MWSの最新ニュースが更新された。サンボマスターの新宿コマ劇場「世界ロック選抜 <東京スペシャル> グレイトな佐野元春とグレイトなロックンロールを! しかもコマ劇場で!!」は聴きに行きたいのだが、平日なので難しい。無理だなあ。。
2006年の春に脳出血で倒れた吉野金次のために、矢野顕子が細野晴臣を誘って開催した「吉野金次の復帰を願う緊急コンサート」が予約限定生産DVDとして発売。このDVDの収益は治療費に充てられることが発表されている。
●音楽のちから ~吉野金次の復帰を願う緊急コンサート
XQCH-92001 4,800
4月25日リリース
予約限定生産商品(予約期間2月9日から3月11日)
参加アーティスト: 矢野顕子、細野晴臣&東京シャイネス・オールスターズ(細野晴臣・浜口茂外也・徳武弘文・コシミハル・鈴木惣一朗・高野寛・高田漣・伊賀航)、ゆず、友部正人、大貫妙子、佐野元春
予約限定生産なので、グリーンドア音楽出版のサイトでは、全国有名レコード店、またはDVD取扱の有名ネット通信販売サイトでご予約ください、と書いてある。アマゾン、HMVで予約が開始されている。
DVDに関しては大貫妙子が珍しいのではないのかな。たぶん過去の映像作品はDVD化されてないし、DVD作品自体が出てないのだと思う。YOUTUBEにはレアな映像が出ていたけれど。
閑話休題。
矢野顕子といえば「ミュージックマガジン」2006年12月号の特集[矢野顕子]におもしろい記事が掲載されていた。
1987年にリリースされたアルバム『GRANOLA』(画像)には佐野元春がゲスト参加している。コラボレーションした曲「自転車でおいで」自体は穏やかなものだが、佐野元春を迎え入れたという事実自体に矢野顕子の自覚があるのだという。それまでライヴでの共演を通じて、矢野顕子は佐野元春に、YMOや坂本龍一人脈とは違う感性から出てきた挑発的なアプローチを感じ取り、対抗心を大いにあおられていたように思える、というのだ。
矢野顕子はソロ活動と並行して、ティンパンアレー、YMOのセッション・メンバーとして活動していた。YMO散開以降も、教授と共同作業でアルバムやライヴを行っていた。『GRANOLA』以降、しばしの休養の後、復帰作の『WELCOME BACK』では共同プロデューサーとして坂本龍一の名前がクレジットされているが、結果的にそれが最後の仕事となり、YMO、坂本龍一人脈から離れてのソロ活動がはじまった。矢野顕子は佐野元春と同じエピック・レコードに移籍。1992年にはNEWS23のエンディングテーマになった「また明日...」で再び共演(佐野元春のアルバム『sweet16』に収録された)。また同年、矢野顕子の弾き語りアルバム『Super Folk Song』には「SOMEDAY」のカヴァー・ヴァージョンが収録された。
僕が矢野顕子を自覚的に聴きはじめたのは、アルバムでいうと『峠のわが家』のあたり。はじめて買ったアルバムはCD版の『BROOCH』だった。だから『GRANOLA』はオンタイムで聴いていたはずなのだが、佐野元春と矢野顕子の交流が、互いに影響を及ぼすものだとは、当時考えていなかった。だから、その記事の視点はとても興味深かった。