教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

「夢」とは何か―生きるための原動力

2009年03月07日 18時31分59秒 | 教育研究メモ
 一昨年使い始めて以来、よく使うようになった「夢」という言葉。実は、高校の非常勤を終える際に、口をついて出た言葉でした。一昨年の7月、自分が教壇を離れるにあたって、将来に不安と期待をいっぱいにかかえた高校生に、何を語るか。生きることに迷いに迷っていた自分に、どこへ向かえと言い聞かせるか。夢。使い方によってはうさんくさい言葉ですが、あのとき自分が伝えたかった内容を表現するには、この言葉しか思いつきませんでした。
 私は、「夢」とは、生きるための原動力だと思っています。幻のようにつかみ所がないようでいて、現実感をもって「実現したい」という意欲を生み出す理想・イメージ。誰のものでもない、自分自身のもの。でも、自分だけのためのものではなく、自分を含めた「みんな」のためのもの。
 夢は、生きるためのもの。具体的であればあるほど、実現可能であればあるほど、人生にとってより有意義です。「目標」と言い換えても問題ないかもしれませんが、できるなら、自分自身のものとして、自らそのイメージへと「成る」という意味を持たせたい。そのため、私はこれを、あえて「夢」という言葉を使います。
 私の夢は、「先生の先生」になること。普通教育に携わる学校教員を養成する仕事。要するに、大学の教員養成担当教員。でも、単に大学に教員として就職すれば、それで実現するものではありません。
 「先生の先生」になることとは、「先生の先生」としてふさわしい生き方を目指し、実践し、具体化しつつ、生を全うすること。「先生の先生」としてふさわしい生き方とは、教師の理想的な生き方(人として、日本人として、地域社会の一員として、教育者として、学校教員として…)だと思います。そのためには、生き方を追究する、適切な授業・指導をする、生徒のモデルとなりうる人格を備えるなど、常にやっていかなくてはいけないことが山ほどあります。
 今は、どのような生き方が教師としてふさわしいのか、とても知りたいです。教員史を学べば、かつて聖職(天職)的教師像、師範タイプ、教育労働者、公務員的教師像、専門職的教師像などなど、様々な理想的教師像が結ばれてきました。最近では、「市場経済人養成装置」的教師像とでも言えそうなものが結ばれていますね。どの教師像にも一長一短があります。このなかの一つをまるごと選べばよい、というような問題ではありません。ではどんな生き方がふさわしいのでしょうか。
 このように、私の夢は、まだまだ具体的とは言えません。ですが、就職しただけでは実現しないことは確信しています。私の夢は、一生かけて実現していくものです。私は、夢に向けて生き、生きながら夢を実現していくのです。
 今の私が伝えられることがあるとしたら、一生をかけられる夢の重要性だけかもしれません。私と関わることによって、人々が一生かけて実現していく夢を抱くことができたなら、これに勝る幸せはありません。

 ま、こんな抽象的な悪文・長文では伝えられんよね~(苦笑)。
コメント (4)
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