忘れないで!

2012-10-11 23:00:37 | 東日本大震災
震災後1年7ヶ月経過。
幸いにも震災数ヶ月後には我が家は通常の生活にホボ戻る事が出来ました。
そしてバイクライフも。

・・・否 未だ通常に戻ったとは言えない部分も。

それは・・・太平洋側の海には必要最低限しか近付いていないのです。

今年は太平洋側ツー解禁としたのですが、イザ!っとなると・・・
未だ 気軽に行く気にはなれないのです。
ソレゾレ個々の思いというのが有りますから、海に行楽に行く人や
釣りに行く人等を否定するものではありませんから誤解しないで下さい。

TV番組の中でも時々言われることに『忘れられるのが怖い』という言葉。
私に出来る事なんてたかがしれてますが、blog記事にすれば見てくれる人も
居るかもしれません。
思い出してくれる人が居るかもしれません。


【以下は9/26の事です】

先ほど海には未だ近づけないと書きましたが、今回 福島復興支援ツー
(青バナ GETツー)の目的地が南相馬市なので、かつて 相馬や浪江&
夜ノ森に行く時に良く走った海沿いの県38がどうなってるか確認しようと
いう事も目的になったのでした。

モチロン Googleマップで有る程度の情報を仕入れてのツーです。

写真は多いのに解説が少ないのは了承願います。
また 震災前の写真と対比させればイイのですが写真を探すのが大変なので。


 
海水が抜けないのか草さえも枯れてしまってます。

 
所々で道路補修が行われてました。
タダ 仮修理なんでしょうね。

 
田んぼの瓦礫撤去をしてるのでしょうか?
こんなに海が近いとは知りませんでした。

 
道の両側には草しか生えてません。
私は以前の様子を知ってますが初めて見る人は当初から何も無い平地にしか
見えないかもしれませんね。
ですが 瓦礫が撤去されて別の所に集められただけなんです。

 
震災前に休憩場所として使っていたコンビニでした。
かろうじて残った柱に屋根が乗ってる様ですが・・・危険です。

 
中浜小学校
学校が有るという事は近くに人家が有るという事になりますが、
見回しても な~んにも有りません!

 
学校の校庭には廃棄されたクルマ等が積まれてました。
作業してる様には見えませんでしたので無くなるのは何時の事やら。

 
学校の近くではこんな道が何度も出現しました。
セローで来てヨカッタと思った瞬間です。

 
磯浜に近いココは道の両側に家並みが続いてたのですが・・・電柱は
新たに建てたのでしょうね。
チョッと高い所の家は人が住んでますので電気・電話は必要ですから。

   
磯浜の先まで行ってみましたが道は封鎖されてました。
通行止めの看板の所にバイクを停め歩いて行ける所まで行ったら、
道は消滅し以前の面影が全く判らないくらい変わってました。

  
難破船がどうなってるか確認する為に磯浜に戻りました。
あれだけの地震・津波が有ったのに、何事も無かったの様に以前のママです。
砂にカナリ埋まってるのか・・・コレこそ打ち上げられたら良かったのにと
思うのは私だけでしょうか。

 
釣師浜なのですが沢山建っていた家は土台しか残ってません。
否 土台さえ残ってない場所も多いです。
海の傍なので根こそぎ破壊されたんだろうな~・・・。
土台以外の瓦礫は見当たりませんが撤去=処理完了ではない事をお忘れなく。

   
相馬港から原釜尾浜にかけての写真ですが、公園や家は破壊され
ほ~んとに何にも残ってません。
その中で足場らしき物が組み立てられてましたが何を作ってるんでしょうね。


良い子は真似してはいけません !!

一緒に行った人に伝えてました。
入ってダメな所には看板が立ってて誘導員が居るからっと。

 
たとえば こんな所とか・・・







  ワッ 行 っ ち ゃ っ た 



 
オ~ィ 渡りきる前に戻ってこ~い

私は知っていた。

橋の先に有るトンネルを抜けたら道が無くなってる事を。


ココで引導を渡すわけにはいかない。
誘導員を振り切り必至に追いかけ 渡りきる前に捕獲成功!
戻ってきて丁度 信号STOP。
誘導員のオヤジさんに誤りましたとさ。
優しいオヤジさんで良かった ヨカッタ。


 
津波は松川浦にも入ったのに、この写真からは全く感じられません。

被害を受けた地域でも建物の並び方や地面のチョッとした高さの違い等で
被害状況には雲泥の差が有る事も事実です。


海に近付くことが有れば記事にします。
それが何時は判りませんが、忘れられない為に 否 忘れない為に。
コメント (2)
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