教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教室にこんな道具があればなぁ―ふたを開けっぱなしでも使えるペン

2010年08月08日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 更新する内容と時間がない毎日を送っておりました。ごぶさたしてます。今日は、教室にこんなのがあれば便利なのになぁ、というお話をしましょう(笑)。

 最近、教室には次第に黒板がなくなり、ホワイトボードに切り替わっています。黒板は、明治以後、学校における一斉教授法をささえる重要な装置でしたが、ここにきてついに役目を終えようとしているのかもしれません。
 ホワイトボードは、黒板のようにチョークの粉が舞わず、非常に衛生的です。教師としても、手がチョークまみれにならなくてよいのでうれしい教具です。黒板だった時は、一時間授業をした後にチョークまみれの手でノートやら出席簿やらをもつので、持ち物が汚くなって困るんですよね。かつて、黒板が普及し始めた明治の頃、教師や児童生徒の健康を害し、大きな問題となっていたこともあります。ホワイトボードに切り替われば、そんな心配はいらなくなります。
 ただ、ホワイトボードにも欠点はあります。私が聞いたことがあるものには、ホワイトボードの文字は、遠くから見ると、黒板に比べて見えにくいというのがあります。私個人としては、ホワイトボードの最大の欠点として、書くものとして「ペン」を使わなければならないことを挙げたいと思います。
 ホワイトボード用のペンは、フタをしばらく開けっ放しにしておくと書けなくなります。インクが揮発するからでしょうか。ですので、授業中、板書(ばんしょ)しようとするとき、チョークには必要ない作業が2つ発生するのです。書くためにふたを開けることと、書いた後にふたを閉めること。チョークはそのまま置くだけでいいので、この作業は必要ありません。まぁ、別にこの2つの作業は、授業を妨害するほどの問題でもありませんが、教師としては面倒ではあります。
 ただ、話しながら書く、ということがしにくくなるという意味では、逆にいいことなのかもしれません。被教育者にはいろいろいます。「話を聞きながらノートを書く」という、音声のことばと書きことばとを同時に処理することができない人がいるのです。社会生活(とくに職業生活)で必要な「話を聞きながらメモをする」技術を身につけられるよう、それくらいはできるようになってほしいですが、できないことを急にできるようにすることは難しいので、教師としては対応せざるを得ません。そういう意味では、ホワイトボードを使うことで、教師が話をしながら書かないよう気をつけやすくなるのはよいことかもしれません(笑)。
 しかし、気をつけていてもフタをし忘れる人は少なくないのが現状です。授業中、さあ板書しようとすると、かすれて見えにくい、ということはよくあります。そして、ちゃんと書けるペンを探し、何本も試し書きをするはめになります。何分もかかるものではないので、一瞬のできごとですが、ちょっとイラッとします(笑)。学生も「早く次に進んでくれ」と思っているでしょうし。
 教育現場にホワイトボードが増えるのは歓迎するのですが、あのホワイトボード用のペンの欠点はなんとかならないのでしょうか。ふたを開けっ放しでもかすれないペン。ボールペンなんか、開けっ放しでも使えるじゃないですか。そんな感じのペンは作れないんでしょうかね?
コメント (2)
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