教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

「広島の漢学者の書」資料展示会の全日程終了!

2024年07月10日 19時02分32秒 | 教育研究メモ
 

 昨日、三原沼田家文書所収予定資料から広島ゆかりの漢学者の書をピックアップして展示した、資料展示会の全日程を終了しました。6月26日・7月9日の2日間午後の日程で実施しました。
 私は学芸員の訓練を受けていないので、素人的な展示会を脱することはできませんでしたが、貴重な資料をたくさんの来場者に見ていただきました。開設(復興)1年目の研究室のため準備・片付け等は主に自分ひとりでしましたのでちょっと大変でしたが、準備・待機では少し日本東洋教育史研究室のゼミ3年生3人に手伝ってもらいました。
 来場者からは好評の声を聴かせていただきました。「三原にこんな人たちがいたのか、と見直しました」とか、「博物館とかだとウィンドウの向こう側遠くに見るような貴重な資料を間近に見られてよかった」、「資料を近くや横から自由に見れて、凹凸や質感等を堪能した」といった感想をいただきました。書の文字を読み取って、内容を類推しながら「ああだ、こうだ」解釈し合う場面もあり、来場者にとってとても楽しい時間になったようです。最近、歴史学習における学習者同士の歴史解釈の交換・議論が大事だと言われていますが、そんな時間を提供できた気がします。
 私が待機していたときは解説役も果たしました。私自身の研究成果を踏まえて、沼田竹渓・香雪(良蔵)の親子関係や、宇都宮龍山と沼田親子の関係、龍山門下の三原・尾道担当学区取締としての近代学校制度立ち上げに関する功労等を中心に解説しましたが、意外に面白がっていただき、光栄でした。研究活動の一般還元の取り組みにもなりました。

 専門外の学生から、「チラシを見て、なんで漢学者なんだろうと思っていましたが、漢学者の歴史は教育史でもあるんですね」という感想ももらいました。「広島の教育者の書」資料展示会にした方が伝わりやすかったかな…?と思いつつ、日本教育史の専門ではない学生の歴史認識を更新する機会にもなったようです。
 当日の活動報告記事を、来場した院生が作ってくれました。ぜひ見てくださいね。→こちら

 教育学プログラムが昔から管理してきた各教育学資料室の可能性も示せたような気がします。

 ちなみに一番人気はこちら。上部にある書は良蔵の手によるものですが、それ以上に、沼田竹渓を囲む家族団欒の様子(軸には「一家団栗之図」と書かれています)を描いたであろう絵に皆さん興味津々でした。いい絵ですよね。私も気に入っていますし、沼田家一族の方々も気に入っていらっしゃいました。

 




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研究会

2024年07月06日 23時55分55秒 | Weblog
 備忘録です。今日は日本東洋教育史研究室出身の後輩たちに声をかけての研究会でした。初めて広大に呼んでの会合でした。

 昨年度くらいからやり始めて4回目。教育史教育の課題についての発表と意見交換を続けています。学外者のwifiの設定など、まだまだ気づかなかったこともあって手間取りましたが、重要な意見交換ができて、いい研究会になりました。みんな頼もしい先生方です。共同研究の方向性も入り口も見えてきました。今後が楽しみです。
 後輩たちの研究を促進し、学界をにぎわせ、後に続く院生たちの研究環境を豊かにしていくことが、私の立場の役割だと認識しています。気の置けない同窓の後輩たちと、その土台を作っていきたいです。その意味ではまずはスタート地点を作ることができたかな。
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【7/9午後】三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会のご案内【日程追加】

2024年06月28日 19時14分00秒 | 教育研究メモ


 先日、広島大学教育学部HP等やここでお知らせしました通り、「三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会」を開催しました。ご来場いただきました方々には心より御礼申し上げます。
 本展示会は本来1回限りの予定でしたが、来場者からのご好評につき、日程を追加して再度開催することにいたしました。

 下記の通り、広島大学教育学部A515教室(教育学第二資料室)で、幕末明治期に多くの弟子を育てて活躍した、広島ゆかりの漢学者の書を展示します。日本教育史の資料を直接間近で目にできる貴重な機会なので、興味のある方はぜひご来場ください。

日時: 2024年7月9日(火) 14:10~18:30
会場: 広島大学東広島キャンパス 教育学部A515 教育学第二資料室

主催: 日本東洋教育史研究室
担当: 広島大学大学院人間社会科学研究科教育学プログラム准教授 白石崇人 ( tshira2@hiroshima-u.ac.jp )

 三原沼田家文書とは、2022年まで三原市にあった沼田實(1889-1976、元愛媛県中等学校長・私立広島女子商高等学校長・三原市教育委員長)の私邸にあった大規模な資料群です。實や三原小学校初代校長の沼田良蔵(1849-1913、實の実父、香雪と号す)の収集したものが中心で、明治・大正・昭和期の教育史にかかわる資料がたくさん含まれています。
 三原沼田家文書は2022年に広島県立文書館に大部分が寄贈されましたが、このたび、遺族が別に保管していた表装済みの掛け軸が、本年7月頃までに同館に追加寄贈されることになりました。同館に寄贈されると気軽に閲覧することはできなくなるため、この際、研究のためいったん公開させてもらえないかと遺族にお願いしたところ、公開を快諾してくださったため、資料展示会を広くことにしました。

 今回展示する予定のものは、沼田竹渓、宇都宮龍山、吉村斐山、菅茶山、頼山陽、坂谷朗蘆の書などです。いずれも、知る人ぞ知る高名な学者たちであり、たくさんの弟子を育てて幕末明治期の教育史に足跡を刻んだ人々です。
 どのような立場の方でも来場可能です。時間内であれば入退室自由ですので、お誘いあわせの上、お気軽にお運びください。

参考文献
・白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
・白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。
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【6/26午後】三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会のご案内

2024年06月24日 23時55分00秒 | 教育研究メモ


 すでに広島大学教育学部HPでお知らせしていただいておりますが、下記の日程で、広島大学教育学部A515教室(教育学第二資料室)で、三原沼田家文書所収予定の資料展示会を行います。幕末明治期に活躍した広島ゆかりの漢学者の書を展示します。
 日本教育史の資料を直接目にできる貴重な機会なので、興味のある方はぜひご来場ください。

日時: 2024年6月26日(水) 13:10~18:30
会場: 教育学部A515 教育学第二資料室
主催: 日本東洋教育史研究室
担当: 広島大学大学院人間社会科学研究科教育学プログラム准教授 白石崇人

 三原沼田家文書とは、2022年まで三原市にあった沼田實(1889-1976、元愛媛県中等学校長・私立広島女子商高等学校長・三原市教育委員長)の私邸にあった大規模な資料群です。實や三原小学校初代校長の沼田良蔵(1849-1913、實の実父、香雪と号す)の収集したものが中心で、明治・大正・昭和期の教育史にかかわる資料がたくさん含まれています。
 三原沼田家文書は2022年に広島県立文書館に大部分が寄贈されましたが、このたび、遺族が別に保管していた表装済みの掛け軸が、本年7月頃までに同館に追加寄贈されることになりました(白石が仲介しています)。同館に寄贈されると気軽に閲覧することはできなくなるため、この際、研究のためいったん公開させてもらえないかと遺族にお願いしたところ、公開を快諾してくださったため、資料展示会を開くことにしました。

 今回展示する予定のものは、沼田竹渓、宇都宮龍山、吉村斐山、西山復軒、菅茶山、頼山陽、坂谷朗蘆の書などです。いずれも、知る人ぞ知る高名な学者たちであり、たくさんの弟子を育てて幕末明治期の教育史に足跡を刻んだ人々です。この機会にぜひご覧ください。
 展示終了後は、7月半ばを目途に広島県立文書館に寄贈手続きを行います。ほかの沼田家文書も同様ですが、閲覧利用は可能だということですので、よろしくお願いします。

参考文献
・白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
・白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。
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ずうっといられますように

2024年06月22日 10時26分00秒 | Weblog



七夕まではまだ日がありますが、保育園では準備が始まったようです。
5歳になったうちの子は、「パパとママとずうっといられますように」と短冊に書きました。「パパ」だけ自分で書けるので自筆です。「ママ」も下書きしてあげるのでなぞったら?と提案しましたが、それでも書かないと拒否。まだ「ママ」は練習してないので、失敗しないように書きたくない様子。なぞることすら拒否するとは、短冊がよほど大事なのだな、と思いました。

子どものこだわりを考察することって、楽しいですよね。
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本日、ブログ開設から7000日!

2024年06月08日 01時35分00秒 | Weblog
 本日、このブログを開設してからちょうど7000日になりました。ここまで続くなんて、想像もしなかったな。もう一つ作っていた研究用のブログは運営会社が事業を辞めちゃったので、これだけの期間、ブログが現役で残っているのはすごいことですね。gooは頑張ってくださっています。長い間、本当にありがとうございます。

 

 一番古い記事は2005年4月9日の記事。19年前! 当時は広島大学の大学院生でした。指導教員に指導はしてもらっていましたが、そもそも研究の仕方がわからなくて、もがいていました。本を読むのも本当に苦手(目線が一定しなかった)だったので、まったく効果の上がらない研究生活をしていました。この頃は学部1年生の頃からの鬱状態がまだ抜けきれなくて、つらそうにしている様子もうかがえます。鬱状態から抜けるのはまだもう少し時間がかかりました。
 ブログは、抱えていた苦しい想いを思う存分吐き出す場所でした。リアルで話を聞いてくれる頼りがいのある友人も先輩後輩もいましたが、いくら聞いてもらっても、ずっと吐き出し足りない気持ちが残って、困っていました。そこで出会ったのがブログでした。ブログは、思う存分想いを吐き出せて、それでいて誰かが見ていてくれる気もする。自己満足を得る上に孤独感を埋められるツールだったと思います。当初は毎日書いていました(今ではその多くは削除済み)。
 しかし、次第にリアルで忙しくなり、自分なりの仕事や研究の仕方が分かってくると、毎日書くことがなくなりました。徐々に、ブログに書くことも、吐き出したいことというよりも、書き残したいことを書くようになっていきました。

 元K大のS先生に勧められて始めて、今日で7000日です。たくさんの人が読んでくれました。妻も、結婚前はよく読んでくれていたそうです。今も、たくさんの人が読んでくれています。19年もの間に蓄積した1200を超える記事があるので、そのつど何か検索にかかるものがあるようです。毎日2〜300回以上どこかの記事が開かれているなんで、すごいことだなと思います。

 昔から読者でいてくださった方々と、最近いらした方々、このブログを続けさせてくれているgooに感謝いたします。
 いつまで続けられるか、自分でも楽しみです。今後ともよろしくお願いします。
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にこり!

2024年05月31日 21時16分00秒 | Weblog
「ばつ かいて、にこり したら、"さ"だよー」



今朝、うちの子が書いて教えてくれた「さ」の書き方です。
そう言われると、「さ」がかわいく見えてきませんか?

5歳になったうちの子ですが、最近文字に興味深々です。
妻が教えたのかもしれませんが、「さ」の書き方の覚え方が、とってもステキだったので、思わず世界に伝えたくなりました。

絵を描いたり、色を塗ったり、制作したりすることが大好きなうちの子ちゃん。
言語力も表現力もついてきて、作品の説明を受けるのが、いつも楽しみです。



もう一つの絵は、私と自分と、カラフルなハートを描いてくれました。
子どもにとって私はやっぱり(物理的に)「大きい」存在のようです。「パパはおっきいから」とのこと。
なぜハートはいろんな色なの?と聞きましたら、「いろんな すきが はいってる」とのこと!
紙のど真ん中に大きく絵を描いているのも、とてもうれしい。

すくすくと心豊かに育ってくれています。
妻の子育てと保育士さんたちの保育の賜物ですね。
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教育学参照基準における教育学と教育史

2024年05月18日 11時06分14秒 | 教育研究メモ
 日本学術会議心理学・教育学委員会教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」(2020年8月18日、以下「教育学参照基準」)のいう教育学は、過去に様々な立場から批判されてきた教育学とは異なるものととらえるべきである。そこでの教育学は、「ある社会・文化における人間の生成・発達と学習の過程、およびその環境に働きかける」営みとしての教育を対象として、あらゆる教育の目的・内容・方法・機能・制度・歴史などについて規範的・実証的・実践的にアプローチする様々な学問領域の総称である。教育の規範や過去の教育の事実、教育の実践方法をそれぞれ個別に明らかにしたり、社会や家庭の教育、生涯にわたる学習や人間形成などを軽視して近代学校教育ばかりを対象としたりすることで良しとするような学問構想は、そこにはすでに存在しない。教育学は、近代学校教育制度に支えられながら、同時にそれを相対化し、改善策やオルターナティブを提示する学問を目指している。また、市民性の育成にかかわるとともに、「教職に関する専門教養」を担って学校教育・教員養成に貢献する。教員養成は教育学の本質的要素として位置づけられ、教員養成に携わることで教育学自身の理論的発達と諸学の質保証を進める構想がとらえられている。
 教育学参照基準は、教育史の役割を直接的に明示しており、教育学としての教育史の仕事を求めているといってよい。とくに、実証的アプローチにおいては、教育がどのように行われてきたかを記述・説明し、教育の歴史性を認識してその限界を見極める教育史が求められている。このような実証的アプローチによる教育史は、人間・社会の可変性の限界を見極めて教育を組織化する実践知とともに、人間・社会に関する科学的知見や理想・理念についての反省的に認識する反省知のための、より確実な知的基盤を形成する役割を果たす。教育の歴史的理解は、教育の事実や問題がどのように生成されたのかを理解・説明したり、教育の原理や概念、目的を理論的に理解・説明したりする上での基礎知識を提供する。教育史は実証的アプローチによって、教育学のリソースとして基礎的アプローチを支えるものでもある。
 教育学参照基準には、明示的ではないが、教育史によって身に付けられるものとして暗示される素養も多く見いだせる。教育の社会的・文化的多様性の理解や、教育事象と社会的事象の相互関係を理解、学習過程とそれへの教育的介入の理解については、教育の組織化や教育実践を支える教育学の実践的アプローチに欠かせない素養であるが、長年の教育史研究の積み重ねにおいて見出されてきた多様な教育史を前提としたとき、これらを教育史の学修を通して身に付けることは可能である。しかし、そのためには教育学を前提としない教育史の成果を教育学の教材として取り込む必要がある。教育史テキストの編集においては、教育や教育諸概念の多様性や社会との関連、歴史性に着目し、多様な教育史の成果がいかなる教育学固有の諸理解・素養・能力の育成につながるか明確にしながら教材選定・研究を進めなければならない。その作業は、教育学としての教育史を具体的に構築するだけにとどまらず、教育学の境界横断性を具体化する重要な作業でもある。
 教育史家が自分の問題意識に基づいて自由で多様な教育史を研究するからこそ教育学・教員養成の発展可能性は高まっていくが、そのままでは十分な成果を見込むことはできない。教育学参照基準によれば、教育学としての教育史の教育は、講義だけでなく多様な学修方法を組み合わせて学生の学修経験の多様性を確保することや、「再帰性」を生かすために学生自身の学修過程を分析する機会となること等を検討していかなければならない。教育史の演習単独で1~2単位を構成できる科目を用意できる学部・学科等はどこにでもあるわけではないので、教育史の講義と教職科目における講義・演習、ゼミなどの講読演習の機会を効果的に組み合わせる課程を工夫が必要である。卒業論文についても、過去の教育の歴史的事実を単に体系化するだけでなく、教育学の知識・理解・能力を踏まえた問題設定によって体系化することによって、教育史の卒業論文は教育学の学修方法となりうる。また、評価方法についても、事実の正確さを評価するにとどまらず、教育学の学修の目的・目標・方法に沿って様々な観点から評価する必要がある。
 教育学としての教育史という立場は、教育史教育に様々な課題を突き付ける。教育学の中で教育史がその役割を果たそうとするとき、教育史は教育学の規範的・実践的アプローチを支える実証的アプローチとして自らの役割を自覚し、多様な教育史の成果を教育学固有の諸理解・素養・能力の育成につながるように教材化して、多様な学修機会と教育学の目的・目標・方法に沿った評価につながる教育方法を開発していく必要がある。教育学としての教育史の立場は、教育学教育において確立する必要がある。その準備として、テキストとシラバスの抜本的見直しを行い、教育課程の研究開発に取り組む必要がある。

〈主要参考文献〉
・ 白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年、29~48頁。
・ 白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年、1~13頁。
・ 白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年a、1~14頁。
・ 白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年b、11~25頁。
・ 日本学術会議心理学・教育学委員会教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」、2020年8月18日。
  https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-h200818.pdf
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教育学としての教育史

2024年05月10日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 教育学としての教育史は、「教育」概念の歴史と「教育学」の歴史を中心とする教育史である。それゆえに、「教育」・「教育学」を構成する諸概念とその体系の歴史、すなわち教育学史や教育学諸領域の歴史が必要である。これを基礎にして、学校・社会・家庭の教育や教育制度・政策、教育問題、教育運動、教師・子ども・青年などの歴史の研究を深め、教育史の内容を厚くできる。
 教育は、人間生活・形成の一側面として多様な概念・領域と接触し、相互に影響し合って成立している。教育学としての教育史を描くとき、福祉・政治・経済・文化などとの接点や関係において展開される歴史を視野に入れなければならない。教育の概念・領域の歴史だけを明らかにしても、教育と関係するとはいえ福祉・政治・経済・文化の歴史だけを明らかにしても、それは教育史として十分ではない。その両方への視点が必要である。
 特定の国や地域の教育も、他の国や地域と接触し、相互に影響し合って成立している。例えば日本教育史を描くとき、世界・外国や西洋・東洋文化などとの接点や関係において展開される歴史を視野に入れなければならない。その視点から、制度や思想、概念、モノ、人などの交流史や受容史は重要である。
 教育は、様々なアクターによって運営・機能している。教員や親・保護者、子ども、学習者、政治家、学者、様々な教育関係者、地域住民などの具体的な人々や、国家や社会、団体、組織、企業、市場などの団体組織が、様々な感情と利害をもってかかわり、教育の歴史をつくっている。教育をめぐる政治過程や合意形成、価値判断などが、どのような歴史的背景の中で、どこで、誰をメンバーとして、どんな立場から進められたか、その経緯・変遷を明らかにすることが重要である。
 教育学もまた、その下位領域において、または下位領域の相互作用の中で成立し、または他の学問分野との相互作用の中で成立している。大学や研究所、学会、研究会、派閥などの一定の場において、様々なアクターがそれぞれの感情や利害をともなって相互に関係しながら、教育学史を形成している。教育学の諸領域内部の歴史とともに、諸領域の相互関係、教育学と他分野との相互関係の歴史は重要である。また、教育学は、その活用をめぐって、教師や教育行政、国家、運動体などと相互に影響し合いながら歴史をつくっている。教育学と教師の教育研究の関係史や、教育学の政策過程・教育運動への参画の歴史などは重要である。
 教育史は多様である。教育学の立場をとらない教育史は、教育学としての教育史とは違った視点・考え方をもち、得意なテーマや問題意識も異なる。他の立場による教育史の成果は教育学としての教育史を刺激し、新たな研究を生み出す。それと同時に、教育学としての教育史が、他の立場による教育史に刺激を与えることも積極的に考える必要がある。特定の立場による教育史が独自に研究を積み重ねていくとともに、多様な教育史が相互に関連・影響し合いながら高め合っていく場も積極的に設けていかなければならない。その意味で、教育学としての教育史は研究を着実に積み重ねていく必要がある。





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前近代日本の学びの可能性と課題

2024年04月25日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
(現在書き続けている日本教育史のテキスト拙稿、第2章の結論から抜粋)

 以上の通り、古代から近世に至る時代の教育史について、読み書きや学びの目的・方法に焦点を合わせて明らかにしてきた。これらをまとめて、前近代の学びとしたとき、そこにはどのような特徴・可能性と課題があったか。
 まず、古来より、読み書きは政治・経済あるいは文化の活動に必要なものであった。人々は、生活に必要な範囲で、主に定型文に習熟し、テキストを身体化することで読み書きや文字で表現された知識を学んできた。そして、17世紀には読み書きは「人」の条件と化した。文書による政治が徹底され、様々な階層の人々を巻き込んで経済・文化活動が活発化したとき、政治・経済・文化にかかわる「人」として生きるうえで必要な条件として、読み書き(識字)が挙げられるようになったといえよう。学ぶべき読み書きの内容は、生活に必要な限りにおいて定められ、生活に不要になれば別のものに差し替えられた。楷書の漢文は古代律令制において必要であったが、律令制の崩壊により重要性が低くなった結果、行草書の漢字仮名交じり候文の陰に隠れることになった。学ぶべき読み書きの内容は、普遍的なものというよりも、生活や時代に応じた特殊なものが据えられ続けてきたといえる。
 次に、江戸期において、漢学(儒学)を介して道徳や政治の方法としての学びが展開した。漢学は、「聖人」または「君子」を目標化し、その学びをすべての人に開いた。それゆえに、読み書きや学問による民衆・風俗教化という手段をとることができたといえる。学びの目標・成果がすべての人に開かれていなければ、権力によって学びを押し付けても無理が生じるからである。また、身分制によって守られて学ぶ需要の少ない上層の人々に対しても、学ぶ意義を提示しようとしたことも注目すべきだろう。ともにうまくいったとは言い切れないが、漢学のもっていた学びの開放性は前近代の教育の可能性をうかがわせるに十分であった。ただし、前近代の社会が身分制を前提としていた限り、いくら学びを開放しても人々は同じように聖人君子の目標に向かうことはできなかった。知識や道徳的修養をいくら積んでも、身分の壁は依然として存在したままであり、「人」として一つになることはできなかった。このような開放性をめぐる前近代の学びの可能性と限界は、江戸期に流行した会読において典型的にみることができる。会読は身分にこだわらず開放的な学びを展開させたが、そこに参加するには素読・講義を修了する必要があり、そこに達するまで学び続けることができる人々は限られていたのである。
 また、18・19世紀に至って、学校が人材育成機関として位置づけられたことや、人生に対する子ども期における教育的配慮の重要性が広く認識されたこと、子育てと貧困に対する国家の責任に注目する人物が現れていたことが確認できた。これらの課題意識は近代教育において花開くことになるが、明治以降に急に出現したわけではなく、江戸後期を通じて模索され続けていたものであった。


【参考文献】
 市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』河出書房新社、2006年。
 岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年。
 江森一郎『「勉強」時代の幕あけ―子どもと教師の近世史』平凡社、1990年。
 大石学『江戸の教育力―近代日本の知的基盤』東京学芸大学出版会、2007年。
 大戸安弘「中世社会における教育の多面性」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、65~119頁。
 貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。
 鈴木俊幸『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』平凡社、2007年。
 鈴木理恵「大陸文化の受容から日本文化の形成へ」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、3~64頁。
 鈴木理恵『近世近代移行期の地域文化人』塙書房、2012年。
 鈴木理恵「日本編・子ども観の歴史的変遷」鈴木理恵・三時眞貴子編『教師教育講座第2巻教育の歴史・理念・思想』共同出版、2014年、167~187頁。
 辻本雅史『「学び」の復権―模倣と習熟』角川書店、1999年。
 辻本雅史「幕府の教育政策と民衆」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、245~269頁。
 辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年。
 高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書、筑摩書房、2007年。
 平田諭治「「日本」「学校」「教育」の概念系」宮寺晃夫・平田諭治・岡本智周『学校教育と国民の形成』講座現代学校教育の高度化25、学文社、2012年、47~69頁。
 平田諭治編『日本教育史』MINERVAはじめて学ぶ教職4、ミネルヴァ書房、2019年。
 前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学』平凡社、2006年。
 前田勉『江戸の読書会―会読の思想史』平凡社、2012年。
 八鍬友広『読み書きの日本史』岩波新書、岩波書店、2023年。
 湯川嘉津美「「無垢なる子ども」という思想」『ソフィア』第44巻第2号、上智大学、1995年。
 湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書房、2001年。





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教育学的思考③―「日本」「東洋」批判

2024年04月21日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 広島大学の教育学は、戦後、新制大学として再編後に、「日本東洋教育史」という概念を使って、教育学として教育史の研究を推進してきた。この概念をいかに現在の教育史研究に生かすかについては私もまだ研究を始めたばかりだが、現段階でいかなる方向性をもつべきだと考えているかまとめておく。

 「日本東洋教育史」概念によって思考を進めようとするとき、まず先頭にある「日本」概念が目に入る。「日本東洋教育史」は、まず「日本の教育」を歴史的に研究する日本教育史を重要な要素として含んでいる。「日本の教育」とは何か、どうあるべきか(と考えられてきたか)について、歴史を通して研究する。近代の「日本の教育」を研究する場合、日本という国民国家のナショナルな教育について考えることが重要である。また、日本国内の特定地域における教育に関する歴史や文化を探究することも重要である。日本教育史は、「日本」という国民国家やその一部としての特定の地域に生きる「我々」の教育問題を発見・解決するための参照資料を我々に提供する。さらに、教育の定義として先述したように、教育は人々に様々な感情・記憶を喚起する行為・領域であるから、日本教育史もまた、「日本の教育」を通して喚起されてきた過去の感情・記憶に向き合う必要がある。当たり前の物事は問い直すことすら思い至らない。教育の喚起してきた感情・記憶の歴史性・近代性を明らかにすることで、この感情・記憶は相対化されて当たり前のものではなくなり、我々は改めてこれらを自由に考えることが可能になる。
 現在は、グローバル化の進行により、国民国家が相対化された時代である。このような現在を生きる我々にとって、「日本=国民国家」という考え方にどう向き合うかはとても重要な問いになる。それは結局「日本とは何か」という問いである。日本教育史は、「日本の教育とは何か」という問いに取り組むことで、重要な役割を果たすことができる。例えば、近代批判として近代日本とは何かという問いを立てる場合、かつての「日本=帝国」という問題が重要になってくる。近代日本は大日本帝国となり、第二次大戦後に解体されて日本国になったが、大日本帝国が残したものの中には現在に至るまで未解決の問題もある。日本国になった時点で終結した単純な問題ではなく、戦後引き続き新たな変遷をたどったポスト・コロニアリズムの問題として生き続けている。これは日本だけの問題ではなく、かつて帝国主義をとった各国とその支配下にあった国々の世界的問題である。この問題に取り組むには、日本国内(本土内)の研究だけでは済まない。現在は、「日本」の外側への視点がなければ、日本教育史は十分研究できない時代になっている。
 そう考えると、「日本」を超える範囲をもつ「東洋」概念には可能性を感じる。しかし、「東洋」概念は古くから使われており、その歴史性ゆえに現在そのまま使用するには問題があり、その意味内容を刷新しなければならない。特に「日本」と「東洋」をセットで使用する場合、より深刻な問題が生じる。「日本=特殊な東洋」という考え方がある。これは、「東洋」諸国に対する日本の優越感を表す考え方であり、現在においても大きな問題をかかえている。現在においては、各国・各地域の文化の多様性を尊重し、共生していくことが求められる。「日本=特殊な東洋」という考え方は批判されなければならない。「東洋」批判は、「日本」批判である必要がある。
 また、「東洋」概念が指す諸国・地域とはどこか、という問題もある。伝統的には、中国、朝鮮半島、台湾、日本、そしてインドを中心的に指しており、それ以外のアジア諸国の存在を度外視してしまいがちであった。では、「アジア」概念に差し替えれば問題が解決するかというと、そう簡単にはいかないと思う。私が注目したい「東洋」概念の可能性は、ある程度の一体性をもつ文化(東洋文化)の存在を前提とする概念である。では、アジア諸国に「アジア」としてひとくくりにできるほど一体性があるのかというと、文化人類学が発展した現在では、とてもそのような一体性が見いだせるとは思えない。思考・研究にはある程度の枠組が必要だが、「アジア」では広すぎる。「東洋」の可能性を探りたい。
 「東洋」概念は「西洋」概念と対で用いられる。「世界=西洋+東洋」という単純な世界観は現在において通用しない。また、「西洋」批判は欧米で100年前ほどからすでに行われているが、往々にして相対的な「東洋」の優越性を強調する論調がある。「東洋」上げとも言うべき現象は、グローバル化や冷戦後の国際関係の変化の中で捉えると、各国・各地域の文化の多様性を尊重し共生していくうえで支障をきたすおそれがある。「東洋」批判は「西洋」批判とも関連して進めなければなるまい。
 近代日本は「東洋」・「西洋」の両方から影響を受けてきた。「日本」「東洋」「西洋」批判を並行して進めていくには、「日本ー東洋」関係の再構築とともに、「日本ー西洋」関係の再構築が必要である。「日本ー東洋」関係の再構築は、先述の通り、「優越/劣位」の関係を見直すことである。優劣ではなく、多様性を尊重する方向に見直していく必要がある。近代日本史についていえば、大日本帝国の問題は、まさにこの「日本ー東洋」関係の問題と関わっている。また、「日本ー西洋」関係の再構築について、日本から西洋に対する「憧憬または対抗」・「受容または借用」の問題があると思われる。この問題は、教育制度・思想においても重要であって、日本の近代教育の特徴を形作った重要な要因である。

 「西洋」概念もそうだが、「日本」・「東洋」概念は近代の問題ときわめて深くかかわっている。教育学的思考が近代教育批判を重視するならば、教育学としての教育史として、「日本」・「東洋」批判を進める必要がある。この作業は「日本教育史」や「東洋教育史」で専門的に進めてもよいだろうが、「日本東洋教育史」として「日本の教育」を新しい「東洋」概念をもって研究することには、現在においてますます価値があるように思われる。今後の研究を進めていきたい。

主要参考文献
白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。

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教育学的思考②―近代教育批判

2024年04月19日 20時06分00秒 | 教育研究メモ
 現在において「教育学としての教育史」の研究において、重要な思考法・研究法の一つに近代教育(近代学校)批判がある。ここでいう「批判」とは、単なる「非難」や「否定」ではなく、物事の価値や誤り、不十分な点等を検討してよりよい知見を目指す議論のことを指す。

 近代批判は、近代を制度や思想等において徹底しようとする近代主義を批判してその問題を乗り越えようとする思考法である。それは20世紀前半には始まっているが、現代の学問・思想においても重要な思考法になっている。教育学においても、近代教育批判は、特にポストモダンの影響を受けた20世紀末以降、ますます重要な方法になった。近代教育は、現在の学校教育や教師の在り方などのよって立つ原理の一つであり、明治以降150年にわたって試行錯誤のうえ思想化・制度化されてきた。しかし、現在、「学校教育は行き詰まっている」などの言説や、「学校でなくても学べる」、「日本でなくても学べる」、「AIによって代替可能なので教師は不要なのではないか」などの言説によって、近代教育の問題が多方面から指摘され、新しい教育が模索されるようになって久しい。現代の教育学が取り組むべき重要な使命の一つとして、近代教育批判が上がってくる所以である。極論を言えば、教育史は過去の教育を研究すれば成立してしまう。しかし、教育学としての教育史は、近代教育批判に取り組むことが求められる。
 近代教育批判に限らず、近代批判は現在の学問研究一般に重要である。歴史研究を通した近代批判の特徴は、過去そのものを問うことを通して批判を進めるところにある。過去(歴史)の問い方には大きく2つある。第1に、過去と別の過去が本当に連続・進歩しているのか、その連続性を問う。第2に、過去同士が本当に断絶しているのかその断絶性を問う。いずれの問い方についても、その真偽を史料を通して確かめるのが歴史研究である。
 そのとき、近代をどのように捉えるかによって、とるべき研究法は変わってくる。近代は現在に対して過去であり伝統である。ここで、近代を「継承すべきもの」と捉えるか、「克服すべきもの」と捉えるかによって、歴史研究の姿勢が全く違ってくるだけでなく、現在または未来の捉え方までも変わってくる。近代を「継承すべきもの」と捉えるならば、現在・未来は「過去からの進歩・徹底、または過去の延長」と捉えることになる。近代を「克服すべきもの」と捉えるならば、現在は「克服すべき過去の課題を背負うもの」または「過去の課題は現在に至るまでに解決済の、過去から断絶されたもの」と捉えられ、特に未来は「過去から断絶されたもの」と捉えられやすい。どちらが正しい視点・姿勢かという問いに唯一の答えはないが、近代をどうとらえ、どう考えるかで現在・未来の見方・考え方は根本的に変わってくることは確かである。

 近代と現在の関係を考えるとき、「近代=現代」または「近代≒現代」と捉える視点がある。「近代」という日本語は、その後に「現代」という新たな時代がやってくるように私たちに認識させがちであるが、英語ではどちらも「modern」である(しかも「近世」は「early modern」だからさらにややこしい)。この視点をとると、先述の歴史的見方・考え方の一つであった、現在の目で歴史を見て、過去と現在のかかわりを考える見方・考え方をとりやすい。過去と現在の共通点や連続性を探究するには便利である。しかし、現在の見方・考え方だけで歴史を解釈しようとすると、解釈を間違うことがある。この問題は、しばしば「現在主義」と呼ばれる、近代批判・歴史研究一般に共通する大問題である。自分の親や年の離れたきょうだいですら、自分とは考え方が違うなと感じた経験は誰にでもあるだろう。それと同じように、過去の見方・考え方や習慣、文化は、現在のものと似ている印象を受ける場合もあるが、まったく同じものではない。過去に存在したそれらは、少なからず時間を経て変遷している。基本的には、過去と現在とは、少なからず異質なものだと心がけなければならない。近代批判や歴史研究を行うのは現在を生きる我々だから、現在の見方・考え方を考察にまったく持ち込まないことは不可能である。同時代に生きている我々が、異なる他者と対話するですら容易なことではない。過去に生きる他者と対話することも同様である。歴史研究には、自分や自分の所属するコミュニティのもつ現在主義を相対化しながら、異質な過去を捉え、他者として尊重しながら対話しようとする研究法が必要である。この研究法を身に付けるには、特殊な訓練が必要である。
 近代を問うことは、近代史はもちろん、近世史・中世史・古代史でも可能である。近世以前の歴史研究は、その時代を明確に研究することで近代との比較材料を確かにすることができる(もちろん近代批判のためではない近世以前の歴史研究もある)。とはいえ、近代史研究はそのまま近代批判につながる点で、ほかの時代の研究と異なる立場にある。近代史研究は、近代内部(同時代)で、ある過去と別の過去の間に生じた変遷を分析し、歴史の画期等を発見して、近代そのものを考察していく。その作業を通して、近代とは何か、どのような課題が見いだせるかについて考察することができる。近世史はそのまま近代とは異なる他者として研究する場合も、early modernの研究として捉える場合も、近代批判につながげることができる。
 歴史研究は近代を問うために、国家や地域、制度、思想、文化、習慣等を時系列や因果関係などとして関連付けながら、その近代性を考察・解釈していく。比較・関連づけるべき事実は、同時代の別の国や地域・人物等の事実であることもあれば、同じ国や地域・人物等のさらなる過去の事実であることもある。例えば、1900年代と1910年代の思想を関連付けることで、その連続性や近代性を問うことができる。また、単体の事実同士だけでなく、複数の過去や出来事・集団・人物の間に起こった移動や交流、影響、受容、借用、移転等のかかわりを対象にすることもできる。単に20世紀前半の日本とアメリカの教育制度を比較するだけでなく、アメリカのA氏の教育学説が日本の学者B氏の学説に受容され、B氏が政府の審議会でその学説に基づいて発言し、政策に取り入れられたことを明らかにすることで、A氏の影響を特定したり、B氏の学説の独自性を研究したりして、日本における教育の近代化の在り方を明らかにすることができるかもしれない。

 現在の教育学にとって重要な教育学的思考の一つに近代教育批判がある。教育学としての教育史も、近代教育批判に取り組むことが期待される。そのためには、研究者自身が近代をどのように捉えようとしているか自覚し、その視点に適した思考ができる研究法をとらなければならない。また、現在と過去の連続性を捉えるにしても、断絶性を捉えるにしても、現在主義に陥ることなく、過去という異質な他者を尊重しながら、対話していく必要がある。また、過去の同時代の出来事を単に比較したり、関連付けたりするだけでなく、それぞれの関わり方に着目にすることで過去をより精緻に分析することが可能になる。近代教育の特質を正確に考察するには、過去を精緻に分析する教育史研究が必要である。

主要参考文献
E.H.カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年。
リンダ・S・レヴィスティック、キース・C・バートン(松澤剛・武内流加・吉田新一郎訳)『歴史をする―生徒をいかす教え方・学び方とその評価』新評論、2021年。
Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321



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現職の初心として

2024年04月17日 19時51分00秒 | Weblog
 先日から、予約投稿機能で連続して投稿しております。テキスト化を見据えての授業準備の一環ですので、お気づき等あれば、それぞれの記事にコメントしてもらえるとうれしいです(今後の課題にします、と答えるしかない場合もあるやもしれませんがご寛恕ください)。

 さて、ちょっと閑話休題。
 広島大学に着任して一番ありがたいと思ったことは、研究が職場での業績として重視されることです。私大にいたこれまでの15年間でも、研究業績は評価されてきましたが、それとは別次元に入ったな、と思いました。私の働いていた地方私大では、学内・学科内分掌や実習業務、実習指導、広報活動などにどれだけ従事したか、が重視されてきました。広大でももちろんそれらは重視され、評価されますが、それだけでは働き続けることはできず、新しい研究業績を発表し続けなければなりません。研究するのが苦しい人や習慣づいていない人にとっては「地獄」かもしれませんが、研究が習慣づいていてしかもやりたくて仕方ない私のような人間にとっては「天国」だな、と思います。これから様々な状況変化の中でどう感じるかわかりませんが、とりあえず現状ではそのように思っています。このような環境・条件を整えてくださっている先輩方と大学には感謝しかありません。
 また、これは広大大学院の特徴だと思いますが、教育学研究者志望の大学院生を育てるところですので、自分の研究を院生指導や授業に直接間接に生かすことが可能であり、結果が出ればそれをも業績として評価される仕組みがあります。自分の研究の有用性を身近に実感できるので、とてもありがたい仕組みです。もちろん自己満足ではいけないので、履修生やゼミ生と対話(観察)しながら、どんな風に自分の学術研究と教材研究を展開し、その結果を活用していくか考えて続けていきたいです。こういうことが仕事として評価される可能性があると思うと、幸せな立場に立たせてもらえたな、と実感します。
 さらに、教員養成にも直結する現場(科目)も持たせてもらえており、教職課程担当教員の養成にも関わらせてもらえています。つまり、日本教育史研究者としての仕事、教育学者としての仕事、「先生の先生」としての仕事、そして「先生の先生」を育てる仕事という、自分のしたかった仕事をすべてさせてもらえ、それらがすべて職場で評価していただける。本当にありがたい職場に採用していただいたな、と実感しています。

 ここに、学会の仕事や、学外の仕事、校内・組織内分掌が重くなってきたとき、どういう気持ちになるかわかりませんが、すべて私自身がやりたい仕事につながっていくはずなので、なるべく楽観的に考えようと思います。
 私の現役生活はあと最大20年となりました。だんだんと、「終わり」を意識して仕事する必要性を感じるようになっています。とりあえず、初心を忘れないようにするため、書き留めておきます。
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教育学的思考①―どんな教育史の考え方か

2024年04月15日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 次に教育学的考え方、教育学的思考について考察したい。教育学的思考とは、端的に言えば教育学の研究法のことである。教育学の各分野において長年検討が積み重ねられ、年々専門分化と深化が進んでいる。教育学の代表的な分野には、例えば、教育哲学や教育史、教育社会学、教育心理学、教育方法学、教育行政学、比較国際教育学、社会教育学、教育経営学、幼児教育学などがある。ここでは、教育史の方法(教育史を通した思考の方法)に限定して、教育学的思考について詳しく考察する。

 教育学的思考の方法として、教育史の方法がある。教育史といっても多様なものがある。教育学的思考は、主に「教育学としての教育史」についての思考である。教育史には、これまでの研究史の中で、「哲学としての教育史」、「社会学としての教育史」、「人類学・民俗学としての教育史」、「歴史学としての教育史」などが現れてきた。研究者によって様々な姿勢があるが、「哲学としての教育史」は教育には触れても人間の考え方そのものを考えることに主眼があり、教育思想史と呼ばれる試みの中にはその傾向が強く出ているものがある。「社会学としての教育史」は社会のあり方を考えるものであって、教育の歴史社会学と呼ばれる試みの中にはその傾のあるものがある。「歴史学としての教育史」は人間の生き方や物事の変遷(歴史そのもの)を考えるものであって、日本で研究されてきた教育社会史にはその傾向が強い。そのほかに、「人類学・民俗学としての教育史」もある。これらに対して、「教育学としての教育史」とは、教育学の方法の一つとして教育自体を考えようとする。哲学や社会学、歴史学などの方法を取り入れることは大いにあり得るが、「教育学としての教育史」は教育学的視点・思考法を基礎としてあくまで教育のあり方を研究する。教育史を通して人間の生き方について考えていても、教育のあり方についてあいまいな考察しかできない場合は、「哲学・歴史学としての教育史」であっても「教育学としての教育史」としては不十分である。いずれかの教育史がすぐれている、と言いたいのではない。どの教育史にも長所短所がある。それぞれの教育史には、どこに視点をあてて、何を目的に研究するかについて違いがあるので、自分がどんな教育史の立場をとっているのか自覚して研究を進める必要がある。
 いずれの教育史の方法にも共通する基盤として、初等・中等教育を通して育てられる(そして高等教育を通して高度化される)歴史的見方・考え方がある。2018年告示の高等学校学習指導要領の地理歴史編解説によれば、歴史的見方とは、例えば、時系列や諸事象の推移、諸事象の比較、事象相互のつながり、過去と現在とのつながりを捉えようとする視点である。時系列を捉えるには、例えば、次期や年代、過去について、それはいつのことで、どういう経緯で起こったことか考える。諸事象の推移を捉えるには、それらの変化と継続について、何を変えようとして、どう変わったか変わらなかったかについて考える。諸事象を比較して捉えるには、それらの類似点や差異、共通点や相違点は何かについて考え、なぜその共通点や相違点が生じたかなどについて歴史を通して考え、それらの意味や特色を考える。事象相互のつながりを捉えるには、その背景や原因、影響、結果、転換点や画期に注目し、その出来事が起こった最も重要な要因は何かや、分岐点・転換点はいつか、どうしてそのような転換が起きたかについて考える。歴史の時系列や推移、類似点、相違点、影響、結果などについては、なぜそうなったか、どのような背景・理由・経緯でそうなったかについて考える。また、過去と現在とのつながりを捉えるには、現在の問題についての理解や歴史的な見通し、自分自身とのかかわりに注目して、過去と現在の似ているところや関連、その要因を考え、過去の事象が与えたのちの時代への影響や見通し、自分にとっての意味について考える。

 教育学的思考や教育史の方法は、高等教育において専門的に学ぶ。それはまったくゼロから学ぶというよりも、中等教育までに育ててきた歴史的見方・考え方を基盤にして学問を学び、そのことを通して各学問の視点・研究法を学んでいく。その過程は、歴史的見方・考え方を学問によって高度化させていく過程という側面もあろう。

参考文献:
文部科学省『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 地理歴史編』東洋館出版社、2019年。
白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年3月、1~14頁。
白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年12月、11~25頁。

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教育学的視点②―どの教育のどの部分か

2024年04月13日 19時21分49秒 | 教育研究メモ
 教育学的視点は、どの教育のどの部分を捉えようとするかがまず必要である。教育の目的を捉えようとするのか、過程を捉えようとするのか、条件を捉えようとするのかで、まったく捉え方や対象が変わってくる。目的を意識して捉えてみると、例えば、一方の教育が人間性を教養しようとする教育であり、もう一方の教育は国家・経済発展のための人材育成の教育であることが明らかになってくる。条件を捉えるには、例えば制度・政策に注目するのか、制度の運用について行政の動きに注目するのか、学校の経営に注目するのか、教師の協働や研究研修に注目するのかによって、捉え方も見るべき対象も異なってくる。

 さらに詳しく考えておこう。教育は学校・社会・家庭の中て行われている。学校教育には、例えば幼児教育、初等教育、中等教育、高等教育がある。それぞれ異なる視点が必要である。幼児教育や初等教育の視点で高等教育を捉えようとしてもうまくいかない(思わぬ結果が発見されるかもしれないが)。幼児教育には、遊びや環境構成、社会的保育を捉える視点が必要である。お受験や早期教育の視点が必要なこともあるかもしれない。初等教育や中等教育を捉えるには、義務教育や普通教育の視点、市民教育や国民教育の視点、全人教育や人間教育の視点、進路指導や大学受験の視点などが必要である。高等教育を捉えるには、専門教育の視点だけでは不十分で、教養教育の視点も必要である。
 学校教育を詳しく見るには、教科指導や教科内容、教科外指導を分けて視点をもつことも有効である。教科指導・内容を捉えるには、読書算(3R's)だけでなく、言語認識や社会認識、自然認識、芸術、技術、倫理、道徳、運動、体育、衣食住や家庭生活などの視点や、それらを総合する視点を持たなくてはならない。また、それらの知識や技能を伝達するだけでなく、応用・演習したり、探究したりする方法や過程を捉える視点も必要である。教科外指導については、道徳教育や生活指導、学級経営、キャリア・進路指導、養護、給食、掃除、制服、校訓、校則、部活動、児童会・生徒会など、多様な活動を捉える視点が必要になる。
 社会教育には、図書館や博物館、公民館、スポーツ施設等の社会教育施設を捉える視点が必要だが、NPOや企業、マスメディアの動向を捉える視点も必要である。家庭教育には、子育てやしつけ、家庭的保育、早期教育などを捉える視点が必要である。
 なお、教育は生活・人間形成の一側面であると先述した。教育は、学習や福祉、政治、経済などの人間の生活の別側面との関係の中で、相互に影響し合っている。例えば、教育を学習との関係から捉える視点は、教育学的視点にも必要である。学習には様々なものがあるが、例えば、乳幼児期の発達や児童期・青年期・成人期・老年期それぞれの発達、または生涯発達を捉える視点によって異なった様相を見せる。生涯学習の視点は、教育を捉える際にきわめて重要な視点である。幼児期の学習に応じた教育と老年期の学習に応じた教育を捉えるには、やはり区別された視点が必要である。

 以上のように、教育学的視点をどの教育のどの部分を捉える視点かで整理すると、極めて多様な個別の教育学的視点が見えてくる。すべての視点を身に付けるのは至難の業であり、いくつかの視点を身に付けるだけでも容易なことではない。哲学や社会学などのほかの学問も教育を捉える視点があるが、ほかにも身につけるべき重要な視点があるので、それらの学問を学ぶだけでは教育学ほど細かく教育を捉えることは難しい。教育学的視点を身に付けるには専門的で体系的な計画的な教育・学習が必要な所以であり、ここに教育学教育の専門性がある。

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