教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

口頭発表業績一覧

2025年03月05日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
52.白石崇人「明治期鳥取県の小学校教員試験検定制度―有資格教員確保政策・免許状授与数・受験者養成・教育学的知識」小学校教員検定科研費研究会、オンライン、2021年8月30日。
53.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」中国四国教育学会第73回大会、山口大学(オンライン)、2021年11月27日。
54.白石崇人「日本教育学史をどう描くか?―1880~1930年代における科学的基礎づけ問題とその後の展望」教育学史研究会、オンライン、2022年3月22日。
55.白石崇人「明治末期の小学校正教員に求められた教育学的知識―鳥取県小学校教員検定試験問題の分析」日本教育学会第81回大会、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
56.白石崇人「20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学に於ける教育学研究」論に注目して」日本教育学会第81回大会ラウンドテーブル、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
57.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育史学会第66回大会コロキウム、埼玉大学・オンライン、2022年9月25日。
58.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究成果中間報告会、九州大学博多駅オフィス、2022年11月13日。
59.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会第74回大会、香川大学、2022年12月4日。
60.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」日本教育学会第82回大会、東京都立大学・オンライン、2023年8月24日。
61.白石崇人・井上快・三時眞貴子「沼田家文書にみる知と近代教育―エゴ・ドキュメントによる教育史研究の可能性」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
62.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
63.白石崇人「戦前日本の教員養成に対する教育学の役割(試論)」日独ミニシンポジウム・教育学と教員養成を見直す、オンライン、2024年1月10日。
64.Takato Shiraishi, 'The Position of "History of Education as Educational Studies in Japan"', International Workshop on the Development of Educational Science in Japan and Germany, on-line, 2024/3/21.
65.白石崇人「1900年代後半の師範学校教育科における実地授業から教育実習への移行―教育学の視点変容と師範学校の反応に注目して」教育学史研究会、オンライン、2024年5月28日。
66.白石崇人「日本学術会議 心理学・教育学委員会 教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」から考える教育史教育の役割と課題」日本東洋教育史研究会、広島大学、2024年7月6日。
67.白石崇人「1900年代における師範学校学科課程の模索―師範学校学科程度取調から師範学校教授要目の訓令化まで」日本教育学会第83回大会、オンライン、2024年8月29日。
68.白石崇人「20世紀初頭における教育学に対する社会的要請とその対応に関する分析の構想―日本教育史の立場から」WINE科研研究会、琉球大学・沖縄コンベンションセンター、2024年9月22日。
69.白石崇人「1910年代前半東京高等師範学校の教育学教育―沼田實作成波多野貞之助講義ノートの分析」教育史学会第68大会、東京学芸大学、2024年9月29日。
70.白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム、東京学芸大学、2024年9月29日。
71.白石崇人「明治日本の辞典における「研究」概念―教育学研究と教員の教育研究の関係史序説」中国四国教育学会第76回大会、岡山大学、2024年11月23日。
72.白石崇人「教育学の国際比較史への挑戦―20世紀初頭における実証科学と中等教員養成の影響に注目して」WINE科研研究会、愛媛大学、2025年2月27日。
73.白石崇人「メアリー・ジョー・メインズ/アン・ウォルトナー著(三時眞貴子訳)『家族の世界史』(ミネルヴァ書房、2023年) について」第1回広島大学日東西教育史合同研究会、広島大学、2025年3月4日。

 
 
 
 
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現在の高等学校「無償化」問題について

2025年02月16日 15時38分00秒 | 教育研究メモ
 高等学校「無償化」が久しぶりに政治問題になっています。この1週間で事態が大きく動き、与野党とも実行する気になっているようです。先週は、その財源をどうするか、所得制限をかけるかかけないかといったあたりが最大の争点になっていました。政策実現のための具体的な論争が展開されており、この問題を少しでも解決しようという政治家の姿勢とみてよいと思います(その背景に様々な打算があるのは当然のことです)。

 ただ、何のため・誰のための高等学校「無償化」か、という目的と対象をもう少し問い直した方がよいでしょう。ネットのコメントは「私立を無償化する必要ない」とか「高額所得者が得をする」とかいった意見だらけです。こういう議論ばかりになるのは、「支援金をいくら出すか出さないか」という論点だけで議論しているからです。ここで目立つべきは、誰の何のための「無償化」かという目的と対象を問う論点であるべきです。そもそも、与野党および議員間で、無償化の目的と対象に合意ができているのでしょうか。
 
 高等学校とは何か。特に国費から高等学校の授業料を出すのですから、この日本という国家にとって現在の高等学校とは何か、という問いを避けることはできません。その合意なしに議論するから、高額所得者に支援するのはおかしい、などという反論が出てきて、議論が混乱するのです。
 義務教育化されている小・中学校の授業料は無償化されていますが、小中学について高額所得者に~という議論をする余地は、今の日本にはないはずです。それは小・中学校が今も日本にとって重要なものだと考えられているからです。
 高校についてはどうでしょうか。学校教育法第50条では、高等学校は「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すこと」を目的としています。このうちの「高度な普通教育及び専門教育」とは何か、なんのための教育でしょうか。その教育を受ける生徒とは誰のことでしょうか。我々日本国民は高等学校をどうしたいのか。

 今回、「義務化」ではなく、「無償化」の議論なのが特徴です。過去の民主党政権時には、高等学校無償化と義務化との関係が問われました。高等学校をすべての人のための学校にするか、それとも就学する意志や用意(所得含む)のある人のための学校にするか、という議論がなされました。今回はそのところの議論が希薄ではないかと思います。
 「義務化」と「無償化」を切り離して議論するということは、「高校にいきたい人が誰でも行けるようにする」ということを問題にしていると思われます。今議論されているのは「所得制限なしの就学支援金の支給(実質無償化?)」です。それを「無償化」と言うべきかは疑問ですが。

 「高校に行きたい人」とは誰のことか。どうしてその人たちが高校に行けるようにしなければならないのか。
 論点は、公立と私立、高額所得者とそうでない者ではないと思います。国民全員か住民全員か。公立私立に限らず高校にどんな教育を求めるのか。
 この議論をする人は、これらの問いに答えてから議論した方が良いと思います。とくに国会議員の皆さんには、これらの問いから逃げずに問題に取り組んでほしいです。
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著書業績一覧

2025年02月07日 18時04分16秒 | 研究業績情報

 書籍になった著書業績については、以下の通り。



<単著>


1.白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用②、社会評論社、2013年。(全198頁) ※目次詳細→社会評論社HP
2.白石崇人『幼児教育とは何か』幼児教育の理論とその応用①、社会評論社、2013年。(全182頁) ※目次詳細→社会評論社HP
3.白石崇人『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』鳥取県史ブックレット16、鳥取県、2015年。(全112頁) ※目次詳細→鳥取県HP
4.白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』溪水社、2017年。(全658頁) ※目次詳細→溪水社HP
5.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』kindle、2022年(全248頁、電子書籍)。
6.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』kindle、2022年(全208頁、電子書籍)。
7.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』kindle、2022年(全293頁、電子書籍)。
8.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』kindle、2022年(全235頁、電子書籍)。

<共著>


1.梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年。(白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」303~326頁)
2.梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。(白石崇人「全国教育者大集会の開催背景―一八八〇年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」109~132頁)
3.池田隆英・上田敏丈・楠本恭之・中原朋生編『なぜからはじめる保育原理』建帛社、2011年。(白石崇人「日本の保育の制度史(戦後)―なぜ保育所と幼稚園があるのか?」97~104頁)
4.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代4(行政1)、鳥取県、2016年。(白石崇人「第三章 明治期の村と教育」「第六章 明治後期から大正期の地域動向 第四節 青年団・その他」「第七章 日露戦争後の教育と地域」担当解説28~36・83~84・85~95頁、選定史料413~470・755~761・767~820頁)
5.梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。(白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」385~414頁)
6.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代7(産業・教育・文化)、鳥取県、2018年。(白石崇人「教育」担当解説32~60頁、選定史料221~558頁)
7.杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年。(白石崇人「第10章 明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」、281~314頁)
8.貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。(白石崇人「第八章 国民教育の始動―明治期の教育」115~130頁)
9.尾上雅信・三時眞貴子編『教育史』新・教職課程演習第2巻、協同出版、2022年。(白石崇人「日本近代教育史上の人物について述べなさい」・「大正時代の新教育思潮について、八大教育主張を中心に述べなさい」・「師範教育制度の確立・展開過程について述べなさい」54~55・61~62・132~133頁)
10.中原朋生・池田隆英・楠本恭之編/木下祥一・白石崇人・平松美由紀・光田尚美・山本孝司・龍崎忠『なぜからはじめるカリキュラム論』建帛社、2024年。(白石崇人「第4章 日本における教育課程の理念(戦前)―なぜ社会・国家のために教育するのか?」33~44頁)
11.丸山剛史・井上惠美子・釜田史・白石崇人・大谷奨・亀澤朋恵・内田徹『近代日本小学校教員検定制度史研究―地方における試験検定・無試験検定制度運用と受験の実際』学文社、2025年。(白石崇人「第2章 小学校教員試験検定制度の成立と実施―明治期鳥取県の場合」49~77頁、「第3章 小学校教員試験検定受験者に求められた教育学的知識―明治末期鳥取県の場合」78~100頁)

<編集>


1.白石崇人編『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』不二出版、2017年。(白石崇人「『東京府教育会雑誌』解説」7~37頁。※目次・年表も元データを作成)











 
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ユニコーンのお花畑

2025年01月28日 21時55分00秒 | Weblog



うちの子の新作。
世界中に知らせてくれ(ブログに上げてくれ)と頼んでくるようになりました。世界中に知らせていいか?!という表現は、私がうちの子の絵で感動してブログに上げるために本人に許可をとるときに使ってきた表現です。その表現をついに自分のものにしましたね。

絵は、ユニコーンがお花畑で歩いているところ。間違えた絵(ユニコーンの左隣のやつ)を風車にするという工夫が光ります。画面下が青くなっているのは湖だそうです。

ユニコーンがとても楽しそうに描けています。今までのうちの子の絵と比べると、色がバランスよく選択・配置されているのがすごいなと思いました。

お絵描き教室に通わせれば、もっといろんな表現方法を身につけて、もっといろんな絵が描けるようになるだろうな、と思いつつ、この子がのびのび絵を描ける時間を大事にしてくれる教室や指導者が見つかるだろうか、と不安もあります。今の本人の希望は、上手になりたいというより、楽しく描きたい、というあたりにありそうだから、それを大事にしてあげたい。

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名古屋市教育会解散検討の報に触れて―学校を保護者・地域住民とともに支える仕組みの見直しに

2025年01月25日 12時26分21秒 | 教育研究メモ
 名古屋市教育会解散の報道が目に入ってきました。名古屋市の人間でないのでその判断の是非を問うものではありませんが、教育会史の研究者として20年以上生きてきましたので、一言発言すべきだろうと思い、私の見解を記録します。


 教育会は、明治期以降、近代教育を普及・改良するために結成された初の教育団体であり、戦前には全国規模の中央教育会または都道府県市区町村の地方教育会、はては植民地にまで大日本帝国全土に存在し、それぞれ活動していました。教育会は、それぞれの活動地域内で教育情報を循環させ、その他の地域と情報交換を行い、「教育」の名のもとに関係者を結集して、教育の在り方を模索する舞台としてその役割を果たしてきました。戦後直後に解散・存続をめぐる根本的な議論を経て、解散させた地域と、存続させた地域があります。教育会を存続させた地域は多くなかったのですが、名古屋市はその地域の一つとして教育会を存続させた地域でした。戦後からすでに80年経つなかで、教育会は様々な活動を継続的に行い、地域教育の発展の一端を一定程度担ってきたことは事実でしょう。
 しかし、今回のように、保護者や地域住民から「怪しい」とまで言われるような団体になってしまっていたのは残念なことです。市教育会に代々かかわってきた関係者はそれぞれの立場から努力されてきたことは想像できるのですが、結果としてそう言われてしまったのは、地域住民(特に子育て世代)に教育会の活動が伝わっていなかったためであり、伝えていたとしても理解を得られるような活動や広報ができていなかったためでしょう。名古屋市は、近年積極的にPTAの見直しを進めており、市教育会の問題はその一環として問題化したように思います。保護者から資金を徴収してきたのに、それを十分に説明できなかった(納得させられなかった)というところが、今回の最大の問題ではないかと思います。
 教育会の中でも市教育会という段階の教育会は、都道府県教育会よりも一層地域に身近な教育会であるはずです。市によってその実態や歴史は異なりますが、市教育会には教員や教育行政官だけでなく地域住民が加わっていることはよくあったことです。また、戦後に教育会を存続した地域の中には、保護者を入会させることを学校中心・教員中心の組織を改革する手段として採用した地域もありました。本来は、こうなる前に、名古屋市教育会の歴史をしっかり振り返って、なぜ賛助会員として保護者から会費を徴収するようになったのかについて確かめ、十分な議論をして、しかるべき対応をすべきだったのでしょう。
 ヤフコメでは「市教育委員会と混同するような名称」も問題になっています(現代に教育会が出てくるといつも名称の議論になりますが)。歴史的には市教育委員会の方が後ですが、戦後の解散をめぐる混乱のときに活動を整理して「教育会」という名称を変えた地域もいくつかあるので、やはり「教育会とは何か」という議論が十分だったか問い直さざるを得ないでしょう。教育会が存続している地域は、すべてではありませんが、あちこちにあります。活動中の教育会は今回の問題を「対岸の火事」とみることなく、自分事として真剣に自らを見直す機会とすべきでしょう。教育会は教育委員会ではなく、すなわち教育行政機関そのものではありません。
 教育会の無い地域においても、今回の問題は今後の教育をとりまく社会的環境・条件について考える機会とすべきです。というのは、この問題がPTAや保護者団体の在り方や、学校を保護者・地域住民が支える仕組みの在り方と関わっているからです。教員や退職者だけで構成された教育会ならこのような問題のなり方にはならなかったでしょう。問題は、教育会の解散云々以上に、学校を保護者や地域住民が支えるというそのあり方が問われているところにあります。PTA解散や連合組織からの脱退が進む地域が増えていますが、重要なのはその後で、保護者や地域が学校を支える仕組みをどうするかを考えなければなりません。名古屋市の場合は教育会解散後の教育会が担っていた役割を代替する策を考えているようですが、そのまま肩代わりすればよいのではなく、何のためにこの役割ができて、今どうすべきか、という議論を積み重ねる必要があります。
 学校教育は地域に支えられて発展してきましたし、子どもたちは保護者と学校がともに育てていくものです。学校に任せる、教育行政・教育委員会に任せるようなものではありません。わが地域では学校をどのような組織体制で支えていくか。この際、教員や行政だけでなく、保護者や地域住民を交えて熟議していくべきです。コミュニケーション・熟議の場を見直す必要があります。また、すでにいろいろな新たな取り組みが各地で進んでいます。教育情報の収集・循環・共有の仕組みの見直しが必要です。
 実は、教育会は、教育情報の収集・循環・共有の仕組みを整えながら、様々な立場の教育関係者を組織して、教育に関する熟議の場として発展してきた団体です。私の見通しでは、戦後直後、1970年代前半と教育会の在り方が問われてきた時期があったと思いますが、今もまた、教育会自身が自らの存在意義を歴史的に振り返るべき時期なのかもしれません。

【参考文献(例)】
・白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
・白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。  
・梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年(新装版、明誠書林)。
・梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。 
・梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。 
・白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム資料、東京学芸大学、2024年9月29日。 

 
 
 
 
 
 
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研究論文業績一覧(単著)

2025年01月15日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 学術雑誌掲載の論文に関する研究業績情報。増え次第、ここに順次追加しています。卒論と修論は普通挙げませんが、参考までに。 PDF公開されている論文には、ウェブリンクをつけておきました。 レフェリー付き論文には、文末に「」を付けています。 




1.白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
2.白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
3.白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
4.白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
5.白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
6.白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2005年3月、42~47頁。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2006年3月、66~71頁。
8.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
9.白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
10.白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2008年3月、46~51頁。
11.白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。
12.白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年9月、1~12頁。
13.白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年12月、11~20頁。
14.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2009年3月、270~275頁。
15.白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年12月、9~20頁。
16.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2010年3月、314~319頁。
17.白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年6月、1~10頁。
19.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2011年3月、268~273頁。
20.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号、2011年、31~40頁。
21.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻、2012年3月、233~238頁。
22.白石崇人「明治期における道府県教育会雑誌の交換・寄贈―教育会共同体の実態に関する一考察」広島大学教育学部日本東洋教育史研究室編『広島の教育史学』第3号、2012年3月、27~47頁。
23.白石崇人「大日本教育会夏季講習会の開始―明治20年代半ばの教員改良策」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第58巻、2013年3月、53~58頁。
24.白石崇人「1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(年表解説)」教育情報回路研究会編『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、東北大学大学院教育学研究科内教育情報回路研究会、2013年3月、1~10頁。
25.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」学位論文(論文博士(教育学))、広島大学、2014年3月、全390頁。
26.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第59巻、2014年3月、533~538頁。
27.白石崇人「明治期鳥取県教育会の結成と幹部」『広島文教女子大学紀要』第49巻、2014年12月、27~40頁。
28.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第60巻、2015年3月、37~42頁。
29.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻、2016年3月、174~179頁。
30.白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁。
31.白石崇人「日本の学校における道徳教育の展開―修身教育、教育活動全体、道徳の時間、特別の教科」『広島文教女子大学紀要』第51巻、2016年12月、47~57頁。
32.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、370~375頁。
34.白石崇人「現代日本の教育政策における学校・地域の連携協働構想―平成27年中央教育審議会答申以降に注目して」『広島文教女子大学紀要』第52巻、2017年12月、33~43頁。
35.白石崇人「現代日本の教育政策における教員養成の課題―平成27年中教審教員育成答申以降の諸施策に注目して」『広島文教女子大学教職センター年報』第6号、2018年2月、7~16頁。
36.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第63巻、2018年3月、537~542頁。
37.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには(教育学研究と実践志向の教員養成改革との関係性を問う(教育史の立場から))」佐藤仁編『教員養成における「エビデンス」の位置づけをめぐる学際的研究』2016・2017年度中国四国教育学会課題研究成果報告書、2018年3月、30~40頁。
38.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討―2012年11月までの研究成果を整理して」教育情報回路研究会編『日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書、教育情報回路研究会、2018年3月、21~42頁。
39.白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年3月、1~13頁。
40.白石崇人「明治30~40年代の教育研究における教育展覧会」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第64巻、2019年3月、96~101頁。
41.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会編『近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究』2018~2020年度科学研究費補助金(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、教育情報回路研究会、2019年4月、(1)~(23)頁。
42.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」教育史学会編『日本の教育史学』第62集、2019年10月、142~145頁。
43.白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
44.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第7号、2021年3月、45~60頁。
45.白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁。
46.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
47.白石崇人「澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義再考―20世紀初頭の科学史・教育学史・教師の教育研究史における意義」日本教育学会編『教育学研究』第89巻第2号、2022年6月、40~50頁。
48.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
49.白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。
52.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第69巻、2024年3月、545~550頁。
53.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育情報回路としての教育界に関する総合的研究会『近現代日本における「学び続ける教員を支えるキャリアシステムの構築」の総合的研究』2021~2024年度科学研究費補助金(基盤研究(B))報告書(Ⅱ)、2024年。
54.白石崇人「日本学術会議「教育学参照基準」に基づく教育史教育の役割と課題」『教育学研究―広島大学大学院人間社会科学研究科紀要』第5号、広島大学大学院人間社会科学研究科、2024年12月、165~174頁。
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学校のカリキュラムをどうするかメモ

2025年01月09日 19時53分08秒 | 教育研究メモ
 現在の学校の働き方改革を進めるには、午前に教師主導の授業をして、午後に児童生徒主導の課題解決型の授業を進めたらどうか、と常々考えてきました。そして、事例はいろいろ思いつくのだけど、全体としてどういう理屈で説明できるだろうか、というところで考えは足踏みしてきました。
 10月から教育学コースの他の先生や学生たちと一緒に月一でやっている『教育学研究』を読む会でお題になっている、桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」(『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁)を読んでいて、なるほどと思ったので、ちょっとメモを。

 桂論文は、教授目標に基づくカリキュラムと評価に対してアートに根差す学びを通した批判を行い、個人の個性的な認識や他者との対話を通して探究するカリキュラムに転換することを主張しています。それはアートの学びだけでなく、他の領域でも、総合的・学習的な学習の場合も可能だといいます。そのカリキュラムでは、授業者が自分の目標をオープンに保ち、授業の目指すところは実践の中で学習者とともに追究・合意形成されていく、といいます。まだ全体を理解できていませんが、なるほどなと思う反面、今の学校教育のすべてをそういったカリキュラムで置き換えることは可能だろうか、と思いました。

 私のアイディアに戻すと、アート的な学びのカリキュラムとオープンな形での目標設定?は、私のいう「午後」の協同的な問題解決型学習の考え方とぴったり合います。一方で、そういうカリキュラムだけで、今の日本の学校教育が成立できるはずもない、と思っています。ここまで成果主義で説明責任の求められる制度になっていると、そういうカリキュラムでは成果も説明責任も果たすことが困難だからです。今のこういう制度は学校や教員がそうしたいと思って作っているものというより、今の社会がそう作っているものですから、学校だけが対処できる問題ではありません。こういうカリキュラムを構成しながらも、現状に応じたカリキュラムも構成する必要があります。
 私のいう「午前」の授業は、「午後」の学習で必要な基礎知識・技能等を学ぶために必要だと考えていましたが、上のような問題を考えると、社会に説明責任を果たす学校の義務を果たすためにも必要な気がしてきました。学校教育は児童生徒のためにあるのが第一義ですが、国家社会のためにもあるという側面も持ちます。もちろん、あくまで、「も」の立場を堅持する必要がありますけど。

 まとまりませんが、今日はこの辺で。メモなので。

参考文献
・桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁。


 
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健康第一の2025年

2025年01月08日 21時34分00秒 | Weblog



 写真はうちの子が時々つくるミカンのお店です。一生懸命並べたあと、「いらっしゃいませ〜みかんやさんですよ〜」と始まります。

 3が日終了直後から、一気に40度をこえる高熱が出まして、丸2日間、身動きがほとんどできなくなってダウンしておりました。ここまでの高熱は30年ぶりくらいかも。熱が出てからはプチ隔離されていましたが、インフルエンザだと思われます。しかし、妻子はなぜか元気… 不思議ですが苦しい思いをさせなくてよかった。
 昨日から完全に解熱しましたが、まだ頭がぼんやりとしています。

 さて、2025年が始まりました。皆さんはどんな1年にしたいですか?
 私は、研究について、すでに入っている仕事ややりたいこと、約束していることを並べてみたところ、ずっと忙しい状態になることが判明しました。指導ゼミ生やチューター業務も増えますし、広大日東(広島大学日本東洋教育史)研究室出身の先輩後輩たちとの研究会も企画していきます。気合を入れてやらなければ!という気持ちですが、空回りしないように、気持ちも場も常に出入り自由の状態にしていこうと思います。
 とりあえず、いま抱えている論文1、某原稿1、某史料整理の仕事を仕上げます。次に、これから編集の始まる科研仲間との編著1冊の構想、研究会(2つになるか3つになるか…)の準備、専門講義のテキスト1冊の仕上げに取り組まなければなりません。単著の専門書の編集も始めていきたいし、来年度の学会発表の準備も始めていきたい。大学史・自治体史の仕事も確実に進めていきたいし、研究室紀要も復活させたい…
 直接求められてくる仕事とともに、自分の立場から見て進めるべきだと考える仕事がたくさんあります。常に走り続けなければやり遂げられない。

 よたよたしながらですが年始のスタートを切れたので、健康第一で頑張っていこうと思います。

 
 
 
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2024年を振り返って

2024年12月30日 23時23分00秒 | Weblog
 2024年が暮れようとしております。皆さんの2024年はいかがだったでしょうか?

 私の2024年は変化の年になりました。昨年の年末に新しい職場が決まり、大慌てで引っ越しや娘の保育園探しを進め始めた年始でした。ゼミ生や担当科目の引継ぎも苦労しました。何より、関係者には本当にご迷惑をおかけしました。特に、ゼミ生たちは様々に葛藤したはずです。しかし、最後は、「先生が長年の夢をかなえるんだから」と前向きにとらえて追い出してくれました。本当にありがとう。(写真はこの時ゼミ生からいただいたカップです)




 4月からは広島大学教育学部で15年ぶりに働くことになりました。それまでの地方小規模私立大の教職課程担当教員としての働き方とはまったく違う働き方になったので、慣れるまでにちょっと時間がかかりました。しかし、これまで私が一番やりたかった仕事に集中できるようになったので、生活はとても充実していました。今年のゼミ生は学部3年生3名だけですが、皆優秀で、とても指導しがいのあるゼミ生たちです。後期からは外国人研究生1名を迎え、博士論文執筆を目指す本大学院卒業生もお1人、私のゼミに出入りするようになりました。来年度は、ゼミ生をはじめ指導学生が徐々に増えていく見込みです。
 私が指導する学生たちは、教員になる人もいますが、それがゴールの人たちばかりではありません。特に広島大学教育学コースで大学院まで行く人は、教育学の研究者を目指し、多くは教職課程担当教員すなわち「先生の先生」になっていきます。私の仕事は、教育学の研究者として一人前に論文が書けるようにするのはもちろん、「先生の先生」として立派な働きのできる人を育てることです。最近、教育学コースで設けている教職課程担当教員養成プログラムの修了予定者が履修する最後の科目の初回がありました。私が科目担当になっているので、最初に話をする機会があったのですが、そこで「形式的作業に終えず、自分のために、将来出会う学生たちのために、そしてその将来の教師たちが出会う子どもたちのために、しっかり取り組んで下さい」と声をかけさせてもらいました。「『先生の先生』の先生」としての仕事。頑張ろうと思います。

 さて、研究については、3月までに前年度の成果を出し切りました。『History of Education』誌掲載の英語論文は、6月にようやく紙媒体に掲載されたようです(実物を手にできていないので伝聞ですが)。これでいったん、鳥取短大・広島文教大での研究成果は形にし終えたと思います。これからは、広大の教員としての研究活動です。
 6月からは学部1年生対象の「日本東洋教育史」の講義が始まり、自分なりの通史教育を始めました。テキストは講義開始に間に合わなかったので、形にするのは来年度になります。また基本的にKindle版で販売すると思いますが、今度はいずれ紙版も販売できるように画策中です(Kindle版の発売を先行させて、紙版の発売はタイミングをずらずかもしれません)。
 4月から、研究が主要な業務の一つになったので、めいっぱい研究に取り組みました。結果として口頭発表を7つも形にしました。年頭からの発表も足すと、口頭発表9つです。これは間違いなく自己ベスト新記録。研究ではまだまだやりたいことがたくさんあるので、時間はいくらあっても足りないくらいです。今年の発表は久しぶりに史料にじっくり取り組んで準備しましたが、試論的な取り組みが多かったので、論文化できているものはまだありません。しかし、すでにいくつかは活字化が決まっており、3月までにはいくつか公表できそうです。
 史料保存の取り組みも進展しました。まずは沼田家文書の保存活動が結了しました。故沼田實氏の実子の方々がお持ちだった分も含めて、ご遺族の御意向を受けて、すべて広島県立文書館に寄贈することができました。文書館に寄贈する前に、一部の史料を広島大学内で公開できたこともよかったと思います。院生・学生・教職員に日本教育史の仕事の一端を、実物展示で示すことができました。また、一部三原市内に残っていた沼田家文書の史料(三原小に寄贈したものを除く)も、最終確認して収集し、これも文書館に寄贈することができました。さらに、8月には、長野県飯山市で廃校予定三校の史料目録作りのお手伝いもできました。十分な戦力には、なれたと思いませんが、私自身にとっては史料保存活動の貴重な経験になりました。さらに、12月には、新たな史料群の整理にお声がけいただき、膨大な量の史料に圧倒されながら鋭意作業中です。
 史料保存の活動に携わった経験は、後期の学部2年生対象科目「日本東洋教育史演習」の授業に活かすこともできました。史料に出会う機会は突然にやってきます。そのときに少しでも確実な手立てを講じることのできる人材を育てるために、出来ることを考えています。

 来年度の仕事は今年度とはちょっと変わってくる見込みなので、今年のようにはいかないと思いますが、それでも研究と教育が一番の仕事であることには変わりありません。研究でも新しい取り組みをしていきたいと思っておりますし、これまでの仕事をとりまとめて新しい研究書も出していきたいです。
 今年お世話になった方々に感謝しながら、2024年を締めくくりたいと思います。また来年もよろしくお願いします。
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新学習指導要領が諮問された時に思う

2024年12月28日 11時37分00秒 | 教育研究メモ


 2024年12月25日、中央教育審議会に学習指導要領改正が諮問されました(「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」)。現行の学習指導要領が、2014年11月諮問、2016年12月中教審答申によって、2017年・18年に告示されたものですので、おそらく2026年に答申を目指して審議を進めていくものと思われます(「迅速に」とも言っているので、スケジュール前倒しの可能性も否定できませんが)。
 今回、諮問の第四の事項に挙げられた「教育課程の実施に伴う負担への指摘に真摯に向き合うこと」はとても重要です。教育内容を純増させることは厳禁であり、プラスマイナスゼロにとどまることも許されないものと考えます。教育時数はそのままで教育内容を積極的に減らし、目的・目標達成を効率的・効果的に果たせるように方法・条件を工夫しながら、現代的課題に応えることのできる新たな教育課程を編成すべきです。間違いなく大仕事になるべきです。
 私としては、教員が勤務時間内における自主的研究に取り組むことを踏まえた教育課程の編成を望みます。近年の採用試験の結果やベテランの退職によって教員の質は大きく変化しています。時間いっぱい児童生徒の教育や事務仕事にあたることを前提として、新しい教育課程の研究・勉強は勤務時間外にするのが当然というような発想は抜きで議論してほしいものです。
 以前「学校教育改革・働き方改革とカリキュラム研究」というお題で学校のカリキュラム改革を述べたことがありました。おおまかにいえば、平日午前中を教師が主導する各科授業とし、午後を協同調べ学習中心の授業にして協力者を含めたチームで指導するという案を提唱したのですが、今も私はこれが良いと思っています。もともと20世紀前半に始まった新教育実践(ドルトンプランやイエナプラン)を念頭に置いての案でしたが、現在でも、緒川小等、各地の学校で類似の実践が行われています。不可能なカリキュラムではありません。こういったカリキュラムを実態に応じて編成できるような新学習指導要領を期待します。

 問題は、こういったカリキュラムは知識技能詰込み型の受験・進学準備には向かないということや、そういう授業・指導のできる教員を育てる必要があるということ、管理職や行政のリーダシップが重要であることです。新しいカリキュラムに関する地域住民や保護者の理解が必要ですが、理解を得るには単なる情報周知ではなく、むしろまずは直接的に協力してもらいながら体験的に知ってもらうことを前提にした方がよいでしょう。また、地域住民・保護者の社会教育・生涯学習的意義も前提に考え、子どもたちと共に学び合う地域・家庭を目指していけるとよいと思います。知識技能詰込みの学習は希望者対象のみで良いと思います。(地域との連携についての過去記事はこちら
 また、新しいカリキュラムを開発・運用できる教員を育てる教員養成・教師教育の再構築はもちろんですが、現職教員の質的改良や協力者の養成が重要なので、教員や協力者の研修の改善の方が重要でしょう。そのつど必要に応じて教員自身が学び続ける必要があるので、法的研修だけでなく、自主的・主体的な研修を認める仕組みづくりが必要です。教育学はそういう学びの場を提供する事業に貢献すべきです(大学だけでなく学会も)。(研修についての過去記事はこちら
 新しいカリキュラムの開発・運用には、管理職や行政官がどの程度理解し、リーダシップをもって推進できるかが重要です。校長会や教頭会、教育会等の管理職団体や各種教育団体は積極的にこのような問題を議論し、衆議を尽くしてアイディアを出し合い、合意を形成していく必要があります。自分たちの地域ではここまでやろう、こうやってやろう、という話し合いが大事です。(管理職団体や教育団体に期待していることについてはこちらの拙稿をどうぞ)
 内容削減となると、20世紀末の「内容3割削減」の時の轍を踏まないようにしなければなりません。あの時、「新しい学力観」・「生きる力」に基づく教育課程改革がなぜうまくいかなかったかについてもよく検討すべきでしょう。

 とはいえ、大事なことは、学校教育は人間を育てる制度だということを大事にすることです。いくら知識や技能が現代的課題の一部に応じて更新できたとしても、人間性を育てなければ意味がありませんし、むしろ害になります。学校の教育課程を考える人々は、学校教育が応答すべき現代的課題とは何かを考えると同時に、学校教育の不易の核となるべき課題は何かを考えなければなりません。
 「藹然」という言葉があります。雲がたなびくように穏やかなさまを指します。古く漢学において、人との接し方の理想として挙げられる言葉なのだそうです(六然訓の一つ)。現代的課題に応じようとしてキリキリと働く人を育てようとするばかりでなく、人間として落ち着いて穏やかに他者と関わることのできる人間を育てていくことは、忙しい現代社会だからこそ大事なことかなと思います。
 この記事の最初に挙げた写真は、私が資料整理に関わった広島県御調郡三原小学校初代校長であった沼田良蔵が開いていた私塾の名前の書です。1884(明治17=甲申)年に良蔵の師である宇都宮龍山が書いたものだと推定しています。三原の教育を牽引し、皆で協力して三原の地域を盛んにしようとした良蔵でしたが、業務の傍らに地域の子弟を育てる場に「藹然」の言葉を用いました。この記事を書いているときにたまたま思い出した写真でしたが、今こそ大事なことだなと思いましたので掲示しました。
 (「藹然舎」の額は三原小学校に寄贈されております)
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オリジナル絵本をつくるうちの子

2024年12月24日 20時08分00秒 | Weblog



今日はクリスマスイブです。子どもがいると特別な日になりますね。

今日のうちの子は、黙々とオリジナルの絵本を作っておりました。鉛筆がちびて描けなくなって、クーピーで続きを一生懸命に描いております。
ユニコーンのお姫様がにこにこ過ごすお話のようです。

手前の2枚は間違ったらしいです。表紙も描き始めました。
以前にもオリジナル絵本を作っていたことがありましたが、今日のは枚数が多い。大作です。

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「わたし」という一人称

2024年12月20日 23時55分00秒 | Weblog



5歳●か月のうちの子ですが、日に日に成長しております。
上の作品は昨日保育園で作ったもので、工夫があってすてきです。妻いわく、保育園から帰ってきてすぐに出窓のところに自分で飾ったとのこと。

本日、「わたし」という一人称を使っているところに初めて出会いました。妻も初めて出会ったとのこと。
これまでは「〇〇ちゃん」と自分の名前で自分のことをを呼んでいたうちの子でした。「“わたし”って使えるようになったのね!」と言いますと、「わからないけど、いろんなひとがいるから」(?)という返事。「すごいね!」とほめておりますと、「あたし、あたい、」と言いながらトイレへ行ってしまいました。(たぶん照れたと思われる)

ついに抽象的な一人称を使うようになりました。このくらいの頃に使うようになると知っていましたが、実際に子どもが一人称を使うようになった瞬間に出会うことができて、感動です。
保育園のクラスでは、仲のいい友達のうち1人だけ他に使っているそうで、他のみんなは自分の名前呼び。友達やメディアの影響で、「なるほど自分のことは“わたし”と呼べるんだな」とわかってきたのでしょうね。
そういえば、私たち両親が、自分のことを何と呼ぶか(名前、父母、夫妻)や、祖父祖母、親戚との関係性で何と呼ぶかについても、少し前から興味を持って話を聞いていました。よくわかりませんが、そういう言葉と人間関係との関係性を理解するなかで、「わたし」という言葉が便利だなと思って使うようになったなら、すごいことだと思います。

「わたし」という言葉を使うようになるということは、自我の概念内容が変わってきたということ。また、人間関係のなかで自分を一般的に表す言葉を発見したこと。
子どもの成長の瞬間として、とても興味深い場面だと思いました。




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稲穂の絵

2024年11月30日 15時20分00秒 | Weblog



今日のうちの子の絵です。
今日は久しぶりの休日なのでみんなでゆっくりしています。

妻が年始に飲むつもりの日本酒の包装に少しくっついていた稲穂に対して、興味深々のうちの子ちゃん。妻からもらってさっそくお絵描きの題材に。
出来上がった絵が上のものです。

お米が一つ一つよく観察されて描かれていて、すごいなあと思います。左下に黄色い粒が描かれていますが、これは「おこめのいろになるかなーってためしてみてた」とのこと。
周りにあるカラフルな模様は「プレゼントのもよう」だそうです。我が子の心象風景の表現には舌を巻くばかりです。



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11月23日の中国四国教育学会で発表します

2024年11月19日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 この土日11月23・24日に、中国四国教育学会第76回大会が岡山大学で開催されます。このうち23日の午前の部の最後(11:20~)から、「明治日本の辞典における「研究」概念」と題しまして研究成果を発表します。
 基本的には、教育学研究と教員の教育研究の関係史について、手がかりをつかむための研究ですが、「研究」という日本語の概念史研究としても大事なのではないかと思っています。言語学や日本語学の方は多少調べた程度ですが、大変意外なのですが、私が知る限り「研究」の語源・概念史研究は見当たりませんでした(だれかご存じでしょうか…ご存じでしたら白石までご連絡いただけると喜びます)。

 具体的には、明治期の国語・漢和・和英・英和・哲学・教育学辞典を博捜して「研究」や関係する語の語義を整理し、そこから「研究」概念の中核となる意味や意味の変遷について考察します。「研究」はもともと漢語で、明治期に英訳に使われるようになりましたが、明治期を通じて、日本語としての語義を変化させるとともに、対応する英単語を変化させていました。語義や訳語の変化についての因果関係についてはまだわからないことばかりですが、少なくとも教育学のいう「研究」と、教員を含む人々が一般的に行っていた「研究」や哲学の「研究」との間に、語義の違いが現れ、異なる概念をもってきた時期がいつ頃なのかは特定できました。
 教育学研究と教員の教育研究の関係史についての研究を、この10年ほどの間、ぼちぼち続けてきましたが、そろそろ一つにまとめようと思っているので、そのための大事な成果になりそうです。
 
 
 
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どんぐりのマラカス

2024年11月13日 23時55分55秒 | Weblog


今日のうちの子ですが、どんぐりなどでマラカスを作って帰ってきました。

今日はマラカスを研究していたそうで、「こっちのほうがおとがいいかんじ。こっちはおとがごつい。」などと比べながら、マラカスを作っていったとか。おともだちにも「ほしい!ほしい!」と言われたので、いくつも作ってあげて、手がいたくなったそうです。
妻が「じゃあ、マラカス屋さんをしたんだねー」というと、「いや、けんきゅうしてただけ」とのこと。とはいえ、先生も、欲しそうにしていたので、作ってあげたそうです。

家に帰ってからはマラカスで演奏会をしていました。「こっちはかるい。いいかんじ。こっちはごつい。」などと言いながら。

5歳もずいぶん過ぎて、やることも考えることも高度になってきたためでしょう。子どもの話はこれまでも面白かったのですが、最近それ以上に面白くなってきました。
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