきた。
運よく休憩所がそばにあったので、早めのお昼を食べながら雨が上がるのを待った。
休憩所の建物は年季が入っていた。
掃除はいつしたのだろう・・・?
人気のない山道をしばらく上ると車道にぶつかった。
道を挟んで和田峠施行所の反対側の接待の湧水では、車で乗り付けてきた地元の人らしき家族が水を汲んでいた。
家族がいなくなってから手持ちのペットボトルに水を汲んだ。
水は冷たくてとてもおいしかった。
生き返る心持ち。
木々や熊笹に囲まれた上り坂をひたすら歩いた。
ところどころに熊目撃情報の看板。
人気は相変わらずなし。
頂上の手前の上り坂は急勾配のあまり、休み休み登らざるを得なかった。
13時ごろやっと頂上に到着。
青空が広がり、気分がよかった。
頂上からは下諏訪方面がよく見えた。
1600メートル近い場所に自分の足で行ったことがなかったのでとてもうれしかった。
頂上からの下り道は上り道に比べてはるかに傾斜がきつく、人のすれ違うのが難しい細道だった。
足を痛めないよう細心の注意を払って道を下る。
なだらかな下り坂になったあたりで、突然雷鳴が鳴り、ひょうが降ってきた。
半ばパニックになり、本来は雷の避難場所としてはNGの、車道沿いの大きな木の下に避難した。
間もなく中山道歩きと思しき中年男性と、和田峠を自転車で越えていると思われる夫婦が木の下に集まってきた。
彼らもひょうに非常に驚いたようだ。
人気のない道を歩き続けてきたので人の存在にほっとした。
ひょうがやみ、車道のガードレールの切れ目から旧道へ。
少し進むと、「是より崖道、足元注意」の看板が現れ、その先には人のすれ違いが困難な崖道が伸びていた。
崖道には安全柵など設置されておらず、うっかり足を滑らせたら谷底に転落してしまう。
おまけに雨に降られ道が滑りやすくなっていた。
神経をとがらせながら崖道を一歩一歩慎重に歩んだ。
山道から解放されたのは14時半過ぎ。
アスファルトの道になってからひどく疲れが出て亀の歩みとなった。
18時前に下諏訪の諏訪大社下社春宮に到着。
疲労困憊状態だったが、「せっかくなので・・・」とお参りしたら不思議に疲れが癒され足取りが軽くなった。
観光がてら寄り道をして、下諏訪宿の甲州街道との追分に着いたのは18時45分ごろだった。
この記事を書くまでに中山道・甲州街道・日光街道を完歩し何度も峠越えをしているが、和田峠越えが一番きつかった。
中山道の難所について「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」とうたわれてきたが、自分の中では碓氷峠ではなく、和田峠だ。
■写真一覧
その1
http://blog.goo.ne.jp/photo/212751/tn
その2
http://blog.goo.ne.jp/photo/212756/tn
■フォトチャンネル
その1
http://blog.goo.ne.jp/photo/212751/sl
その2
http://blog.goo.ne.jp/photo/212756/sl
長久保宿の先の民宿から下諏訪駅まで28キロ程度歩いた。
歩いた宿場は、和田宿、下諏訪宿。
この日は、中山道最大の難所と評される和田峠越えに挑んだ。
一日で、標高700メートルから1600メートル近い峠を越えるといった、900メートルの標高差を歩くのは初めてなので非常に緊張した。
峠越えには時間がかかりそうなので6時過ぎに宿を出た。
雨が上がったが空はどんより曇り空。
天気を思うと不安になった。
しばらく歩くと緩やかな上り坂になった。
上り坂はずっと続いた。
標高が高いのでしばしば天気が突然変わった。
青空が顔を出したと思ったら、急に曇って雨が降り出したり・・・と慌ただしかった。
和田宿では本陣等の江戸時代の建物内を見学したかったが、開館時間より早い時間だったので断念した。
上り坂の車道をひたすら歩き、10時半ぐらいに標高1100メートルの男女倉口に到着。
ここで車道から外れて和田峠登り口に入った。
入り口から急な上り坂が登場。
しかも熊の目撃情報の看板まで・・・。
ますます不安。
入口より10分程度歩いたところで、突然激しい雨が降ってきた。
運よく休憩所がそばにあったので、早めのお昼を食べながら雨が上がるのを待った。
休憩所の建物は年季が入っていた。
掃除はいつしたのだろう・・・?
人気のない山道をしばらく上ると車道にぶつかった。
道を挟んで和田峠施行所の反対側の接待の湧水では、車で乗り付けてきた地元の人らしき家族が水を汲んでいた。
家族がいなくなってから手持ちのペットボトルに水を汲んだ。
水は冷たくてとてもおいしかった。
生き返る心持ち。
木々や熊笹に囲まれた上り坂をひたすら歩いた。
ところどころに熊目撃情報の看板。
人気は相変わらずなし。
頂上の手前の上り坂は急勾配のあまり、休み休み登らざるを得なかった。
13時ごろやっと頂上に到着。
青空が広がり、気分がよかった。
頂上からは下諏訪方面がよく見えた。
1600メートル近い場所に自分の足で行ったことがなかったのでとてもうれしかった。
頂上からの下り道は上り道に比べてはるかに傾斜がきつく、人のすれ違うのが難しい細道だった。
足を痛めないよう細心の注意を払って道を下る。
なだらかな下り坂になったあたりで、突然雷鳴が鳴り、ひょうが降ってきた。
半ばパニックになり、本来は雷の避難場所としてはNGの、車道沿いの大きな木の下に避難した。
間もなく中山道歩きと思しき中年男性と、和田峠を自転車で越えていると思われる夫婦が木の下に集まってきた。
彼らもひょうに非常に驚いたようだ。
人気のない道を歩き続けてきたので人の存在にほっとした。
ひょうがやみ、車道のガードレールの切れ目から旧道へ。
少し進むと、「是より崖道、足元注意」の看板が現れ、その先には人のすれ違いが困難な崖道が伸びていた。
崖道には安全柵など設置されておらず、うっかり足を滑らせたら谷底に転落してしまう。
おまけに雨に降られ道が滑りやすくなっていた。
神経をとがらせながら崖道を一歩一歩慎重に歩んだ。
山道から解放されたのは14時半過ぎ。
アスファルトの道になってからひどく疲れが出て亀の歩みとなった。
18時前に下諏訪の諏訪大社下社春宮に到着。
疲労困憊状態だったが、「せっかくなので・・・」とお参りしたら不思議に疲れが癒され足取りが軽くなった。
観光がてら寄り道をして、下諏訪宿の甲州街道との追分に着いたのは18時45分ごろだった。
この記事を書くまでに中山道・甲州街道・日光街道を完歩し何度も峠越えをしているが、和田峠越えが一番きつかった。
中山道の難所について「木曽のかけはし、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」とうたわれてきたが、自分の中では碓氷峠ではなく、和田峠だ。
■写真一覧
その1
http://blog.goo.ne.jp/photo/212751/tn
その2
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その1
http://blog.goo.ne.jp/photo/212751/sl
その2
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