いちにち雨ふり一隅を守ってゐた(木賃宿生活)
貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)
夕しぐれいつまでも牛が鳴いて
しぐるゝや支那さんいつしよに寝てる
支那の子供の軽業も夕寒い
昭和5年9月9日より始まる種田山頭火の日記『行乞記』、
十一月十日(湯ノ平温泉、大分屋)と
同月十一日(同宿)の分より俳句の一部を抽出した
(「青空文庫」より)。
<焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか>
と、それまでの日記は焼いてしまったらしく、
2回目の行乞の始まりは、
熊本の八代→日奈久→人吉→小林・・・
湯布院の近くの湯平温泉にも2日間滞在したようで、
ここの温泉をべた褒めしている。
私は、山頭火は水のソムリエと思っているのだが、
こう記している。
此温泉はほんたうに気に入った、山もよく水もよい、湯は勿論よい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だった。
こゝの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶ/\飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などゝすっかり浴泉気分になってしまった。
と十日の日記を締めている。
たいてい、山頭火は、水の美味しいところばかり歩き回っていて、
どこそこで、ほんたうによいと褒めちぎっているが、
ここは格別のようだ。
ここの湯は「胃腸病に効験いちじるしいそう」で、山頭火もよく飲んだようだが、「もしこれが酒だつたら!と思ふのも上戸の卑しさからだらう」と書いているのは、正直、可愛いもんですね。
翌12日は湯布院湯坪の筑後屋に宿している。
(柳本もともとさんが拙句「山頭火読む間違いだらけの良夜」を描いた絵俳句)
ついでに言うと、
山頭火が泊まった木賃宿で現在建物が残っているのは、日奈久の織屋(おりや)だけらしい。このブログにもUPしていたなあ~(ヤプログの時)
山頭火なんてとてもとても、読んでもさっぱりわかりません。
で、正直に白状しますと、長谷川櫂の「一億人の俳句入門」が自分にはぴったりでして、密かな愛読書になっております。
で、長谷川櫂はとても簡単なように俳句を言うんですが・・・そりゃぁ〜違いがわかる人には分かるって話だろう、なんてブツブツ言ってます。
でも、食前食後に嗜むのが日課になったので前に進みそうであります。
まあ、うれしいこと!
長谷川櫂でもだれでもいいですが
俳句に興味を持って前に進んでおられるんですね。
句作もしてみてください。
俳句は憑りつかれますよ(笑)。
ここに挙げた山頭火の俳句は
わかりいいのではないでしょうか。
景が浮かぶでしょ。
山頭火は、
自由律俳句自体の佳さというより
生き方のほうに共感する人が
多いような気がします。
実家が資産家だとか、芭蕉のように旅先に裕福なスポンサーがいたとか。
自分もこのような生活に憧れるのですが、現実的に考えると結局そこにたどり着いてしまうのです。
ヤプログ以来のコメントありがとうございます。
山頭火はどうしようもない男で
得度しても堂守は務まらず、
妻からも見放され・・・
托鉢はしても大した実入りになるはことなく
そのくせ酒飲んでどんちゃん騒ぎや
女買ったりの破戒僧。
お金は福岡の内科医木村緑平に貰いに行ったり
送ってもらったり、だったようです。
緑平も井泉水に師事する、自由律俳句仲間で
物心両面から支援してもらっていたそうです。
当時はそういうふうに、
心に余裕のある人もいたんだなあ
と思います。
あ、そうそう
時々、ライブドアの御ブログ「降っても晴れても写真日和」
を拝見させていただいています。
いつも芸術的で魅力的な写真をありがとうございます。