<06月28日プレイリスト>
[モータウン特集アーカイヴス Part 2]
WHERE DID OUR LOVE GO/THE SUPREMES '64
THE SUPREMES MEDLEY/THE SUPREMES
I CAN'T HELP MYSELF/THE FOUR TOPS '64
MY GIRL/THE TEMPTATIONS '65
HOW SWEET IT IS/MARVIN GAYE '65
UPTIGHT/STEVIE WONDER '65
OOO BABY BABY/MIRACLES '65
SHOTGUN/JR. WALKER & THE ALL STARS '65
I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE/GRADYS KNIGHT & THE PIPS '67
I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE/MARVIN GAYE '68
MY CHERIE AMOUR/STEVIE WONDER '69
CLOUD NINE/THE TEMPTATIONS '68
I WANT YOU BACK/THE JACKSON 5 '69
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■内容の一部を抜粋
・近況
いよいよ今週、シングル「僕らの夏の夢」の最終ミックス・ダウンを行い、マスタリングして工場に納入する予定。
・僕らの夏の夢
新曲は「僕らの夏の夢」。8月の中旬にシングルとしてリリース予定。アニメ版『時をかける少女』で知られる細田守監督の劇場版アニメ最新作『サマーウォーズ』の主題歌。映画は8月1日全国ロードショウ公開。
http://s-wars.jp/index.html
・モータウン特集アーカイヴス
モータウンが今年50周年なので、今から13年前の1996年7月にオンエアした「モータウン特集」の再現放送。今週はその2回目。1960年代のアメリカを代表する黒人音楽のレコード・カンパニー「モータウン」。レコード会社の枠を飛び越えてひとつの音楽スタイル、あるいは社会現象となった。今週はモータウンの全盛期1964年から1970年代に足がかかるあたりまでのモータウンの黄金時代を特集する。
・モータウンの黄金時代
モータウンの全盛期は1964年から1968年くらいまでを指す。今日「モータウン・サウンド」というとその時代の音楽のことをいう。ブラック・ミュージック、R&B、ソウル・ミュージックの編曲技法、作曲技法といった音楽的な要素から始まって、タレントやレコードを売り出すマーケティング、プロモーションに至るまでアフリカン・アメリカン・ミュージックの洗練、制作ノウハウというのは、この時代のモータウンを萌芽、あるいは転換点とするということができる。
・WHERE DID OUR LOVE GO
1950年代までは黒人の作る音楽は「レース・ミュージック」などという言われ方をしていた。黒人の聴衆向けのみにだけ制作されているレコードがほとんどだった。1950年代にロックンロールという形でティーンネイジャー、特に白人の子どもたちが黒人音楽の世界に興味を持つようになった。イギリスをはじめとするヨーロッパではこうした現象が大きなムープメントになり、1960年代に入る頃には黒人音楽が白人の聴衆にふつうに聴かれるようになった。それを音楽的にも商業的にも大爆発させたのが「モータウン」というレコード会社だった。当時の白人の一般聴衆はまだまだ黒人音楽特有の熱気とかアーシーな泥臭ささ、あるいは性的なメタファーといったものに対して苦手意識が多かったので、黒人が歌っている音楽なんだけれど、より口当たりのいい聴きやすいものへと「モータウン」の音楽は白人マーケットのためのニーズを開発していき、またそれにつれてどんどん変わっていった。1964年、モータウンのソフト路線の最も象徴的な存在として登場したのがスプリームスという女性ヴォーカル・グループ。主役はリード・ヴォーカルのダイアナ・ロス。結成当初はダイアナ・ロスはリード・ヴォーカルではなかったが、その後だんだんダイアナ・ロスを主役にするように路線変更が加えられた。そこに現れたのがソングライター・チームのホーランド=ドジャー=ホーランドという3人組の作曲家チーム。この作曲家チームがスプリームスの曲を書くようになってから、デビュー時からしばらく鳴かず飛ばずだったスプリームスというグループがいきなりヒット曲を連発するようになる。その皮切り1964年に全米No.1となったのが「WHERE DID OUR LOVE GO」(邦題「愛はどこへ行ったの」)。
・THE SUPREMES MEDLEY
スプリームスは1964年に全米No.1となった「WHERE DID OUR LOVE GO」(邦題「愛はどこへ行ったの」)を手始めに1968年までに12曲の全米No.1が出た。特にすごかったのが1964年「WHERE DID OUR LOVE GO」を皮切りに1965年にかけて5曲連続でNo.1ヒットを連発したこと。「THE SUPREMES MEDLEY」はタツローさんが自宅で作った音源で、「WHERE DID OUR LOVE GO」、「BABY LOVE」、「COME SEE ABOUT ME」、「STOP IN THE NAME OF LOVE」、「BACK IN MY ARMS AGAIN」のメドレー。
・スプリームス
スプリームス成功にはふたつの要因があった。ひとつはダイアナ・ロス。ダイアナ・ロスは当時人気のあったグラマラスなスタイルではなく、瞳が大きく華奢でスリムなスタイル。その新しいキャラクターが受けたこと。もうひとつはホーランド=ドジャー=ホーランド。エディ・ホーランド、ブライアン・ホーランド、ラモン・ドジャーという3人組の作曲家チームがモータウンのサウンド作りの中核となったこと。彼らはヒット制作工場、「ヒット・ファクトリー」と呼ばれた。ちなみにスプリームスの成功の顛末を描いたのが映画にもなったミュージカルの『ドリーム・ガールズ』。
・I CAN'T HELP MYSELF
1964年にはもうひとつモータウンを代表する重要なグループがデビューしている。リード・ヴォーカルのリーバイ・スタッブスの素晴らしいヴォーカルに支えられた黒人4人組の男性ヴォーカル・グループ、フォートップス。フォートップスとスプリームスが最もホーランド=ドジャー=ホーランドの恩恵を受けたグループ。代表曲のほとんどがホーランド=ドジャー=ホーランドの作品。「I CAN'T HELP MYSELF」はホーランド=ドジャー=ホーランドの作品で1965年全米No.1。
・MY GIRL
「MY GIRL」は黒人男性ヴォーカル・グループの概念を一新したテンプテーションズの1965年全米No.1ヒット。曲はスモーキー・ロビンソンが書いた。テンプテーションズはスモーキー・ロビンソンとノーマン・ホィットフィールドの交互プロデュースを軸に作品が作られていった。
・HOW SWEET IT IS
マーヴィン・ゲイの「HOW SWEET IT IS」は1965年初頭のベストテン・ヒット。ホーランド=ドジャー=ホーランドの作品。
・UPTIGHT
ベリー・ゴーディーはモータウンのサウンドを称して「SOUND OF YOUNG AMERICA」という名前を付けた。全盛期のモータウンの音楽はアイドル・ポップスだった。ユーザーは十代前半の子どもたち。歌っているのも十代から二十代前半のシンガー。
「UPTIGHT」はスティービー・ワンダーの1965年、全米3位のヒット曲。
・OOO BABY BABY
ミラクルズの「OOO BABY BABY」はスウィート・ソウルの最初の完成形となる曲。
・SHOTGUN
ジュニア・ウォーカーはサックス奏者でヴォーカリスト。「SHOTGUN」は1965年、全米4位のヒット曲。今やR&Bのスタンダード。
・I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE
グラデス・ナイト&ザ・ピップスの「I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE」は1967年の全米2位のヒット・ソング。作曲はノーマン・ホィットフィールドとバレット・ストロングのコンビ。
この曲は1968年にマーヴィン・ゲイがカヴァーし、7週連続1位の大ヒット。マーヴィン・ゲイ人生最大のヒットになった。
・ソウル・レーベル
1965年頃からヴェトナム戦争の激化で政情が不安定になってくると黒人社会でもカリフォルニア州ワッツ市での暴動があり、黒人の政治勢力もブラック・パンサーなどの過激に政治主張を唱える人たちが台頭するようになった。「ブラック・パワー」という言葉が生まれ、1950年代、1960年代初頭にベリー・ゴーディーが思考していたものとは違うものがたくさん出てくるようになった。それまでのアイドル・ポップス路線には「白人に魂を売り渡している」という批判が出るようになった。それに対して取った方策が新しいレーベル「ソウル」で、その二大スターがジュニア・ウォーカー&オールスターズとグラデス・ナイト&ザ・ピップスだった。
・MY CHERIE AMOUR
スティービー・ワンダーは宛行扶持のプロジェクトや歌に満足できなくて、自分で制作を統括したい、もっと自分独自の音楽を展開したいと望み、本腰を入れて作曲の勉強をはじめて、1枚のシングルを発表する。「MY CHERIE AMOUR」は1969年の全米4位。
・CLOUD NINE
ホーランド=ドジャー=ホーランドが金銭トラブルでモータウンを辞めた。それと前後してノーマン・ホィットフィールドはテンプテーションズと深く関わるようになった。ノーマン・ホィットフィールドはテンプテーションズの大イメージ転換を試みて作曲パートナーのバレット・ストロングと組んでより攻撃的なハードなサウンドを試行することになる。テンプテーションズのファンク路線の発祥として世に名高いのが「CLOUD NINE」。
・I WANT YOU BACK
1969年も押迫っていよいよ1970年になろうとする頃デビューしたのがマイケル・ジャクソンがリードを取るジャクソン・ファイブ。マイケル・ジャクソンは1959年生まれ。モータウンが生まれた年に生まれた。それも何かの歴史の因縁。さらにこの番組の最後に曲がかかるということに、タツローさんは大きな因縁を感じたそうだ。「マイケル・ジャクソンは誰もが認める通り不世出のアーティストでありましたけれども、マーヴィン・ゲイ同様にアメリカの芸能界の地獄で燃え尽きてしまいました。ご冥福をお祈りしつつジャクソン・ファイブ、1970年初頭を飾りましたデビュー・ヒットでミリオン・セラー、『I WANT YOU BACK』邦題『帰ってほしいの』」とタツローさん。
・マーヴィン・ゲイ物語-引き裂かれたソウル
先月、マーヴィン・ゲイの自伝本『マーヴィン・ゲイ物語-引き裂かれたソウル』が出た。レイ・チャールズの評伝本で知られるデイヴィッド・リッツが'80年代に発表した名著と謳われる本を吉岡正晴さんが翻訳した。この翻訳本を5名にプレゼント。
・モータウン・ゴールド
今回の特集に最も沿った形で編纂されているCDもプレゼント。2005年にモータウン45周年を記念して、日本のユニヴァーサルが組んだコンピレーション『MOTOWN GOLD』。こちらも5名にプレゼント。締め切りは7月中旬。
■リクエスト・お便り・プレゼントの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係
■今後の予定
07月05日は、「モータウン特集アーカイヴス PART 3」
http://www.smile-co.co.jp/tats/