8月5日から7日にかけて、所属する科研費グループ(教育会史)の一部メンバーで長野県飯山市内の小学校の調査と信濃教育会の信濃教育博物館に行ってきました。小学校調査の方は、今年度または来年度に統合・廃校予定の3つの小学校の文書保存を目的とした調査です。写真はそのうちの1校の校舎からとった写真です。見事な田園風景でした。
小学校では目録作成をするために文書名の表記された面をひたすら撮影していくという作業を行いました。文書は倉庫の奥にあって埃っぽく、学校によってはエアコンもない、または電気もないという環境でしたので、埃対策と熱中症対策を万全にしていきました。なかなかの肉体労働でしたが、貴重な資料がたくさんありましたし、資料を残そうと思ってくださった管理職や関係者の期待に応えるべく、メンバーみんなで頑張りました。
なぜ教育会史研究なのに学校文書を調査しているかというと、学校文書には教育会に関する資料が入っていることが多いからです。特に長野県の学校には、戦後も教育会が存続したことが原因となって、よく残っています。学校文書にある教育会関係資料は当該学校文書全体の一部なので、教育会関係資料だけをピックアップしても十分な研究をすることができません。そのため、教育会史研究としても学校文書全体を保存する必要があります。教育会関係資料だけ見ても、その資料の背景が理解できませんから。
今回の調査で改めて学校文書の重要性を考えました。学校文書は、当該学校史・地域史の基礎資料になるから重要なのは当然ですが、教育会史研究においても重要です。教育会員の多くは学校教員であり、教育会の活動は学校運営や授業方法などの学校教員の職務に深くかかわるので、学校文書の中に教育会資料が含まれることになります。教育会資料が学校文書に含まれるということは、逆に言えば、教育会が学校運営上重要な位置を占めていた証拠にもなります。
学校文書に残る教育会関係資料のほとんどは、郡市教育会レベルの資料です。郡市教育会は教育現場に近い活動をしていたので、教育会史研究でも極めて重要な対象です。これまでの教育会史研究の主要史料は中央・都道府県教育会の機関誌でしたが、学校文書に含まれる教育会資料は、機関誌に掲載されない様々な情報や動向を把握することを可能にします。
以上のように、学校文書に残る教育会関係資料は、郡市教育会の実態に迫る資料として、これまでの教育会史研究を乗り越える可能性があります。近年、少子化・人口減少のために統合・廃校が増えています。学校文書が処分・紛失・散逸する場合、統合・廃校時が最も注意すべきタイミングになります。長野県を除いて、全国の教育会は1940年代後半にほとんど解散してしまいました。すなわち教育会が現存しない地域が大半です。これは資料保存にきわめて不利です。保存するかしないかを判断する主体が、その教育会の関係者ではないからです。教育会関係資料はその学校の直接的な資料ではないので、資料保存の判断時に処分の判断が下される可能性が高くなります。
都道府県教育会の資料は都道府県教育会館や都道府県立図書館などに保存されていることがあるのですが、郡市教育会の資料は保存されにくい傾向にあります。学校文書ともども保存の方法を考えていかなければなりません。学校文書については、京都市学校歴史博物館のように専門の博物館が設けられる事例もありますが、そういう事例は少数です。学校の統合・廃校が今後も増えていくであろう今だからこそ、学校文書の保存方法はもっと真剣に考えなければなりません。
日本の学校は地域が設立・維持に深くかかわっているだけに、学校文書は地域の歴史を語る貴重な資料でもあります。自治体消滅もありうる今、地域の資料自体も貴重です。資料がなくなればその地域の歴史を語ることができなくなります。歴史を語ることができなくなるということは、その地域に生きた人々が忘れ去られてしまうということです。地域資料の散逸を防ぐためにも、学校文書の保存方法を考える必要があります。
今回は、研究仲間からの情報提供で長野県にはるばる足を延ばしましたが、私自身、広島県周辺のことをもっとよく考えないといけないと痛感しました。今の私は、教育会関係資料はもちろん、そもそも地域の教育史資料が紛失・散逸しないようにすべき立場にいます。これからの仕事の仕方を考える機会になりました。