教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教師よ、あなたの言葉は死んではいないか

2012年11月04日 21時26分30秒 | 教育研究メモ

 次から次に仕事が増えています。12月中旬までろくに休めなさそうなくらいに… 求められる内が華。それから、今は運勢的(笑)に止まってはいけないそうなので、やれるところまでがんばろうと思います。

 さて、先日、所属校で、SD(Staff Development)と合同でFD(Facultiy Development)が行われました。他の教員との話し合いも貴重ですが、事務職員と職能について話し合うことはめったにありませんので、この機会にしかできないことをしたいなと思いました。
 私の所属したグループでは、2つの目標が立てられ、そのうちの一つとして、教員と事務職員との間で互いの仕事を理解し合うことを目標にしました。私は、「教職員が学生の専門性・実践力を高めるために何をしているのか、何ができるのか」というテーマから、この目標に積極的にかかわらせていただきました。
 私がこの機会に一番したかったのは、このブログで普段ぶちまけていることを他の教員や事務職員に伝え、その思いを共有することでした。とくに事務職員には、教員が授業以外に何をしているか、少しでも知って欲しかったのです。教員の仕事を事務職員に具体的に知ってもらうことは、学生指導の方針を共有し、事務職員の教員に対する理解・支援を引き出す上で重要だと思っています。あわせて、事務職員がやっている学生に対する教育的かかわりについてもうかがえれば、教員の事務職員に対する理解も変わり、協調的な仕事につながると思います。

 研修の事前準備の際に私があまりにうるさいので、グループ内で、少し系統立てて話す時間をいただけました(笑)。こういう若手教員の言葉を聞こうとする許容的雰囲気は、わが勤務校の最もすばらしいところだと私は思っています。
 私の話の主な趣旨は、授業準備(教材研究)の時間は90分授業につき90分以上の時間が必要であること、教員間の情報意見交換や学生の個別指導を日常的に行っていること、学術研究は教員の個人的趣味ではないこと、事務職員の仕事も学生の専門性・生活力を高めることにつながること、事務職員による教員支援も学生の教育に役立つこと、などでした。資料として、私の「中くらいに忙しい日」を取り上げて、「ある教員の一日」として分刻みで何にどれくらい時間を使っているかも示させてもらいました。

 とくに学術研究については、ひとまず学問・学会貢献の役割は置いておいて、それ以外に次のような意味があることを主張しました。
 まず第1に、教材研究としての意味について。学術研究の成果は、教材化して授業へ反映させる必要があります。とくに、変化の激しい分野(情報系、応用科学系、国際系など)については、最新動向を常につかんでそれを教材化していかなければ、意味のある授業はできません。私は以前、教員の研究を「新陳代謝」だと言ったことがありますが、自分の授業や学生指導で話す内容を生き生きとしたものにするにも、研究は不可欠です。
 第2に、教員自身の力量形成上の意味について。学術研究は、教員自身の研究能力の向上につながります。研究過程は、いわゆる課題解決過程でもあり、課題解決能力の発揮・育成過程でもあるのです。現在、学士課程改革の方針をめぐって学生の課題解決能力の育成が強調されていますが、教員自身が課題解決の仕方を知らない、または課題解決能力に乏しければ、どうして学生の課題解決能力を高めることができましょうか。また、学術研究によって学問内容を深化させることは、授業教材の理解深化にもつながります。
 第3に、地域(現場)貢献における意味について。地域住民や行政、現場が、本当に大学教員に求めているものは何でしょうか。それは、素人的な思いつきや無批判・思考停止の死んだ知識・技術ではないはずです。地域(現場)・行政が大学教員に求めているのは、高度な研究・実践にうらづけられた専門的知識・技能、またはそのような専門的知識・技能を背景とした見識や判断力です。それらを開発し、身につけるには、学術研究が不可欠です。この話から派生して、学外委員などで地域に出た時に得た(公開可能な)情報を教材化して、学生へ還元していくことも大事だという認識が他の教員から出ました。私もそう思います。
 学術研究は、授業改善、学生指導改善、教員の力量向上、地域(現場)貢献に役立つのです。学術研究は、学生・教員・大学・地域・行政・現場のためになるのです。

 こんなことを述べて1グループ7人と話し合ったのですが、予想以上によさげな反応があったのでホッとしました。最後にグループリーダーが次のような言葉でまとめてくださったのは、とても嬉しかったです。

 「研究をしなければ、教師の言葉は死んでしまう、ということですね」

 死んだ言葉では生きた人間を育てることはできない。そのため、教師の言葉は生きていないといけない。教師の言葉を生かすには、研究が必要である。
 大学は、研究費や研究室・設備の配慮をする。それはもちろんありがたい。しかし、研究時間への配慮はあるだろうか。大学(実際は大学だけではないが)の現場は、確実に多忙化の状態に突入している。教育や大学運営事務は際限なく膨張し、さらに地域貢献も課せられていく。大学の現場で今一番確保が難しいのは、研究時間ではないか。研究は日常的に行わなければ成果を得られない。教育と事務を十分しつつも、日常的に研究することができるよう、職務内容の整理・合理化を進める必要がある。

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