教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

オリジナル絵本をつくるうちの子

2024年12月24日 20時08分00秒 | Weblog



今日はクリスマスイブです。子どもがいると特別な日になりますね。

今日のうちの子は、黙々とオリジナルの絵本を作っておりました。鉛筆がちびて描けなくなって、クーピーで続きを一生懸命に描いております。
ユニコーンのお姫様がにこにこ過ごすお話のようです。

手前の2枚は間違ったらしいです。表紙も描き始めました。
以前にもオリジナル絵本を作っていたことがありましたが、今日のは枚数が多い。大作です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「わたし」という一人称

2024年12月20日 23時55分00秒 | Weblog



5歳●か月のうちの子ですが、日に日に成長しております。
上の作品は昨日保育園で作ったもので、工夫があってすてきです。妻いわく、保育園から帰ってきてすぐに出窓のところに自分で飾ったとのこと。

本日、「わたし」という一人称を使っているところに初めて出会いました。妻も初めて出会ったとのこと。
これまでは「〇〇ちゃん」と自分の名前で自分のことをを呼んでいたうちの子でした。「“わたし”って使えるようになったのね!」と言いますと、「わからないけど、いろんなひとがいるから」(?)という返事。「すごいね!」とほめておりますと、「あたし、あたい、」と言いながらトイレへ行ってしまいました。(たぶん照れたと思われる)

ついに抽象的な一人称を使うようになりました。このくらいの頃に使うようになると知っていましたが、実際に子どもが一人称を使うようになった瞬間に出会うことができて、感動です。
保育園のクラスでは、仲のいい友達のうち1人だけ他に使っているそうで、他のみんなは自分の名前呼び。友達やメディアの影響で、「なるほど自分のことは“わたし”と呼べるんだな」とわかってきたのでしょうね。
そういえば、私たち両親が、自分のことを何と呼ぶか(名前、父母、夫妻)や、祖父祖母、親戚との関係性で何と呼ぶかについても、少し前から興味を持って話を聞いていました。よくわかりませんが、そういう言葉と人間関係との関係性を理解するなかで、「わたし」という言葉が便利だなと思って使うようになったなら、すごいことだと思います。

「わたし」という言葉を使うようになるということは、自我の概念内容が変わってきたということ。また、人間関係のなかで自分を一般的に表す言葉を発見したこと。
子どもの成長の瞬間として、とても興味深い場面だと思いました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

口頭発表業績一覧

2024年12月09日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 この記事は、口頭発表の一覧です。発表後、何らかの形で活字化しているものが多いです。




1.白石崇人「明治初期における教育会の結成に関する研究 ―東京教育学会の活動実態を中心に」中国四国教育学会第54回大会、高知大学、2002年。
2.白石崇人「東京教育会の活動実態」全国地方教育史学会第26回大会、金沢大学サテライトプラザ、2003年6月1日。
3.白石崇人「大日本教育会主催の全国教育者大集会に関する研究」教育史学会第47回大会、同志社大学今出川キャンパス、2003年9月21日。
4.白石崇人「『大日本教育会雑誌』における外国教育制度情報 ―情報の使用形態に注目して」中国四国教育学会第55回大会、広島大学、2003年11月9日。
5.白石崇人「大日本教育会機関誌における外国教育情報に関する研究」国際研究集会、中国浙江省杭州市、2004年4月3日。
6.白石崇人「大日本教育会の地方会員に関する研究 ―全国と地方との関係」全国地方教育史学会第27回大会、熊本大学、2004年5月23日。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における組織的研究活動の展開」教育史学会第48回大会、法政大学、2004年10月10日。
8.白石崇人「19世紀末の大日本教育会・帝国教育会機関誌にみる西洋・東洋教育情報」アジア教育史学会2004年度第二回例会、広島大学、2004年11月6日。
9.白石崇人「明治三十年代の帝国教育会における組織的研究活動の展開」中国四国教育学会第56回大会、鳴門教育大学、2004年11月28日。
10.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会の地方会員の履歴に関する研究」全国地方教育史学会第28回大会、福島大学、2005年5月22日。
11.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」教育史学会第49回大会、東北大学、2005年10月8日。
12.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題」中国四国教育学会第57回大会、安田女子大学、2005年11月26日。
13.白石崇人「明治期における教育会の情報交換」全国地方教育史学会第29回大会、広島大学、2006年5月21日。
14.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会像の再構築」教育史学会第50回大会、大東文化大学、2006年9月16日。
15.白石崇人「明治期帝国教育会における道徳教育研究活動」中国四国教育学会第58回大会、岡山大学、2006年11月。
16.白石崇人「結成時における大日本教育会の根本的目的」教育史フォーラム・京都 第20回研究会、京都大学、2007年9月2日。
17.白石崇人「明治30年代・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案」中国四国教育学会第59回大会、広島大学、2007年11月23日。
18.白石崇人「全国教育者大集会の開催背景 ―帝国議会開設前の大日本教育会における「東京」と「関西」の問題」教育情報回路研究会第7回全体研究会、東北大学、2008年5月17日。
19.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像」中国四国教育学会第60回大会、愛媛大学、2008年11月30日。
20.白石崇人「1940年代末結成の日本教育協会―日本連合教育会改称までを視野に入れて」1940年体制下における教育団体の変容と再編過程に関する総合的研究第1回研究会、東北大学、2009年7月18日。
21.白石崇人「大日本教育会単級教授法研究組合報告の内容―高等師範学校編『単級学校ノ理論及実験』との比較から」日本教育学会第68回大会、東京大学、2009年8月28日。 ※訂正:題目「…組合報告の報告の内容」→「…組合報告の内容」
22.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会第61回大会、島根大学、2009年11月21日。
23.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―地方教育雑誌『東伯之教育』を用いて」全国地方教育史学会第33回大会、九州大学、2010年5月23日。
24.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程-師範卒教員と検定教員との衝突・分離・合流」日本教育学会第69回大会、広島大学、2010年8月22日。 ※訂正: PDF320頁 下から3行目「79,298」→「79,299」
25.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教員の地位向上と専門性」中国四国教育学会第62回大会、香川大学、2010年11月20日。
26.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会第63回大会、広島大学、2011年11月19日。
27.白石崇人「明治13年東京教育会の教師論―普通教育の擁護・推進者を求めて」教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月22日。
28.白石崇人「明治30年代帝国教育会の中等教員養成事業―中等教員講習所に焦点をあてて」(コロキウム報告)、教育史学会第56回大会、お茶の水女子大学、2012年9月23日。
29.白石崇人「明治20年代半ばの大日本教育会による夏季講習会の開催」中国四国教育学会第64回大会、山口大学、2012年11月10日。
30.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会、東北大学、2012年11月25日。
31.白石崇人「帝国教育会結成直後の教員講習事業―指導的小学校教員の学習意欲・団結心・自律性への働きかけ」教育史学会第57回大会、福岡大学、2013年10月13日。
32.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会第65回大会、高知工科大学、2013年11月3日。
33.白石崇人「1900年代鳥取県教育会における小学校教員批判ー教育研究態度の改良に向けて」全国地方教育史学会第37回大会、早稲田大学、2014年5月18日。
34.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」教育情報回路研究会、立教大学、2014年7月21日。
35.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会における教育勅語解釈―指導的教員・教育行政官の動員構想」教育史学会第58回大会、日本大学、2014年10月5日。
36.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会第66回大会、広島大学、2014年11月15日。
37.白石崇人「「研究」する教師・保育者の誕生-学び続ける明治期の先生たち-」広島文教女子大学教育学第31回定期総会、広島文教女子大学、2015年5月22日。
38.白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」(コロキウム報告)、教育史学会第59回大会、宮城教育大学、2015年9月27日。
39.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会第67回大会、岡山大学、2015年11月14日。
40.白石崇人「新鳥取県史編さん事業における教育史研究者」全国地方教育史学会第39回大会、東洋大学、2016年5月22日。
41.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会第60回大会、横浜国立大学、2016年10月1日。
42.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会第68回大会、鳴門教育大学、2016年11月6日。
43.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには」中国四国教育学会第68回大会ラウンドテーブル、鳴門教育大学、2016年11月6日。
44.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会第69回大会、広島女学院大学、2017年11月26日。
45.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」(シンポジウム指定討論)教育史学会第62回大会、一橋大学、2018年9月29日。
46.白石崇人「明治末期の教育研究における教育品展覧会」中国四国教育学会第70回大会、島根大学、2018年11月17日。
47.白石崇人「明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」第13回教員養成と教育学に関する研究会、博多市、2019年1月12日。
48.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会、東洋大学、2019年2月24日。
49.白石崇人「1886~1929年鳥取県の小学校教員検定制度について」小学校教員検定科研費研究会、神戸大学、2019年3月17日。
50.白石崇人「1975 年における日本教育会の結成―世話人会・各全国校長会・森戸辰男の動向に注目して―」教育情報回路研究会、オンライン、2020年6月27日。
51.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題」中国四国教育学会第72回大会ラウンドテーブル、広島大学(オンライン)、2020年11月22日。
52.白石崇人「明治期鳥取県の小学校教員試験検定制度―有資格教員確保政策・免許状授与数・受験者養成・教育学的知識」小学校教員検定科研費研究会、オンライン、2021年8月30日。
53.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」中国四国教育学会第73回大会、山口大学(オンライン)、2021年11月27日。
54.白石崇人「日本教育学史をどう描くか?―1880~1930年代における科学的基礎づけ問題とその後の展望」教育学史研究会、オンライン、2022年3月22日。
55.白石崇人「明治末期の小学校正教員に求められた教育学的知識―鳥取県小学校教員検定試験問題の分析」日本教育学会第81回大会、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
56.白石崇人「20世紀初頭日本の中等教員養成における教育学の役割―東京帝国大学の吉田熊次による「大学に於ける教育学研究」論に注目して」日本教育学会第81回大会ラウンドテーブル、広島大学・オンライン、2022年8月24日。
57.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育史学会第66回大会コロキウム、埼玉大学・オンライン、2022年9月25日。
58.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」コンピテンシー重視の時代における教師教育と教育学の在り方に関する日独比較研究成果中間報告会、九州大学博多駅オフィス、2022年11月13日。
59.白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会第74回大会、香川大学、2022年12月4日。
60.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」日本教育学会第82回大会、東京都立大学・オンライン、2023年8月24日。
61.白石崇人・井上快・三時眞貴子「沼田家文書にみる知と近代教育―エゴ・ドキュメントによる教育史研究の可能性」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
62.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会第75回大会ラウンドテーブル、広島大学、2023年11月26日。
63.白石崇人「戦前日本の教員養成に対する教育学の役割(試論)」日独ミニシンポジウム・教育学と教員養成を見直す、オンライン、2024年1月10日。
64.Takato Shiraishi, 'The Position of "History of Education as Educational Studies in Japan"', International Workshop on the Development of Educational Science in Japan and Germany, on-line, 2024/3/21.
65.白石崇人「1900年代後半の師範学校教育科における実地授業から教育実習への移行―教育学の視点変容と師範学校の反応に注目して」教育学史研究会、オンライン、2024年5月28日。
66.白石崇人「日本学術会議 心理学・教育学委員会 教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」から考える教育史教育の役割と課題」日本東洋教育史研究会、広島大学、2024年7月6日。
67.白石崇人「1900年代における師範学校学科課程の模索―師範学校学科程度取調から師範学校教授要目の訓令化まで」日本教育学会第83回大会、オンライン、2024年8月29日。
68.白石崇人「20世紀初頭における教育学に対する社会的要請とその対応に関する分析の構想―日本教育史の立場から」WINE科研研究会、琉球大学・沖縄コンベンションセンター、2024年9月22日。
69.白石崇人「1910年代前半東京高等師範学校の教育学教育―沼田實作成波多野貞之助講義ノートの分析」教育史学会第68大会、東京学芸大学、2024年9月29日。
70.白石崇人「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する」教育史学会第68回大会コロキウム、東京学芸大学、2024年9月29日。
71.白石崇人「明治日本の辞典における「研究」概念―教育学研究と教員の教育研究の関係史序説」中国四国教育学会第76回大会、岡山大学、2024年11月23日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲穂の絵

2024年11月30日 15時20分00秒 | Weblog



今日のうちの子の絵です。
今日は久しぶりの休日なのでみんなでゆっくりしています。

妻が年始に飲むつもりの日本酒の包装に少しくっついていた稲穂に対して、興味深々のうちの子ちゃん。妻からもらってさっそくお絵描きの題材に。
出来上がった絵が上のものです。

お米が一つ一つよく観察されて描かれていて、すごいなあと思います。左下に黄色い粒が描かれていますが、これは「おこめのいろになるかなーってためしてみてた」とのこと。
周りにあるカラフルな模様は「プレゼントのもよう」だそうです。我が子の心象風景の表現には舌を巻くばかりです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月23日の中国四国教育学会で発表します

2024年11月19日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 この土日11月23・24日に、中国四国教育学会第76回大会が岡山大学で開催されます。このうち23日の午前の部の最後(11:20~)から、「明治日本の辞典における「研究」概念」と題しまして研究成果を発表します。
 基本的には、教育学研究と教員の教育研究の関係史について、手がかりをつかむための研究ですが、「研究」という日本語の概念史研究としても大事なのではないかと思っています。言語学や日本語学の方は多少調べた程度ですが、大変意外なのですが、私が知る限り「研究」の語源・概念史研究は見当たりませんでした(だれかご存じでしょうか…ご存じでしたら白石までご連絡いただけると喜びます)。

 具体的には、明治期の国語・漢和・和英・英和・哲学・教育学辞典を博捜して「研究」や関係する語の語義を整理し、そこから「研究」概念の中核となる意味や意味の変遷について考察します。「研究」はもともと漢語で、明治期に英訳に使われるようになりましたが、明治期を通じて、日本語としての語義を変化させるとともに、対応する英単語を変化させていました。語義や訳語の変化についての因果関係についてはまだわからないことばかりですが、少なくとも教育学のいう「研究」と、教員を含む人々が一般的に行っていた「研究」や哲学の「研究」との間に、語義の違いが現れ、異なる概念をもってきた時期がいつ頃なのかは特定できました。
 教育学研究と教員の教育研究の関係史についての研究を、この10年ほどの間、ぼちぼち続けてきましたが、そろそろ一つにまとめようと思っているので、そのための大事な成果になりそうです。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どんぐりのマラカス

2024年11月13日 23時55分55秒 | Weblog


今日のうちの子ですが、どんぐりなどでマラカスを作って帰ってきました。

今日はマラカスを研究していたそうで、「こっちのほうがおとがいいかんじ。こっちはおとがごつい。」などと比べながら、マラカスを作っていったとか。おともだちにも「ほしい!ほしい!」と言われたので、いくつも作ってあげて、手がいたくなったそうです。
妻が「じゃあ、マラカス屋さんをしたんだねー」というと、「いや、けんきゅうしてただけ」とのこと。とはいえ、先生も、欲しそうにしていたので、作ってあげたそうです。

家に帰ってからはマラカスで演奏会をしていました。「こっちはかるい。いいかんじ。こっちはごつい。」などと言いながら。

5歳もずいぶん過ぎて、やることも考えることも高度になってきたためでしょう。子どもの話はこれまでも面白かったのですが、最近それ以上に面白くなってきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はなび

2024年11月09日 17時55分00秒 | Weblog



はなび。
今日のうちの子ちゃん(5歳)の作品。

今日は私一人で広島県郷土史研究協議会の東広島大会に出席して帰ってきましたら、私とは別に妻と出かけていたうちの子が、おもむろに制作を始めまして。制作に使うからと、買ってもらったばかりのポンポンを紙の上にのせて、蝶やら花やらを見立てて作ったあと、これが出来上がりました。
本人いわく、いつのシーンという訳ではなく、想像で作ったものらしいのですが、素敵な作品だったので、世界に発信します。
下の部分には見物人が並んで、花火を見ています。

ちなみに、この作品を作ったあとに、「絵を描こうっと」といって描いたのがこちら。

下の並んでいる人の右から4番目が自分だそうです。吹き出しもついています。「きれいだねー」と言っているそうです。(その左が妻、その左が私)
右上の黄色部分は月と星だそうです。

制作好きのうちの子。いい育ち方してくれていて良いなあ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイバーシティ・インクルージョンを目指す社会における日本教育史研究の課題

2024年10月30日 19時04分00秒 | 教育研究メモ
 ダイバーシティ(diversity、多様性)とは、集団内の個人が表層・深層的に異なる状態をさす。人間は、性別、年齢、人種等の表層的な違いや、深層面では性格、考え方、習慣、履歴等の深層的な違いをもつ。集団内でこれらの個人の違いが尊重され、各個人も集団への所属感や参加感をもっている状態をインクルージョン(inclusion、包摂・包括)という。教育分野だとインクルージョンは障害の問題と考えられることが多いが、それには限らない。
 ダイバーシティとインクルージョンは現在の社会目標の一つである。日本では、例えば、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法、障害者雇用促進法、高齢者雇用安定法などによって、不利益を被る者に対する特別措置が法制化されている。また、国際社会ではSDGsの5(ジェンダー)や8(成長・雇用)、10(不平等)等に関わって目標化されている。教育においては、まず、学校教育や生涯学習の教職員、指導者、補助者、協力者、児童、生徒、学生、学習者等によって構成される集団において直接的に目指されるべき目標である。また、教育は人間形成・人材育成にかかわる営みであるので、諸集団におけるダイバーシティ・インクルージョンの実現に必要な価値観や態度、知識・技能等の育成に関わる。SDGsの4(教育)が直接的にこのことを目標化している。つまり、ダイバーシティ・インクルージョンは、国内・国際的な課題であり、教育の組織づくりや教育目的・目標・内容・課程の改革において取り入れるべき観点となっている。したがって、現在の教育学は、ダイバーシティ・インクルージョンの視点から教育や生涯学習の組織づくりや目的・目標・内容・課程の見直しを進めるための課題を見出し、必要な研究を進めることが求められる。
 現在の日本のダイバーシティ・インクルージョン問題について研究するとき、ダイバーシティやインクルージョンを構成する諸要素の歴史的課題を踏まえなければ、有効な議論をすることはできないであろう。日本社会のダイバーシティ・インクルージョンには様々な課題があり、日本独特の文化的・習慣的な課題をかかえるものも多い。文化的・習慣的な課題は長い間かけて歴史の中で構築されてきたものであり、歴史的課題の側面をもつ。歴史的課題を確実に捉え、適切に分析するための歴史研究がどうしても必要である。教育学についていえば、ダイバーシティ・インクルージョンの視点からの教育史研究が必要である。

 教育学としての日本教育史研究は、ダイバーシティ・インクルージョンの観点からどのような課題を見出すべきだろうか。現代に直接生かせる教訓やアイディアを歴史に求めることもできるかもしれないが、それ以上に重要なことは、ダイバーシティ・インクルージョンの観点から見たとき、過去の日本の教育がどうだったか、現在の日本の教育に至る経緯を明らかにして、直接的・間接的な関係する歴史的課題を発見・分析することである。基本的には、様々な教育の組織づくり(学校経営・学級経営・集団づくりなど)や、目的・目標・内容・課程等において、児童生徒学生や学習者、教職員、補助・協力者等の性別、年齢、人種、障害、性格、考え方、習慣、履歴等がどのように考慮され、計画化・組織化されてきたかが問題になるだろう。「ダイバーシティ」・「インクルージョン」という概念は新しいものなので、これらの概念を直接的に用いて歴史に問うのは慎重にした方がよい。これらの概念で直接的に問えるのは、おそらく1980年代以降を対象とした現代教育史に限定されるだろう。今後、教育社会学や教育方法学、教育行財政学、教育経営学等の教育学諸領域において、そのような現代教育史的な研究が進むことが期待される。
 「ダイバーシティ」や「インクルージョン」の概念の提唱以前を対象とする場合、これらの概念を直接用いない方がより正確に歴史を捉えることが可能になる。例えば、ダイバーシティ・インクルージョンの問題の諸要素に注目すると、それぞれが長い歴史をもっていることに気づくことができる。日本の教育における性別・ジェンダー問題や、障害の扱い、国民教育と民族教育の関係、教室・学校における多様な子どもの存在等については、それぞれが独特の歴史をもっている。そこには歴史的につくられた課題があることがわかっているものもあるし、そのほかにまだ明らかになっていない歴史的課題が潜んでいる可能性も十分にある。関係するテーマとして思いつくものを列挙すると、例えば、学校種や教育課程、教科書、生活・生徒指導における性別や障害、外国人、民族の扱い方、障害児に対する就学義務の猶予・免除制度、障害児・健常児との分離教育または統合教育の展開、義務教育の対象児童生徒の範囲、琉球・アイヌ・植民地出身児童生徒の公教育への排除と包摂、戦後の(旧)植民地出身児童生徒の公立学校就学や外国人学校における民族教育の変遷、貧困家庭出身や被差別部落出身の児童生徒に対する教育や教育制度全体に対するその影響、低学力または高学力の児童生徒に関する能力別学級編制などがある。これらのテーマに関する先行研究は、必ずしもすべてがダイバーシティ・インクルージョンの視点から研究されてきたわけではないが、改めて見直すべき研究成果が多数存在するのではないか。
 日本留学の歴史の研究も、他国・他人種・他民族の留学生が日本で学んできた歴史であり、何のために留学し(または誰が何のために留学させ)、どのように学び(学ばせ)、日本や帰国後の社会において異なる知識文化や考え方をもっていかに生き、何をもたらしたかを明らかにする中で、いかなる歴史的課題をかかえてきたかを探究することが可能かもしれない。学校・学級経営の歴史の研究も、集団づくりにおいて性別をいかに活用し、または様々な性格、考え方、習慣をもつ児童生徒をいかに包摂/排除して、管理・訓育・統合しようとしてきたかを明らかにすることを通して、学校・学級の多様性に関わる歴史的課題を探究することを可能かもしれない。これらは、日本の近代教育の良し悪しを探究するような先行研究の多いテーマであるが、改めてダイバーシティ・インクルージョンの視点から課題設定し直すことで、新たな研究成果につながることもあり得る。
 ダイバーシティ・インクルージョンの観点からの研究は、授業や教育課程、思想・学説、学校だけでなく、学級集団づくりや多様な職種を含めた教職員集団の文化や組織経営、社会教育、子育て、家庭教育に至るまで、過去の教育現象を広く捉え、その課題を明瞭に分析する視点・研究方法が必要である。日本教育史研究の立場からいえば、どんな史料をどのように分析・解釈するかが喫緊の課題になる。適切な史料やその取扱い方はテーマや視点によって異なるだろう。

 ダイバーシティ・インクルージョンを目指す日本社会において、教育学・日本教育史の研究によって明らかにされるべき歴史的課題は少なくないと思われる。教育学はダイバーシティ・インクルージョンをどのように捉え、何を課題化すべきか。日本教育史は他領域との競合・協働の中でダイバーシティ・インクルージョンの視点による研究をいかに進めるか。今後、具体的なテーマや視点、史料に沿って考察していく必要がある。

<参考資料>
・広島大学ダイバーシティ研究センター「第14章 多様性とジェンダー」(大学教育入門テキスト)、2017年。
・坂田桐子・河口和也・高松里・北梶陽子「ダイバーシティを考える―研究と実践の可能性」(日本発達心理学会第28回大会一般公開シンポジウム記録)、2017年。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育史学会第68回大会等での発表予定

2024年09月20日 19時17分19秒 | Weblog
来週末、9月28日・29日に教育史学会第68回大会が東京学芸大学であります。(大会HP
私は二つも発表を予定してしまいまして、先ほど何とか形になりました。(まだ資料を整えなければなりませんが)

私の発表はどちらも9月29日(日)です。

10:00~10:30 「1910年代前半東京高等師範学校の教育学教育―沼田實作成波多野貞之助講義ノートの分析」
※沼田家文書と日本教員養成史・教育学史の横断的研究です

16:20~17:50 「1947年度信濃教育会役職員会議の教員団体一本・二本化論争―戦後長野県の教育会存続を再考する―」
※須田将司氏企画のコロキウム「戦後改革と向き合った信州の教員群像に迫る―教育会・教員の在り方論議に着目して」(教育情報回路としての教育会に関する総合的研究会第20回)の一部

教育史学会の対面のみ開催はなんと5年ぶり!

あと、この週末の9月22日にも発表が1つあり。
こちらは、参加している科研費グループの「20 世紀初頭における教育学とその周辺領域の形成過程に対する社会的要請の影響分析」研究会で、
「20世紀初頭における教育学に対する社会的要請とその対応に関する分析の構想―日本教育史の立場から」と題して発表します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研究論文業績一覧(単著)

2024年09月12日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 学術雑誌掲載の論文に関する研究業績情報。増え次第、ここに順次追加しています。卒論と修論は普通挙げませんが、参考までに。 PDF公開されている論文には、ウェブリンクをつけておきました。 レフェリー付き論文には、文末に「」を付けています。 




1.白石崇人「沢柳政太郎の教師論 ―教師の専門職性」卒業論文、広島大学教育学部、2002年。
2.白石崇人「大日本教育会における研究活動の展開」修士論文、広島大学大学院教育学研究科、2004年。
3.白石崇人「東京教育学会の研究」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第48巻第1部、2003年、50~55頁。
4.白石崇人「東京教育会の活動実態 ―東京府学務課・府師範学校との関係」全国地方教育史学会『地方教育史研究』25号、2004年、47~68頁。
5.白石崇人「明治二十年前後における大日本教育会の討議会に関する研究」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第53号、2004年、103~111頁。
6.白石崇人「明治三十年代前半の帝国教育会における研究活動の展開 ―学制調査部と国字改良部に注目して」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第50巻、2005年3月、42~47頁。
7.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における研究活動の主題 ―学校教育・初等教育・普通教育研究の重視」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第51巻、2006年3月、66~71頁。
8.白石崇人「大日本教育会および帝国教育会における広島県会員の特徴 ―明治16年の結成から大正4年の辻会長期まで」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第54号、2005年、87~95頁。
9.白石崇人「明治21年の大日本教育会における「研究」の事業化過程」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第55号、2006年、83~92頁。
10.白石崇人「明治32年・帝国教育会学制調査部の「国民学校」案 ―明治30年代における初等教育重視の学制改革案の原型」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第53巻、2008年3月、46~51頁。
11.白石崇人「1880年代における西村貞の理学観の社会的役割 ―大日本学術奨励会構想と大日本教育会改革に注目して」日本科学史学会編『科学史研究』第47巻No.246、岩波書店、2008年6月、65~73頁。
12.白石崇人「明治20年代後半における大日本教育会研究組合の成立」日本教育学会編『教育学研究』第75巻第3号、2008年9月、1~12頁。
13.白石崇人「日清・日露戦間期における帝国教育会の公徳養成問題 ―社会的道徳教育のための教材と教員資質」『広島大学大学院教育学研究科紀要』第三部第57号、2008年12月、11~20頁。
14.白石崇人「明治10年代後半の大日本教育会における教師像 ―不況期において小学校教員に求められた意識と態度」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第54巻、2009年3月、270~275頁。
15.白石崇人「小学校歴史教科書における寺子屋記述」『鳥取短期大学研究紀要』第60号、2009年12月、9~20頁。
16.白石崇人「明治後期の教育者論―教員改良のためのErzieher概念の受容と展開」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第55巻、2010年3月、314~319頁。
17.白石崇人「明治後期の保育者論―東京女子高等師範学校附属幼稚園の理論的系譜を事例として」『鳥取短期大学研究紀要』第61号、2010年6月、1~10頁。
18.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識―『東伯之教育』所収の小学校普及・中学校増設関係記事から」『鳥取短期大学研究紀要』第62号、2010年12月、11~23頁。
19.白石崇人「明治20年代初頭の大日本教育会における教師論―教職の社会的地位および資質向上の目標化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第56巻、2011年3月、268~273頁。
20.白石崇人「明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団の組織化過程―地方小学校教員集団の質的変容に関する一実態」中国四国教育学会編『教育学研究ジャーナル』第9号、2011年、31~40頁。
21.白石崇人「明治20年代前半の大日本教育会における教師論―「教育者」としての共同意識の形成と教職意義の拡大・深化」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第57巻、2012年3月、233~238頁。
22.白石崇人「明治期における道府県教育会雑誌の交換・寄贈―教育会共同体の実態に関する一考察」広島大学教育学部日本東洋教育史研究室編『広島の教育史学』第3号、2012年3月、27~47頁。
23.白石崇人「大日本教育会夏季講習会の開始―明治20年代半ばの教員改良策」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第58巻、2013年3月、53~58頁。
24.白石崇人「1940年代日本における全国教育団体の変容と再編(年表解説)」教育情報回路研究会編『近代日本における教育情報回路と教育統制に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、東北大学大学院教育学研究科内教育情報回路研究会、2013年3月、1~10頁。
25.白石崇人「明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員」学位論文(論文博士(教育学))、広島大学、2014年3月、全390頁。
26.白石崇人「明治期大日本教育会の教員講習事業の拡充―年間を通した学力向上機会の提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第59巻、2014年3月、533~538頁。
27.白石崇人「明治期鳥取県教育会の結成と幹部」『広島文教女子大学紀要』第49巻、2014年12月、27~40頁。
28.白石崇人「明治期帝国教育会における教員講習の展開―中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第60巻、2015年3月、37~42頁。
29.白石崇人「明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻、2016年3月、174~179頁。
30.白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁。
31.白石崇人「日本の学校における道徳教育の展開―修身教育、教育活動全体、道徳の時間、特別の教科」『広島文教女子大学紀要』第51巻、2016年12月、47~57頁。
32.白石崇人「教育学術研究会編『教育辞書』における「研究」概念」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第62巻、2017年3月、370~375頁。
33.白石崇人「明治30年代半ばにおける教師の教育研究の位置づけ―大瀬甚太郎の「科学としての教育学」論と教育学術研究会の活動に注目して」教育史学会編『日本の教育史学』第60集、2017年10月、19~31頁。
34.白石崇人「現代日本の教育政策における学校・地域の連携協働構想―平成27年中央教育審議会答申以降に注目して」『広島文教女子大学紀要』第52巻、2017年12月、33~43頁。
35.白石崇人「現代日本の教育政策における教員養成の課題―平成27年中教審教員育成答申以降の諸施策に注目して」『広島文教女子大学教職センター年報』第6号、2018年2月、7~16頁。
36.白石崇人「明治期師範学校・小学校における授業批評会―明治20年代以降の東京府・鳥取県の事例」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第63巻、2018年3月、537~542頁。
37.白石崇人「教育史研究者が教員養成改革に向き合うには(教育学研究と実践志向の教員養成改革との関係性を問う(教育史の立場から))」佐藤仁編『教員養成における「エビデンス」の位置づけをめぐる学際的研究』2016・2017年度中国四国教育学会課題研究成果報告書、2018年3月、30~40頁。
38.白石崇人「「教育情報回路」概念の検討―2012年11月までの研究成果を整理して」教育情報回路研究会編『日本型教育行政システムの構造と史的展開に関する総合的研究』日本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究(B))中間報告書、教育情報回路研究会、2018年3月、21~42頁。
39.白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年3月、1~13頁。
40.白石崇人「明治30~40年代の教育研究における教育展覧会」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第64巻、2019年3月、96~101頁。
41.白石崇人「岡山県後月郡教育会による地域教員の組織化と学習奨励―明治・大正初期(1893~1917年)を中心に」教育情報回路研究会編『近現代日本の地方教育行政と「教員育成コミュニティ」の特質に関する総合的研究』2018~2020年度科学研究費補助金(基盤研究(B))中間報告書(Ⅰ)、教育情報回路研究会、2019年4月、(1)~(23)頁。
42.白石崇人「教育史研究・教育の発展に寄与する教職教養の視点」教育史学会編『日本の教育史学』第62集、2019年10月、142~145頁。
43.白石崇人「1975年における日本教育会の結成―全国校長会と教育改革・教職プロフェッション化のための公共空間の要求」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第55巻、2020年12月、73~89頁。
44.白石崇人「1880~1930年代日本の教育学における科学的基礎づけ問題―教育事実の実証的研究の問題化と「教育科学」・「日本教育学」の制度化」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第7号、2021年3月、45~60頁。
45.白石崇人「現代日本社会における教育制度の課題―格差・AI・人口減少社会における主体的・対話的で深い学び、オンライン学習」広島文教大学教育学会編『広島文教教育』第35巻、2021年3月、69~80頁。
46.白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
47.白石崇人「澤柳政太郎『実際的教育学』の実証主義再考―20世紀初頭の科学史・教育学史・教師の教育研究史における意義」日本教育学会編『教育学研究』第89巻第2号、2022年6月、40~50頁。
48.白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
49.白石崇人「なぜ戦後の長野県で教育会が存続したか―1948年信濃教育会運営研究委員「教育会の在り方」を読み直す」『信濃教育』第1644号、信濃教育会、2023年11月、1~17頁。
50.白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。
51.Shiraishi, T. (2024). The Role of Pedagogy in Secondary Teacher Training in Early Twentieth-Century Japan: Theory of Pedagogical Research in College by Kumaji Yoshida of Tokyo Imperial University. History of Education, 53(3), 497–518. https://doi.org/10.1080/0046760X.2024.2306985
52.白石崇人「沼田實日記にみる20世紀初頭の広島県師範学校・東京高等師範学校生の生活―近代的時間規律の訓練を支えた師範教育制度と師範生の感情・習慣・主義」中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第69巻、2024年3月、545~550頁。
53.白石崇人「日本教育協会結成における信濃教育会の役割―1948・49年度の信濃教育会所蔵資料を中心に」教育情報回路としての教育界に関する総合的研究会『近現代日本における「学び続ける教員を支えるキャリアシステムの構築」の総合的研究』2021~2024年度科学研究費補助金(基盤研究(B))報告書(Ⅱ)、2024年。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その他研究業績一覧

2024年09月11日 23時55分55秒 | 研究業績情報
 ここでは、論文と口頭発表以外の研究業績を挙げます。

<公刊>
 【総論・研究ノート・研究紹介等】
1.白石崇人「日本教育学史研究の展望―教育学研究体制史研究の推進」『日本教育史往来』No.163、日本教育史研究会、2006年8月、1~3頁。
2.白石崇人「私の鳥取県教育史研究と北東アジア文化研究」鳥取短期大学北東アジア文化総合研究所編『北東アジア文化通信』No.36、2012年10月、1~3頁。
3.白石崇人「教育職能団体としての教育会における教育研究」(教育情報回路としての教育会史研究会「教育会史研究の課題と展望」の第Ⅱ節)、『日本教育史研究』第34号、日本教育史研究会、2015年、86~88頁。
4.白石崇人「鳥取県教育史の史料編纂状況」(地方の状況)『地教史学通信』、全国地方教育史学会、2020年。(『地方教育史研究』第45号、全国地方教育史学会、2024年、95~100頁)
5.白石崇人「後月の公教育を導いた枝益六」後月郡教育会史研究会編『後月教育をきり開いた枝益六』後月郡教育会史研究会(高木浩明会長)、2021年5月。
6.白石崇人「三原小学校初代校長の沼田良蔵先生について 」三原市立三原小学校創立150周年記念部会編『三原市立三原小学校創立150周年記念』三原市立小学校PTA、2023年3月、20~23頁。

【史料紹介】
1.白石崇人「昭和二十二年度信濃教育会教育懇談協議会記録―長野県における教育会・教組論争に関する史料」『地方教育史研究』第45号、全国地方教育史学会、2024年、43~50頁。

 【書評・図書紹介】
1.白石崇人「論評」(湯川嘉津美「学制期の大学区教育会議に関する研究―第一大学区第一回教育会議日誌の分析を中心に」に対する)日本教育史研究会編『日本教育史研究』第28号、2009年、40~44頁。
2.白石崇人「山田恵吾著『近代日本教員統制の展開―地方学務当局と小学校教員社会の関係史―』」(書評)全国地方教育史学会編『地方教育史研究』第33号、2012年、131~134頁。
3.白石崇人「釜田史著『秋田県小学校教員養成史研究序説ー小学校教員検定試験制度を中心にー』」(書評)全国地方教育史学会編『地方教育史研究』第35号、2014年、21~25頁。
4.白石崇人「徳本達夫氏の図書紹介に応答して」(徳本達夫「白石崇人『幼児教育の理論とその応用①幼児教育とは何か』『同②保育者の専門性とは何か』」(書評))広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第29巻、2014年、64~65頁。
5.白石崇人「照屋信治著『近代沖縄教育と「沖縄人」意識の行方 沖縄県教育会機関誌『琉球教育』『沖縄教育』の研究」(書評)日本教育学会編『教育学研究』第82巻第1号、2014年、132~134頁。
6.白石崇人「齋藤慶子『「女教員」と「母性」―近代日本における〈職業と家庭の両立〉問題―』」(書評)『日本教育史研究』第34号、日本教育史研究会、2015年、207~213頁。
7.白石崇人「拙著書評に対する応答」(書評:古賀徹「白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』に対する応答)『日本教育史研究』第37号、日本教育史研究会、2018年、120~125頁。
8.白石崇人「梶山雅史編著『近代日本教育会史研究【新装版】」(図書紹介)『地方教育史研究』第41号、全国地方教育史学会、2020年、99~102頁。
9.白石崇人「知本康悟著『村に立つ教育―佐渡の僻村が挑んだ「村を育てる学びの共同体」の創造―』」(書評)『地方教育史研究』第43号、全国地方教育史学会、2022年、61~65頁。
10.白石崇人「船寄俊雄・近現代日本教員史研究会編著『近現代日本教員史研究』」(図書紹介)『日本の教育史学』第66集、教育史学会、2023年、169~170頁。

 【大会記録・助言・実践報告等】
1.白石崇人「指導助言」(さくら幼稚園「保育者の資質向上を目指して」の一部)『平成22年度鳥取県私立幼稚園教育研修大会記録集』、2010年、7頁。
2.白石崇人「分科会Ⅳ(幼児教育コース)報告「生活習慣を楽しく形成するための援助プロセス」」(第30回記念研究発表大会)広島文教女子大学教育学会編『広島文教教育』第29巻、2014年、93~94頁。
3.白石崇人「教職実践演習(幼・小)(幼児教育コース対象)の報告」『広島文教女子大学教職センター年報』第4号、2016年3月、89~92頁。 ほか同様の報告多数
4.白石崇人「教育実習Ⅱ(幼)の報告」『広島文教女子大学教職センター年報』第4号、2016年3月、89~92頁。107~108頁。

<私家版・データ版>
1.白石崇人『大日本教育会・帝国教育会の群像』第1巻、teacup、2008年10月、全145頁。
2.白石崇人『講義用テキスト 道徳教育』私家版、2009年11月、全48頁。
3.白石崇人『幼児教育保育学科用講義テキスト 教育原理』私家版、2010年1月、全70頁。
4.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 保育内容総論』私家版、2011年9月、全63頁。
5.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 保育者論』私家版、2012年1月、全103頁。
6.白石崇人『幼児教育保育学科用テキスト 幼児教育の理論と応用』私家版、2012年4月、全235頁。
7.白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―(講義用追加テキスト)、私家版、2014年6月、全11頁。
8.白石崇人『資料から考える教育原理』広島文教女子大学、2017年、全260頁。
9.白石崇人『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年、全77頁。
10.白石崇人『資料から考える道徳教育』広島文教女子大学、2017年、全169頁。
11.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』広島文教大学、2020年、全205頁。
12.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』広島文教大学、2020年、全123頁。
13.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』広島文教大学、2020年、全171頁。
14.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』広島文教大学、2020年、全196頁。
15.白石崇人「三原沼田家文書「幕末明治期 広島の漢学者の書」資料展示会 解説・目録」三原沼田家文書資料展示会、2024年6月26日・7月9日(於・広島大学教育学部教育学第二資料室、全2頁) 
16.白石崇人『教育学としての日本教育史概論』(広島大学「日本東洋教育史Ⅰ」用テキスト)私家版、2024年7月、全180頁。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

著書業績一覧

2024年09月11日 23時55分55秒 | 研究業績情報

 書籍になった著書業績については、以下の通り。



<単著>


1.白石崇人『保育者の専門性とは何か』幼児教育の理論とその応用②、社会評論社、2013年。(全198頁) ※目次詳細→社会評論社HP
2.白石崇人『幼児教育とは何か』幼児教育の理論とその応用①、社会評論社、2013年。(全182頁) ※目次詳細→社会評論社HP
3.白石崇人『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち』鳥取県史ブックレット16、鳥取県、2015年。(全112頁) ※目次詳細→鳥取県HP
4.白石崇人『明治期大日本教育会・帝国教育会の教員改良―資質向上への指導的教員の動員』溪水社、2017年。(全658頁) ※目次詳細→溪水社HP
5.白石崇人『教育の理論① 教育の思想と歴史―教育とは何かを求めて』kindle、2022年(全248頁、電子書籍)。
6.白石崇人『教育の理論② 教師・保育者論―研究する教育者』kindle、2022年(全208頁、電子書籍)。
7.白石崇人『教育の理論③ 教育の制度と経営―社会の中の教育』kindle、2022年(全293頁、電子書籍)。
8.白石崇人『教育の理論④ 道徳教育の理論と方法―道徳を考え議論するために』kindle、2022年(全235頁、電子書籍)。

<共著>


1.梶山雅史編『近代日本教育会史研究』、学術出版会、2007年。(白石崇人「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」303~326頁)
2.梶山雅史編『続・近代日本教育会史研究』学術出版会、2010年。(白石崇人「全国教育者大集会の開催背景―一八八〇年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦」109~132頁)
3.池田隆英・上田敏丈・楠本恭之・中原朋生編『なぜからはじめる保育原理』建帛社、2011年。(白石崇人「日本の保育の制度史(戦後)―なぜ保育所と幼稚園があるのか?」97~104頁)
4.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代4(行政1)、鳥取県、2016年。(白石崇人「第三章 明治期の村と教育」「第六章 明治後期から大正期の地域動向 第四節 青年団・その他」「第七章 日露戦争後の教育と地域」担当解説28~36・83~84・85~95頁、選定史料413~470・755~761・767~820頁)
5.梶山雅史編『近・現代日本教育会史研究』不二出版、2018年。(白石崇人「日本教育会解散後における中央教育会の再編―日本教育協会・日本連合教育会成立まで」385~414頁)
6.鳥取県立公文書館県史編さん室編『鳥取県史』資料編・近代7(産業・教育・文化)、鳥取県、2018年。(白石崇人「教育」担当解説32~60頁、選定史料221~558頁)
7.杉田浩崇・熊井将太編『「エビデンスに基づく教育」の閾を探る―教育学における規範と事実をめぐって』春風社、2019年。(白石崇人「第10章 明治日本における教育研究―教育に関するエビデンス追究の起源を探る」、281~314頁)
8.貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。(白石崇人「第八章 国民教育の始動―明治期の教育」115~130頁)
9.尾上雅信・三時眞貴子編『教育史』新・教職課程演習第2巻、協同出版、2022年。(白石崇人「日本近代教育史上の人物について述べなさい」・「大正時代の新教育思潮について、八大教育主張を中心に述べなさい」・「師範教育制度の確立・展開過程について述べなさい」54~55・61~62・132~133頁)
10.中原朋生・池田隆英・楠本恭之編/木下祥一・白石崇人・平松美由紀・光田尚美・山本孝司・龍崎忠『なぜからはじめるカリキュラム論』建帛社、2024年。(白石崇人「第4章 日本における教育課程の理念(戦前)―なぜ社会・国家のために教育するのか?」33~44頁)

<編集>


1.白石崇人編『『東京府教育会雑誌』解説・総目次・関連年表』不二出版、2017年。(白石崇人「『東京府教育会雑誌』解説」7~37頁。※目次・年表も元データを作成)










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒論執筆に取り組んで最低限身に付けてほしいこと

2024年08月27日 18時32分30秒 | 教育研究メモ
 日本では、そろそろ就職・採用試験の結果が出始めるころだと思います。大学によって有無や時期は異なりますが、多くの大学4年生はこれから卒業論文の仕上げにかかります。就職する人は卒業するために、大学院進学を希望する人は進学後の研究準備のために、それぞれ仕上げていきます。これまでのレポートとは違った分量の論文を初めてまとめるために、投げ出しそうになると思いますが、頑張ってください。
 卒業論文の執筆は、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」という大学の目的(学校教育法第83条)を達成するための重要な学修活動です。卒業論文は、深く専門の学芸を研究する活動の総仕上げであり、これを通して知的・道徳的・応用的能力を展開させることを目指します。なんとなく取り組むのではなく、この目的を達成することを目指して取り組んでくださいね。

 卒業論文に取り組む中で、最低限、身に付けてほしい知的・応用的能力が一つあります。それは、課題設定の能力です。例えば教育史研究の卒業論文であれば、教育史研究で解決できる課題を設定する能力になります。教育史研究では、教育史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別し、教育史研究で解決できる課題を選択・設定します。学術研究は課題解決の力を育てますが、課題解決はまず課題設定から始まります。課題解決は、適切な課題を設定できるようになって、はじめて取り組むことが可能になります。解決できない課題を設定して研究の意味を主張しても、それは妄想にすぎません。その状態で無理やり研究を始めても、結論(解決案)を出すことはできません。課題に合った研究方法を設定する、または研究方法に合った課題を設定してください。
 課題設定の能力は、適切な課題を設定するために試行錯誤する中で身に付いていきます。ちゃんと指導を受けながら卒論を取り組めば、自然に身に付きます。ちゃんと卒論に取り組んだ人とそうでない人を分けるのは、このような適切な課題設定能力ではないかと私は思います。これはいかなる課題解決にも必要な力ですから、研究者になるだけでなく、よい社会人になるために必要な力です。適切な課題設定能力が身に付けば、大学卒業後に出会う、様々な課題に適切に取り組むことができるでしょう。

 適切に課題を設定するにはどうすればよいでしょうか。例えば、教育史研究の卒業論文であれば、歴史的に優れた思想・実践を研究して今に応用すれば今の子どもがよくなるとか、教育実践が変わるとかいうように、直接的な実践的課題を設定することは残念ながらできません。歴史的な思想・実践を応用することは、歴史研究だけでは不可能であり、その思想・実践を適用する応用的な実践研究が必要になります。歴史研究と応用研究を混同すると、適切な課題を設定することができず、歴史研究としても応用研究としても不適切なものになるでしょう。歴史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別せずに、自分の課題意識だけで研究を始めると、歴史研究でなくてもよい駄文が出来上がったり、根拠や有効性のない解決案(結論)を主張してしまったりします。そんな論文を私は卒業論文と呼びたくありません。
 歴史研究の成果をそのまま応用することには慎重であるべきです。たとえ数十年前の思想・実践であっても、それはその時代・国・地域・学校・教室の出来事であって、今を生きる私たちの思想や実践と同一視することはできません。過去を生きた人々は、共通点をもつにしても、根本的に今の自分とは異なる存在であることを忘れてはいけません。安易に今の自分と過去とを同一視すると、研究は自分勝手な自己満足で終わったり、過去の冒涜になったりするおそれがあります。
 もちろん、歴史研究に研究者や現在の課題意識をもちこまないことはできません。しかし、自分の課題意識と歴史的課題をそれぞれ区別し、歴史的事実をその時代の課題の中で正確に分析・評価することが必要です。教育史研究には教育史研究なりの「役に立ち方」があります。歴史的課題には、現在まで形を変えながら続く課題と、その時代で終始した課題とがあり、どちらも「役に立つ」のです。現在まで続く現代的課題に取り組むときも、過去の課題と現在の課題の違い(目的・内容や条件などの違い)に注意する必要があります。その時代で終始する純粋な歴史的課題であっても、研究を積み重ねていけば、現在まで続く現代的課題につながったり、現在と異なる「他者」となって比較考察を可能にする貴重な資料になったりします。
 だから、あわてず、現在を生きる自分の課題意識だけで突っ走らず、自分の課題意識を見つめ直し、教育史研究でなければ解決できない歴史的課題を設定してください。

 なお、歴史研究は、自分の課題意識を歴史研究でなければ解決できない歴史的課題と関連づけなければ、続けることはできません。自分の課題意識を歴史的課題に関連付けていく努力が必要です。
 そのために、自分の課題意識を見つめ直し、先行研究や資料を読みながら鍛え直して、歴史研究でなければ解決できない歴史的課題との関連性を探っていきます。教育史研究でなければ解決できない歴史的課題が何なのかについては、自分で考えているだけでは、わかるはずもありません。歴史的課題は先行研究や資料の中に書かれてあります。課題設定と先行研究の調査整理、資料の調査分析を相互に関連しながら進め、循環させていくことは、研究では普通のことです。
 自分の課題意識がどこにあるのかある程度考えてみたら、先行研究や資料を読んでください。先行研究や資料を読みながら、また自分の課題意識を見つめ直し、鍛え直しましょう。この循環を繰り返したどることで、課題設定の質は高まり、その能力も身に付いていきます。卒論に取り組む4年生の場合、今からだと時間に限りがありますが、課題設定に不備がないか、先行研究や資料を読むことが不足していないかよく見直して、今できること・やるべきことをやりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他者に出会う公共の場としての学校

2024年08月17日 11時56分10秒 | 教育研究メモ
 学校とは、他者に出会う公共の場である。
 同質性にまみれた親密な家族・家庭から出た子どもや、同質性を求められる社会や職場から離れた学習者が、新たな出会いを求めて集う場である。
 学校では、異なる個性やアイデンティティをもつ他者(同級生・教職員)と出会い、未知の知識や活動(「他者」)に出会い、人々は様々な刺激を受ける。その結果、人々は視野や世界観を広げ、知識や教養、考察を深め、道徳性を身に付けることができる。
 「他者」と出会い、視野を広げ、教養を深め、道徳性を身に付けることは、学校でなくても可能であるが、その場合は無意図的で無計画な中で偶然起こるに過ぎない。教育とはそれを意図的・計画的に行うことであり、学校はそのような教育を行うために特別に設けられた仕組みである。

 したがって、学校教育は同質性以上に異質性を重視する必要がある。
 しかし、それでは学校が無秩序になり、荒れるではないかという意見がある。しかり。荒れるに任せることが学校の方法ではない。学校は異質な他者同士が出会うことで生じる衝突や葛藤を脱して調和・安定に導く必要がある。目指すべき調和・安定の状態は、衝突・葛藤を隠蔽したり、回避したりすることで得られる欺瞞的・固定的な状態ではなく、衝突・葛藤を経て自ら調和・安定を常に探ろうとすることで得られる倫理的・流動的な状態である。教職員の役割は倫理的・流動的で調和・安定を目指す他者との出会いをつくり、導いていくことである。
 異質な他者を出会わせてうまく教育するには、安全・安心を保障する養護・福祉の仕組みを前提とする必要がある。他者との出会いは常に危険・不安と隣り合わせである。安全・安心を保障する仕組みがなければ、他者と出会おうとする意欲を損なうことになりかねない。学校は、安全を保障し安心して他者と出会える場である必要がある。教職員の役割は、安全・安心を前提とした教育を行うことである。

 さらに、異質性を重視する学校教育では、国民・市民を育成できないではないのかという懸念もある。これは、国民・市民とはどのような存在か、という議論が必要である。国民・市民とは、特定の国家や社会を構成するメンバーとして最低限必要な知識や道徳性等を身に付けた、一定の同質性を有する存在である。問題は、この国民・市民としての同質性はどのように身に付けられるかにある。異質性を重視する学校教育は、学習者に最初から同質であることを求めるのではなく、異質でありながらつながっていくことを求める。国民・市民としての同質性はその結果として生じる。国民・市民育成という目的は、段階的に達成されるものである。
 人間の本質は互いに異質なところにあり、学校教育を通しても依然異質な個性的存在(個人)であり続ける。個人が出会う公共の場(社会)では異質な他者として出会うが、他者の出会いは様々な結果を生み出す。学校は、他者の出会いを価値あるものにするための仕組みである。学校で価値あるものとは成長・発達である。成長・発達につながる出会いを意図的に作り出すには、まず、他者がそれぞれ異質な他者として有能になっていくことが必要である。学校教育において個性を伸ばす意義はここにある。
 しかし、孤立した状態で異質な他者として有能になるだけでは、成長の刺激もない。人間は異質でありながらも、一定の知識や態度を共有し、倫理的に調和・安定を目指して協調・努力し続け、刺激し合うことができる。そこには、出会い、刺激を受けて成長し合おうとする意志・意図が必要であり、安全に安心して効果的な出会い・成長を作り出す計画が必要である。学校や教職員は、学習者を孤立させるのではなく、他者として有意義に出会わせるための仕組みである。

 学校は他者と出会う公共の場として整備される必要がある。他者として有能になり、互いに成長し合える仕組みをつくる必要がある。学校は、本質的に異質な個人たちが有意義に出会い、倫理的に調和し協働し合う国民・市民として成長する場となる。同質であることを強制して異質を否定することではその事業は実現しない。異質を前提に、個性を伸ばして、うまく折り合いをつけていくことで、国民・市民は育成できる。
 学校教育が異質を前提とするならば、心身の障害の度合いや出自・国籍の違いは根本的な問題ではなくなる。いじめは異質を排除して同質の集団をつくろうとするところに発生するから、いじめへの向き合い方も明瞭になる。教職員は学校・学級生活の中で一人の他者として学習者と出会い、安全で安心な出会いを整えながら、教育活動全体を通して異質な知識・技能・考え方等と出会わせる必要があり、教科指導・生徒指導を両立すべき理由がはっきりしてくる。学校のスタッフは他者として出会うことが重要だから、学校を教員だけで組織する必要もない。個性を伸ばすための個別最適な学びが協同・協働的な学びと接続されるべき理由や、学力形成と生活・生徒指導、道徳教育を総合すべき理由、個性教育とインクルーシブ教育、国民教育と市民(シティズンシップ)教育を接合すべき理由もはっきりする。

 今を生きる我々は、議論すべき多種多様な学校教育問題に取り囲まれている。我々は議論の整理と問題解決のために、学校観を更新する必要がある。
 1947年以来、教育基本法に基づく日本の公教育制度は、戦前から引き続き、「国民」に囲われ、「能力」に制限されて続けている。1960・70年代には、公教育の福祉的意義に注目が集まり、家族間の格差や進路、もっている障害、出自、国籍の違いに向き合って、これらの違いを取り込んで制度化することが課題となった。今では、格差が拡大し、グローバル化が進み、障害への関心が高まり、他者の異質性はどんどん明瞭になってきている。今我々が直面している教育問題は、個々では法的・政策的・実践的な問題であるが、学校観・教育観の問題を通底して抱えている。
 学校観・教育観の問題は教育哲学と教育史の問題である。十分な哲学的考察は的確な歴史認識・解釈の下で行われる。現在の問題は近代的問題だが、日本では20世紀を通して大きく変動してきた。今こそ20世紀以来の日本教育史を歴史的に総括することが必要であろう。

 キーワード:他者との出会い、異質性/同質性、公共の場(公教育)として意図的・計画的に制度化された学校

※小玉重夫「戦後教育における教師の権力性批判の系譜」(森田尚人・森田伸子・今井康雄編『教育と政治―戦後教育史を読みなおす』勁草書房、2003年、94~112頁)を読んでいて、1980・90年代のプロ教師の会の教師の権力性批判とその居直り的言説を思い出しながら考察したことをまとめていたら、こんな文章になりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校文書における教育会関係資料の重要性、ひるがえって学校文書保存のこと

2024年08月09日 19時39分00秒 | 教育研究メモ
 

 8月5日から7日にかけて、所属する科研費グループ(教育会史)の一部メンバーで長野県飯山市内の小学校の調査と信濃教育会の信濃教育博物館に行ってきました。小学校調査の方は、今年度または来年度に統合・廃校予定の3つの小学校の文書保存を目的とした調査です。写真はそのうちの1校の校舎からとった写真です。見事な田園風景でした。
 小学校では目録作成をするために文書名の表記された面をひたすら撮影していくという作業を行いました。文書は倉庫の奥にあって埃っぽく、学校によってはエアコンもない、または電気もないという環境でしたので、埃対策と熱中症対策を万全にしていきました。なかなかの肉体労働でしたが、貴重な資料がたくさんありましたし、資料を残そうと思ってくださった管理職や関係者の期待に応えるべく、メンバーみんなで頑張りました。

 なぜ教育会史研究なのに学校文書を調査しているかというと、学校文書には教育会に関する資料が入っていることが多いからです。特に長野県の学校には、戦後も教育会が存続したことが原因となって、よく残っています。学校文書にある教育会関係資料は当該学校文書全体の一部なので、教育会関係資料だけをピックアップしても十分な研究をすることができません。そのため、教育会史研究としても学校文書全体を保存する必要があります。教育会関係資料だけ見ても、その資料の背景が理解できませんから。
 今回の調査で改めて学校文書の重要性を考えました。学校文書は、当該学校史・地域史の基礎資料になるから重要なのは当然ですが、教育会史研究においても重要です。教育会員の多くは学校教員であり、教育会の活動は学校運営や授業方法などの学校教員の職務に深くかかわるので、学校文書の中に教育会資料が含まれることになります。教育会資料が学校文書に含まれるということは、逆に言えば、教育会が学校運営上重要な位置を占めていた証拠にもなります。
 学校文書に残る教育会関係資料のほとんどは、郡市教育会レベルの資料です。郡市教育会は教育現場に近い活動をしていたので、教育会史研究でも極めて重要な対象です。これまでの教育会史研究の主要史料は中央・都道府県教育会の機関誌でしたが、学校文書に含まれる教育会資料は、機関誌に掲載されない様々な情報や動向を把握することを可能にします。
 
 以上のように、学校文書に残る教育会関係資料は、郡市教育会の実態に迫る資料として、これまでの教育会史研究を乗り越える可能性があります。近年、少子化・人口減少のために統合・廃校が増えています。学校文書が処分・紛失・散逸する場合、統合・廃校時が最も注意すべきタイミングになります。長野県を除いて、全国の教育会は1940年代後半にほとんど解散してしまいました。すなわち教育会が現存しない地域が大半です。これは資料保存にきわめて不利です。保存するかしないかを判断する主体が、その教育会の関係者ではないからです。教育会関係資料はその学校の直接的な資料ではないので、資料保存の判断時に処分の判断が下される可能性が高くなります。
 都道府県教育会の資料は都道府県教育会館や都道府県立図書館などに保存されていることがあるのですが、郡市教育会の資料は保存されにくい傾向にあります。学校文書ともども保存の方法を考えていかなければなりません。学校文書については、京都市学校歴史博物館のように専門の博物館が設けられる事例もありますが、そういう事例は少数です。学校の統合・廃校が今後も増えていくであろう今だからこそ、学校文書の保存方法はもっと真剣に考えなければなりません。
 日本の学校は地域が設立・維持に深くかかわっているだけに、学校文書は地域の歴史を語る貴重な資料でもあります。自治体消滅もありうる今、地域の資料自体も貴重です。資料がなくなればその地域の歴史を語ることができなくなります。歴史を語ることができなくなるということは、その地域に生きた人々が忘れ去られてしまうということです。地域資料の散逸を防ぐためにも、学校文書の保存方法を考える必要があります。

 今回は、研究仲間からの情報提供で長野県にはるばる足を延ばしましたが、私自身、広島県周辺のことをもっとよく考えないといけないと痛感しました。今の私は、教育会関係資料はもちろん、そもそも地域の教育史資料が紛失・散逸しないようにすべき立場にいます。これからの仕事の仕方を考える機会になりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする