私の日本教育史研究は、教師と教育学の歴史の研究を中心としてきた。
教師の歴史の先行研究は、教育労働者としての覚醒過程や教育専門職としての形成過程、所属する社会階級の変遷とその文化の在り方などを明らかにしようとしてきた。それらの研究は、日本社会において教師たちが自律する手立てを探るものであったといえる。私の研究も、20年前当初から、教師の自律を探るための研究であった。
私の研究の特徴は、教師の教育研究を視点の中心におくところである。教員研修の問題にとどめないのは、教師自身の主体的な取り組みを積極的に捉えたいからである。教員研修概念は、残念ながら、主体性のない受け身の研修とそうでない主体的な研修との差異を捉えにくい。教師教育の問題にとどまらなかったのは、教師自身の主体的な取り組みを十分に捉えきれないと思ったからだと思う。教師教育概念は、教師になるための意図的な教育計画を中心にするから、教師自身の学修(学習)や研究による創造的な思考錯誤・表現を視野に入れにくいのではないかと思った。教員の「生活」概念については、私の関心を包み込んでいるが、射程が広すぎて研究の焦点が定まりにくい。また、教師の現にある(あった)生活を超えた理想的な在り方や取り組み、とくに国家・行政・管理的立場から発されたものを排除・軽視せずに捉えることが難しいと思った。
私は、教育の在り方を規定するものとして、教師の教育研究を重視する。だから私は、教師の教育研究を教育学の研究対象として捉えてきた。教師の教育研究は今もたくさん行われているが、研究生活を始めたばかりの私には1990年代から2000年代の教育研究の姿を捉えられていなかったので(教師の生活のうち、教育研究は生徒・学生の立場から最も見えにくいものだからかもしれない)、むしろ私は歴史の中にみられるそれらに魅了された。教育会における組織的な教育研究は、授業研究にとどまらず制度研究にも広がり、教師個人にとどまらず教員集団において行われ、政策過程や社会運動、職場改善に関する教育独自の立場形成につながっているように見えた。むろん教育会における教育研究をそのまま理想化するつもりはなかったのだが、私がそこから教育研究の理想を探ろうとしていたことは隠しようがない。こうして私は、教師の自律を探るための教育会史研究を進めてきた。教育研究の歴史的研究なのに教育学会の研究になかなか取り組まなかったのは、研究の中心に教師の教育研究を捉えたかったからだった。
今までもそうだが、2020年代の今もなお、教師の教育研究の価値は揺らいでいる。国家の教育政策を遂行するために「役立つ研究」と「役立たない研究」が一方的に区別され、後者が無視される中で、教師たちも長時間労働のなかで教育研究に取り組む意義を見失いかけている今、教師の教育研究の歴史的研究は重要さを増している。
さて、私はここ数年、教育学史の研究も進めてきた。
戦後日本における教育学史の先行研究は、戦前の教育学説の封建性や翻訳性、教育実践への影響の成否、思想的系譜などを明らかにしようとしてきた。それらの研究の多くは、教育学に対する評価の方向性はそれぞれ異なるとはいえ、教育哲学・教育思想史の立場から教育学説の研究を中心として、教育や人間の近代化に果たした教育学の役割を探るものだったといえる。私の研究も、教育学の社会的役割を捉えようとするものである。
私の教育学史研究の特徴は、教育学を職業的教育学者の専有物とみず、教師の教育研究との関係において捉えようとするところにあると思う。私は教育学研究と教師の教育研究を区別するが、教育学研究は教師の教育研究の一部を包括するものであり、教師の教育研究は教育学研究に刺激を与えるものだと考えている。教育学研究と教師の教育研究は、同一とも無関係ともみなさず、重なりうるもの、または重なるべきものとみなし、一体化すべきものとみなさず、関係ある他者として刺激し合うべきものと考えている(詳しくは拙著『教師・保育者論』(Kindle)の第2部参照)。それゆえに、私の研究は教育学説史や教育思想史の研究にとどまらず、教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究にならざるを得ない。
教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究は、教育学の社会的役割を捉える研究であり、教師の教育研究の価値を探る研究である。また、先述の通り、私は教師の教育研究を教育の在り方を規定するもの(すべきもの)と考えているので、この研究は教育の歴史の動因を探る教育史研究であり、教育の在り方を探る教育学研究である。
人間や人間社会は多様な側面をもち、それゆえに歴史も多様な側面をもっている。教育はその一側面であり、教育学の研究は人間・人間社会の研究の一部であり、教育史の研究は歴史の研究の一部である。教育史は歴史ゆえに多様な側面をもつが、教育学として研究することで明瞭に捉えることができる側面がある。教育学史は教育学だからこそ捉えるべきだし、教師の教育研究の歴史は教育学だからこそはじめて捉えることが可能である。私が、教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究に取り組む際に、教育学者としての立場を維持するのはそのためである。教育学でなければ研究できない教育史がある。
教育史は、多様な側面を持つゆえに教育学だけで研究すべきではない。また、教育学でなければ研究できない教育史を、現在の教育学が捉えられないという事態はありうる。教育学の視点・考え方を鍛えるには、他の学問分野・領域に学ぶ方法が考えられるが、そのためには学問間で問題意識や方法を理解・共有する必要がある。教育学の視点・考え方を鍛える主体は、あくまで教育学者でなければならない。私が教育史家として教育学者であることにこだわる理由は、そこにある。
教師の歴史の先行研究は、教育労働者としての覚醒過程や教育専門職としての形成過程、所属する社会階級の変遷とその文化の在り方などを明らかにしようとしてきた。それらの研究は、日本社会において教師たちが自律する手立てを探るものであったといえる。私の研究も、20年前当初から、教師の自律を探るための研究であった。
私の研究の特徴は、教師の教育研究を視点の中心におくところである。教員研修の問題にとどめないのは、教師自身の主体的な取り組みを積極的に捉えたいからである。教員研修概念は、残念ながら、主体性のない受け身の研修とそうでない主体的な研修との差異を捉えにくい。教師教育の問題にとどまらなかったのは、教師自身の主体的な取り組みを十分に捉えきれないと思ったからだと思う。教師教育概念は、教師になるための意図的な教育計画を中心にするから、教師自身の学修(学習)や研究による創造的な思考錯誤・表現を視野に入れにくいのではないかと思った。教員の「生活」概念については、私の関心を包み込んでいるが、射程が広すぎて研究の焦点が定まりにくい。また、教師の現にある(あった)生活を超えた理想的な在り方や取り組み、とくに国家・行政・管理的立場から発されたものを排除・軽視せずに捉えることが難しいと思った。
私は、教育の在り方を規定するものとして、教師の教育研究を重視する。だから私は、教師の教育研究を教育学の研究対象として捉えてきた。教師の教育研究は今もたくさん行われているが、研究生活を始めたばかりの私には1990年代から2000年代の教育研究の姿を捉えられていなかったので(教師の生活のうち、教育研究は生徒・学生の立場から最も見えにくいものだからかもしれない)、むしろ私は歴史の中にみられるそれらに魅了された。教育会における組織的な教育研究は、授業研究にとどまらず制度研究にも広がり、教師個人にとどまらず教員集団において行われ、政策過程や社会運動、職場改善に関する教育独自の立場形成につながっているように見えた。むろん教育会における教育研究をそのまま理想化するつもりはなかったのだが、私がそこから教育研究の理想を探ろうとしていたことは隠しようがない。こうして私は、教師の自律を探るための教育会史研究を進めてきた。教育研究の歴史的研究なのに教育学会の研究になかなか取り組まなかったのは、研究の中心に教師の教育研究を捉えたかったからだった。
今までもそうだが、2020年代の今もなお、教師の教育研究の価値は揺らいでいる。国家の教育政策を遂行するために「役立つ研究」と「役立たない研究」が一方的に区別され、後者が無視される中で、教師たちも長時間労働のなかで教育研究に取り組む意義を見失いかけている今、教師の教育研究の歴史的研究は重要さを増している。
さて、私はここ数年、教育学史の研究も進めてきた。
戦後日本における教育学史の先行研究は、戦前の教育学説の封建性や翻訳性、教育実践への影響の成否、思想的系譜などを明らかにしようとしてきた。それらの研究の多くは、教育学に対する評価の方向性はそれぞれ異なるとはいえ、教育哲学・教育思想史の立場から教育学説の研究を中心として、教育や人間の近代化に果たした教育学の役割を探るものだったといえる。私の研究も、教育学の社会的役割を捉えようとするものである。
私の教育学史研究の特徴は、教育学を職業的教育学者の専有物とみず、教師の教育研究との関係において捉えようとするところにあると思う。私は教育学研究と教師の教育研究を区別するが、教育学研究は教師の教育研究の一部を包括するものであり、教師の教育研究は教育学研究に刺激を与えるものだと考えている。教育学研究と教師の教育研究は、同一とも無関係ともみなさず、重なりうるもの、または重なるべきものとみなし、一体化すべきものとみなさず、関係ある他者として刺激し合うべきものと考えている(詳しくは拙著『教師・保育者論』(Kindle)の第2部参照)。それゆえに、私の研究は教育学説史や教育思想史の研究にとどまらず、教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究にならざるを得ない。
教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究は、教育学の社会的役割を捉える研究であり、教師の教育研究の価値を探る研究である。また、先述の通り、私は教師の教育研究を教育の在り方を規定するもの(すべきもの)と考えているので、この研究は教育の歴史の動因を探る教育史研究であり、教育の在り方を探る教育学研究である。
人間や人間社会は多様な側面をもち、それゆえに歴史も多様な側面をもっている。教育はその一側面であり、教育学の研究は人間・人間社会の研究の一部であり、教育史の研究は歴史の研究の一部である。教育史は歴史ゆえに多様な側面をもつが、教育学として研究することで明瞭に捉えることができる側面がある。教育学史は教育学だからこそ捉えるべきだし、教師の教育研究の歴史は教育学だからこそはじめて捉えることが可能である。私が、教育学研究と教師の教育研究との関係史の研究に取り組む際に、教育学者としての立場を維持するのはそのためである。教育学でなければ研究できない教育史がある。
教育史は、多様な側面を持つゆえに教育学だけで研究すべきではない。また、教育学でなければ研究できない教育史を、現在の教育学が捉えられないという事態はありうる。教育学の視点・考え方を鍛えるには、他の学問分野・領域に学ぶ方法が考えられるが、そのためには学問間で問題意識や方法を理解・共有する必要がある。教育学の視点・考え方を鍛える主体は、あくまで教育学者でなければならない。私が教育史家として教育学者であることにこだわる理由は、そこにある。