教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

幼稚園教員養成について―教員養成課程延長(6年制)論の流れのなかで

2010年09月02日 23時36分01秒 | 幼児教育・保育

 現在、中央教育審議会では、教職生活全体を見通した教員の資質能力向上についての諮問を受け、教員の資質能力向上特別部会を設けています。先の8月31日、同部会は第4回目の会議を開きました。そこで提出された資料のなかに、第3回までの会議で出た各論点について、主な意見がまとめられた資料があります。
 この資料に目を通してみたのですが、首肯できる意見とともに、疑問な意見が見受けられます。ここに見られる意見は、現在の政策形成の場で、教員資質およびその向上策がどのように構想されているかを示す重要なものです。これがそのまま政策化されるわけではありませんが、教師のあり方に関心を持ち、教師教育にかかわる当事者のはしくれとしては、きちんと認識されていない重要問題はないか、気になるところです。
 ということで、この資料を参考にして、教師の在り方に関心をもつ者として、以下、思ったことを書き綴ってみます。論点はさまざまありますが、今回は、教員養成の点に限りました。

 教員の資質能力向上策をめぐる議論の中で、養成課程の高度化という論点があります。この場合気になるのは、幼稚園教員養成がほとんど話題に上らないことです。教員養成課程を問題とするならば、幼稚園教諭の養成課程についても取り上げなくてはならないはずです。ここでは、最近の議論の中心問題である、養成課程の年限延長に焦点を当てて考えてみましょう。
 まず、小中高校の教員養成の場合、4年制による養成が一般的ですので、年限延長による6年制への移行が論点になるのはわからないでもありません(ただ、2年(短大)で取得できる2種免許状のことがまったく無視されているのは気がかりですが…)。しかし、幼稚園教員養成の場合、2年制が一般的です。幼稚園教員として採用されている人々の多くは、2年制の短大で2種免許状を取得した人々です。「教員養成問題」として一括して6年制の議論を進めるのは、幼稚園教員養成の実態を無視しているのではないでしょうか。
 この点については、次のような反論もあるかもしれません。2年制教員養成制度はそもそも暫定的制度であり、いずれなくすべきものだから無視してもよい、と。では、たとえば6年制の幼稚園教員養成課程を組んだとしましょう。しかし、それだけの時間をかけて養成した人材を受け入れるに適した待遇を、公立・私立園・自治体は十分に用意できるのでしょうか。多くの教育費を計上できない現状では、教育財政上、教育費節減(すなわち人件費削減に直結)は必ず問題となる論点です。幼稚園教員養成課程の高度化は、幼稚園教諭の待遇とセットで議論しなければ現実的なものにはなりえません。
 また、そもそも4年制ではどうでしょうか。近年、短大が4年制大学化した事例も少なくありませんが、必ずしも成功例ばかりではないようです。また、短大に入学してくる学生の実態をみると、4年制大学には行かせられないが短大なら何とか行かせられる、という家計的事情を抱えた者も少なくありません。また、2年制養成課程をもつ短大の中には、教員養成の効果を高めるために、工夫に工夫を重ねてきた短大も少なくありません。その結果として、幼稚園教諭の主要な供給元として一定の成果を上げてきたのだと思います。単純に、2年制課程を廃止し、4年制または6年制へと延長するのが、幼稚園教諭の資質向上を担保するとはいえないと思われます。
 ではどうすればよいのでしょうか。単純に年限延長を一律に実施して、4年制・6年制へ移行することは時期尚早であろうと思います。現状における2年制養成課程の役割を正当に認め、支援していくと同時に、幼稚園教員の待遇改善に努めていくことが肝要だと思います。そうすれば、後日、2種免許状取得者が1種免許状を上進取得することを促進することにつながり、結果的に幼稚園教員の資質が向上するのではないでしょうか。
 なお、幼保一元化が本格的に進む今、幼稚園教員養成については、保育士養成との関連を無視するわけにはいきません。現在、先行して保育士養成課程の改訂が進んでおり、幼稚園教員養成課程と保育士養成課程との間は急激に乖離しています。幼保一元化を本気で実現する気ならば、ぜひ、厚労省方面との相談・調整に本腰を入れるべきだと思います。

 私は養成課程(大学)の改革だけでは、教員の資質能力向上は図れないと思っています。気力が残っていましたら、別の論点をまたの機会に。

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